長文集  2月1週  ★(感)私はある時から  wape2-02-1
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2012/06/15 08:09:23
 【1】私はある時から、英文で論文を書く
ことをやめた。日本語で考え、日本語で暮ら
している。そういう人間が英語で論文を書く
とは、いったいそれはどういう作業か。それ
が論理的に理解できなかったからである。【
2】そのために、理科系の人間としては、業
界から「干された」というしかない。
 『最後の授業』という物語を引くまでもな
い。日本の知的な世界は、日本社会の他のシ
ステムと同様に、あらゆる根拠を失ったまま
に、さまざまなやり方を便宜的に採用してき
た。【3】そうだからといって、闇雲に古い
習慣に固執すればいいというものでもない。
われわれは、われわれに発する普遍性を説か
なくてはならないのである。その基盤は明瞭
であろう。「人間」である。たとえば、言語
を一般的にヒトが持つ特質と見なせば、そこ
には明白な普遍性が認められる。【4】国語
・国文学を、そこに基礎づける。その作業 
は、脳生理学者に任せておけばいいというも
のではあるまい。小説家であろうと、車には
乗るはずである。テレビも見れば、映画も鑑
賞するであろう。それなら国語の脳機能とし
ての特質を考えて、なんの不思議もあるまい

 【5】日本語の脳の関係については、やは
りすでに『考えるヒト』で述べたことがある
。たとえば日本における漫画の流行は、音訓
読みという日本語の特性と切り離すことはで
きない。この場合、漫画はアイコンであり、
アイコンは古い形式の漢字と同じものであ 
る。【6】アイコンとは、「もとのものの性
質を一つでも残した」記号だからである。こ
のアイコンにルビを振る。そのルビが漫画で
は吹き出しに相当する。こうしたことを外国
人に説明するのは至難である。かれらはそも
そも音訓読みが理解できないからである。
 【7】中国語が孤立語であったため、日本
語はその文字を取り入れ、しかも音訓の両読
みを開発することができた。それなら朝鮮語
はなぜそれをしなかったか。そこに言語の歴
史性がある。ヴェトナム語は訓読みを発明し
たかもしれないが、アルファベット表記に変
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わってすでに半世紀以上が過ぎてしまった。
【8】その意味でいうなら、日本語は世界で
もきわめて特異なことばなのである。国語の
先生は、そのことを理解し、生徒にそれを教
えているだろうか。
 あるいは日本語は「読み」のために脳の二
ヵ所を利用する。【9】こ∵ういうことばは
、おそらくほかにない。だからこそ寺子屋で
は「読み書きソロバン」だったのである。プ
ラトンを読めば、古代ギリシャでソフィスト
たちが教えたのは「弁論術」だとわかる。日
本語はおしゃべりを教えてお金を取ることは
しない。【0】「読み書き」を教えるのであ
る。だからこそまた、日本では文盲率がきわ
めて低い。日本語は視覚言語性が高いのであ
る。
 日本語文法の形式もまた、十分には理解さ
れていないらしい。日本語に定冠詞はないと
いうのは、英文法の授業でさんざん教わるこ
とである。それなら、「昔々おじいさんとお
ばあさんがおりまし た。おじいさんは山に
芝刈りに」という文章における、助詞「が」
と「は」の使い分けはなんなのか。定冠詞は
語の前に来る。そういう形式的反論があるな
ら、ギリシャ語では定冠詞の位置は語の前で
も後でもいいといおう。文法は形式でもあり
、機能でもある。助詞には冠詞機能が認めら
れるといってもよいであろう。
 脳から見た国語には、さまざまな主題が見
つかりそうである。それを探求するのは、国
語の専門家であって、いっこうにおかしくな
い。対象を限定することで「専門家」を育て
、対象の分類によって学問を分類する時代は
終わったと私は思う。学問とは方法である。
国語を知るためには、いかなる方法を利用し
てもいいのである。情報化時代とは、じつは
それを意味している。

(養老孟司「国語と脳」より)