長文集  12月4週  ○Kがのぼれるかぎりの  tu-12-4
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2014/09/04 15:12:51
 Kがのぼれるかぎりの高いところまでのぼ
りついて、ほっとひと息ついたとき、かん高
い声で話しあう水夫たちの声がしだいに近づ
いてきた。
 Kは枝のしげみに、身体をかくすようにし
て彼らの声に注意を配っていた。
 水夫たちが、家の前にあらわれた。
 水夫たちは、声高にしゃべりあっていた。
 ひとりの黒人が、入り口の戸があいている
のを発見して、指をさしながら大声で仲間に
告げていた。
 水夫たちは雨戸をたたいたり、交互に入り
口から中をのぞいたりした。しかし、だれ一
人として一歩も中に入ろうとする者はいなか
った。
 Kはそれを見て、彼らが悪者でないことを
心に感じとった。
 家の中から、何の返事もないので、水夫た
ちはすごすごと通路にひきかえし、また、つ
ぎの家へおしかけていこうとした。
 水夫の一群の中で、いちばん最後に、入口
をのぞいた男が榕樹の樹の下を通りすぎよう
として足をとめた。その男はズック製のから
バケツをさげていた。ほかの水夫たちより少
し年をとった白人であった。彼はズックのバ
ケツを下におき、ポケットからしわくちゃの
ハンカチをひっぱりだして、顔や、首や、シ
ャツからはだけた胸 や、腕の汗をふいた。
オールのように太い腕は日やけして、金色の
毛がいっぱいに生えていた。この水夫は榕樹
のかげで少し涼んでいくつもりらしかった。
 あんのじょう、彼は煙草をとりだして火を
つけた。
 Kは息をのんで、見つめていた。
 男は、煙草をうまそうに、ひと口すいこむ
と、ふいに上を向い て、榕樹を眺めまわし
た。
 Kがあわてたしゅんかん、持っていた枝が
ゆれて、葉が、かすかではあるが、音をたて
た。
 Kと西洋人の水夫は、視線をあわせてしま
っていた。∵
 水夫は、両手をさしのべて、Kをうけとめ
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てやろうというようなしぐさをした。そして
目にはやさしい笑いを浮かべていた。
 Kは決心をして、そろそろおりはじめた。
 おりている途中、西洋人が何か一言、二言
いった。きっと、「気をつけなさい」といっ
てくれているのにちがいなかった。
 Kは地面におりたって、きまり悪そうな顔
をしていると、船員はほほえみながら、手を
さしだした。腕には金色の毛が生えている。
 男は、ズックのバケツを指さして、何か話
した。
 Kは、言葉にはわからなかったが、水をほ
しがっているのだということに気がついた。
 Kは、バケツを持って井戸ばたへ案内した

 その男は、大声を出して仲間を呼び集めた
。水夫たちは騒ぎながら、ひきかえしてきた
。彼らは、大げさすぎるほどの表情で喜びの
気持ちをあらわしていた。
 Kがつるべで水をくもうとすると、水夫た
ちは、いっしょに手伝って、勢いよくくみあ
げた。そしてズックのバケツにいれて、かわ
るがわる馬のように水を飲んだ。何べんもつ
るべでくみあげて、全員がたっぷりと水を飲
んでから、バケツに水を満たしてひきあげ 
た。帰りぎわに、Kはもう一度、少し年をと
った水夫と握手した。
 エビア号の船員たちは、三週間ほどたって
、村から姿を消した。
 Kは最初の夕方、エビア号を見て以来、美
しい帆船(はんせん)の姿を二度と忘れるこ
とはできなかった。

(庄野英二「白い帆船(はんせん)」)