1. 【1】文化とはその国の人々の行動の
規範の統合であり、人々に共有され、伝承されている有形無形の民族的財産である。その文化が、さまざまな外的
環境の
影響を受けて変化していくことを「文化の変容」とよんでいる。
2. 【2】文化の変容に大きな
影響を
及ぼすのは情報であり、かつてその担い手は新聞・
書籍などによる活字メディアという知の力であった。
3. 活字を
媒介とした知のメディアは、文化の交流や
互いの文化を理解する上で、大きな力となる。【3】そのため他国の文化の
影響を受け、自国の文化が変容していく、いわゆる文化の受容のもっとも大きな要因もやはり活字メディアの力なのである。【4】情報が活字化され、
一旦印刷物となるや、そこに盛られた知識の伝達力は他のメディアのどれにも増して強力であり、正確な記録と知識のデータベースとして
蓄積されていく。
4. 【5】つまり、過去の知識べースを土台に、修正されたりさらに新しい知識が加わったりしながら積層構造をもった知のデータベースがつくりあげられ、その国の知力となり、文化をつくりあげる、いわば知的
環境のインフラとなる。
5. 【6】もちろん、文化の受容や変容は知識ベースに限らず、食や
嗜好品、流行などの面でも行われる。イギリス人のティー・セレモニーやティー・パーティーの習慣は、一七世紀中国から
陶磁器と合わせてもたらされた茶の文化によるものである。【7】日本人が
喫煙する習慣は、一六世紀ポルトガル人が九州に
渡来し、日本中に広まった。そのタバコも、西インド諸島の先住民やネイティブ・アメリカンからヨーロッパに伝えられ、世界中に
喫煙の文化が広まったものである。
6. 【8】また文明開化の明治期、
鹿鳴館で開かれた上流階級の
舞踏会の女性の夜会服は、バッスル・スタイルとよばれる、
腰部に
枕状の
詰め物を入れて
尻を
膨らませた
裾の長いスカートで、当時ヨーロッパで流行していたビクトリア朝風のファッションであった。【9】これ∵はまさしく、
欧米化を急ぐ明治政府の政策的な直輸入型文化の受容であったといえよう。
7. 人々の日常の中でもっとも比重の高い生活文化は宗教であろう。【0】キリスト教文化
圏やイスラム教文化
圏といわれるように、宗教観がもたらす日常生活に根ざした
戒律・タブーや生活習慣は、極めて
堅固であるがゆえに、より
広範な地域で文化が保持される。しかしそれすらも、長い時間をかけ、その地域の民族性や社会的事情に合わせて
徐々に変容していく。日本の文化はその好例であろう。
8. 多くの神や仏を受け入れ、
冠婚葬祭では
敬虔な仏教や神道の信者に、クリスマスには、にわかクリスチャンに変化する現代日本人の気質の中にも、それは明らかである(もっとも
結婚式のスタイルはウェディングドレスと着物の
和洋折衷であり、
和魂洋才の成果ともいえるのか)。これらの文化の受容と変容は、
為政者の政策的な意図が働く場合はともかく、長い時間を要して行われるのが
一般的な現象であった。
9. だが、手書きメディアの時代から活字メディアの時代に移行して以降、格段に文化の交流は早まった。そのスピードはラジオやテレビジョンの電気メディアの時代となると、等比級数的に早まり、さらに現代のIT時代のデジタル・メディアの時代では、国を
超えた情報の
即時通信や
検索が可能となった。さらに個人の
誰もが、国家のような
巨大組織とも対等にインタラクティブな情報
交換をすることが、いつでもできるようになったのである。
10. つまり情報のグローバル化によって、地球全体が、インターネットというひとつのサイバー・スペースの情報ネットワークで結ばれ、均質化された情報が
蔓延することになる。このことは、いままでそれぞれの国や地域の長い歴史の中で
醸成されてきた伝統的な独自の文化が個性を失い、均質化された無
国籍風の様式になる危険性も、同時に
併せもつことになる。
11. 地球上どこの国へ出かけていっても、
コカ・コーラやハンバーガーがあり、同じようなTシャツとジーンズをはいた風体の若者がケ∵ータイを手に街を
闊歩する様は、もう現実のものとなっている。何とも
淋しい光景ではないか。
12. このような社会
状況では、
互いの情報
環境さえ整えば、異文化間の交流がそのときの
互いの精神的受容の許容度に応じて容易に行われることは明らかだ。
13. つまり、現代のIT化時代は、社会的な情報
環境というインフラストラクチャからみると、ほぼ
完璧に文化の受容と変容に関する条件が整いつつある。しかしながら、優れた文化の
継承と保護という観点から考えると、必ずしも手ばなしで
歓迎できる事態ではないことは確かだ。また、他国の情報が
即座に入手できるようになったが、知識として受容できても、文化のレベルでは
拒否反応を起こすという例はいくらでもある。
14.(
三井秀樹「メディアと芸術」より)