長文集  10月3週  ★大人になって(感)  wapu-10-3
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2012/06/15 08:09:23
 【1】大人になって毎日同じようなことを
繰り返していると、あまり「ふしぎ」なこと
はなくなってくる。何もかもわかったような
気になると、今度は面白くなくなってきて、
「ふしぎ」なことを提供してくれるテレビ番
組や催しものなどを見る。【2】これらは必
ず「ふしぎ」なことが最後には心に収まるよ
うになっているので、少しの間心をときめか
して、後は安心、ということになる。
 【3】子どもは「ふしぎ」と思う事に対し
て、大人から教えてもらうことによって知識
を吸収していくが、時に自分なりに「ふし 
ぎ」な事に対して自分なりの説明を考えつく
ときもある。【4】子どもが「なぜ」ときい
たとき、すぐに答えず、「なぜでしょうね」
と問い返すと、面白い答えが子どもの側から
出てくることもある。
 「お母さん、せみは、なぜミンミン鳴いて
ばかりいるの」と子どもがたずねる。【5】
「なぜ、鳴いているんでしょうね」と母親が
応じると、「お母さん、お母さんと言って、
せみが呼んでいるんだね」と子どもが答える
。そして、自分の答えに満足して再度質問し
ない。これは、子どもが自分で「説明」を考
えたのだろうか。
 【6】それは単なる外的な「説明」だけで
はなく、何かあると「お母さん」と呼びたく
なる自分の気持ちもそこに込められているの
ではなかろうか。だからこそ、子どもは自分
の答えに「納得」したのではなかろうか。【
7】そのときに、母親が「なぜって、せみは
ミンミンと鳴くものですよ」とか、「せみは
鳴くのが仕事なのよ」とか、答えたとしても
「納得」はしなかったであろう。たとい、せ
みの鳴き声はどうして出てくるかについて「
正しい」知識を供給しても、同じことだった
ろう。【8】そのときに、その子にとって納
得のいく答えというものがある。
 「そのときに、その人にとって納得がいく
」答えは、「物語」になるのではなかろうか
。せみの声を聞いて、「せみがお母さん、お
母さんと呼んでいる」というのは、すでに物
語になっている。【9】外的な現象と、子ど
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もの心のなかに生じることがひとつになっ 
て、物語に結晶している。
 人類は言語を用いはじめた最初から物語る
ことをはじめたのではないだろうか。短い言
語でも、それは人間の体験した「ふしぎ」、
「おどろき」などを心に収めるために用いら
れたであろう。
 【0】古代ギリシャの時代に、人々は太陽
が熱をもった球体であることを知っていた。
しかしそれと同時に、彼らは太陽を四頭立て
の金の馬車に乗った英雄として、それを語っ
た。これはどうしてだろう。夜の闇を破って
出現して来る太陽の姿を見たときの彼らの体
∵験、その存在のなかに生じる感動、それら
を表現するのには、太陽を黄金の馬車に乗っ
た英雄として物語ることが、はるかにふさわ
しかったからである。
 かくて、各部族や民族は、「いかにしてわ
れわれはここに存在するのか」という、人間
にとって根本的な「ふしぎ」に答えるものと
しての物語、すなわち神話をもつようになっ
た。それは単に「ふしぎ」を説明するなどと
いうものではなく、存在全体にかかわるもの
として、その存在を深め、豊かにする役割を
もつものであった。
ところが、そのような「神話」を現象の「説
明」として見るとどうなるだろう。確かに英
雄が夜毎に怪物と戦い、それに勝利して朝に
なると立ち現われてくるという話は、ある程
度、太陽についての「ふしぎ」を納得させて
くれるが、そのすべての現象について説明す
るのには都合が悪いことも明らかになってき
た。たとえば、せみの鳴くのを「お母さんと
呼んでいる」として、しばらく納得できるに
しても、しだいにそれでは都合の悪いことが
でてくる。
 そこで、現象を「説明」するための話は、
なるべく人間の内的世界をかかわらせない方
が、正確になることに人間がだんだん気がつ
きはじめた。そして、その傾向の最たるもの
として、「自然科学」が生まれてくる。「ふ
しぎ」な現象を説明するとき、その現象を人
間から切り離したものとして観察し、そこに
話をつくる。
 このような「自然科学」の方法は、ニュー
トンが試みたように、「ふしぎ」の説明とし
て普遍的な話(つまり、物理学の法則)を生
み出してくる。これがどれほど強力であるか
は、周知のとおり現代のテクノロジーの発展
がそれを示している。これがあまりに素晴ら
しいので、近代人は「神話」を嫌い、自然科
学によって世界を見ることに心をつくしすぎ
た。これは外的現象の理解に大いに役立つ。
しかし、神話をまったく放棄すると、自分の
心のなかのことや、自分と世界とのかかわり
が無視されたことになる。

 (河合隼雄「物語とふしぎ」による)