長文 1.4週
1. 【1】物語とはなにか。
2. 物語を理性の言葉としての哲学てつがくや科学に対立させて、空想の語り、非合理的な語りとする見方があるが、それは正しい見方とはいえない。宗教学者の島田裕巳ひろみは物語を積極的に評価して、「世界の中に生起する現象の説明原理であり、筋立てを持つ説明の体系のこと」と定義する。【2】それは独自の「体系化や分類の働きを」もち、「儀礼ぎれい象徴しょうちょうの背後に存在し」て、「人生に一定の方向性を与えるあた  」ものだという。
3. どういうことか。
4. たとえば有名なオイディプス伝説を考えてみよう。【3】ソフォクレスの悲劇でよく知られるこの物語は、もともとテーバイ地方に伝わる神話・伝説であった。主人公オイディプスは、テーバイの王ライオスの長子として生まれるが、その生誕の直前に「成長すると、父を殺し、母と交わる」との神託しんたくが出たことによって、荒れ野あ のに捨てられる。【4】そのかれをコリントスの王ポリュボスが見つけ、わが子として育てる。やがて成長したオイディプスは、自分の出生に疑いをいだくようになり、神託しんたくを求めたところ右の答えが得られたため、実父と信じるポリュボスを殺すことを恐れおそ て町を離れるはな  。【5】道を歩むかれは、偶然ぐうぜん、実父ライオスと出会い、争ってこれを殺す。ついでかれはテーバイを訪れ、災いをもたらしていた怪物かいぶつスフィンクスのなぞを解いてこれを退治し、その報奨ほうしょうとして女王イオカステと結婚けっこんし、子どもをもうける。【6】しかしその後も町に災いは続いたため、知者を呼んだところ、神託しんたくに告げられていた真実を知らされる。自分の運命を知ったかれは、われとわが目をけん突いつ て、放浪ほうろうの旅に出るところで悲劇は終わる。
5. 【7】この物語は、あらゆる物語がそうであるように、一つづきの行為こうい=出来事を時間の経過のなかで展開させたものである。それはオイディプスをはじめとする登場人物が、なにをし、なにを喋っしゃべ たかを述べるものであって、それ以上のものではない。【8】殺されるはずであったオイディプスが、従者の情けによって荒れ野あ のに捨てられたこと。コリントスの王に拾われたかれが、その実子として大切に育∵てられたこと。成人したオイディプスが、「父を殺し、母と交わる」との神託しんたくの実現を恐れおそ て、町を離れはな たこと。【9】やがてかれ偶然ぐうぜん、実の父であるライオスと出会い、争ってこれを殺したこと。テーバイの町を訪れたかれが、町に災いを与えあた ていたスフィンクスを退治して、その報奨ほうしょうとして実の母であるイオカステと結婚けっこんしたこと。
6. 【0】これらの行為こういは、ひとつひとつが善意からなされたという以外にはいかなる共通性ももってはおらず、たがいに結びつけられるべき必然性はどこにもない。にもかかわらず、それが物語という一つの時間の流れのなかに置かれると、それらの行為こうい=出来事はたがいに結びつけられて、明確なメッセージを生むことになる。「人間はその運命を逃れるのが  ことはできない」というメッセージを、それは言外に表明しているのである。
7. 物語的認識の特徴とくちょうはまさにこうした点にある。それは現実の世界でも生じるような出来事の一続きを、時間的な流れのなかで語ったものにすぎない。しかしながら、現実の世界では偶然ぐうぜん事があいつぎ、出来事相互そうごの関係がかならずしも明晰めいせきではないのにたいし、物語のなかの出来事は緊密きんみつな必然性の糸によって結ばれている。そしてその結びつきがメッセージを、物語の意味を生みだしているのである。
8. しかも物語は、そのように偶然ぐうぜん性を必然性に結びつけるだけでなく、個別性を普遍ふへん性に超克ちょうこくさせるものでもある。たとえば先のオイディプス伝説についていえば、テーバイやコリントスなど、特定の土地で生じた出来事を、特定の時間のなかで語ったものにすぎない。しかもその登場人物にしても、私たちとはまったく無縁むえんな、特定の名前と個性をもった存在でしかない。ところが物語は、そうした徹底てっていした個別性と具体性を連ねていくことによって、人間が人間であるかぎり逃れるのが  ことのできない、運命にたいするある種の見方を示している。その意味でそれは、具体的、個別的な行為こういと出来事の契機けいきを語りながら、人間存在の必然的、普遍ふへん的な認識を与えるあた  ものなのである。∵
9. 物語の理論家であるミンクらが明らかにしているように、物語とは経験の流れを理解可能にするための認識の仕方であって、たんなるおとぎ話ではない。そしてそのとき、物語的認識の特徴とくちょうは、理論的・科学的な認識が一般いっぱん理論のなかに出来事を吸収するのにたいし、個別的な事実性、出来事性を残している点にある。

10.(竹沢尚一郎『宗教という技法』による)