長文 7.1週
1. 【1】「案ずるより産むがやすし」という言葉がある。あれこれ考えているよりも、まずやってみようということだ。行動によって新たに切り開かれていくものも多い。やってみないことには何も始まらないというのは確かに真理である。【2】「めくら
蛇におじず」ということわざもある。
蛇という知識がないために、
怖がらずに歩いていく。その結果、結局
蛇は行動の
妨げにならなかったということである。
2. 【3】このように考えると、知識は経験の障害になると言える。むしろ、知識がない方が話は進みやすい。
明治維新を担ったのは、地方の下級武士の若者たちだった。中央の権力の伝統という知識から自由であったために、
大胆に日本の未来図を
描けたのだ。【4】知識が
乏しかったことが日本の未来を切り開いたのだと言ってもいい。
3. しかし、その
明治維新を発展させたのは、
欧米に視察に行った若者たちの新しい知識でもあった。知識のなさは、混迷する事態を打ち破るエネルギーではあったが、新しい見取り図を作るには、そのための知識が必要だった。【5】そう考えると、知識にもまた重要な役割があることがわかる。
4. だから、問題は、経験か知識かということではない。経験も、知識も、物事を実現するためのひとつの方法である。【6】目的に
到達するための手段として経験と知識があるのだとしたら、大事なことはその手段ではなく目的の方である。「案ずるより産むがやすし」ということわざで問われているのは、どう産むかということではなく、何を産むかということなのである。
5.∵
6. 【7】
鬼退治に行った
桃太郎に従ったのは、犬と
猿と
雉だった。それぞれが
象徴しているものは、犬は忠節、
猿は
知恵、
雉は勇気だという説がある。だが、
肝心なのは従者ではなく
桃太郎自身である。【8】その
桃太郎が
象徴しているものこそ、
鬼退治という行動の目的である。確かに、目的だけでは物事は成就しない。それなりの手段や方法が必要である。しかし、目的が明確でありさえすれば、それに応じた手段は必ず現れるのである。
7. 【9】これを自分たちの人生に当てはめてみると次のようなことが言える。何かを勉強する場合、大事なのは、どういう勉強をするかという方法に対する知識である。そして、実際に勉強をするという行動である。どちらも同じように大切だ。【0】しかし、もっと大切なのは何のために勉強するのかという目的だ。その目的をまず確かなものにすることが最初にすべきことなのである。
8.(言葉の森長文作成委員会 Σ)
長文 7.2週
1. 【1】ただ、ひとつ留意しなくてはならない点がある。母親語ときわめて似ていながら非なるものとして、「赤ちゃんことば」という現象が広く
流布しているからなのだ。
2. 【2】赤ちゃんことばというのもまた、英語からの
翻訳で、原語はベビートークという。最近では
彼の地で映画のタイトルにもなり日本に
紹介されたので、母親語よりもはるかに知名度が高いことだろう。【3】例えば日本語文化
圏では、赤ちゃんは食べ物のことを指して「マンマ」と言うことが多い。そして、自動車は「ブーブー」、犬は「ワンワン」となる。【4】もっとも赤ちゃんは外的事物の区別にまだそれほど
長けていないので、ブーブーは動く人工物全体を、またヒト以外の動物すべてを指してワンワンで
総称することもしばしばである。
3. 【5】ところが、これら一群の単語は、おとなが赤ちゃんに向かって語りかける時にもまったく同じ要領で使用される。おかあさんは子どもに向かって、「ごはん食べる?」と聞くかわりに「マンマ食べる?」と
尋ねる。【6】あるいは道を走っている車を指さして、「ほら、ブーブーよ!」と教えている。同一の女性がほかの成人に対して「マンマ食べる?」とか「ブーブーよ!」と発言することはまず考えられないし、もし実際に起こったとしたら、相手はとても
奇異に受け取ることは疑い得ない。【7】それゆえ、おとなの使う赤ちゃんことばは明らかに赤ちゃんとの語りかけに際して特異的に用いられ、赤ちゃんの言語使用の次元におとなが同調することで、
双方の間の交流を
促そうとする努力の現われであるとみなすことができるだろう。
4. 【8】文化人類学者の川田順造氏によるとフランス語文化では、赤ちゃんことばはほとんど聞かれないのだという。【9】わずかに「ねんね」が「ドド」、「おっぱい」が「ロロ」、「おしっこ」が「ピピ」、「うんち」が「カカ」の四語とあといくつかが散見されるだけで、それ以外には赤ちゃんに対しても、おとなに対するのと大差ない言葉の用法を使用する。【0】ただそのフランスにおいてすら、母親語は歴然として存在する。確かにフランス人のおとなは、子どもに赤ちゃんことばを使うことはほとんどないかもしれないけれど、「小さな大人」に向けて、成人に対するのと変わらぬ語りかけを行∵う場合ですら、やはり口調の音は高くなり、また
抑揚は通常以上に
誇張されていくことが、明らかにされている。
5. そもそもフランスでは子ども中心の家庭生活を営みがちな日本語文化
圏とは、かなり著しい対照をなすことが多いようだ。たとえば日本では、夫婦でも、子どもができると
お互いに「おとうさん」「おかあさん」と呼び、孫が生まれると「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼び方を変えてしまう。自分の妻がなぜ「おばあちゃん」なのか、考えてみれば
奇妙な話であるはずなのに、親族内の一番下の世代からみた人間関係の
呼称形式にみんなが従順につきあう。日本に生活している限り、われわれはこれをごく当たり前のことと受け止めているけれども、実際は決して
普遍的にヒトの社会に見られるということではない。社会の中で子どもをどう位置づけるかという価値判断によって、赤ちゃんことばの発達の度合いは著しい多様性を示すことを、文化人類学の調査は教えてくれている。
6. 単純に結論づけると、赤ちゃんことばの現象は文化によって左右され、母親語は文化の
違いを問わず
普遍的である。両者は次元を別にしている。もちろん日本とフランスとの間で子どものしつけ方は
大幅に異なり、それぞれの文化
圏で育った子どものパーソナリティに
如実に反映されていくのだろう。赤ちゃんことばを採用した日本式のしつけ方は、当然、日本文化で育つ子どもの性格形成に大きな役割を果たしているに
違いない。
7.
