1. 【1】
過去の集落を
成り立たせていたパラダイムのことを、
私は「
依存型共生」と名づけました。「
依存型」というのは、
技術が
依存型だということです。
2. 【2】
住宅が
単体では
成立し
得ないような
依存型の
技術しかなかった時代には、それを
補うために
必然として「
共生関係」が生まれます。台風
対策として
防風林を
必要とする、
備瀬の
木造住宅などは、その
典型です。
3. 【3】
現代は、
技術の進化によって、高度
成長期時代を
境にパラダイムが一気に
変わりました。
依存型の
技術が自立
型の
技術にガラッと
変わる瞬間があったのです。一気に自立
型技術に
変わっていって、その自立
型の
技術をどんどん進化させてきたのが、
現在の
我々の
暮らしです。
4. 【4】自立
型の
技術を手に入れてしまうと、もはや
我々は、
環境や
隣人と
共生する
必要がなくなり、自分だけでよくなります。その
結果として、家も人も
孤立していきます。ですから
現代のパラダイムを「自立
型孤独」と名づけました。
5.(
中略)
6. 【5】昔は、外とつながっていなければ、
個人単位では生きていけませんでした。
街全体の
関係性の中で
暮らしていたので、人間
関係も
濃厚でした。ところが、それが一気に
変容して、
個人単位で自由を
謳歌できるライフスタイルができあがりました。【6】
便利で、
個人が自立した生活は、
非常に
価値のあるものだと
我々は
思い込んできました。しかし一方で、人間
関係は
失われ、
地域のコミュニティも
希薄になりました。【7】
便利で
個人主義的な
価値を手に入れることは、
関係という
価値を
失うことでもあったのです。その
結果として
浮き彫りになってきたのが、子どもや
老人など、社会
的に弱い立場の人たちの問題です。∵
7.(
中略)
8. 【8】昔の
住宅は
不便でした。その
不便さを
補うためには、外に対して
働きかけることが
重要でした。その外への
働きかけが、
豊かな外の
環境を作り上げていました。つまり、
不便さが
豊かさを作っていたのです。【9】ところが、
現在の
住宅のように
便利になると、
不便さを
補う必要がなくなります。この
結果、外との
関係性を
絶つわけです。外に対しての
働きかけがゼロになると、外に
豊かさは生まれません。
9. 【0】つまり、
便利さを手に入れてしまうと、もはや
我々は
豊かさを手に入れられない。そういう
状況になっているということが、パラダイムを整理してわかることです。
10. そう考えると
便利さと
豊かさのどちらをとるか、都市としての
豊かさはどうしたら手に入れられるか、という
議論になります。
11. この場合によく出るのが、「進みすぎた
技術によって
豊かさを
失っているのであれば、もっと
伝統的な、ローテクを使っていた昔の
暮らしに
戻ればいい」という、
伝統回帰
的な意見です。しかし、パラダイムの
特質を考えると、それは、
不可能です。
便利さを知ってしまった今、もう一度みんなで
不便な生活に
戻りましょうといっても、
非現実的な話です。
12. そうなると、少し暗い気持ちにもなりますね。
便利さを手に入れられても、もう
永遠に
豊かさは手に入らないのか、と。でも、実はそうではありません。パラダイム
論の
特質に
従うと、もっと
楽観的になれるのです。
13. パラダイムというのは、同じパラダイムがずっと
固定することは
絶対にありません。今のパラダイムは、どこかの
段階で、また次なるパラダイムに
移行します。
移行する先がどう
変わるのかを
議論することが
重要なのです。
14. 今の都市
環境のいろいろな問題の
根源は「
孤立している」とい∵う
状況です。
恐らく新しいパラダイムは、自立
型の
技術がさらに
追求されていく一方で、同時に、
孤立し合っている
状況をいかに「
共生」という方向に持っていけるか、ということが
重要になってくると思います。
要するに「自立
型」の
技術と「
共生型」の
工夫とを両方
成立させていくというのが、次に来るであろう新しいパラダイムだと
私は思っています。
15.(
甲斐徹郎『自立のためのエコロジー』(ちくまプリマー新書)より 一部
改変した)