a 長文 7.1週 ti2
 わたしは、自分自身の体験たいけん紹介しょうかいしながら丸暗記についてだいぶ否定ひていてきなことを述べの てきました。しかし、それは丸暗記でやっていくことの限界げんかいについて指摘してきするのが目的もくてきで、暗記による知識ちしき獲得かくとくそのものが「意味がない」と考えているわけではありません。それどころか、いろいろなことが「わかる」ようになるベースを頭の中につくるときには、むしろ暗記は必要ひつよう不可欠ふかけつだと考えています。
 そもそも、何もない、まったくのゼロの状態じょうたいから何かを生み出すことはできません。物事を理解りかいすることも同じで、自分の中に理解りかいするための必要ひつよう要素ようそとなるものを最低限さいていげん持っていなければ、これを使ってテンプレートをつくっていくこともできません。つまり、わからないものをわかるようにするにも、最低限さいていげん必要ひつようとなる知識ちしき準備じゅんびしておく必要ひつようがあるということです。
 そのためには基礎きそてき知識ちしきは暗記によって頭の中に入れてしまうのです。たとえば算数でいえばだれもが通る「九九」などはその代表でしょう。漢字や英単語えいたんごだってマニアックなもの以外いがいはともかく覚えおぼ ておいたほうがいいに決まっています。
 また、なかには子どものころ、「百人一首」や「いろはがるた」などを遊びを通じて覚えおぼ た人もいるでしょう。こうした昔の人が残しのこ た短い言葉の中には、生きていくうえでの知恵ちえ凝縮ぎょうしゅくされて残さのこ れています。こういうものを持っているのが先人たちが積み重ねつ かさ てきた文化の強みで、これを有効ゆうこう利用りようしない手はないのです。たとえ丸暗記をしたその時点ではきちんと意味が理解りかいできなかったとしても、さまざまな経験けいけん積むつ 中で、理解りかいは深まっていくでしょう。そして、いずれはそこからさらにべつの知見を導き出すみちび だ というような、生きた知識ちしきとして使えるという可能かのうせいがあるのです。
 これはまさに人間の営みいとな そのものです。言語が誕生たんじょうしたといわれるやく七万五〇〇〇年前の人といまの人を比べるくら  と、人類じんるい知的ちてき
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能力のうりょくという点では同じだというせつがあります。しかし、持っている知識ちしきりょうや深さに関して かん  は、二〇〇〇年前の人に比べくら てもいまのほうが圧倒的あっとうてき優れすぐ ているといえます。これはられた知見を後世に伝えるつた  ということを人間が昔から愚直ぐちょくに行ってきた成果せいかで、こうした財産ざいさんとしてわたしたちが持っているものを理解りかいのための道具として使わない手はないのです。
 もちろん、こうした知識ちしき誰かだれ に言われるままの受け身の状態じょうたい覚えおぼ ているうちは、それが伝えつた ている知見を理解りかいすることはできないでしょう。でもとりあえず、最初さいしょはそれで構わかま ないと思います。ここで重要じゅうようなのは、「とりあえず自分の頭の中に備えるそな  」ことなのです。これをきちんとやっておけば、さまざまな経験けいけんをする中でいずれそのことがわかるようになるし、必要ひつよう状況じょうきょう訪れおとず たときにはその知見を使うことができるようになるというわけです。

(畑村洋太郎ようたろう「畑村式「わかる」技術ぎじゅつ」(講談社こうだんしゃ現代新書げんだいしんしょ)より)
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a 長文 7.2週 ti2
 日本の文化について、ある外国人が、次のように書いているのを読んだことがあります。
 日本は二階建てだ の家で、二階には西洋式の生活や風俗ふうぞくや文化が、なにからなにまでそろっている。また一階にはむかしながらの生活や風俗ふうぞく、日本式の文化がそのまま残っのこ ている。しかし、ふしぎなことは、その一階と二階とを結ぶむす 階段かいだんが見あたらないことである。──と、そういうたとえを引いて日本の文化の姿すがた批評ひひょうしているのです。このたとえも、たしかにおもしろいと思います。わたしたちの生活のまわりを見渡しみわた ても、たとえば洋服と和服(着物)、くつとげた、いすの生活とたたみ暮らしく  、洋食と日本料理りょうり、西洋画と日本画、西洋音楽と日本音楽、──といったように、一方では西洋のものがさかんにとりいれられていながら、一方では日本にむかしから伝わっつた  ているものがよろこばれています。町を歩いてみても、ヨーロッパやアメリカの町にくらべて少しもおとらない、りっぱなビルディングが立ちならび、電車や自動車が目まぐるしく走っている。ところが、その町の中にも、のれんをかけ、店さきにたたみをしいた、むかしふうのお店があるし、白壁しらかべ土蔵どぞうも見られるし、また神社の鳥居とりいがたっていたり、お寺のあたりからお線香せんこう煙りけむ がにおってきたりする。きれいな訪問ほうもん着に着飾っきかざ たむすめさんが、デラックスな自動車から降りお ても、わたしたちはあたりまえのこととしてふしぎに思いませんが、外国人の目から見ると、ずいぶんめずらしいことなのでしょう。それと同じことで、よくおすし屋や、おそば屋などの店さきに、テレビが置いお てあって、そのそばに、酉の市とり いちで買ってきた大きなくまでが掛かっか  ていたりする、そんな風景ふうけいも、外国人にはふしぎでたまらないようです。
 一九五七年に日本を訪れおとず たソビエトの作家エレンブルグは、次のように書いています。