8.(正高信男「〇
歳児がことばを
獲得するとき」による)
長文 7.3週
1. 【1】ユージーン(アメリカ、オレゴン州の町)は東京とちがって、街自体がそれほど大きくなく、生活のリズムがゆったりしているせいもあるだろう、見知らぬ人どうしでも、道ですれちがうと、「ハロー」とあいさつし、バス停に
車椅子の乗客がいれば、
乗り込むまであたりまえのように待っている。【2】ユージーンは、街のなかに障害者がいることで、人の流れが変わらない街だった。そして、障害者と自然にむきあう街だった。アパートを借りるとき管理人のバットさんは、家賃も
含めて
契約を説明したあとで、あなたが一人で住みやすいようにこちらで変えられるところは変えましょうと言った。【3】「障害者に理解を示す」というより、きわめてビジネスライクな対応だった。そこには、
車椅子の一人暮しは危険という無言のメッセージはなく、アパートを貸す者と借りる者の「大人」と「大人」の関係があった。【4】むろん、日本で私が「大人」
扱いされないわけではない。しかし
車椅子を
押す人が後ろにいるだけで、大人と子どものワンセットになってしまうこともある。
2. 【5】ところが、おもしろいことに、電動だと後ろに人がついていないから、セットにしようがない。いっしょに行く人がいても、その人は私の後ろではなく横を、並んで歩く。【6】このことは、私と人との関係を対等にする。このままかんたんに、電車やバスに乗れれば、その関係が
途切れることもない。【7】それは、送れないからバスで行ってと、相手がさらりと言えることであり、その日の仕事を終えて、また明日、とあいさつして、右と左にわかれることができる、あるいは、明日は何時にどこそこでと約束し、その時間にその場所へ一人で行って帰ってくることができる、ただそれだけのことだったりする。【8】しかし、そのことが、私をどれほど自由にするかを、ユージーンの風は教えた。それはまた、道に迷って
途方にくれることでも、人通りの絶えた暗い夜のバス停で、一人バスを待つ心細さを味わうことでも、電動のバッテリーが切れかけて、なんとかもってくれと念じながら、バス停からアパートまでの夜道を、こわごわ帰ることでもあった。
3. 【9】ついこのあいだ、イギリスの児童文学作家、ローズマリ・サトクリフの自伝、「思い出の青い
丘」を読んだ。【0】スティル氏病で歩行の自由を失った子ども時代から細密画家を経て、歴史小説の作家になるまで、つまりは、「ほかの子どもにはできるある種のことが自分にはできないことが、観念的にしか理解されていない」子ども∵の時期から、障害のもつ社会的な意味、自分とふつうの人々とを
隔てる微妙な
壁に気づき、それが人生に
与える影響、「
孤独」を知るまでが、語られている。
4.
彼女の青春時代は第二次大戦の終結を境にしている。ふつうの人々は健常者の男性が障害者の女性に本気で
恋をすることなど想像もできないこの時期に、
彼女は一つの
恋愛を経験する。両親は
娘が傷つくことだけを
恐れ、本人たちもまた無意識のうちに、
恋を「
恋」として直視するのを
回避する。
彼女は
別離に終わった
恋愛をふりかえり、もしそのころにいまのような、障害者も「ほかのだれかれと同じ感情的欲求」をもち、「それを実現する」こともできるという新しい見方に変化していれば、二人の関係は、変わっていただろうかと考える。そして、たとえ結果は同じだったにしても、たがいに自分の感情を外にだして、「自分たちの苦境に直面し、それを分かち合うことができていたらよかった」と記す。
5. 傷つこうが、自分の責任で「苦境に直面する」、それを
彼女は「傷つけられる権利」と呼んだ。このサトクリフの言葉に、訳者は「目からうろこが落ちる」思いをしたという。しかし私は逆に、障害者はずっと同じ一つのことを主張してきたのだと思った。障害を一つの属性としてもつ人間を、人間としてまっすぐに見ると。
彼女の言う権利を私なら、「経験を積み重ねてゆく自由を持つ権利」と呼ぶ。障害がこの自由をどれだけ
阻むかは、その時代のその社会が、障害者をどう位置づけ、そのなかで人と人との関係をどうつくっているかで決まる。ユージーンの風は、そのことも私に教えた。
6.(青海
恵子の文章による)
長文 7.4週
1.
