1. 【1】
武士の教育において第一に重んじられたのは、
品格の
形成であった。それに対して
思慮、
知識、
雄弁などの
知的才能はそれほど
重要視されなかった。
2. 【2】すでに
武士の教育に
美的な
価値が
重要な
役割を
占めていたことは
述べたが、
知性が
教養人として
欠かせないものであるにせよ、
武士の教育の
本質からいえば
付随的なものだった。【3】
知能が
優秀なことはむろん
尊ばれたが、
知性を表すのに用いられる「知」という漢字は、主として「
叡智」を意味し、
単なる知識は
従属的な
地位しかあたえられなかったのである。
3. 【4】
武士道の
枠組みを
支える三つの柱は「
智」「
仁」「
勇」とされ、それはすなわち「
知恵」「
仁愛」「
勇気」を意味した。なぜならサムライは
本質的には行動の人であるからだ。そのため学問はサムライの行動
範囲の外におかれた。【5】
彼らは
武士としての
職分に
関係することにのみ学問を
利用した。
宗教と神学は
僧侶や神宮にまかされ、サムライはそれらが
勇気を
養うのに役立つ場合に
限って
必要としたのである。【6】あるイギリスの詩人がいったように、サムライは「人間を
救うのは
教義ではない、
教義を正当化するものは人間である」と
信じていた。また
哲学(
儒学)と文学は
武士の
知的訓練の
主要な部分を
形成してはいたが、これらの学問でさえ、
追求されたのは
客観的事実ではなかった。【7】文学は
暇をまぎらす
娯楽として
求められ、
哲学は
軍事問題や
政治問題の
解明のためでなければ、あとは
品格を
形成する
実践的な助けになるものとして学ばれた。
4. 【8】
以上述べたことから、
武士道の教育科目が、主として
剣術、
弓術、
柔術もしくは「やわら」、乗馬、
槍術、
戦略戦術、書道、
道徳、文学、
歴史などだったとしても、
驚くに
値しないだろう。これらのうち
柔術と書道については多少の
説明がいる。∵【9】書が
優秀なことは大いに重んじられたが、それは日本の文字が絵画
的性質をもっており、それ自体が
芸術的な
価値があったからであろう。また、書体はその人の
人柄を表すものと
信じられていたからである。【0】さらに
柔術を
簡単に
定義すると、
攻撃や
防御のための
解剖学
的知識を
応用するということになる。
柔術は
筋力に
頼らない、という点で
相撲とは
異なる。また、いかなる
武器も使わないという点で、ほかの
攻撃方法とも
異なる。その
技は、相手の身体の一部をつかんだり、
叩いたりして、相手を
気絶もしくは
抵抗できないようにするものである。その
目的は
敵を
殺すことではなく、一時
的に行動できなくさせることであった。
5.
軍事教育において
当然あるべきはずなのに、
武士道の教育ではあえて外されていたものが数学であった。だが、これは
封建時代の
戦闘が科学
的な
正確さをもって
戦われなかったという事実によって、
一応の
説明がつくであろう。そればかりか、サムライの教育全体から見ても、数学
的概念を育てることは
芳しくなかったのである。
6. それは
武士道が
損得勘定を考えず、むしろ
貧困を
誇るからである。
武士道にあっては、
ヴェンティディウス(シェークスピア
劇の登場人物)がいうように、「
武人の
徳である
功名心は、名を
汚す利益よりも、むしろ
損失を
選ぶ」ものだった。かの
ドン・キホーテが黄金や
領土よりも、
彼の
錆びついた
槍とやせこけたロバを
誇りとした、ようにである。わがサムライは、この
誇大妄想に取りつかれたラ・マンチャの
騎士に、心から
同情するのである。
7.(
新渡戸稲造著/
岬龍一郎訳『
武士道――いま、
拠って立つべき「日本の
精神」』(PHP研究所)による)