長文 8.2週
1. 【1】子供のころに、道に迷わなかったのは、どうしてでしょうか。逆説のようになりますが、むしろそれは地図を使わなかったからではないでしょうか。【2】子供にとって道というのは、親や友だちに連れられて覚えるもので、何回か歩いているうちに自然と身につくものです。そうして覚えた道では、迷うなどということがなく、自分の体の一部になっていたような気さえします。
2. 【3】最近の散歩コースで、その裏返しのような体験をしました。それは、ほとんど毎日のように散歩するコースの一つで、決して迷うような道ではありません。ところが、ある日、ほんの短い時間でしたが、ふと、自分が今どこにいるのかわからなくなったことがあったのです。【4】間もなく、「ああ、ここか。」と、理解できましたが、この本を既にすで 書き始めていた時だったものですから、いい材料だと思い、本気になって原因を探してみました。
3. 考えごとをしていて、上の空だったこともあるのでしょう。【5】道を曲がった正面に、そういえば工事中の家があったことを思い出しました。しばらく、その辺りには来なかったため、その家が完成して見違えるみちが  ようになっていたことに気づかなかったのです。【6】私は、散歩をしながら、そのコースの風景や道筋といった情報を、無意識のうちに頭の中にしまいこんでいたのでしょう。風景がちょっと変わってしまったことで、持っていた情報に混乱が生じ、定位できなくなってしまったのだと思います。
4. 【7】そのとき私は、「ああ、動物の風景による定位はこれだな。」と思ったのです。動物は地図を持たない代わりに、習慣によって獲得かくとくした目的地までの道筋や情報を、無意識のうちに蓄積ちくせきしており、その情報に忠実に行動する限り、動物は迷いにくいということです。
5. 【8】目的地へ向かう際の先の見通しは、日常的な無意識の習慣のおく埋もれうず  、取り立てて問題にすることがなければ、意識に上ってきません。このようなレベルの行動や意識は、動物も人間もそうは変わりがないのではないでしょうか。【9】そして、それが動物を迷いにくくしているシステムなら、どうも私には、人間は、地図という文化をもったことによって、かえって迷う可能性が高くなったと思えてくるのです。
6. 【0】外から入ってくる情報は、どんなものでも言えることだと思いますが、正しく使いこなしてこそ、その真価を発揮します。逆に、自らの経験によって手に入れた情報は、文字通り身についたもので、無意識のうちにも行動につながっていくものです。∵
7. 人間は動物と違いちが 、他人の行動の結果である地理的な情報を地図として受け取り、いくらでも利用できます。動物なら、無意識のうちにせよ、時間をかけて身につけていく地理的な情報を、数百円と引き換えひ か に手に入れることができるのです。それだけで、どこへでも移動が可能になるわけですが、しかしまた、行動の可能性が増えるということは、それだけ道に迷う可能性にもつながってくるとも言えるでしょう。
8. それは、地図だけの話には限りません。目的地に至る標識があれば、初めての道でも迷わないで着くことができます。目的地まで次々と現れるバス停や住居表示などの手掛かりてが  もまた、動物には利用できない、人間の地図文化だといえるでしょう。そしてそれは、道順マップ的に存在している、現実空間そのものに描きえが 記された一分の一の地図だとも言えます。
9. こうした、人間の作り出した情報は、行動の助けになるものであると同時に、反面、使い方がきちんと身についていない限り、逆の結果につながる危険すらあるのです。

10.(山口裕一「人はなぜ道に迷うか」による)