杉野君は、洋反物株式会社
梶万商店の反物を、遠く地方の
呉服店に
卸し歩く出張員になったばかりの青年である。初めての出張は出足からうまくゆかず、さんざんな売り上げであった。そして、きょうの目的地はG町――。この旅の最後の日程である。
2. G町に着いたころはもう一尺先も見えぬ
吹雪であった。
鈴をつけた馬、がたがたの箱馬車、雪止めの新しい
莚、そんなものが雑然と並んでいる駅前で、
杉野君はぼう然と立ちつくしてしまった。土地の人々は自然に
柔順な人たちのみの持つ
敬虔さで、ただ
黙々と動いていた。
3.
杉野君はまるで
吹雪に
吹きこまれた人間のように、
近江呉服店へ転がりこんだ。店には
誰もいず、黒々と古風にくすんだ店構えがしんと静まりかえっていた。
囲炉裡に火が赤々と燃え、
鉄瓶からは白い湯気が暖かそうに立っていた。
杉野君は雪を
払いながら、何かほっと
安堵した気持ちになっていった。ふと顔を上げると、
奥の帳場に一人の少女が手に雑誌を持ったままこちらを向いてほほえんでいた。えくぼが白い花のように美しかった。
4.「あの、東京の
梶万でございますが。」
5.
杉野君ははっとして
お辞儀をした。少女も学校でするように
丁寧に頭を下げると、そのままばたばた
奥の方へ走って行った。
裾の短い着物の下にすっくりと
伸びた白い
脚、そうしておさげに結んだ赤いりぼんが、
蝶々のように
奥へ飛んで行った後を、
杉野君は夢のようにじっと見送っていた。
6.「ほうほう。それははあ。」
7. そこへ主人がそう言いながら、
煙草盆を提げて出てきた。
8.「ひどい雪ではあ。さあ寒い時は火のそばがいちばんす。」と、
炉辺にすわりながら、
煙管で
煙草を吸うのだった。
杉野君も
挨拶をしてすわった。
9.「こうぞ、こうぞ。」
10. 主人は
突然大声で
小僧を呼び、
11.「座布団こさ持ってこ。」と命じるのだった。
杉野君は
囲炉裡にこ∵ころもち手をさしだしながら、まぶたのなぜか熱くなるのを覚えた。
12.「ここへは初めてだべ。この雪こはあ
驚きなすっただべのう。」
13.「何もかも初めてでして。」
14.
杉野君は
訴えるように、種々の思いをこめてそう言った。
15.「ほうほう。よく来なすった。」
16. そこへ先刻の少女がにこにこ笑いながら、お茶を持ってきた。
17.「これが
娘っ子ではあ、道ちゃ、
お辞儀はあしなすったべのう。」
18. 少女はくくっと笑ったまま、またぱたぱたと
奥へ走って行ってしまった。白い額、黒々としたつぶらな
瞳、そうしてまた白い花のようなえくぼだった。
杉野君は自分までが何かにこにこと今は心楽しかった。
19.「ひとつうんとやってください。」と元気よく言い、例のようにまずモスの見本を開いた。
20.「ほう。この
朱ははあよくできたっす。」
21. 主人は見本を手にすると、いきなりさも感じ入ったように
呟いた。
22.(
外村繁「
鵜の物語」)
長文 8.1週
1. 【1】「食べられる」か「食べれる」か。「見られる」か「見れる」か。後者の用法は許されるか否か。あるいは、そんなことを公に議論すること自体、有益かどうか。
2. いわゆる「ら
抜き言葉」に関心が集まっている。
3. 【2】「どうして『ら
抜き言葉』ばかり
騒がれるのか」。中間報告をまとめた第二十期国語
審議会の多くの委員は、不満げに語る。この二年間、多方面にわたる議論をしてきたのに、世間の受け止め方は、まるで「ら
抜き言葉」しか取り上げてこなかったようだ、という不満である。
4. 【3】確かに報告は、敬語、方言問題から情報化をめぐるさまざまな問題、国際社会への対応など
多岐にわたっている。ワープロと字体の関係なども
焦眉の課題の一つだ。しかし、「ら
抜き言葉」だけが際立って注目されてしまった。
5. 【4】こうした関心の
偏りも
含めて「ら
抜き言葉」をめぐる落差と断絶自体が、国語問題の現状を反映していると見ることもできる。その意味で、これを国語
審議会の役割を考えるきっかけにできるし、再考する
契機にもできよう。
6. 【5】まず世代間の断絶が背景にある。若者の造語に旧世代はついていけない。同世代にしか通用しない
隠語がまかり通っている。最近その断絶は深まるばかりだ。
7. 【6】「ぱんぴー」は
普通の人。つまり、
一般ピープルの略。「アンビリ」は英単語の略で「信じられない」と、若者言葉は日本語の境界さえ
飛び越えていく。従来の尺度を
超えた変容が進む。この現状をどう考えたらいいのか。
8. 【7】もともと地域による
違いもある。「ら
抜き言葉」が
普通に使われている地域もある。方言の豊かさを尊重すると一方でいいながら、他方で、共通語の基準をたてに「認知しかねる」と断じられることに対する反発もあろう。
9. 【8】官民の意識の落差もある。世間で使われる言葉に「お上」が口を出すのはおかしい。そもそも政治家、
官僚がまず美しく正確な日本語を学び、つかうべきだ。そうした発想からの反発もある。∵
10. 【9】根本には、言語観の
違いも横たわっている。そもそも言葉は変化していくもの、流れにまかせれば、自然に
淘汰されるだろう、という考え方に対して、美しい言語が文化の
基礎であり、何らかの
規範でもって
維持していく必要がある、との考え方もある。
11. 【0】それはそれで結構なことだ。今回の国語
審議会の報告は、あくまで議論の材料と考えたらいい。報告にもあるように、
言葉遣いについて
審議会は「ゆるやかな目安、よりどころ」を示すにとどまるべきだ、という立場をとっている。
12.
