長文集  1月4週  ○物語とはなにか  wape2-01-4
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2010/10/25 10:21:49
 【1】物語とはなにか。
 物語を理性の言葉としての哲学や科学に対
立させて、空想の語 り、非合理的な語りと
する見方があるが、それは正しい見方とはい
えない。宗教学者の島田裕巳は物語を積極的
に評価して、「世界の中に生起する現象の説
明原理であり、筋立てを持つ説明の体系のこ
と」と定義する。【2】それは独自の「体系
化や分類の働きを」もち、「儀礼や象徴の背
後に存在し」て、「人生に一定の方向性を与
える」ものだという。
 どういうことか。
 たとえば有名なオイディプス伝説を考えて
みよう。【3】ソフォクレスの悲劇でよく知
られるこの物語は、もともとテーバイ地方に
伝わる神話・伝説であった。主人公オイディ
プスは、テーバイの王ライオスの長子として
生まれるが、その生誕の直前に「成長する 
と、父を殺し、母と交わる」との神託が出た
ことによって、荒れ野に捨てられる。【4】
その彼をコリントスの王ポリュボスが見つ 
け、わが子として育てる。やがて成長したオ
イディプスは、自分の出生に疑いをいだくよ
うになり、神託を求めたところ右の答えが得
られたため、実父と信じるポリュボスを殺す
ことを恐れて町を離れる。【5】道を歩む彼
は、偶然、実父ライオスと出会い、争ってこ
れを殺す。ついで彼はテーバイを訪れ、災い
をもたらしていた怪物スフィンクスの謎を解
いてこれを退治し、その報奨として女王イオ
カステと結婚し、子どもをもうける。【6】
しかしその後も町に災いは続いたため、知者
を呼んだところ、神託に告げられていた真実
を知らされる。自分の運命を知った彼は、わ
れとわが目を剣で突いて、放浪の旅に出ると
ころで悲劇は終わる。
 【7】この物語は、あらゆる物語がそうで
あるように、一つづきの行為=出来事を時間
の経過のなかで展開させたものである。それ
はオイディプスをはじめとする登場人物が、
なにをし、なにを喋ったかを述べるものであ
って、それ以上のものではない。【8】殺さ
れるはずであったオイディプスが、従者の情
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けによって荒れ野に捨てられたこと。コリン
トスの王に拾われた彼が、その実子として大
切に育∵てられたこと。成人したオイディプ
スが、「父を殺し、母と交わる」と∵の神託
の実現を恐れて、町を離れたこと。【9】や
がて彼が偶然、実の父であるライオスと出会
い、争ってこれを殺したこと。テーバイの町
を訪れた彼が、町に災いを与えていたスフィ
ンクスを退治して、その報奨として実の母で
あるイオカステと結婚したこと。
 【0】これらの行為は、ひとつひとつが善
意からなされたという以外にはいかなる共通
性ももってはおらず、たがいに結びつけられ
るべき必然性はどこにもない。にもかかわら
ず、それが物語という一つの時間の流れのな
かに置かれると、それらの行為=出来事はた
がいに結びつけられて、明確なメッセージを
生むことになる。「人間はその運命を逃れる
ことはできない」というメッセージを、それ
は言外に表明しているのである。
 物語的認識の特徴はまさにこうした点にあ
る。それは現実の世界でも生じるような出来
事の一続きを、時間的な流れのなかで語った
ものにすぎない。しかしながら、現実の世界
では偶然事があいつ ぎ、出来事相互の関係
がかならずしも明晰ではないのにたいし、物
語のなかの出来事は緊密な必然性の糸によっ
て結ばれている。そしてその結びつきがメッ
セージを、物語の意味を生みだしているので
ある。
 しかも物語は、そのように偶然性を必然性
に結びつけるだけでなく、個別性を普遍性に
超克させるものでもある。たとえば先のオイ
ディプス伝説についていえば、テーバイやコ
リントスなど、特定の土地で生じた出来事を
、特定の時間のなかで語ったものにすぎな 
い。しかもその登場人物にしても、私たちと
はまったく無縁な、特定の名前と個性をもっ
た存在でしかない。ところが物語は、そうし
た徹底した個別性と具体性を連ねていくこと
によって、人間が人間であるかぎり逃れるこ
とのできない、運命にたいするある種の見方
を示している。その意味でそれは、具体的、
個別的な行為と出来事の契機を語りながら、
人間存在の必然的、普遍的な認識を与えるも
のなのである。∵
 物語の理論家であるミンクらが明らかにし
ているように、物語とは経験の流れを理解可
能にするための認識の仕方であって、たんな
るおとぎ話ではない。そしてそのとき、物語
的認識の特徴は、理論的・科学的な認識が一
般理論のなかに出来事を吸収するのにたい 
し、個別的な事実性、出来事性を残している
点にある。

(竹沢尚一郎()『宗教という技法』による