長文集  8月2週  ★子供のころに道に(感)  yabi-08-2
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2012/06/15 08:09:23
 【1】子供のころに、道に迷わなかったの
は、どうしてでしょうか。逆説のようになり
ますが、むしろそれは地図を使わなかったか
らではないでしょうか。【2】子供にとって
道というのは、親や友だちに連れられて覚え
るもので、何回か歩いているうちに自然と身
につくものです。そうして覚えた道では、迷
うなどということがなく、自分の体の一部に
なっていたような気さえします。
 【3】最近の散歩コースで、その裏返しの
ような体験をしまし た。それは、ほとんど
毎日のように散歩するコースの一つで、決し
て迷うような道ではありません。ところが、
ある日、ほんの短い時間でしたが、ふと、自
分が今どこにいるのかわからなくなったこと
があったのです。【4】間もなく、「ああ、
ここか。」と、理解できましたが、この本を
既に書き始めていた時だったものですから、
いい材料だと思い、本気になって原因を探し
てみました。
 考えごとをしていて、上の空だったことも
あるのでしょう。【5】道を曲がった正面に
、そういえば工事中の家があったことを思い
出しました。しばらく、その辺りには来なか
ったため、その家が完成して見違えるように
なっていたことに気づかなかったのです。【
6】私は、散歩をしながら、そのコースの風
景や道筋といった情報を、無意識のうちに頭
の中にしまいこんでいたのでしょう。風景が
ちょっと変わってしまったことで、持ってい
た情報に混乱が生じ、定位できなくなってし
まったのだと思います。
 【7】そのとき私は、「ああ、動物の風景
による定位はこれだ な。」と思ったのです
。動物は地図を持たない代わりに、習慣によ
って獲得した目的地までの道筋や情報を、無
意識のうちに蓄積しており、その情報に忠実
に行動する限り、動物は迷いにくいというこ
とです。
 【8】目的地へ向かう際の先の見通しは、
日常的な無意識の習慣の奥に埋もれ、取り立
てて問題にすることがなければ、意識に上っ
てきません。このようなレベルの行動や意識
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は、動物も人間もそうは変わりがないのでは
ないでしょうか。【9】そして、それが動物
を迷いにくくしているシステムなら、どうも
私には、人間は、地図という文化をもったこ
とによって、かえって迷う可能性が高くなっ
たと思えてくるのです。
 【0】外から入ってくる情報は、どんなも
のでも言えることだと思いますが、正しく使
いこなしてこそ、その真価を発揮します。逆
に、自らの経験によって手に入れた情報は、
文字通り身についたもので、無意識のうちに
も行動につながっていくものです。∵
 人間は動物と違い、他人の行動の結果であ
る地理的な情報を地図として受け取り、いく
らでも利用できます。動物なら、無意識のう
ちにせよ、時間をかけて身につけていく地理
的な情報を、数百円と引き換えに手に入れる
ことができるのです。それだけで、どこへで
も移動が可能になるわけですが、しかしまた
、行動の可能性が増えるということは、それ
だけ道に迷う可能性にもつながってくるとも
言えるでしょう。
 それは、地図だけの話には限りません。目
的地に至る標識があれば、初めての道でも迷
わないで着くことができます。目的地まで次
々と現れるバス停や住居表示などの手掛かり
もまた、動物には利用できない、人間の地図
文化だといえるでしょう。そしてそれは、道
順マップ的に存在している、現実空間そのも
のに描き記された一分の一の地図だとも言え
ます。
 こうした、人間の作り出した情報は、行動
の助けになるものであると同時に、反面、使
い方がきちんと身についていない限り、逆の
結果につながる危険すらあるのです。

(山口裕一()「人はなぜ道に迷うか」によ
る)