審議会の役割も変わってきた。当用漢字や常用漢字を決めるなど国語政策の
中核を
占めていた時代からは
様変わりしている。そうした規制を
緩める方向に向いているというだけでなく、
影響力自体も弱める方向に向かっている。当然のことだろう。
13. それは、逆にいえば、教育、マスコミその他それぞれの現場で、自分たちの言葉を考えていかなければならない、ということだ。時代の変わり目で、私たちの言葉をどうしていくか、各自が考えていく必要があるということだ。
14. その原点に
戻って
幅広い分野で論議を重ねることにしよう。
15.(朝日新聞社説による。表記等を改めたところがある)
長文 8.2週
1. 【1】子供のころに、道に迷わなかったのは、どうしてでしょうか。逆説のようになりますが、むしろそれは地図を使わなかったからではないでしょうか。【2】子供にとって道というのは、親や友だちに連れられて覚えるもので、何回か歩いているうちに自然と身につくものです。そうして覚えた道では、迷うなどということがなく、自分の体の一部になっていたような気さえします。
2. 【3】最近の散歩コースで、その裏返しのような体験をしました。それは、ほとんど毎日のように散歩するコースの一つで、決して迷うような道ではありません。ところが、ある日、ほんの短い時間でしたが、ふと、自分が今どこにいるのかわからなくなったことがあったのです。【4】間もなく、「ああ、ここか。」と、理解できましたが、この本を
既に書き始めていた時だったものですから、いい材料だと思い、本気になって原因を探してみました。
3. 考えごとをしていて、上の空だったこともあるのでしょう。【5】道を曲がった正面に、そういえば工事中の家があったことを思い出しました。しばらく、その辺りには来なかったため、その家が完成して
見違えるようになっていたことに気づかなかったのです。【6】私は、散歩をしながら、そのコースの風景や道筋といった情報を、無意識のうちに頭の中にしまいこんでいたのでしょう。風景がちょっと変わってしまったことで、持っていた情報に混乱が生じ、定位できなくなってしまったのだと思います。
4. 【7】そのとき私は、「ああ、動物の風景による定位はこれだな。」と思ったのです。動物は地図を持たない代わりに、習慣によって
獲得した目的地までの道筋や情報を、無意識のうちに
蓄積しており、その情報に忠実に行動する限り、動物は迷いにくいということです。
5. 【8】目的地へ向かう際の先の見通しは、日常的な無意識の習慣の
奥に
埋もれ、取り立てて問題にすることがなければ、意識に上ってきません。このようなレベルの行動や意識は、動物も人間もそうは変わりがないのではないでしょうか。【9】そして、それが動物を迷いにくくしているシステムなら、どうも私には、人間は、地図という文化をもったことによって、かえって迷う可能性が高くなったと思えてくるのです。
6. 【0】外から入ってくる情報は、どんなものでも言えることだと思いますが、正しく使いこなしてこそ、その真価を発揮します。逆に、自らの経験によって手に入れた情報は、文字通り身についたもので、無意識のうちにも行動につながっていくものです。∵
7. 人間は動物と
違い、他人の行動の結果である地理的な情報を地図として受け取り、いくらでも利用できます。動物なら、無意識のうちにせよ、時間をかけて身につけていく地理的な情報を、数百円と
引き換えに手に入れることができるのです。それだけで、どこへでも移動が可能になるわけですが、しかしまた、行動の可能性が増えるということは、それだけ道に迷う可能性にもつながってくるとも言えるでしょう。
8. それは、地図だけの話には限りません。目的地に至る標識があれば、初めての道でも迷わないで着くことができます。目的地まで次々と現れるバス停や住居表示などの
手掛かりもまた、動物には利用できない、人間の地図文化だといえるでしょう。そしてそれは、道順マップ的に存在している、現実空間そのものに
描き記された一分の一の地図だとも言えます。
9. こうした、人間の作り出した情報は、行動の助けになるものであると同時に、反面、使い方がきちんと身についていない限り、逆の結果につながる危険すらあるのです。
10.(山口
裕一「人はなぜ道に迷うか」による)
長文 8.3週
1. 【1】数年前、私は西アフリカのナイジェリアの東北部べエヌ河の
河畔を一人の土地の
盲人と二人で神話・昔話を採取して歩いていた。四十すぎの私と
殆ど同じ年と考えられる人であった。この
盲人には実に色々な事を教わった。【2】そのうちの一つが次のようなことである。
2.