 「日本は、外から来るものをおどろかせる。最初さいしょに目にうつるすべてのものが、ひどく矛盾むじゅんしているように思われる。電化された汽車、いすのの角度を自由に調節ちょうせつできる、乗り心地のよい車
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室、そこには食堂しょくどうもついている。給仕きゅうじのむすめがかおりの高いコーヒーを運んでくれる。着物姿すがたのふたりの日本のむすめが手文庫にた小さな箱をあけて、生魚やほした昆布こんぶをつめ合わせたお米の弁当べんとうを食べている。食事がおわると、本をとり出す。ひとりはサルトル(フランスの作家)の小説しょうせつを手にしているし、もうひとりは家政かせいの教科書を読んでいる。こんな光景こうけいを見ていると、自分がいったい世界のどこにいるのか、アジアにいるのか、ヨーロッパにいるのか、アメリカにいるのか、わからなくなる。しかも古い時代、新しい時代、さまざまな世紀せいきがからみ合っているのだ。
 日本では、どの日本人も一日のうち何時間かはヨーロッパてきな、またはアメリカてきな生活を送り、また何時間かはむかしながらの日本の生活を送っている。日本人の中には、たがいに異なること  二つの世界がいっしょに存在そんざいしている。」
 わたしたちは日ごろ見なれていて、なんとも思わないことが、外国人の目にはこのようにうつっているのです。

「日本人のこころ」(岡田おかだ章雄あきおちょ 筑摩書房ちくましょぼう)より
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a 長文 7.3週 ti2
 いまから二千二百年ほどむかしの話です。中国に、しんという国があって、始皇帝しこうていという王様が、大きな勢力せいりょくをふるっていました。その宮殿きゅうでんは、中国の歴史れきしの中でこれほど大きなものはなかったと言われているほど、りっぱなものでした。なにひとつ不足ふそくのなかったこの皇帝こうていでも年をとるということだけはどうすることもできません。「なんとかして年をとらない方法ほうほうはないだろうか」と考えた皇帝こうていはおしまいに家来に言いつけて、仙人せんにんのところへ行って、不老長生ふろうちょうせいの薬、つまり年をとらないで、永久えいきゅうに死なない薬を手に入れさせることにしました。学者のことばによれば、東のほうの海に蓬莱山ほうらいさんという島がある。その山の中には仙人せんにんが住んでいて、そのふしぎな薬を作っているのだということでした。そこでたくさんの船が用意されて、どこかわからない蓬莱ほうらいの島をさがしに東へ東へと向かったのですが、その島はとうとう見つからず、その仙人せんにんの薬も手にはいらなかったということです。その使いのひとりにじょ福という家来がいました。そのじょ福が日本に渡っわた てきて死んだという伝説でんせつ残っのこ ています。和歌山県の新宮しんぐう市に、そのじょ福のはか伝えつた られているおはかがありますが、ほんとうにその人のはかかどうかわかりません。
 これは中国の人々でさえ、まだ日本の島を知らなかった大むかしの話です。しかし中国では、太陽ののぼる東の海、その海の向こうに、ふしぎな力をもった仙人せんにんの住む島があると考えられていたようです。
 ところが大むかしの日本人は、反対に西の海の向こうに理想の国があるように考えていたのです。それは「常夜とこよの国」と呼ばよ れていました。太陽が沈んしず でしまう西の海の向こうですから、そこはいつも暗い夜の国なのです。それでも日本人にとっては、いつも西の海をこえて行った大陸たいりくが、あこがれの国だったようです。どうしてでしょうか。
 こんなふうに考えてみることはできないでしょうか。太陽は東の
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海からのぼるとはいっても、その海はひろい太平洋で、いつも荒波あらなみがうち寄せよ ています。小さな船では、遠く乗り出すことなどはとうていできません。しかも、遠くまで海がつづいているばかりで、島のかげも見えません。海の向こうからてきのおそってくる心配も、まったくありません。ですから、東の海はただ自然しぜんのおそろしさがあるばかりで、ほかのことなどは考えなかったのでしょう。
 それにくらべて、西の海は波もおだやかです。船でこぎ出して行けば、壱岐いきや対馬のような島々があり、その先には、もう朝鮮半島ちょうせんはんとう山影やまかげ浮かんう  でいるのが見えます。半島に渡れわた ば、そこには日本人の知らない高い文化がさかえていたのです。また、半島のほうから渡っわた て来る人々も多かったでしょう。その人々の生活や風俗ふうぞくは、日本人にくらべてずっと高いものだったにちがいありません。そして、大陸たいりく影響えいきょうを受けて、日本の文化はいつも、西から東のほうへと進んでいきました。土器どきの作り方にしても、農業の始まりにしても、また鉄の道具を使うことにしても、いつも文化の流れは、西から東へと流れていました。日本にとっては、文化の光は、太陽の光と反対に、いつも西の海の向こうから、かがやいてきたのです。そこで、日本人の理想の国は西の海の向こうにある、と考えられたのだと思われます。

「日本人のこころ」(岡田おかだ章雄あきおちょ 筑摩書房ちくましょぼう)より
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a 長文 7.4週 ti2
 言葉は風景ふうけいのようなものだ。いや、山や野に咲くさ 生きた花畠はなばたけのような気もする。種子しゅしは同じでも、時と場所によって、咲かせるさ   花は違うちが 
