長文集  9月4週  ○武士の教育において  ti2-09-4
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2011/05/23 11:02:19
 【1】武士の教育において第一に重んじら
れたのは、品格の形成であった。それに対し
て思慮、知識、雄弁などの知的才能はそれほ
ど重要視されなかった。
 【2】すでに武士の教育に美的な価値が重
要な役割を占めていたことは述べたが、知性
が教養人として欠かせないものであるにせ 
よ、武士の教育の本質からいえば付随的なも
のだった。【3】知能が優秀なことはむろん
尊ばれたが、知性を表すのに用いられる「 
知」という漢字は、主として「叡智」を意味
し、単なる知識は従属的な地位しかあたえら
れなかったのである。
 【4】武士道の枠組みを支える三つの柱は
「智()」「仁()」「勇()」とされ、そ
れはすなわち「知恵」「仁愛」「勇気」を意
味した。なぜならサムライは本質的には行動
の人であるからだ。そのため学問はサムライ
の行動範囲の外におかれた。【5】彼らは武
士としての職分に関係することにのみ学問を
利用した。宗教と神学は僧侶や神宮にまかさ
れ、サムライはそれらが勇気を養うのに役立
つ場合に限って必要としたのである。【6】
あるイギリスの詩人がいったように、サムラ
イは「人間を救うのは教義ではない、教義を
正当化するものは人間である」と信じていた
。また哲学(儒学)と文学は武士の知的訓練
の主要な部分を形成してはいたが、これらの
学問でさえ、追求されたのは客観的事実では
なかった。【7】文学は暇をまぎらす娯楽と
して求められ、哲学は軍事問題や政治問題の
解明のためでなければ、あとは品格を形成す
る実践的な助けになるものとして学ばれた。
 【8】以上述べたことから、武士道の教育
科目が、主として剣 術、弓術、柔術もしく
は「やわら」、乗馬、槍術、戦略戦術、書 
道、道徳、文学、歴史などだったとしても、
驚くに値しないだろ う。これらのうち柔術
と書道については多少の説明がいる。∵【9
】書が優秀なことは大いに重んじられたが、
それは日本の文字が絵画的性質をもっており
、それ自体が芸術的な価値があったからであ
ろう。また、書体はその人の人柄を表すもの
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と信じられていたからである。【0】さらに
柔術を簡単に定義すると、攻撃や防御のため
の解剖学的知識を応用するということになる
。柔術は筋力に頼らない、という点で相撲と
は異なる。また、いかなる武器も使わないと
いう点で、ほかの攻撃方法とも異なる。その
技は、相手の身体の一部をつかんだり、叩い
たりして、相手を気絶もしくは抵抗できない
ようにするものである。その目的は敵を殺す
ことではなく、一時的に行動できなくさせる
ことであった。
 軍事教育において当然あるべきはずなのに
、武士道の教育ではあえて外されていたもの
が数学であった。だが、これは封建時代の戦
闘が科学的な正確さをもって戦われなかった
という事実によって、一応の説明がつくであ
ろう。そればかりか、サムライの教育全体か
ら見ても、数学的概念を育てることは芳しく
なかったのである。
 それは武士道が損得勘定を考えず、むしろ
貧困を誇るからであ る。武士道にあっては
、ヴェンティディウス(シェークスピア劇の
登場人物)がいうように、「武人の徳である
功名心は、名を汚す利益よりも、むしろ損失
を選ぶ」ものだった。かのドン・キホーテが
黄金や領土よりも、彼の錆びついた槍とやせ
こけたロバを誇りとした、ようにである。わ
がサムライは、この誇大妄想に取りつかれた
ラ・マンチャの騎士に、心から同情するので
ある。

(新渡戸稲造著/岬龍一郎訳『武士道――い
ま、拠って立つべき「日本の精神」』(PH
P研究所)による)