ユーカリ の山 10 月 2 週
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○自由な題名
○風

○Many years ago 英文のみのページ(翻訳用)
Many years ago the people of a town in South America had a big problem. Their cats were dying, and no one knew the reason. Not long before, every house had its own cat--sometimes even two or three. They killed the mice that came into the town from the forests, but suddenly the cats were dying. It was very strange. First the cats began to shake all over. Then they stopped eating, and after a few days they died. The people didn't know why so many cats were dying.
Like other areas in the country, many insect pests were found in this town. These pests often carry dangerous diseases. But at that time there were no insect problems in the town, because people were using a new poison called DDT to kill insects. They thought DDT was a very useful poison. It did a good job of killing insects. Several times a year they spread DDT in every house in the town, so they thought that the diseases carried by insects were not killing the cats.
Soon a strange thing began happening in the town. The cats were dying, and a lot of mice appeared in the town. Then some of the people suddenly became very ill. The doctors discovered that it was a disease called black typhus. The doctors knew the mice were carrying black typhus. So people caught all the mice they found and killed them. After that black typhus disappeared from the town.
Did the cats also die because of black typhus? The doctors did not think so, because they found that cats didn't have black typhus.
A team of doctors came to the town and began to study why the cats were dying. One of the doctors in the town still had a few dead cats' bodies. At last they found there was enough DDT in the cats' bodies to kill them. The DDT spread in the house went into the cats and killed them.
Now the doctors knew everything: At first the mice couldn't come into the town because many cats lived there. Then DDT was spread in the town to kill insects, and the cats began to die. After all the cats were dead, there was nothing to keep the mice out of the town. Hundreds of mice came into the town. The black typhus disease the mice carried was spread through the town's food and water. Soon the people became ill and died.
The scientists invented a wonderful poison that killed insect pests. But these scientists forgot that everything in this world is connected. The poison that kills insect pests also kills cats, birds and fish. By solving one problem, people sometimes create new and more dangerous problems.

★何でもよく知っていて(感)
 【1】何でもよく知っていて、次から次へと、どんな問題についても、よく話をする人がいる。じっと聞いていると、話している内容は、ほとんどが新聞や雑誌に出ていたこと、あるいはテレビで誰かが話していたこと、つまり「情報」なのである。【2】それを右から左へと流しているだけのことだ。話のある部分について、疑問点を確かめたいと思って詳しく聞くと、はっきりした「知識」を持っているわけではないから答えられない。【3】しかも、「情報」をほとんど受け売りしているだけで、その中身を自分の考えによって吟味していないから、どんな話をしてもその人の人生経験に照らした上での「知恵」になっていない。【4】わざわざ「情報」「知識」「知恵」という三つのことばにかぎカッコをつけたのには意味がある。人の話を聞く時、その内容を、この三つに分類しながら聞くと、なかなか面白いからだ。【5】むろん情報を得たいと思って話を聞く時には、情報が的確に得られれば良いので、うまく情報を伝えてくれる人が好ましい。また知識についても同じことが言える。三番目の知恵が、最も興味深い分野である。知恵があるかどうかは学歴などとはまったく関係がない。【6】世の中には、情報には疎いかもしれないが、豊かな人生の知恵を持った人がいる。そうかと思うと、情報にはやたら詳しいのに、まったく知恵のことばを吐かない人がいる。【7】そして、人間として魅力があるのは、もちろん知恵のある人である。取材していてもはっとさせられるのは知恵のことばを聞く時である。普段は無口だが、口を開けば知恵のことばを語るという人がいる。【8】しっかりと生きてきた、その個人の存在を感じさせられる。対照的に情報ばかりをぐるぐるまわし続け、情報に踊らされる人の人生とは何だろう、と思わされる。知恵があるかないかは、一(いつ)に、ものを自分の頭でじっくりと考えているかいないか、の違いではないかと思う。
 【9】T・S・エリオットという名の詩人がいる。この人の詩に、右の三つを読み込んだ、こういう文章がある。「私たちが、知識の中で失った知恵はどこにある。私たちが、情報の中で失った知識はどこにある。」これは、長い詩の一部である。【0】三つのものについてエリオットが考えていたこと、三者の関係をどうとらえていたかと∵いうことが、ここにうまく表現されている。(中略)
 最近の世相を評するのによく使われるのは、いわゆるマニュアル文化ということばである。ある時、作家の山田太一さんと話す機会があった。いろいろな話の中で、マニュアル文化の話が出た。そうしたら、彼がこういう実例をあげた。知り合いの有名な俳優が、芝居の稽古の合間にファーストフードの店に行ったというのである。一座の人々の昼食を買うためで、ハンバーガーか何かを二十数個、買うつもりだった。注文したら、注文を受けた娘さんが、それを復唱したあと、「ここでお召し上がりになりますか。」と聞いた。俳優はあっけにとられた。「おい、よく見ろよ。ここにいるの、おれ一人じゃないか……。」娘さんは、マニュアルに沿った応対をし、決められた順序で、決められた発言をしただけなのだろう。忠実なのはいいが、目の前の現実を見て考える、という自分の能力と自由とを忘れているとしか思えない。山田さんとしばらく笑ったあと、笑い事ではないですね、という話になった。
 新聞のコラムを執筆していて、考えるということについて大いに考えさせられた。いまの教育は、家庭でも学校でも、十分に考える訓練をしているだろうか、子どもは自分の頭でじっくり考えるためのゆとりを与えられているだろうか、という疑念が頭を離れない。むろん、間題は子どもだけではない。フランスに、ジャン・ギットンという哲学者・神学者がいる。この人の本に、こういう一文がある。「学校とは一点から一点への最長距離を教えることであると、私は言いたい。」思うに名言である。私は、このことばをよく思い起こす。ある人々は、最長距離と聞いただけで、耐えられない長さと想像するかもしれない。その最長距離を、道草のように思う人もいるかもしれない。しかし、子どもは自分の頭で考えたり、感じたりしながら、長い長い距離を歩き、それによって自分らしい成長をとげるのである。ギットンは何よりも、考えることの大切さを説いた。考える訓練をしなければならないのは子どもばかりではない。教師も大人も同様である。さきに述べた「情報」と「知識」と「知恵」の三つに即して言えば、先生が教室の中で話したことの中で子どもが成人した後もいつまでも覚えているのは、たいてい「知恵」のことばである。 (白井()健策「天声人語の七年」から)