 たとえば今、東京・新宿には高層こうそうビルが林立して、まるで二十一世紀せいき未来みらい都市のように見える。戦後せんご、新宿西口がまだ闇市やみいちの時代に、わたしは、フランス文学科の学生だったが、駅前マーケットの間を詩を書こうとしてほっつき歩いていたから、今日のまち風景ふうけいを見ると、まったく隔世かくせいの感がある。
 本当にバラック建築けんちくつづきのごった煮   にまちで、混乱こんらんをきわめていたが、しかし一種いっしゅの活気があった。戦争せんそうの暗い時代から解放かいほうされたということで、文学や芸術げいじゅつ、自由が沸騰ふっとうしていた。しかも、アメリカぐん占領せんりょう下にあって、言葉には米語スラングが氾濫はんらんしていた。
 そうした混乱こんらんの一時期ののち、朝鮮ちょうせん戦争せんそうさかいに、また、だんだん世の中が静まりしず  、しだいに日本の社会も姿すがたを整えていった。
 かくて今や、新宿の空を見上げれば、忽然とこつぜん してゆめのような東京都庁とちょうをはじめちょう高層こうそうビルが立ちならび、ビルの谷間を、朝晩あさばん通勤つうきんの人々の列が埋めう ている。まことに、ゆめうつつかという想いがする。
 その間にわたしたちの日本語も変わっか  た。これは当然とうぜんのことだ。世の中が変わりか  都市ができれば、文明の、こうした風景ふうけい出現しゅつげんする。人間の生活も変わるか  ビルがいができれば歩き方も違っちが てくるし、ファッションも変わるか  というものだろう。人間の生活が変われか  ば言葉も変わるか  当然とうぜん話し方も違っちが てくる。人それぞれの考え方も、環境かんきょうによって変わっか  ていくことであろう。
 このごろ、日本語が乱れみだ ている、敬語けいごが目茶苦茶だ、外来語の
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カタカナが多すぎる、若者わかものへん造語ぞうごがさっぱりわからない、日本語はこの先どうなるんだと、よく話題になる。たしかにそういう気がしないわけでもない。だが、本当にそうだろうか。
 ここで、正しい言葉とは一体何だろうと、もう一度考えてみる必要ひつようがある。もし正しい言葉というものが、一つだけはっきり定まっているのであれば、たしかに、みながそれだけを使えば用は足りることになる。
 たとえば水を飲みたいということを言いたいとき、意味が伝わりつた  さえすればいいのであれば、「水が飲みたい」という言い方が一つあれば充分じゅうぶんだ。しかし、現実げんじつはどうだろうか。そんな簡単かんたんなものではない。
 人間の生活や心は限りかぎ なく豊かゆた だ。そこで言葉にもひねりをかけようとする。「ああ、水が飲みてぇな」とか「のどがからっからだ」とか、なぜか一本調子の言い方から外してみたくなる。
 特にとく 若者わかものは言葉の冒険ぼうけんをすることで自己じこ主張しゅちょうをしたり、目立ちたがる。また、自分たちの遊び心や、グループの仲間なかま意識いしきなどを満足まんぞくさせようとする。
 若者わかものばかりでない。職人しょくにんさんなども、自分たちの職業しょくぎょう特色とくしょくを表わすために、言葉にひねりをかけることがある。
 正しい言葉というものは、たしかにある。しかし、実際じっさいに生活のなかで言葉が活きているのは、ひねりをかけて、そこからちょっと外した姿すがたである。だから、ぎゃくに活きている言葉は、正しい言葉の外側そとがわにあるともいえる。

栗田くりた いさむ『日本文化のキーワード――七つのやまと言葉でその宝庫ほうこを開く』(祥伝社しょうでんしゃ))
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a 長文 8.1週 ti2
 なぞの女王ヒミコが使いをおくったのは、黄河こうが流域りゅういきにあったの国でした。そのころには、南の揚子江ようすこうの下流の地方にの国があり、またその上流の、山の多い地方にはの国がありました。この三つの国を三国といいます。
 南のの国はの国をこまらせようとして、南朝鮮みなみちょうせん韓国かんこくと手を結んむす でいました。そこでの国でもこれと対抗たいこうするため、その韓国かんこくの(海をこえて)向こうにあるヤマタイ国を味方につけておこうとしたのです。
 民族みんぞくは、むかしから自分たちのいる地方を「中華ちゅうか」と呼びよ 、自分たちがいちばんすぐれた民族みんぞくだとしていました。(中華ちゅうか料理りょうりとか中華ちゅうかそばとかいう時の、あの中華ちゅうかです。)そして、まわりの地方にいるほかの民族みんぞくをみんな野蛮やばん人あつかいして、それぞれ東は東夷とうい、北は北荻ほくてき、南は南蛮なんばん、西は西戎せいじゅう、とよんでいました。日本民族みんぞくは、漢民族みんぞくから見れば東夷とうい、つまり東のほうの野蛮やばん人にあたるわけです。日本民族みんぞくはべつとして、ほかの民族みんぞくは、みんなひろい大陸たいりくの、陸続きりくつづ の土地に住んでいます。ですから漢民族みんぞくとしては、中華ちゅうか誇りほこ にしてはいても、いつもまわりの地方にいる野蛮やばん人、つまり、ほかの民族みんぞくがこの中華ちゅうかの土地に攻めせ こんでくるのを防ぐふせ ために、心を悩ましなや  、力を尽くさつ  なければならなかったのです。
 三千年にわたる長い中国の歴史れきしは、また漢民族みんぞくと、まわりの違っちが 民族みんぞくとの間のはげしい争いあらそ 歴史れきしでした。世界に名高い万里ばんり長城ちょうじょうは、あの不老ふろう長生の薬を求めもと たというしん始皇帝しこうていが、満州まんしゅう(中国の東北部)の地方にいた匈奴きょうどという野蛮やばん人の攻め寄せせ よ てくるのを防ぐふせ ために、大がかりな土木工事を起こして築いきず 城壁じょうへきなのです。
