1. 【1】中国の人々は、日本人のことを、人まねはじょうずだけれど自分では何もつくり出す力のない
国民だ、と言っているそうです。
江戸時代よりまえの文化は、みんな中国の文化を手本にして、まねたものにすぎない。【2】また、
明治時代から今日までに
築きあげた新しい文化は、これもヨーロッパやアメリカの高い文化をじょうずにまねたものだ、と言うのです。【3】なるほどそう言われてみると、そうかもしれないな、と思いますが、ほんとうに日本人は、そんなつまらない、力のない
国民なのでしょうか。わたしはそうは思いません。
2. 【4】なるほど日本の文化のもととなるものは、ほとんど中国から、また西洋からとりいれたものです。しかし日本人はけっしてそれをそのままの形でまねしてきたわけではありません。【5】それを日本の土地に、日本人の生活に、そして日本人の気持にぴったり合うように、手を
加え、
改良して、りっぱなものに仕上げていったのです。そのいちばんよい
例は、漢字です。【6】漢字がはじめて中国から
伝わったころには、漢文体で文章を書いたのですが、それでは日本のことばをそのまま表わすことができません。そこで、
必要なときには漢字をつかって、日本語の音を一字一字書くことも行なわれるようになりました。【7】
奈良朝のころにできた『万葉集』をみると、日本の歌がすべて漢字で表わしてあります。
3. たとえば、有名な
山上憶良の「
貧窮問答歌」のはじめの部分は、つぎのように書いてあります。
4. 【8】
風雑 雨布流欲乃 雨雑雪布流欲波 為部母奈久 寒之安礼婆
5. まるで、お
坊さんの持っているお
経の本みたいですが、これで、
6. 風まじり 雨ふる夜の 雨まじり雪ふる夜は すべもなく 寒くしあれば
7.と読むのです。【9】なるほど、こんなふうに漢字をつかえば、ちょうどローマ字をつかうようなものですから、どんなことばでも表わすことができます。
8.
於奈加我須以多
9. なんと読むかわかりますか。「おなかがすいた」です。【0】こんなぐあいにあなたの名まえを一字一字書いてごらんなさい。なかなか∵めんどくさいでしょう。まったく日本のことばを表わすのに、こんなふうに一字一字漢字をあてていくのでは、書くだけでもたいへんです。そこで平安朝のはじめごろになると、もっと楽に、かんたんに日本のことばを書き表わすことができるようにいろいろくふうが重ねられ、できあがったのが
平仮名と
片仮名です。たとえば、「
阿」という漢字のヘンだけとって、「ア」ができ、「安」という字、これも「あ」の音を表わすのにつかった字ですが、それを草書で書いたものから「あ」という
平仮名が生まれました。同じように「
於」から「オ」「お」、「
加」から「カ」「か」ができたのです。これなら書くのも楽で、
覚えるにもかんたんです。どちらも漢字がもとになっていますが、日本人でなければ読めないし、またつかうことのできない新しい文字です。この新しい文字がさかんに使われるようになると、日本の文化は
一段とさかえることとなりました。世界に
誇る『
源氏物語』や『
枕草子』のようなりっぱな
小説や
随筆も、このような
仮名をつかって自分の気持や考えを自由に、楽に表わすことができるようになった
結果生まれたのです。また、筆でりっぱな文字を書く書道にしても、漢字を書くのでは中国人にはとうていかないませんが、まるで絵のように美しく書いた
仮名文字は日本の書道として、
自慢してもよいものでしょう。
10. 人まねがじょうずだということは、ただそれだけで終わってしまうのならばつまらないことです。しかし、はじめはまねをしても、自分でくふうを重ね、
改良を
加えて、もっとりっぱなものに仕上げていくことができるならば、けっして
恥ずかしいことではないのです。日本人には、むかしから、そうしたすぐれた
才能がそなわっているのです。
11.「日本人のこころ」(
岡田章雄著 筑摩書房)より