長文集  7月4週  ○数年前、F・フクヤマによる  wapi2-07-4
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2011/05/23 18:25:44
 【1】数年前、F・フクヤマによる「歴史
の終焉」をテーマとする論文が発表され、日
本の言論界に、大きな反響を引き起こしたこ
とは、なお記憶に新たなところであろう(「
歴史は終わったの  か」、月刊Asahi
)。【2】フクヤマはその後、この論文を、
さらに大部の著書へと発展させ、それも様々
な議論を呼んだ。【3】フクヤマの論文は、
十九世紀後半以降、世界の言論や思想と現実
政治とをリードしてきたマルクス主義の歴史
観の無効を公然と宣するものであり、とりわ
け、冷戦の終了が語られ始めた時期に発表さ
れたこともあって、多大な関心が寄せられる
ことになったのであ る。【4】フクヤマに
よれば、冷戦が西側社会の勝利によって終結
しつつあることは、資本主義社会の後に社会
主義社会が到来するとしたマルクスの予言が
誤っていたことを意味している。【5】すな
わち、西側において、今日、既に成立してい
るか、あるいは成立しつつある自由民主主義
的な統治と自由主義的な市場経済によって営
まれるような社会こそが、歴史の進歩の最終
段階に位置するものであり、【6】そうだと
すれば、マルクスよりも、むしろ、彼に影響
を及ぼしたヘーゲルによる世界史の構想の方
が、現実の歴史の進行により、適合的である
ということになる。
 【7】実際、明治期以来、「文明」であれ
、「社会主義」であ れ、そして、「近代社
会」であれ、こうした観念は、いずれも、特
定の理想の社会についての理念を表現するも
のであり、かつ、そうした理想に向けての進
歩の過程に関しても、具体的な発展の段階や
経過を示す図式が与えられていた。【8】し
かも、こうした発展の図式は、その到達目標
が欧米その他の社会で既に実現されているも
のとされることで、より一層のリアリティを
保っていた。【9】そして、日本の現状が問
題になる際、こうした図式に照らしてそれを
批判したり、あるいは将来に向けての行動を
考慮するということ が、いわば自明の前提
になっていたのである。【0】しかるに、「
歴史の終焉」という事態は、そうした発展の
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図式を提供してくれるものは、もはやないと
いうことを公然と告知するものであった。す
なわち、遠い将来を展望した大いなる時間に
ついての見取図を、われわれは、見失うこと
になったのである。F・フクヤマの言う「た
いへん悲しい時期」、また「長く退屈な時代
」は、そうである以上に、われわれ日∵本人
にとっては、戸惑いと混乱を感じさせる時期
なのかもしれない。
 しかしながら、他方で、進歩の内実を規定
するそれぞれの歴史の発展の図式は、明治以
降の日本人の精神生活に一定の秩序と方向を
与えるものでありながら、まさに、それゆえ
に、そこに特有の緊張感をもたらすものでも
あった。その緊張感とは、進歩の目標に向け
て、ある種の切迫感を伴って時間の経過を体
験することに他ならない。すなわち、日本が
文明化しなければ世界列強に伍していくこと
はできない、あるいは、社会主義の到来が必
然であるとすれば、唯今現在如何なる行動に
出なければならないのか、さらには、早急に
前近代的な状態を脱して欧米なみの社会を建
設しなければ、日本は再び破局への道を歩む
ことになるといった焦燥感が、近代日本人の
精神生活に様々な影を投じてきたのである。
そうだとすれば、そうした観念が、もはや現
実的な意味を持たないとされることは、われ
われ日本人の従来の精神の構えに弛緩をもた
らすものであるとも言えよう。先に、「歴史
の終焉」ということが、日本人に感慨をもた
らすものだとしたのは、こうした、戸惑いと
弛緩の入り交じった状態を指している。(中
略)
 改めて振り返ってみると、近代の日本にお
いて、「進歩」という観念が日本人の精神生
活を大きく規定するなかで、実際の日本人の
生活を特徴づけたものは、必ずしも、そうし
た進歩に向けての特定の時間図式のみではな
く、むしろ、それを意識しながらも、様々な
陰影をもってあらわれる多様な時間体験であ
った。そして、そこには、日本が欧米近代社
会に接する以前の伝統的な時間体験のあり方
が、様々な形で影を投じていた。そうだとす
れば、われわれは、こうした近代の日本人の
多様な時間体験のあり方のなかに、「歴史の
終焉」の後の「たいへん悲しい時期」、ある
いは「長く退屈な時 代」において生を営ん
でいくうえでの何らかの示唆を見出せるかも
しれないのである。 (坂本多加雄()『近
代日本精神史論』よ り)