 中国の歴史れきしを調べてみると、多くの王朝がさかえたり滅びほろ たり、また分裂ぶんれつしていくつかの王朝がたがいに争っあらそ たりしています。
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すぐれた王様によって国が統一とういつされ、漢民族みんぞく勢いいきお がさかんになると、大がかりないくさを起こして、進んで北や西のほかの民族みんぞくをおさえつけました。しかし王朝の勢力せいりょくがおとろえると、ほかの民族みんぞく攻めせ こんできて、漢民族みんぞくをおさえつけてしまいます。遠くヨーロッパまでその勢力せいりょくをのばした元の国や、江戸えど時代から明治めいじのころにかけて中国にさかえていたしんの国などは、モンゴールや満州まんしゅう民族みんぞく支配しはいしていた国です。
 中国を中心にした東洋の歴史れきしを勉強するときに、いちばんわたしたちを悩ますなや  のは、こうした漢民族みんぞくとほかの民族みんぞくとの争いあらそ の問題ですが、大陸たいりくでたえずこうした民族みんぞく争いあらそ がくりかえされていたことが、じつは日本の平和のために、かえってつごうのよいことだったと言うことができます。こうした中国での争いあらそ 影響えいきょうを受けて、陸続きりくつづ 朝鮮半島ちょうせんはんとうはたびたび平和を乱さみだ れ、時にはほかの民族みんぞく支配しはいを受けたことさえありました。しかし、日本はそうした不幸ふこうな目に会うこともなく、今日まで独立どくりつ歴史れきしを守りつづけることができました。これはいうまでもなく、わたしたちの祖先そせんの大きな努力どりょくによるものですが、同時に、地図の上で見られるように、日本の国の位置いちということにも関係かんけいしていることです。

「日本人のこころ」(岡田おかだ章雄あきおちょ 筑摩書房ちくましょぼう)より
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a 長文 8.2週 ti2
 中国の人々は、日本人のことを、人まねはじょうずだけれど自分では何もつくり出す力のない国民こくみんだ、と言っているそうです。江戸えど時代よりまえの文化は、みんな中国の文化を手本にして、まねたものにすぎない。また、明治めいじ時代から今日までに築ききず あげた新しい文化は、これもヨーロッパやアメリカの高い文化をじょうずにまねたものだ、と言うのです。なるほどそう言われてみると、そうかもしれないな、と思いますが、ほんとうに日本人は、そんなつまらない、力のない国民こくみんなのでしょうか。わたしはそうは思いません。
 なるほど日本の文化のもととなるものは、ほとんど中国から、また西洋からとりいれたものです。しかし日本人はけっしてそれをそのままの形でまねしてきたわけではありません。それを日本の土地に、日本人の生活に、そして日本人の気持にぴったり合うように、手を加えくわ 改良かいりょうして、りっぱなものに仕上げていったのです。そのいちばんよいれいは、漢字です。漢字がはじめて中国から伝わっつた  たころには、漢文体で文章を書いたのですが、それでは日本のことばをそのまま表わすことができません。そこで、必要ひつようなときには漢字をつかって、日本語の音を一字一字書くことも行なわれるようになりました。奈良なら朝のころにできた『万葉集』をみると、日本の歌がすべて漢字で表わしてあります。
 たとえば、有名な山上憶良やまのうえのおくらの「貧窮ひんきゅう問答歌」のはじめの部分は、つぎのように書いてあります。
 風雑 雨布流欲乃 雨雑雪布流欲波 為部母奈久 寒之安礼婆かぜまじりあめふるよるのあめまじりゆきふるよるはすべもなくさむくしあれば
 まるで、お坊さんぼう  の持っているおきょうの本みたいですが、これで、
 風まじり 雨ふる夜の 雨まじり雪ふる夜は すべもなく 寒くしあれば
と読むのです。なるほど、こんなふうに漢字をつかえば、ちょうどローマ字をつかうようなものですから、どんなことばでも表わすことができます。
 於奈加我須以多おなかがすいた
 なんと読むかわかりますか。「おなかがすいた」です。こんなぐあいにあなたの名まえを一字一字書いてごらんなさい。なかなか
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めんどくさいでしょう。まったく日本のことばを表わすのに、こんなふうに一字一字漢字をあてていくのでは、書くだけでもたいへんです。そこで平安朝のはじめごろになると、もっと楽に、かんたんに日本のことばを書き表わすことができるようにいろいろくふうが重ねられ、できあがったのが平仮名ひらがな片仮名かたかなです。たとえば、「」という漢字のヘンだけとって、「ア」ができ、「安」という字、これも「あ」の音を表わすのにつかった字ですが、それを草書で書いたものから「あ」という平仮名ひらがなが生まれました。同じように「」から「オ」「お」、「」から「カ」「か」ができたのです。これなら書くのも楽で、覚えるおぼ  にもかんたんです。どちらも漢字がもとになっていますが、日本人でなければ読めないし、またつかうことのできない新しい文字です。この新しい文字がさかんに使われるようになると、日本の文化は一段といちだん さかえることとなりました。世界に誇るほこ 源氏物語げんじものがたり』や『枕草子まくらのそうし』のようなりっぱな小説しょうせつ随筆ずいひつも、このような仮名かなをつかって自分の気持や考えを自由に、楽に表わすことができるようになった結果けっか生まれたのです。また、筆でりっぱな文字を書く書道にしても、漢字を書くのでは中国人にはとうていかないませんが、まるで絵のように美しく書いた仮名かな文字は日本の書道として、自慢じまんしてもよいものでしょう。
