1. 【1】
私たちの
細胞の
隅々には
遺伝子というものがあり、体をどう作り、体をどう動かすかの
設計図の
役割を
果たしていることがわかっています。その
遺伝子は、自分の親から半分ずつ
手渡されます。【2】子どもたちの体の中には自分の両親からもらった
遺伝子というバトンが入っているのです。そして、両親はその両親から、両親の両親はそのまた両親から…と数えていくと、一〇〇年間に四世代
経過したとすれば、八人からバトンをもらうことになります。【3】二〇〇年前を考えたら何人でしょうか。
2. 答えは八×八で六四人です。そうやってたどっていくと、五〇〇年前なら三二七六八人になり、九〇〇年前になると一
億を
超えてしまいます。【4】
人類の
歴史をひもとくと、今いる
私たちの
祖先として、何万年も前にアフリカに住んでいた一人の
女性にたどり着きます。今の
人類はみな等しく
彼女の
子孫であることがわかっているのです。
3. 【5】そして、
人類の
歴史を
最低で何万年、あるいはもっともっと長い何十万年、何百万年の
単位で考えたときに、自分たちの体の中にはいったい何人の人のバトンが入っているか考えれば、とほうもない数になります。【6】そのとほうもない数のバトンは、ほかでもない自分の中にも入っています。その人たちがみんな生きていてくれたから、自分に命が受け
渡されたのです。
4.(
中略)
5. 【7】自分が
人類の何万年もの
歴史を
背負い、そのいちばん
先端に立っていることが
感覚としてわかった子どもたちは、おそらく自分や他人の命を
粗末にすることは考えられなくなると思います。【8】自分という
存在が、
信じられないほどたくさんの人のバトンを
受け継いだ、
彼らの
努力の
結晶であり、目の前にいるだれかもまた、何
億人ものバトンを
受け継いでいる、
彼らの
願いが
詰まった
存在であると感じられます。【9】そう考えれば、命を大切にする
感覚が
自然にわき、人を
殺そうなどという考えも頭に
浮かばなくなるでしょう。子∵どもたちにそんな気持ちを
抱かせることにこそ科学は使うべきだ、と
私は思っています。
6. 【0】また、この話を通じて
私は子どもたちに、そのような長い時間の中で自分たちが生きてきたという大局
観をぜひ持ってもらいたいと思っています。大局
観を持つことは、
結局、すべての科学者が今めざしているもの、すなわち、人はどこから来て、どこへ行くのかを知りたいという
欲求にもつながります。なぜ自分が今、その何
億人もの人のバトンをもらってこの場に立っているかということを、われわれ大人はぜひ考えるべきだし、子どもたちが
自然に考えられるような
環境を用意すべきです。
7. 「人生の主役はあなた」といったキャッチフレーズを、
最近街中でよく見かけます。一見、
耳触りのいい言葉ですが、そこには大きな
危険性が
潜んでいます。
8. 昔は、親と子どもは一心同体でした。子どもの
痛みは親の
痛みで、子どものために自分は
頑張れるし、
我慢できた。しかし、今は「主役は
私」で、
子供が自分の外に出ている
感覚の親が
非常に多いのです。「自分の幸せのために子どもがじゃまになる」と口にする人もいます。「人生の主役はあなた」という言葉は、
裏を返せばそうした考えを
肯定するものにもなりかねません。
9. これは、先ほどの大局
観にもつながります。自分の
願いを
託したからこそ、子どもがいるはずです。だからこそ、子どもの幸せは自分の幸せで、自分の後ろに何百年もつながる、何
億人もの人たちの幸せであるはずです。
私たちが、多くの人からもらったバトンを後世に向かって
渡していくことは、地球上の生命として生まれた
私たちの
義務とも言えるのではないでしょうか。
10.(川島
隆太『
現代人のための
脳鍛錬』(文春新書)より 一部
改変した)