長文集  1月4週  ★アイヌの世界観において  wape-01-4
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2014/12/14 12:53:41
 アイヌの世界観において驚くべきことは、
動物も植物も天の世界ではすべて人間の形を
して、家族生活を営んでいると考えられてい
ることである。その天の世界では、われわれ
と同じ人間である動物や植物がこの世界に現
れるときには、ハヨクベ即ち仮装をつけて現
れるというのである。何のために仮装をつけ
て現れるのか。それは人間の世界にミヤンゲ
即ち土産を持ったマラプト即ち客人として訪
れるためである。つまり、アイヌにとって、
熊も木もすべて人間と同じものであるが、彼
らはその身をわれわれに提供するためにこの
世に仮装をつけて出現するというわけである

 アイヌの社会で最も重要な祭りであるイヨ
マンテ、即ち熊送りの儀式は、このような客
人の携えた土産をいただき、その代わりその
霊を無事天に送り届ける宗教的儀式なのであ
る。アイヌは子熊(ぐま)が捕れると、それ
を大事に育て、その身が美味しくなる秋頃(
ごろ)に子熊(ぐま)を殺す。この殺し方も
またすべて決められた礼に従って行わねばな
らぬが、この儀式の中心はやはり殺した熊の
霊を天に送ることにある。それがイヨマンテ
、イ(それ)をオマンテ(送る)儀式なので
ある。殺された熊の頭を祭壇に祀り、そこに
日本のゴヘイにあたるイノウ即ちケズリカケ
を立て、そこに、熊に人間からのミヤンゲと
してドングリや穀物や魚や酒を供え、それを
持たして、おそらく鳥のイメージであるにち
がいないイノウに乗せて熊の霊を天に送るの
である。こうして丁重にもてなされた熊が人
間にもらった土産を天に持ち帰ると、その土
産は数十倍になり、それをもって宴会を開く
と天にいる熊たちは寄ってきて、天に帰った
熊から、人間に大切にもてなされ無事天に送
り返された話を聞き、それでは自分も行って
みようと思うというのである。そして翌年は
多くの熊が生まれて、豊猟であるということ
になる。
 熊ばかりか、すべての動物、草木すらここ
では神であり、天の世界では人間の形をとっ
て生活しているのである。それゆえすべての
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
32
33
34
35
36
37
38
39
40
41
42
43
動植物、特に人間によって殺され食用にされ
るものは人間と同じく丁重に葬られ、無事に
天へ送り届けられなければならないのであ∵
る。
 このような世界観をわれわれはどのように
考えたらいいのであろうか。もとよりこれら
の思想が全体としてそのまま真理であると私
は主張しようとは思わない。もしも熊に「あ
なたは土産を持ってこの世界に訪れた客人な
のですか」と尋ねたら、熊はきっと「ノー」
と答えるにちがいない。それはあまりに人間
の勝手な考え方だと熊は抗議するにちがいな
いが、しかし私はキリスト教の考える、神は
山や川やすべての動植物をこしらえた後に、
最後に人間をつくり、人間に神と同じ理性を
与えた、それゆえ、人間はすべての動植物を
支配する権利を持つ、という思想よりはるか
に勝手な考え方ではないと思う。なぜなら、
人間がすべての動植物を支配し、殺害するこ
とのできる権利を神によって与えられている
というのでは、人間は動植物を殺してもいさ
さかも良心の呵責を感じないであろう。この
考え方は熊は本来、人間と同じものであり、
したがってわれわれはこの客人の好意に従っ
て客人を殺した場合、必ずその霊を天に送ら
ねばならないという考え方とはかなりな差が
ある。前者は本質的に人間と動物の差別の上
に立つ世界観であるが、後者は人間と動物と
を本来同一とみる世界観なのである。
 人類は長い狩猟採集生活の末に、動物の殺
害を合理化する哲学を考えたにちがいないの
である。おそらく動物の殺害は不快感を伴っ
たにちがいない。その不快感を除去し、動物
の殺害と食肉を合理化する哲学として、彼ら
は、動物は土産を持って人間社会に現れた客
人であるという神話を考え出したのであろう
。このような神話は動物の殺害や植物の採伐
(さいばつ)を最小限度にとどめることにな
ろう。彼らは動植物に「私が生きていくため
には、あなたの身が必要なのです。どうかあ
なたの命を下さい」と言わないと、動植物を
殺すことができないのである。アイヌ語で「
ありがとう」という言葉は、「ヤイライゲ」
というが、「ヤイライゲ」というのは、私を
殺してくれという意味である。この狩猟採集
時代の厳しい自然環境のなかでの最も強い感
謝の表現は、私を殺して私の肉を食ってくれ
という言葉なのである。 (梅原猛『伝統と
創造』による)