 人まねがじょうずだということは、ただそれだけで終わってしまうのならばつまらないことです。しかし、はじめはまねをしても、自分でくふうを重ね、改良かいりょう加えくわ て、もっとりっぱなものに仕上げていくことができるならば、けっして恥ずかしいは    ことではないのです。日本人には、むかしから、そうしたすぐれた才能さいのうがそなわっているのです。

「日本人のこころ」(岡田おかだ章雄あきおちょ 筑摩書房ちくましょぼう)より
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a 長文 8.3週 ti2
 日本の国の歴史れきしは、そのまま日本民族みんぞく発展はってん歴史れきしだと言うことができます。そのことは、わたしたち日本人にとって、大きな力となっているのですが、一方ではひろく世界の国々の人たちと交わっていくためには、かえってそれがそんになっていると思われる点もあるようです。
 いったい日本人は、大むかしから日本民族みんぞくだけでこの島国に暮らしく  てきたために、とかく日本のことだけを、おおげさに考えすぎるくせがあります。「日本はりっぱな国だ」とか、「日本人はすぐれた民族みんぞくだ」とか、「日本の文化はすばらしい」とか、日本人どうしでおたがいに自分の国をほめ合い、それで満足まんぞくしています。もちろんお国自慢じまんということは、どこの国の国民こくみんだってあります。祖国そこくのわる口を言われるのは、だれだっていやなものです。しかし、外国のことやほかの民族みんぞくのことはあまり知らないで、自分の国だけが特別とくべつすぐれていると思うのは、あまり感心できないことです。「ぼくはそうは思わないな。日本のものなんか、みんなだめだ。外国のほうが、すべての面でずっとすぐれていると思う」あなたはそう言って反対するかもしれません。たしかにそう考えている日本人だって少なくありません。しかし、そのような見方は、せま苦しいお国自慢じまんを、ちょうど裏返しうらがえ にしたものにすぎないのです。ただ+と−の両方の極端きょくたん違いちが で、どちらもかたよった見方です。もっと高い立場に立ってみれば、どの国だって同じことなのです。そのなりたちも違えちが ば、国のしくみも違うちが し、その国民こくみんの考え方だって違っちが ているのですから、その国々でそれぞれすぐれた明るい面もあれば、同時に、その国として困っこま ている面、暗い面だってあるのです。日本人のものさしでそれをくらべてみようとするのが、だいいちむりなのです。見方がかたよってしまうからです。ですから、外国のことをよく勉強して深く知ることは必要ひつようですが、すぐれているとか劣っおと ているとか、ひどく気にすることはまったくむだなことだと言えるでしょう。
 ところで、同じ学校にかよっている友だちとはよく話が合うも
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のです。先生のかげ口、仲間なかまのうわさ、教室での出来事、休み時間の楽しい遊び、クラブ活動、修学旅行しゅうがくりょこう、運動会──共通きょうつうした話題はいくらでもあります。ところが、あなたもきっと経験けいけんがあると思いますが、たとえばほかの学校へ行っているいとこが遊びに来たとき、あなたの学校の中で起こった、とてもゆかいな出来事を話して聞かせようとすると、なかなかむずかしいことに気がつきます。毎日顔を合わせている級友ならば、簡単かんたんに「タヌキがね」といえばすむところを、「ぼくの学校にタヌキというあだ名の教師きょうしがいて、国語の担任たんにんなんだ。どうしてタヌキってあだ名がついたかっていうとね……」などと、いちいちくわしく説明せつめいしなくては、相手に話が通じない。その説明せつめいほね折れお て、かんじんのゆかいな話のほうは、すっかり気が抜けぬ てしまう。そんな経験けいけんをしたことがあるでしょう。
 同じ民族みんぞくだけで作られているこの日本の国にも、それにたようなことがあるのです。

「日本人のこころ」(岡田おかだ章雄あきおちょ 筑摩書房ちくましょぼう)より
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a 長文 8.4週 ti2
 人間は、だいたい思春期から不機嫌ふきげんというものを覚えおぼ ていきます。いろいろ本を読んで考える、こいをして悩むなや 周囲しゅういの大人を煙たくけむ  感じる、自分は何かもっと違っちが たものになりたいと思う、そんな青春時代から不機嫌ふきげんモードに入る。
「うつむいて うつむくことで 君は生へと一歩踏み出すふ だ 
 これは、谷川俊太郎しゅんたろうさんの『うつむく青年』という詩の一節いっせつです。うつむいて内省ないせいし、世の中に迎合げいごうしないで自分自身の世界を作り上げようとするのは、青年の特徴とくちょうです。
 また、尾崎おざきゆたかに、『十五の夜』という歌があります。「盗んぬす だバイクで走り出す」という歌詞かしは、十五さいという自立前の年齢ねんれいのどうしようもない鬱屈うっくつ描いえが ているから人の共感きょうかん呼ぶよ のです。しかし、二十歳はたちをすぎてもこれをやっていたら、社会からは受け入れられません。「二十五の夜」に「盗んぬす だバイクで走り出」したら、それは単なるたん  社会からの逸脱いつだつ犯罪はんざいにすぎません。
 石川啄木たくぼくは、「不来方こずかたの おしろの草に寝ころびね   て 空にはれし 十五の心」と詠みよ ました。このような哀愁あいしゅうも、青年期には似合いにあ ます。