或る時、
彼の手を引いて山道を歩いている時に、
彼は「目あきのおごり」というのがあるのですよ、と語り始めた。
3. 目あきは、何でも見えるために、何でも解ると思っている。【3】ところが目あきが見ているのは眼の前に見えるものばかりでしょう。でも目あきが見ているものの中で目あきが
記憶にとどめるのは、その百万分の一にすぎない
筈ですよ。【4】そうでしょう、草の一本、一本、石ころのすべてを目あきは
記憶しますか。しないでしょう。
4. 私たち
盲人は、一日単位では、目あきと
較べるとたしかに何も見てないに等しい。【5】しかし、明日・明後日と先に行くにつれて、私たちの方がよく見えるということに目あきは余り気がついていませんね。私たちはたしかに眼は見えません。しかしその
代償として、心の眼を
与えられています。【6】心の眼は耳・身体・足・鼻・その他諸々の器官を「見る」ために動員するのです。それに、これらすべてを
融合して、「遠く」をみるために、周りのものに対する「優しさ」が加わらなければなりません。【7】
暗闇は私達
盲人にとって絶望的な試練を
与えますが、それは
又無限の優しさを
曳き出して来ることの出来る源泉です。目あきの人にはこうした
暗闇を
凝視することは出来ません。【8】私たちは、「心の眼」を通して
暗闇の
彼方から立ち現われる物を見ているのです。
5. この
盲人は、昔話の
絶妙な語り手であった。
彼の語る昔話は、人々の
魂をゆさぶる
響きを帯びていた。【9】
彼が語る時、昔話は、他の人間が語るのと同じ言葉で語られていても、それらの言葉は、周りの光景と
融け合い、そうした事物の根に達し、世界を全く見なれない新しいものに変える力を持っていた。
6. 【0】森も原野も、動物達も樹々も、すべて、
彼の言葉に吸い寄せら∵れて、
彼が語る間の時間に
融け込むかのようであった。
彼が得意とした昔話は、気ままに生きることを信条としたために王様の座からずり落ちた
滑稽な者の話であった。この男は、その気ままな
境遇を利用して、天にも、水中にも、地上至るところ旅をして歩くというのがこのシリーズ連作の昔話の骨子である。
7.
彼と生活を共にしているうちに、私にも何か見えて来るような気がして来た。神話というのは、これだなという実感が
湧いて来た。それは神話学
概論をいく冊読んでも書かれていない
事柄であった。私達の生活の中で私達が、人間中心に、損得づくで使っている言葉も一見、
荒唐無稽な筋の中に
投げ込まれると、効用性を失ってしまう。損得づくで使っている言葉や、話の筋は、私達を他人や、私達をとりまく他の事物と表面的には結びつけるけれども、深い層でのつながりを断ち切ってしまう。(中略)
8. いうまでもなく、生態系には、
荒唐無稽なこと、ばかばかしいこと、
無駄なことが満ち満ちている。それは神話・昔話と同じことである。しかしながら、ここ十数年の間に生態学者や、動物行動学者は、そうした一見
無秩序な関係の中には、調和して生きるために、自分の持っている原則を
大胆に変える生物の
叡知が働いていることを見つけ出した。それは、人間が自らの文化の中に秘め
匿して
維持しつづけて来た、神話的「優しさ」とも言うべきものに見合う
筈の生き方である。
9. 自然との調和こそ、我々人類が生存し続けるために
避けることの出来ない原則になった。
10.(山ロ
昌男「
仕掛けとしての文化」)
長文 8.4週
1. この文章の著者は、幼いころ、父の言いつけを破って、ひどくしかられたことが三度あったという。一度目は、外国人を
もの珍しそうにじろじろ見るなという言いつけを破った時、二度目は、家の人にことわりもなしによその家に行ってはいけないという言いつけを破ったとき、そして、三度目が次の文章である。
2. もう一度は、大腸カタルを病んだ病み上がりに、「こりゃあ
道ちゃん、とってもわるいんだ。おいしそうに見えるけどね、これを食べるとせっかくよくなったのにさ、またおなか痛くなるよ。
道ちゃんは痛くて苦しむし、パパとママは心配して
寝られないし。だから食べるんじゃないよ。」
3.と、かたく言われたその梅の木の実の青いのを、これまた
色彩のつややかな美しさにほだされて、つい取って食べたときだ。運わるく、梅の木は、
彼が
執筆する
書斎の真正面に植えられていた。
4.「パパがかいていらっしゃるときは
邪魔するんじゃなくってよ。パパは一生けんめいだからね。」
5.と母はつねづね言っていたし、実際、一生けんめいに書くときの父がどんなに他のことに対してうわのそらになるかを、私自身、たしかめて知っていたから、梅の実を取るのも見られまいと、たかをくくったのである。
6. ところが、
彼はちゃんと見ていた。今にして思えば、私の計算不足というもので、まっ赤なメリンスがちらちら動けば、いくら一生けんめい書いていても、視界にはそれが入るはずであった。
7. 青い小さな球が口の中で、酸っぱいほろにがさをキュッと
押し出したそのとたん、ガラリと開いたガラス戸の向こうから、
8. 「ばか! 何をする!」
9.
