長文集  4月3週  ★「ことば」ということに関連して(感)  ya2-04-3
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2012/06/15 08:09:23
 【1】「ことば」ということに関連して、
しゃべるということを考えてみたいと思いま
す。ぼくは、自分のしゃべりかたにはひとつ
の特徴がある、と自分で思います。ぼくの両
親は九州の出身で、その両親に育てられた人
間として、当然のことながら九州の方言のイ
ントネーションが体にしみついてしまってい
るわけです。
 【2】最初、九州から東京に出てきて、東
京の人たちのかろやかなおしゃべりをきいた
耳には、自分のしゃべりかたがじつに不細工
で野暮ったく、不思議で野蛮なものに感じら
れて、一生懸命、勉強して自分のアクセント
をなおしたり、あるいは東京ふうのイントネ
ーションをまねして、少しでも洗練させよう
、などと考えた時代もありました。
 【3】しかし、あるときから、面倒くさい
ことばでいいますと、アイデンティティとい
いますか、自分がどこに属しているか、自分
の足がどこの大地を踏まえて立っているか、
自分がどこの人間であるか、などということ
を自分でしっかりと確認するのは非常に大事
なことで、【4】そのためには自分のしゃべ
りかたとか、ことばとか、そういうものが不
可欠の要素である、と考えるようになってき
たのです。
 生前の寺山修二も、ああ彼は津軽の人なん
だ、としみじみと思わせるようなしゃべりか
たをする人でしたが、【5】ぼくも九州にル
ーツを持つ人間であるということが、じつは
自分にとってとても大事なことなのではない
か、と考えるようになりました。
 「方言は国の手形」なんていう表現がむか
しはあったそうです。【6】むしろ、私たち
が付け焼き刃の共通語で、都会ふうのことば
で気のきいたことをぺらぺらとしゃべるより
も、 何千年にもわたってそこで営まれてき
た人間の生活をずっとしょいこんできている
自分の「ことば」を大切にしなければいけな
いのではないか。【7】自分の訛りのつよい
しゃべりかたは、恥ずかしいことは恥ずかし
いのですが、でもやっぱり、その人間の個性
として、矯(た)めたり曲げたりせずむしろ
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大事に残しておいたほうがいいのではない 
か、と考えるようになりました。
 【8】ぼくの両親は、父も母も両方とも師
範学校を出て、学校の教師をしていた人間な
のですが、敗戦後、外地から引き掲(あ)げ
てきたこともあって、遺産らしきものはなに
も残してもらえませんでした。べつに財産を
残してもらいたいなどという気持ちはさらさ
らないので∵すが、【9】でも、父母の思い
出になる形見の品のひとつぐらいは、と、と
きおり思うこともあります。(中略)
 ただ唯一、自分がしゃべっているときに、
ふっと、あ、そういえば、たしかに母はこん
なふうな物の言いかたをしていたな、父親は
こんなふうにしゃべっていたな、と感じるこ
とがあります。【0】
 たとえば、いまの日本語ではあまり区別を
しませんが、九州や西日本には「お」という
発音と「を」という発音をわりとはっきり区
別する習慣がありました。あるいは「かい」
と「くゎい」を区別して言ったりする。国会
(こっくわい)を開会(かいくわい)する、
なんて言います。学校を休む、の「を」と、
お父さん、の「お」とをはっきり区別する。
ぼくのなかにはいまでもそういうことばづか
いが残っていて、ときどき九州とか山口県な
どへ行ってそういうしゃべりかたをするご老
人にあったりすると、なんとはなしにほっと
なつかしい感じがしたりします。
 物事をできるだけシンプルにしていくこと
は、近代化を進めていく上で大事なことです
。しかし、日本語の音というものは、かつて
はもっと複雑で多様であった。そのことを考
えると、あまり合理主義ということだけを考
えて日本語をやせさせていくのはどうかな、
と思ったりすることもあります。
 いずれにしても、ぼくにとっては「ことば
」というものが父や母や、あるいはもっとも
っと前の自分の血のつながった人たちから、
ぼくに託された大切な宝物という気がしてな
りません。還暦をすぎると人間は子供に還る
といいますが、むかしふうのしゃべりかたが
少しずつ自分のなかで色濃くつよくよみがえ
ってくるのを最近は感じます。物の好みもそ
うですし、食べ物もそうです。
 そういうことをひっくるめて、自分が個人
として、ひとりで生きているということだけ
ではなくて、自分のなかにたくさんの人びと
の「命」が重なって存在している。百年とか
千年とか、あるいは三千年とか、そういう時
代から、この日本列島の一画に住み着いて、
∵そこで生活してきた人びとの、目に見えな
い記憶、あるいは息づかい、そういうものが
、ぼく自身の体のなかに伝わっている。こう
いうことを感じられるのは自分流の、地方性
のあることばを自分がまだ所有しているから
なのかもしれない、と思います。

(五木寛之『大河の一滴』による。 表記等
を改めたところがあ る)