 今の時代、人に気遣いきづか のできる上機嫌じょうきげんな子どもを期待する向きは少ないと言えましょう。成長せいちょう期の精神せいしんてき安定は求めもと られていない。たとえば、中学生は親しい友だち同士どうしだとなかがよくてご機嫌 きげんですが、大人や、仲間なかま以外いがいの人に対しては不機嫌ふきげんで、それもまた仕方ないという空気があります。反抗はんこう期だからです。これは人間の成長せいちょう必要ひつよう欠くか べからざるもので、最近さいきん反抗はんこう期らしい反抗はんこう期がないのが心配されるというろん唱えるとな  方もいらっしゃいます。
 わたし自身は、反抗はんこう期というものは必ずしもかなら   必要ひつようないと考えています。基本きほんてきに人に気を遣うつか という能力のうりょくは、「わざ」であり、ここ
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ろの習慣しゅうかんの問題です。そのこころの習慣しゅうかんを、ある時期全くなくしていいというのは、社会としておかしいと思うのです。
 十代の精神せいしんてき葛藤かっとうの多い時期だからといって、人に対する気遣いきづか をしなくていいということはありません。この習慣しゅうかん忘れわす てなくしてしまっていいと許容きょようしてしまいますと、身についた「当たり散らしあ  ち  ぐせ」や「むっとしたままぐせ」はその人の中で続いつづ てしまい、当たり前のものとなってしまうことが多いのです。ここから脱却だっきゃくしようとすれば、もう一度「人に気を遣うつか 」というわざを、自分の中で作り直さないとなりません。
 現在げんざいは、子どもが不機嫌ふきげんであっても無愛想ぶあいそうであっても、積極せっきょくてきに直す努力どりょくをしない。たとえば、会話をしない状態じょうたい放置ほうちしている。親が話しかけても何も答えない。「別にべつ 」「ふつう」がせいぜいです。「別にべつ 」「ふつう」というのは、会話を拒否きょひした状態じょうたいであり、拒否きょひの意思表示ひょうじです。それはいけないことだと、はっきりと指摘してきしなければならない。相手と関係かんけい結びむす たくないという意思表示ひょうじ、会話に対してきちんと答えないという拒否きょひ状態じょうたいが、成長せいちょうにとって必要ひつようなことであるとはわたしは思わないのです。

齋藤さいとうたかし上機嫌じょうきげん作法さほう』(角川書店))
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 日本を訪れるおとず  外国人にとっては、日本の家が、ふすま障子しょうじで仕切られていて、ひろい部屋がいつでも多くのせまい部屋になってしまうことや、たたみが部屋いっぱいに敷きつめし   られていること、西洋の家のようにテーブルや椅子いすなど、家具がたくさん置いお てないことなどがめずらしくてたまらないようです。
 このような住居じゅうきょのくふうは、寝殿造りしんでんづく の形をもとにして、鎌倉かまくら時代から室町時代にかけて、できあがったものです。夏の蒸し暑む あつさをさけて、涼しいすず  風を取り入れるためには、それがいちばんつごうがよいのです。
 いまでは、西洋ふうのアパートに住む人も多くなりましたが、せまい部屋で、まわりはかべにかこまれ、まどがあいているだけでは、夏は、扇風機せんぷうき冷房れいぼう装置そうちがなければ、とても暑苦しくてたまらないでしょう。日本ふうの家では、夏はふすま障子しょうじをあけはなして、涼しいすず  風をいっぱい入れることができるのです。わたしたち日本人は、こうした家の中の生活になれていますが、日本人がとかくあけっぱなしの生活をあたりまえのことと考えているのは、ひとつにはそのためだと言うことができます。
 わたしたちは、自分ひとりになるということがほとんどありません。部屋の中にいても、ふすまをあけてだれかがはいって来ます。話をしていても、障子しょうじの向こうでだれかが聞いているかもしれません。日本式の家では、西洋ふうの家と違っちが て部屋にかぎをかけて閉じこもると    ということができないのです。それぞれの部屋が独立どくりつしていてかぎがなければあけられない。かぎさえかけてしまえば完全かんぜんに自分だけ、自分たちだけになれる。また、外出するときも、かぎさえかけておけば、るすに、ほかの人にじゃまをされない。かぎの生活というものは、実に便利べんりなものです。便利べんりであるばかりでなく、自分をみつめる、自分を反省はんせいする、もっとひろく、そしてむずかしく言えば、個人こじん主義しゅぎの考えを養うやしな 上にたいそう役立つのです。「日本では、自分ひとりになれる場所は、トイレの中だけだ」と言った人もいますが、たしかにそのとおりです。
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 個人こじん主義しゅぎということはけっして自分かってということではありません。かえってその反対に、社会にたいする義務ぎむ権利けんりをはっきりと自覚じかくして、自分の生活を責任せきにんをもってきずき上げていくことです。そして、自分の生活とほかの人の生活との区別くべつをはっきりとつけていくことです。自分の権利けんり主張しゅちょうするかわりに、ほかの人の権利けんり認めみと て、ほかの人のめいわくにならないように心がけることです。
 ところがわたしたちは、とかくあけっぱなしの生活になれているので、おたがいにほかの人の目ざわりになったり、めいわくになったりすることをあまり気にかけません。他人の生活のじゃまをしてもへいきです。幕末ばくまつ明治めいじのころに日本に来た西洋の人々は、夏の日にほとんどはだかで家の外に出ていたり、のきさきで行水をつかったりしている人々を見て、びっくりしました。

「日本人のこころ」(岡田おかだ章雄あきおちょ 筑摩書房ちくましょぼう)より
