長文集  9月4週  ○テレビやラジオに  yabi-09-4
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2014/06/09 09:51:53
 テレビやラジオにいわゆる教養番組が多く
なった。また、日本や諸外国の文物風土を紹
介し、現状を分析批判するような現地報告の
番組も多くなった。それらはそれぞれにおも
しろい。おもしろい以上に、ときにわれわれ
に疑問をなげかけてくる。ところで残念なが
ら電波ジャーナリズムというものは、疑問を
自分で考えてみたいから、一寸(ちょっと)
待ってくれ、といっても待ってくれない。電
波の機械的なテンポをもってさっさと歩み去
ってしまう。われわれは考えることはやめて
、眼や耳でついてゆかなければ前後の脈絡を
失ってしまう。
 十五分か三十分の番組が終わると、とっさ
にとんでもないコマーシャルが聞こえてきた
り、何の関係もない音楽になったりさては白
菜、トマトの百グラム当たりの今日の値段に
なったり、美容体操になったりする。見ると
もなく、聞くともなくそれらを見、聞きして
いるうちに、さきに疑問に思い、考えてみた
いと思ったことも、どこかに消えて、あとか
たもなくなってしまう。
 このことの人間に及ぼす影響はかなり大き
い。現代において、人間の生活、生涯が断片
化し、瞬間化し、昨日と今日、今年と来年と
の間の精神のつながりが稀薄になったことが
言われている。これにはいろいろな原因があ
ろう。たとえば仕事が分業化し、専門化し、
機械化して、人間の経験、過去の蓄積を不用
にするという傾向が強まってきているという
こともその原因のひとつであろう。さらにい
えば、その人の個性を必要としないのみか、
反(かえ)って個性を邪魔者とするような職
場、仕事が多くなってきた。機械の番人、ま
た追随者になることが要求せられる、という
こともある。経験も個性もいらないというこ
とは、人間から誰々でなければならぬという
ことを奪い、アノニムな存在、即ち誰でもか
まわない誰かですむということである。そう
いうことを長年にわたってやっておれば、人
間の断片化は当然に起こってくるだろう。
 精巧な機械や自動機械が多くなれば、人間
の労働時間を少なくしても、生産を増加する
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ことができるだろう。生産の合理化は、今日
ではそういう方向ですすめられている。一日
の労働時間が六時間になり、週五日制になる
ということも起こってくるだろう。当然に 
閑、休暇が多くなる。さてそのできた閑な時
間をラジオやテレビを∵聞き、見ることにあ
てるとすれば、それらは既にいったような性
格のものだから、前後の持続しない断片化に
拍車をかけるという結果になる。
 右のことは、現代という時代の必然的な傾
向だから、ある意味ではやむをえないことで
あるが、さてそれでいいのかと考えてみれば
それでは困るのである。やむをえないとして
も、いいとはいえないのである。ここに問題
がある。
 人間が断片化し、瞬間瞬間に生存する存在
に化するということ は、自己自身に対して
責任を負わなくなるということである。また
自分自身の一生、生涯というものをもたず、
年毎(としごと)に深まる年輪をもたないと
いうことである。夫婦、親子、師弟、友人の
間柄が、そのときどきの都合による結びつき
となって、持続する愛情も尊敬もなくなると
いうことである。これは人間にして人間らし
くない生き方、非行人間だと私は思う。過去
を負いながら未来を思い、現在において現在
を超えたもの、即ち人生や自分の存在の意味
を思い、その意味を認知することによろこび
を感じ、また現在の自己に不満を感じるとい
うことが、人間を他の動物から区別している
特質である。

(唐木順三「詩とデカダンス」)