長文集  7月2週  ★人間が、自分の行っている活動から(感)  wapi2-07-2
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2012/06/15 08:09:23
 【1】人間が自分の行っている活動から充
実感を得たいと考えること、あるいは自分が
生きていることに「張り合い」を感じたいと
思うことは、きわめて自然で普遍的なことだ
と言って良いだろう。【2】親が子どもの順
調な成長ぶりを見て、自分の養育活動に充実
感を持つことも、会社員が自分の仕事の結果
によって会社の業績が上がったことを喜ぶこ
とも、ともにいつの時代にも見られる「生き
がいの探究」と考えて良いはずだ。【3】だ
が、にもかかわらず、「生きがい」という言
葉の意味合いは時代によって微妙に変化して
きたし、その微妙な違いこそが重要なのでは
ないか。
 【4】たとえば、現代においてボランティ
ア活動を行っている人々と、かつて学生運動
を行っていた人々とでは、同じように「生き
がい」を感じていたとしても、その「生きが
い」を求める姿勢それ自体が違っているよう
に私には思われる。【5】だから私は現代の
「生きがいの探究」の意味について、こうし
た時代による意味の違いにこだわって考える
ことにしたい。
 【6】いま例に出したような、学生運動を
していたような戦後日本社会の青年たちは、
「生きがい」を自分の衣食住に関わる私生活
や、それを維持するための稼ぎ仕事ではなく
、今よりももっと理想的な社会を作りだすた
めの公共的な活動に求めていた。【7】そう
した活動に自己犠牲的に没入することによっ
て、自分自身の社会的・実存的な存在意義を
高めること。そうした理想主義的で前向きな
行動が、彼らの感じていた「生きがい」だっ
たと思われる。
 【8】そして実は、そうした理想を志向す
る「生きがい」感は、彼らが軽蔑していたよ
うな、同時代のごく平凡な日本人にも共有さ
れていた感覚だったと言える。【9】なぜな
ら彼らもまた、自分の生活状態に満足するこ
となく、今よりももっと豊かな生活を「理 
想」として目指すことに「生きがい」を感じ
ていたからだ。【0】だからこそ、彼らはあ
くせくと働いてお金を稼ぎ、黙々と辛い家事
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労働をこなすことができたのだ。つまりいず
れにせよ、理想実現のために行動することが
一九六〇年代までの日本社会の「生きがい」
だったと思われる。
 しかし、一九七〇年代から八〇年代にかけ
て、このような「生き∵がい」感は大きな変
貌を遂げた。もはや人々は、未来の理想的状
況のために現在を犠牲にして活動することに
は「生きがい」を感じなくなったのである。
今ここで得られる快楽を犠牲にして、やって
こない理想の未来のために馬車馬のように走
り続けることの一体どこに充実感があるのだ
ろう。それよりも、欲望のままにブランド物
の洋服を着て、豪華なレストランでの食事を
楽しんだ方が、よほど自分の人生をその瞬間
において充実させることになるのではない 
か。そう人々は考えはじめた。つまり彼らは
、その時その時の「現在」における即時的な
快楽の充足に「生きがい」を感じ出したと言
えよう。(中略)
 そして、一九九〇年代以降、不況となって
消費生活が縮減され、阪神大震災によって豊
かな消費生活の底の浅さが露呈されてしまう
と、人々は再び「生きがいの探究」に向かい
始めたように見える。たとえばボランティア
活動の普及は、人々が単なる私的欲望の充足
だけでなく、自己犠牲的な公共的活動に「生
きがい」を見いだしている証拠だと言えよう

 しかしやはり、そこにはかつての「生きが
いの探究」とは微妙な違いがあるように私に
は思える。つまり現在の人々は、他者のため
に行動することに喜びを見いだしているとい
うよりも、他者のためのボランティアをまる
で「自分のため」に行っているように見えて
しまうのだ(その真面目さを疑うわけではな
いが)。(中略)
 つまり「生きがいの探究」はいまや、未来
の自分や社会を作りだすような理想志向的な
活動ではなく、現在の日本社会の奇妙な閉塞
感を反映した、後ろ向きの活動になってしま
っている。だから私たちは、「生きがいの探
究」という美化された物語に簡単に乗るより
も、それを疑うところから「自分探し」の自
閉空間を切り裂く可能性を見つけるべきだろ
う。

(長谷正人「生きがいの探究」から)