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 お客さまが来たときには座布団ざぶとんを出します。ふたりで来たときには二まいならべます。集まりなどがあっておおぜいのお客が来ると、その数だけ座布団ざぶとんがいります。座布団ざぶとんが足りなければ、あとから来たお客はたたみの上にすわります。「どうぞ、おつめください」と言って、ひざをおくっていけば、かなりたくさんの人数でも一部屋にはいってしまうことができます。「すこしせまいようですから、ふすまをはずしましょう。」つぎの部屋も使えば、ずっとひろくなるでしょう。
 日本間は、まったく便利べんりにできています。西洋式の部屋では、こんなわけにはいきません。応接間おうせつまには椅子いすがあり、ソファがあり、テーブルや、わきテーブルが置いお てあるので、そんなにおおぜいのお客ははいれません。それに、きまった椅子いすの数しか腰かけこし  られない。あとからおおぜい来ても、椅子いすがなければ立っていなければなりません。それにとなりに部屋があっても、かべやドアで仕切られていますから、いっしょにして使うことはむずかしいでしょう。
 日本人は大むかしから椅子いすを使いませんでした。ゆかにあぐらをかくのがふつうだったのです。奈良なら朝のころになってとうふうの風俗ふうぞくがさかんに朝廷ちょうていやお寺に取り入れられたとき、椅子いす腰かけるこし   生活も一時は行なわれたようですが、そのまますたれてしまったということです。その後、時代は下って、信長のぶなが秀吉ひでよしのころに西洋の文化や風俗ふうぞくがさかんに取り入れられたときにも、椅子いすを使うならわしは伝わりつた  ませんでした。江戸えど時代に、長崎ながさきの出島ではオランダ人がテーブルと椅子いすの生活をしていましたが、日本人の生活の中には影響えいきょうをあたえなかったのです。よく考えてみると、こうしたことも、ひとつには夏を涼しくすず  過ごすす  ために、家具を多く置かお ないという生活のくふうから、おこったもののようです。テーブルや椅子いす置いお てあれば、それだけ外からはいってくる涼しいすず  風がさえぎら
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れてしまいます。椅子いす腰かけこし  ているよりも、ひろいたたみの上にすわっていたほうが、そのたたみの上を渡っわた てくる風をうけてよっぽど涼しいすず  のです。
「日本では居間いま応接間おうせつまにもなり、食堂しょくどうにもなり、また寝室しんしつにもなる」と言って西洋の人々はびっくりします。居間いまには居間いまの家具があり、応接間おうせつまには応接間おうせつまの、食堂しょくどうには食堂しょくどうのテーブルや椅子いす置かお れ、また寝室しんしつには家族の数だけベッドを用意しなければならない、西洋ふうの家からみれば、たしかにうそのような生活です。家の中にひろく空間をとって、それを必要ひつようによっていろいろに利用りようする、こういった生活のくふうは、たしかにすばらしいものだといってよいでしょう。
 なお、これにたすばらしい生活のくふうはほかにもあります。たとえば、風呂敷ふろしき(カバンとくらべてごらんなさい。)、げた(くつとくらべて)、はし(ナイフやフォーク)など、──ほかにどんなものがあるか考えてごらんなさい。

「日本人のこころ」(岡田おかだ章雄あきおちょ 筑摩書房ちくましょぼう)より
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 家のつくり方や、着るものと同じように、食べ物についても、日本料理りょうりというものは、だいたい夏を涼しくすず  過ごすす  ために、さっぱりとして、見た目もすがすがしいようにくふうされたものです。日本ふうのものとして、外国人にもよろこばれるおすしや天ぷら、おそばなども、けっして冬暖まるあたた  ものではありません。夏の料理りょうりはいくらでもありますが、冬の料理りょうりとしては鍋ものなべ  とか、汁ものしる  とか、湯豆腐ゆどうふなどがあるくらいで、あまり種類しゅるいがないようです。もっともこれらの料理りょうりも、江戸えどのころには、あまり上等な料理りょうりではなかったようです。すき焼き  や は、牛肉を食べるならわしが始まった明治めいじ時代以後いごのものですが、その料理りょうりのしかたは、江戸えどのころに、シカやイノシシの肉を(特別とくべつ料理りょうり店で)料理りょうりするときに行なわれていたものだということです。
 明治めいじ時代よりまえには、牛や馬の肉は食べなかったのです。それは、農業のためにだいじな家畜かちくだったからですが、ひとつには、外国と違っちが て、日本では牧畜ぼくちくがほとんど行なわれなかったためです。仏教ぶっきょうの教えでも、これらの動物の肉を食べることを禁じきん ていたのでした。ですから、江戸えどのころには、寒い冬の夜には、あつくたうどんを食べるとか、お酒をあたためてのむぐらいのことで、からだの中をあたためたのです。
 今日では、西洋ふうの料理りょうりや中国ふうの料理りょうりがわたしたちの家庭の中にも多く取り入れられてきたので、むかしながらの日本料理りょうりを食べるということが少なくなってきました。ミソとか、豆腐とうふとか、納豆なっとう、ノリなど、日本ふうの食事にはつきものだった食品も、若いわか 人たちにはあまりよろこばれなくなっています。しかし、わたしたちは洋食を食べても、ごはんを食べるならわしは捨てす ていません。一日に少なくも一度はごはんを食べないと気がすまない。西洋の人のようにパン食にしてしまうことは、なかなかできそうもありません。
 わたしたち日本人は、二重の生活になれてしまいました。ひと