雷がおちたかと思われる音声に、私はだらしなく
尻餅をついた。
彼はなかなかのスポーツマンで、水泳は教師
免許を持っていたし、学生時代は「
早稲田を負かした」ピッチャーだった。だから走るのもたいへん速かった。あっと言うまに、
逃げる間もあらばこそ、
彼ははだしで飛んで来て、私の口に乱暴に手を
突っ込むと青梅の実をひきずり出した。それから茶の間の方をむいて、「ママ! ママ!」と
叫んだ。
10.「ひまし油!」∵
11. ひまし油が、
拒もうとする歯と歯の間に
流し込まれて、その
臭さに
吐きそうになっている私は、
容赦なくひきずられて、納戸の戸だなに
押しこめられた。
12.「あれだけ言ってわからんやつは――座ってろ。」
13. いつもならひまし油の「お口なおし」のドロップが
与えられるはずだった。しかしその日はドロップはいくら待っても来なかった。ぬるぬると、いくら
唾をのんでも舌にまつわってはなれない油に
辟易しながら、私は何となくカビ
臭い戸だなの中に座っていた。ネズミ、出て来やしないかしら、お化け、いないかしら……
14. 三度とも、考えてみれば約束
違反であった。
15.「わかったね。」
16.「うん。」
17.「どう、わかった? 言ってごらん。」
18. そんなやりとりのあとで、約束
違反したのだから、まあしかたないと、私はらちもなく
悔いながら、しかし不思議にも何かせいせいしたさっぱりとした感じを心のどこかで味わいながら、
罰を受けた。
19. あのせいせいした感じは、いま、
分析してみれば、「罪」への正当な「
贖い」の機会を
与えられた者の味わう一種の
安堵感でもあったろうか。その三度の
罰のとき、
彼が意外に見せつけた
権威はまた、私の幼く
漠とした世界に、ひとつのはっきりした線を引いて見せたとも言える。
20.「ここまで。ここから先はまだ。」
21. その線は、子供心に
信頼感を植えつけた。安心感をも植えつけた。
22.広がりすぎる自由は不安なものである。
渺とはてしない、
枠なき世界は自由の世界とは異なる。
23.「よし、立ってろ。」
24. その言葉と
罰とが私に、自由というもののほんとうの意味を教えたのではなかったかしらと、今になって思うときがある。
25.(犬養道子「
白樺派文士としての犬養健」)
長文 9.1週
1. 【1】視覚系は、光を
介して物の形を認知する。形は
触ってもわかるから、視覚だけが形の担い手ではない。さらに、
聴覚も形の認識にまったく無関係とはいえない。コウモリは、自分の出す
超音波を利用して
餌の虫を
捕らえ、障害物を
避ける。【2】そのためには相手の位置や大きさ、広がりを「耳で見ている」はずである。
2. ところで形はどこにあるのだろうか。形は物の方にある。すなわち形は物の属性だという。もちろんそうに
違いない。「無いもの」は、どうやっても「見えない」。【3】見なくても、
触ってみれば、あるていど形がわかる。それは、ものが本来、形を持つからである。
3. もう一つの見方では、形は頭の中にある。目がなかったら、物は見えない。その目は脳に
連絡している。【4】たしかに、
触ってみれば物の形もあるていどわかるが、大きな物体を
撫でてもとても「一目」ではわからない。形を知るには、
触覚刺激がいったん脳に入り、それを使って脳があらためて形を構成する。【5】目だって同じである。物が好んで形を作っているわけではない。われわれの頭が、形と
称するものを、相手に
押し付けている。
4. さて、この二つのどちらが正しいか。それは、考えてもムダらしい。【6】どちらが正しいかというのは、じつは質問が悪い。答えが出ないように、問題が立ててある。形については、右の二つの面、つまり自分と相手とをともに
考慮する必要があるから、話が
面倒になるのである。
5. 【7】目はたいへん有効な感覚器だが、あまりに有効なので、有効でない点に、あんがい気づかないことがある。たとえば、物の大きさがわからない。
6. そんなことはない。大きい小さいは見ればわかる。【8】そう言うかもしれないが、それは相対的な大小である。
顕微鏡で見たものの大きさは、倍率を知らないかぎりわからない。見たこともないものが、宇宙空間にポッカリ
浮いていたら、
誰でも寸法がわからない。【9】月と太陽が、同じような大きさだと昔の人は思っていたであろうが、実際の寸法はとんでもなく
違う。
7. 大きさを知るという、はなはだ単純なことができないので、人の世ではモノサシを売っているのである。【0】あんな簡単な器具はな∵い。それでも、たいへん便利なものである。なぜそれほど便利かといえば、視覚系だけにまかせておくと、大きさの絶対値がわからないからである。
8. それを
幾何学に
持ち込むと、比例あるいは相似になる。相似というのは、形は同じだが、絶対的な大きさはどうでもいい。それはまさしく、視覚系の性質である。
幾何学のように形を
扱う数学が、視覚系の性質を持つというのは、たとえばこういうことである。
9. では、なぜ形が同じなら、大きさはどうでもいいのか。それは目の構造を考えればわかる。目はカメラと同じようにできている。レンズを通った光は
網膜に像を結ぶ。その後の大きさは、見ている物体の
距離が遠ければ小さくなり、近ければ大きくなる。生物は年中動きまわるから、そういうことは絶えず起こる。だからといって、それをいちいち「
違うもの」と考えては具合が悪い。
10. ライオンがネズミの大きさに見えたところで、ライオンはライオンである。ネズミだと考えていれば、目の前に来たときに、はじめてライオンではないかと気づく。それではライオンに食われてしまう。だから、そういう生物はできたとしても、いまはいない。つまり、視覚系は、その中に絶対座標を
