長文集  3月3週  ★先進国の後を追いかける(感)  wape-03-3
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2012/06/15 08:09:23
 【1】先進国の後を追いかける途上国経済
と、世界の先頭を走る先進国経済のもっとも
重要な差は何かというと、「途上国経済では
物まねができたけれども、先進国経済では自
分で新しい知識を創造しないとそれ以上の発
展ができない」ということである。【2】途
上国の有利な点は、第一に、先進国モデルが
存在し、容易に産業化のための目標がみいだ
せること、第二に、先進国から技術を導入で
きること、そして第三に、賃金など全体的な
コストが先進国に比べて有利であることなど
である。
 【3】このような有利性が存在しているか
ぎり、自らオリジナルな技術や知識を創造す
る必要性はそれほど高くない。先進国から使
える技術を輸入し、それに安い賃金の勤勉な
労働力を張り付けるだけで競争力を身につけ
ることはできるだろう。【4】もっとも、こ
れとてどこの国にでもできるほど簡単なこと
ではないが、日本や現在急成長中の東アジア
諸国はいずれもこのシナリオで成功してき 
た。
 しかし、日本についていえば、これらの好
条件はすべて消滅したといってよいだろう。
【5】十年ほど前に、日本経済は歴史的なコ
スト条件の逆転を経験した。またインプット
拡大による成長にも人口の高齢化、労働力人
口の減少、貯蓄率の低下などの理由から多く
を期待することはできない。【6】その結果
、日本は先進国の宿命すなわち自らの行く先
を自らの創意工夫で切り開かなければならな
いという宿命を、好むと好まざるとにかかわ
らず背負うことになったのである。
 【7】日本の社会経済体制は、欧米に追い
つき、追い越すという明治以来の国策にそっ
て形成されてきた。たとえば、日本の教育制
度は欧米の先進的知識を詰め込むことを目指
して発達してきた。これはすばらしい戦略で
あった。【8】欧米と日本の間に、科学技術
や近代思想などの点で大きな知識のギャップ
があったのだから、まずはこのギャップを一
刻も早く埋めることが必要であったし、そう
することがキャッチアップを効率的に進める
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唯一の方法であった。
 【9】しかし、日本がキャッチアップを終
えた今となっては話は変わってくる。外来の
知識を学ぶだけでは必ずしも独創的な知識は
生まれない。日本の学校教育(とくに義務教
育)はすばらしいという説があるが、それは
少なくとも今日的観点からはとんでもない誤
解である。【0】たしかに、先進国に追いつ
く目的のために、先生が生徒に∵知識の押し
売り、詰め込みを強要することは理にかなっ
ていたかもしれない。いや、欧米との巨大な
知識ギャップを一刻も早く埋めるためには、
大車輪で知識の吸収に努めなければならない
ことは当然であった。知識吸収を急ぐあまり
、時に青年たちの独創性、オリジナルなもの
の考え方を育成するもうひとつの教育の重要
な役割が多少なおざりにされたとしても、そ
れはある意味ではやむをえなかったこととい
えるかもしれない。
 しかし、今日のように、自ら価値を創造す
ることが要求される時代になっても、教育シ
ステムが本質的な意味で何も変わっていない
とすればそれは大きな問題であろう。最近の
教育改革論議は当然のことながらこのような
観点からなされることが多い。しかし、教育
の現場では、相変わらず先生が大教室で黒板
に知識を羅列し、日本的な意味での「優秀な
」生徒は、試験のときにそれを正確に再現す
ることを要求されている。生徒の能力差や、
興味の所在などは無視し、とにかく上から与
えられた課題を、先生が決めたスピードでこ
なしていくことが「優秀な」生徒の絶対的条
件である。極度に一律化された教育風景であ
る。
 日本の教育現場で自分の頭で考えた独自の
意見を前面に押し出すことが高得点につなが
るという話はおよそ聞いた試しがない。試験
では先生が正解と認定する答を書くことが得
策であって、先生の頭になかったようなユニ
ークな答を尊重する風潮はない。生徒は一定
の枠のなかで発想する習慣をたちまち身につ
けてしまう。このように「優秀な」生徒はい
くつかの入試を経て、完璧なまでに「知識吸
収型」の枠にはまった答しかできない受動的
人間になってしまう。
 もちろん、若いときに知識をできるだけ多
く吸収すること自体は将来の創造性にとって
必要不可欠である。創造性の源泉がどこにあ
るのかは古くて新しい問題だが、頭のなかに
たたき込まれた大量の知識が創造性を刺激す
ることは間違いない。問題は、教室における
教師と生徒の関係である。たとえば、生徒が
まだ教えてもいないことを教室で発言するこ
とを嫌う教師は非常に多い。教師の能力や知
識の範囲を超える生徒がいた場合、教師はそ
れを教師であることを∵盾に、権威でもって
抑え込もうとする。
 受験塾では公立学校とちがって競争が厳し
い。学校の教科より進み具合が早いことはも
ちろん、教える内容もはるかに進んでいる。
塾で習ったことを教室に持ち込まれると、学
校での教育進度や秩序が乱されるという理由
もわからないではないが、できる生徒の好奇
心を抑え込むのではなく、一人一人の能力や
進度に応じて先生が対応し、知的能力を最大
限に刺激することができるような教育体制を
とることが本筋である。平均的な生徒をひた
すら大事にする、あるいは落ちこぼれを出さ
ないといったことにかまけるあまり、潜在的
能力の高い優秀な生徒の頭を押さえつけると
いった「平等主義的な教育思想」にそれなり
の価値があることは認められなければならな
いが、それが独創的な人材の芽を摘みとって
いる危険についても十分な配慮が必要であろ
う。
 
(中谷巌著『日本経済の歴史的転換』)