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つは、日本の土地や気こうに合うように、遠いむかしから、くふうにくふうを重ねてきた生活、家のつくり方や着物、そして食べ物(ことにごはん)、もうひとつは、明治めいじにはいって西洋から取り入れられた合理てきな、能率のうりつてきな生活。
 生活の中の二重せい(つまり、一方ではこの日本の土地に住みついているわたしたちにとっていちばんつごうのいいむかしながらの生活を楽しみながら、そして一方に近代社会にふさわしい合理てきな、能率のうりつてきな西洋ふうの生活をおくる。)──この二重せいは、生活の中ばかりでなく、日本の文化や芸術げいじゅつ、思想、学問、すべての中にみなぎっています。ちょうどはしご段   だんのない二階と下みたいに、まったく別々べつべつのものが日本人の心の中に、二重に根をおろしています。

「日本人のこころ」(岡田おかだ章雄あきおちょ 筑摩書房ちくましょぼう)より
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 武士ぶしの教育において第一に重んじられたのは、品格ひんかく形成けいせいであった。それに対して思慮しりょ知識ちしき雄弁ゆうべんなどの知的ちてき才能さいのうはそれほど重要じゅうようされなかった。
 すでに武士ぶしの教育に美的びてき価値かち重要じゅうよう役割やくわり占めし ていたことは述べの たが、知性ちせい教養きょうよう人として欠かか せないものであるにせよ、武士ぶしの教育の本質ほんしつからいえば付随ふずいてきなものだった。知能ちのう優秀ゆうしゅうなことはむろん尊ばたっと れたが、知性ちせいを表すのに用いられる「知」という漢字は、主として「叡智えいち」を意味し、単なるたん  知識ちしき従属じゅうぞくてき地位ちいしかあたえられなかったのである。
 武士ぶし道の枠組みわくぐ 支えるささ  三つの柱は「」「」「」とされ、それはすなわち「知恵ちえ」「仁愛じんあい」「勇気ゆうき」を意味した。なぜならサムライは本質ほんしつてきには行動の人であるからだ。そのため学問はサムライの行動範囲はんいの外におかれた。彼らかれ 武士ぶしとしての職分しょくぶん関係かんけいすることにのみ学問を利用りようした。宗教しゅうきょうと神学は僧侶そうりょや神宮にまかされ、サムライはそれらが勇気ゆうき養うやしな のに役立つ場合に限っかぎ 必要ひつようとしたのである。あるイギリスの詩人がいったように、サムライは「人間を救うすく のは教義きょうぎではない、教義きょうぎを正当化するものは人間である」と信じしん ていた。また哲学てつがく儒学じゅがく)と文学は武士ぶし知的ちてき訓練くんれん主要しゅような部分を形成けいせいしてはいたが、これらの学問でさえ、追求ついきゅうされたのは客観きゃっかんてき事実ではなかった。文学はひまをまぎらす娯楽ごらくとして求めもと られ、哲学てつがく軍事ぐんじ問題や政治せいじ問題の解明かいめいのためでなければ、あとは品格ひんかく形成けいせいする実践じっせんてきな助けになるものとして学ばれた。
 以上いじょう述べの たことから、武士ぶし道の教育科目が、主として剣術けんじゅつ弓術きゅうじゅつ柔術じゅうじゅつもしくは「やわら」、乗馬、槍術そうじゅつ戦略せんりゃく戦術せんじゅつ、書道、道徳どうとく、文学、歴史れきしなどだったとしても、驚くおどろ 値しあたい ないだろう。これらのうち柔術じゅうじゅつと書道については多少の説明せつめいがいる。
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書が優秀ゆうしゅうなことは大いに重んじられたが、それは日本の文字が絵画てき性質せいしつをもっており、それ自体が芸術げいじゅつてき価値かちがあったからであろう。また、書体はその人の人柄ひとがらを表すものと信じしん られていたからである。さらに柔術じゅうじゅつ簡単かんたん定義ていぎすると、攻撃こうげき防御ぼうぎょのための解剖かいぼうてき知識ちしき応用おうようするということになる。柔術じゅうじゅつ筋力きんりょく頼らたよ ない、という点で相撲すもうとは異なること  。また、いかなる武器ぶきも使わないという点で、ほかの攻撃こうげき方法ほうほうとも異なること  。そのわざは、相手の身体の一部をつかんだり、叩いたた たりして、相手を気絶きぜつもしくは抵抗ていこうできないようにするものである。その目的もくてきてき殺すころ ことではなく、一時てきに行動できなくさせることであった。
 軍事ぐんじ教育において当然とうぜんあるべきはずなのに、武士ぶし道の教育ではあえて外されていたものが数学であった。だが、これは封建ほうけん時代の戦闘せんとうが科学てき正確せいかくさをもって戦わたたか れなかったという事実によって、一応いちおう説明せつめいがつくであろう。そればかりか、サムライの教育全体から見ても、数学てき概念がいねんを育てることは芳しくかんば  なかったのである。
 それは武士ぶし道が損得そんとく勘定かんじょうを考えず、むしろ貧困ひんこん誇るほこ からである。武士ぶし道にあっては、ヴェンティディウス(シェークスピアげきの登場人物)がいうように、「武人ぶじんとくである功名こうみょう心は、名を汚すよご 利益りえきよりも、むしろ損失そんしつ選ぶえら 」ものだった。かのドン・キホーテ      が黄金や領土りょうどよりも、かれ錆びついさ   やりとやせこけたロバを誇りほこ とした、ようにである。わがサムライは、この誇大妄想こだいもうそうに取りつかれたラ・マンチャの騎士きしに、心から同情どうじょうするのである。

新渡戸にとべ稲造いなぞうちょみさき龍一りゅういちろうやく武士ぶし道――いま、拠っよ て立つべき「日本の精神せいしん」』(PHP研究所)による)
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