持ち込むようには、進化してこなかった。あえてそれをすれば、ずいぶん正確な目ができたかもしれないが、いちいち座標を定めるために計算量が
膨大になり、いきなり大きな脳を作らなければならなかったかもしれない。
11. 逆に、われわれが「比例」とか「相似」を考えることができるのは、本来、視覚系にそういう性質が存在するからであろう。目の
網膜は、発生的、構造的には、じつは脳の延長であり、相似とは、脳の一部がやっていることを、脳のどこかの部分がよく知っている、ということかもしれないのである。
長文 9.2週
1. 【1】自分で判断し決断し行動する。簡単なようにみえて、じつはとてもむずかしい。われわれでも、ときとして判断に困り、大勢の意見に
依存してしまうことも少なくない。しかも、そうしたほうが楽であることも、また事実である。【2】その判断が、かりにまちがっていても、自分自身に責任があるわけではない。まして、その責任を追求されることはない。その意味でも、自分自身で判断するより、はるかに気楽である。
2. 【3】したがって、主体的に判断して、行動したいという欲求をのぞけば、ともすれば他人や集団に
依存して行動してしまいがちになる。おとなでもこんなことがよくあるとすれば、いまだ判断力に欠ける子どもたちの場合、どうしても他人
依存になってしまう。【4】しかし、われわれが社会生活を送っていく以上、自分で考え、自分自身で判断しなければならないことは当然のことであり、ときには厳しい決断を
迫られることも少なくない。
3. それなくして、
一般的な社会生活を送ることすら困難といっても過言ではない。【5】ところが、先ほども述べたように、こんな当然のことがなかなかできない。したがって、よほど意識的に教育していかなければ、他人
依存になってしまう。【6】ところが、子どもたちを取りまく最近の教育
状況は、これに逆行していることが少なくない。そのせいか、自分で判断できない、自己決定できない、したがって自分自身の指針をもたないまま行動してしまう子どもが多いという。
4. 【7】つまり、他人
依存であり、集団
依存であり、
状況に支配されやすいといった
傾向である。いや、他人
依存や集団
依存ならまだしも、自分がどう行動すればよいのか「指示」されるのをひたすら求め、その「指示」どおりにしか行動できない。【8】しかも、求めている「指示」は
漠然としたものではない。ことこまかな行動指針でないと、かえって混乱してしまう。まさに、「指示まち」であり、「マニュアル願望」である。【9】その意味では、もはや自分で判断できない、決断できないといった問題ではない。
優柔不断といったレヴェルではなく、自分自身の判断や決断を、最初から
放棄しているといってもよい。
5. こんな状態であっても、子どもの場合であれば、まだ可能性はあ∵る。【0】しかし、このことは、大学生にもそのまま当てはまる。あるいは、新卒の社会人も同じかもしれない。「指示」しなければ、「マニュアル」を
与えなければ、なにもできない。最近、よく耳にする言葉である。うちの学生をみていても、このことはよく感じる。たとえば、「レポートのテーマは自由」というと、明らかに
困惑している。
6. このことを研究室の学生にきいてみても、テーマは自由というのはかえって困る。なにかテーマがあったほうが書きやすいという。たしかにそうかもしれないが、それより自分でテーマをみつけるということが苦手らしい。事実、なんらかの課題を
与えれば、かれらはそれなりの仕事をする。ひょっとしたら、「テーマが自由」の場合、レポートを書いている時間より、テーマを探している時間のほうが長いのかもしれない。
7. むろん、こうしたことはレポートのテーマだけではない。一事が万事こうした状態である。そして、いまの学生はたんなる「指示」を求めているのではなく、「テーマ化された指示」を求めていることもまちがいない。つまり、かれらは自分で考え、判断し、決断するといった作業に慣れていないといってよい。
8.(
秦政春の文章による )
長文 9.3週
1. 【1】文化ということを、ここでは日常の生活にあらわれている面から考えていって、ヨーロッパと日本のそれを比べてみると、最初に思いうかぶのは、次のことである。【2】私が一年余ドイツに
滞在して受けた印象からいうと、先方の長所も短所も、
一般の人々における市民意識の
堅固さに関係するのであった。【3】今世紀にいたって
崩壊したといわれる市民生活、ないし市民意識は、むかしにくらべればすき間風だらけなのであろうが、外来者の私たちにとっては、それが今なおあらゆる人の生活の強い背骨をなしていることにおどろかされるのである。【4】職業、地位、階級等の別なしに、人間は市民としてたがいに対等の存在である。で、各人はそういうものとして自己を
把握しているから、個人としてのそのありかたが独立的で、強くたのもしい。そして社会はこういう人たちの寄り合い、約束の場である。
2. 【5】日本の生活意識においては、このことは、一部の人たちに
概念的にうけとられているほかは、いまなお全く欠けているのである。それは敗戦後十年間のデモクラシーの談義だけで、樹立されうるようなやさしいものではない。【6】で、これをどういう方向へもっていくようにしたらいいかということになれば、方法や手順においては、種々の考え方があろうが、
到達点としては、すべてが強い対等の人格となることが目標だと、私はいまなお考えるのである。【7】このことをないがしろにしては、社会は外観的に整備されても、内実は
浮動をくりかえすだけだと思う。この目標は、人間生活がいかに集団的になっても、不動でなければなるまい。【8】このことが、こんにち、また将来の日本の文化を考えるときの筆者の第一のたてまえである。
