1. 【1】人間は、だいたい思春期から
不機嫌というものを
覚えていきます。いろいろ本を読んで考える、
恋をして
悩む、
周囲の大人を
煙たく感じる、自分は何かもっと
違ったものになりたいと思う、そんな青春時代から
不機嫌モードに入る。
2.【2】「うつむいて うつむくことで 君は生へと一歩
踏み出す」
3. これは、谷川
俊太郎さんの『うつむく青年』という詩の
一節です。うつむいて
内省し、世の中に
迎合しないで自分自身の世界を作り上げようとするのは、青年の
特徴です。
4. 【3】また、
尾崎豊に、『十五の夜』という歌があります。「
盗んだバイクで走り出す」という
歌詞は、十五
歳という自立前の
年齢のどうしようもない
鬱屈を
描いているから人の
共感を
呼ぶのです。【4】しかし、
二十歳をすぎてもこれをやっていたら、社会からは受け入れられません。「二十五の夜」に「
盗んだバイクで走り出」したら、それは
単なる社会からの
逸脱、
犯罪にすぎません。
5. 【5】石川
啄木は、「
不来方の お
城の草に
寝ころびて 空に
吸はれし 十五の心」と
詠みました。このような
哀愁も、青年期には
似合います。
6. 今の時代、人に
気遣いのできる
上機嫌な子どもを期待する向きは少ないと言えましょう。【6】
成長期の
精神的安定は
求められていない。たとえば、中学生は親しい友だち
同士だと
仲がよくて
ご機嫌ですが、大人や、
仲間以外の人に対しては
不機嫌で、それもまた仕方ないという空気があります。
反抗期だからです。【7】これは人間の
成長に
必要欠くべからざるもので、
最近反抗期らしい
反抗期がないのが心配されるという
論を
唱える方もいらっしゃいます。
7.
私自身は、
反抗期というものは
必ずしも必要ないと考えています。【8】
基本的に人に気を
遣うという
能力は、「
技」であり、ここ∵ろの
習慣の問題です。そのこころの
習慣を、ある時期全くなくしていいというのは、社会としておかしいと思うのです。
8. 【9】十代の
精神的に
葛藤の多い時期だからといって、人に対する
気遣いをしなくていいということはありません。この
習慣を
忘れてなくしてしまっていいと
許容してしまいますと、身についた「
当たり散らし癖」や「むっとしたまま
癖」はその人の中で
続いてしまい、当たり前のものとなってしまうことが多いのです。【0】ここから
脱却しようとすれば、もう一度「人に気を
遣う」という
技を、自分の中で作り直さないとなりません。
9.
現在は、子どもが
不機嫌であっても
無愛想であっても、
積極的に直す
努力をしない。たとえば、会話をしない
状態も
放置している。親が話しかけても何も答えない。「
別に」「ふつう」がせいぜいです。「
別に」「ふつう」というのは、会話を
拒否した
状態であり、
拒否の意思
表示です。それはいけないことだと、はっきりと
指摘しなければならない。相手と
関係を
結びたくないという意思
表示、会話に対してきちんと答えないという
拒否状態が、
成長にとって
必要なことであるとは
私は思わないのです。
10.(
齋藤孝『
上機嫌の
作法』(角川書店))