長文 8.3週
1. 【1】数年前、私は西アフリカのナイジェリアの東北部べエヌ河の河畔かはんを一人の土地の盲人もうじんと二人で神話・昔話を採取して歩いていた。四十すぎの私と殆どほとん 同じ年と考えられる人であった。この盲人もうじんには実に色々な事を教わった。【2】そのうちの一つが次のようなことである。
2. る時、かれの手を引いて山道を歩いている時に、かれは「目あきのおごり」というのがあるのですよ、と語り始めた。
3. 目あきは、何でも見えるために、何でも解ると思っている。【3】ところが目あきが見ているのは眼の前に見えるものばかりでしょう。でも目あきが見ているものの中で目あきが記憶きおくにとどめるのは、その百万分の一にすぎないはずですよ。【4】そうでしょう、草の一本、一本、石ころのすべてを目あきは記憶きおくしますか。しないでしょう。
4. 私たち盲人もうじんは、一日単位では、目あきと較べるくら  とたしかに何も見てないに等しい。【5】しかし、明日・明後日と先に行くにつれて、私たちの方がよく見えるということに目あきは余り気がついていませんね。私たちはたしかに眼は見えません。しかしその代償だいしょうとして、心の眼を与えあた られています。【6】心の眼は耳・身体・足・鼻・その他諸々の器官を「見る」ために動員するのです。それに、これらすべてを融合ゆうごうして、「遠く」をみるために、周りのものに対する「優しさ」が加わらなければなりません。【7】暗闇くらやみは私達盲人もうじんにとって絶望的な試練を与えあた ますが、それはまた無限の優しさを曳きひ 出して来ることの出来る源泉です。目あきの人にはこうした暗闇くらやみ凝視ぎょうしすることは出来ません。【8】私たちは、「心の眼」を通して暗闇くらやみ彼方かなたから立ち現われる物を見ているのです。
5. この盲人もうじんは、昔話の絶妙ぜつみょうな語り手であった。かれの語る昔話は、人々のたましいをゆさぶる響きひび を帯びていた。【9】かれが語る時、昔話は、他の人間が語るのと同じ言葉で語られていても、それらの言葉は、周りの光景と融けと 合い、そうした事物の根に達し、世界を全く見なれない新しいものに変える力を持っていた。
6. 【0】森も原野も、動物達も樹々も、すべて、かれの言葉に吸い寄せら∵れて、かれが語る間の時間に融けと 込むこ かのようであった。かれが得意とした昔話は、気ままに生きることを信条としたために王様の座からずり落ちた滑稽こっけいな者の話であった。この男は、その気ままな境遇きょうぐうを利用して、天にも、水中にも、地上至るところ旅をして歩くというのがこのシリーズ連作の昔話の骨子である。
7. かれと生活を共にしているうちに、私にも何か見えて来るような気がして来た。神話というのは、これだなという実感が湧いわ て来た。それは神話学概論がいろんをいく冊読んでも書かれていない事柄ことがらであった。私達の生活の中で私達が、人間中心に、損得づくで使っている言葉も一見、荒唐無稽こうとうむけいな筋の中に投げ込まな こ れると、効用性を失ってしまう。損得づくで使っている言葉や、話の筋は、私達を他人や、私達をとりまく他の事物と表面的には結びつけるけれども、深い層でのつながりを断ち切ってしまう。(中略)
8. いうまでもなく、生態系には、荒唐無稽こうとうむけいなこと、ばかばかしいこと、無駄むだなことが満ち満ちている。それは神話・昔話と同じことである。しかしながら、ここ十数年の間に生態学者や、動物行動学者は、そうした一見無秩序むちつじょな関係の中には、調和して生きるために、自分の持っている原則を大胆だいたんに変える生物の叡知えいちが働いていることを見つけ出した。それは、人間が自らの文化の中に秘めかくして維持いじしつづけて来た、神話的「優しさ」とも言うべきものに見合うはずの生き方である。
9. 自然との調和こそ、我々人類が生存し続けるために避けるさ  ことの出来ない原則になった。

10.(山ロ昌男まさお仕掛けしか としての文化」)