3. 前述のヨーロッパの長所は、同時に短所をともなっている。つよい市民意識は、非常にしばしば、せまくるしい、自己満足的な、そして利己的なにおいを発散させる。【9】ひとの生活に無用に
干渉しないかわりに、自分さえよければいいという態度が、ほのみえる。社会において一個の存在として通るということだけに最終の目的があるかのように、外的な立派さのかげに、
空虚がのぞいている。【0】少し
飛躍的に言えば、それは愛にとぼしい生活である。近代、現代の詩人や思想家の多くは、この点につまずきを感じて、
痛烈な
反抗の声をあげたのである。このことは、私がとくにドイツに多く
滞在∵したから、感じたのかもしれない。中央集権的国家形態を十九世紀の後年にいたるまで欠いて、その後も、地方主義、
割拠主義を
特徴としてきたこの国のありかたが、各人に、せまい
殻のなかの
安穏着実な生活を立てることを第一義とさせ、これが、ドイツは市民的なヨーロッパのなかでも、もっとも市民的な国だと、よくいわれる主な原因になったのかもしれない。だが、私の感じたところでは、程度の差こそあれ、また
殻の大小の
違いはあれ、今もヨーロッパはおしなべてどこも市民的なのであって、したがって、
一般に、何ほどか、せまくるしくて、自己満足的で、愛にとぼしいのである。
4. 現代の日本人が、やがて自立的な個人のありかたという
彼らの文化の長所を身につけるときがあるにせよ、この短所までもいっしょに取り入れるのではつまらない。それでは創造の活力は
湧きあがってこない。しかし長所と短所を
分離して取り入れるということは、おそらく不可能ではないか。それについて私の予感するところはこうである。ヨーロッパ的市民性を模型として、個人の強力な自己
把握をめざすなら、おそらく前述した長所・短所の
分離的
摂取は不可能である。しかしそれではいけない。人格の確立ということは、他人の模型を追うのでなく、現代日本人が、現在における自分自身の生活の
基盤から、自力をもって追求していかねばならない。とすれば、これは、たいへんな仕事である。統制的な
押売的な手段は、いかなるものでも、
事柄を根本的にこわす。すべては、日本人自身の内部からの力が
湧いて、なされねばならぬのである。
長文 9.4週
1. テレビやラジオにいわゆる教養番組が多くなった。また、日本や諸外国の文物風土を
紹介し、現状を
分析批判するような現地報告の番組も多くなった。それらはそれぞれにおもしろい。おもしろい以上に、ときにわれわれに疑問をなげかけてくる。ところで残念ながら電波ジャーナリズムというものは、疑問を自分で考えてみたいから、
一寸待ってくれ、といっても待ってくれない。電波の機械的なテンポをもってさっさと歩み去ってしまう。われわれは考えることはやめて、眼や耳でついてゆかなければ前後の
脈絡を失ってしまう。
2. 十五分か三十分の番組が終わると、とっさにとんでもないコマーシャルが聞こえてきたり、何の関係もない音楽になったりさては白菜、トマトの百グラム当たりの今日の値段になったり、美容体操になったりする。見るともなく、聞くともなくそれらを見、聞きしているうちに、さきに疑問に思い、考えてみたいと思ったことも、どこかに消えて、あとかたもなくなってしまう。
3. このことの人間に
及ぼす影響はかなり大きい。現代において、人間の生活、
生涯が断片化し、
瞬間化し、昨日と今日、今年と来年との間の精神のつながりが
稀薄になったことが言われている。これにはいろいろな原因があろう。たとえば仕事が分業化し、専門化し、機械化して、人間の経験、過去の
蓄積を不用にするという
傾向が強まってきているということもその原因のひとつであろう。さらにいえば、その人の個性を必要としないのみか、
反って個性を
邪魔者とするような職場、仕事が多くなってきた。機械の番人、また
追随者になることが要求せられる、ということもある。経験も個性もいらないということは、人間から
誰々でなければならぬということを
奪い、アノニムな存在、
即ち誰でもかまわない
誰かですむということである。そういうことを長年にわたってやっておれば、人間の断片化は当然に起こってくるだろう。
4.
精巧な機械や自動機械が多くなれば、人間の労働時間を少なくしても、生産を増加することができるだろう。生産の合理化は、今日ではそういう方向ですすめられている。一日の労働時間が六時間になり、週五日制になるということも起こってくるだろう。当然に
閑、
休暇が多くなる。さてそのできた
閑な時間をラジオやテレビを∵聞き、見ることにあてるとすれば、それらは
既にいったような性格のものだから、前後の持続しない断片化に
拍車をかけるという結果になる。
5. 右のことは、現代という時代の必然的な
傾向だから、ある意味ではやむをえないことであるが、さてそれでいいのかと考えてみればそれでは困るのである。やむをえないとしても、いいとはいえないのである。ここに問題がある。
6. 人間が断片化し、
瞬間瞬間に生存する存在に化するということは、自己自身に対して責任を負わなくなるということである。また自分自身の一生、
生涯というものをもたず、
年毎に深まる年輪をもたないということである。夫婦、親子、師弟、友人の
間柄が、そのときどきの都合による結びつきとなって、持続する愛情も尊敬もなくなるということである。これは人間にして人間らしくない生き方、非行人間だと私は思う。過去を負いながら未来を思い、現在において現在を
超えたもの、
即ち人生や自分の存在の意味を思い、その意味を認知することによろこびを感じ、また現在の自己に不満を感じるということが、人間を他の動物から区別している特質である。
7.(
唐木順三「詩とデカダンス」)