長文集  3月1週  ★(感)写真が物語化する装置  wape2-03-1
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2012/06/15 08:09:23
 【1】写真が物語化する装置だということ
は、肖像写真やスナップ写真のばあいでもい
える。かつてひとは自分というもののイメー
ジを、内面の記憶と鏡に映ったイメージとか
ら得ていた。【2】ところで、そもそも自分
とはなにものかというアイデンティティーに
かかわる自己像もまた、それ自体始まりも終
わりももたない意識の持続のなかに把持され
たそのつどバラバラの記憶を、ひとつの全体
性へと統合することで得られたイメージであ
り、【3】つまりは記憶の物語である。記憶
の物語においてはじめて「わたし」は、他の
登場人物から区別された主人公として、その
くっきりとした輪郭をあらわす。
 【4】写真発明以前に、ひとが記憶にない
幼年時代の自分のイメージをもつことはなか
った。こんにちひとは自分というものを、記
憶にはない幼年期の自分をもふくめて、アル
バムに残された多様なイメージの総体として
理解している。【5】とすれば、肖像写真や
スナップ写真を介してひとは、あたらしい自
己了解の様式、あたらしい自己像の物語をも
つことになったのである。
 写真が可能にする「わたし」の記憶によら
ない自己像は、いわば外から、他人の目から
見た「わたし」の物語である。【6】自分の
写真が匿名の視線にさらされるとき、それは
知らぬところで知らぬひとによって、「わた
し」のもうひとつの物語が語られるという危
険を、それゆえアイデンティティーの危機を
もたらすだろう。
 【7】写真を介して、他者による物語が押
しつけられるという状況は、まずは肖像写真
とは似て非なるもの、つまり顔写真という、
写真がつくりだしたあたらしいジャンルにお
いてあらわになる。そこに刻印された囚人や
病人や貧民たちは、もっぱら告発され、追跡
され、監視されるものとしてのイメージをみ
ずからに引き受けて生きるほかはない。【8
】ポルノ写真のモデルたちも、これを見る匿
名の「男」がそこに投影する欲望のファンタ
ジーを、みずからのジェンダーの物語として
受けいれる。報道写真においても、飢饉や戦
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争にあえぐひとびとは、これらの写真をお茶
の間で見るものに∵ は、ジャーナリズムの
標榜するヒューマニズムの物語の登場人物と
して受けとられるだろう。
 【9】現代では、肖像写真と顔写真との境
界はきわめてあいまいなものとなっている。
学生証、パスポート、運転免許証、身分証明
書はもとより、卒業写真アルバムにならべら
れたクラスメートの写真や新聞でいつも目に
する政治家たちの写真にしても、完全に顔写
真のフォーマットにおさまっている。【0】
思い出のスナップ写真も、トリミングによっ
て容易に手配写真に転じる。
 最近では、女子高生たちが友達どうし、イ
ンスタント・カメラでわけもなく写真を撮り
あうことがはやり、また「プリクラ」で撮っ
た写真を街中にはったり、見知らぬひとと交
換することが流行している。いずれも、おた
がいに直接にむきあうことのない希薄な人間
関係と、おおむね満たされてとりたてていう
ことのない日常のなかで、写真を撮ることに
よってこれをなんとかくっきりとしたひとつ
のできごととしてとらえようとし、あるいは
イメージの交換・流通によって、ようやく他
人とのコミュニケーションを確保しようとし
ているというべきだろう。そしてこれらの「
物語ゲーム」もまた、現代における肖像写真
と顔写真のあいだの視線の揺れを反映してい
るだろう。

(西村清和の文章による)