長文集  10月4週  ○都会にはむろんのこと  yu-10-4
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2014/09/04 14:55:38
 都会にはむろんのこと、日本の町々には、
ある大切な要素が欠けている。 
―沈黙である。静寂である。 
 (中略)
 わが屋戸(やど)のいささ群竹(むらたけ
)吹く風の 
 音のかそけきこの夕べかも 
 夕風にそよいで、かすかな葉ずれの音をた
てている群竹。作者の大伴家持は、その静寂
にじっと耳を傾けている。このような、かそ
けき音にひかれる心の姿というものこそ日本
人特有の姿だった。古池に飛び込む蛙(かわ
ず)の音、ほかの国の人たちが聞いても、お
そらくなんの感興(かんきょう)もおこさな
いであろうような、そのような音を、日本人
が何世代にもわたって味わい続けてきたの 
は、それが「音」だったからではない。「静
けさ」だったからなのだ。全山に降る蝉しぐ
れ、岩にしみ入るようなその蝉の声に芭蕉は
耳をとられ、そして、その一句に「閑(しず
)かさや」という適切な初語を置いた。 
 静かさというものは、音のない状態をいう
のではない。音が音として、くっきり浮かび
上がる、そのような空間と時間をさすのであ
る。音は「静寂」というカンバスに描かれて
、初めて「音」になるのであり、同様に静か
さというものは、そこに音がくっきりと浮か
び上がることによって「静寂」となる。 
 湯のたぎる音が茶室の静寂をささえ、懸樋
(かけひ)の水音が庭の閑寂をいっそう深い
ものにする。かぼそい虫の声が秋の夜の静け
さを呼び、炭火のはじける音が冬の午後の沈
黙を生む。こうした「音」と「静寂」のこよ
なき調和の場こそ、日本人の愛した生活の空
間であり、暮らしの時間だった。 
 だが、「文明」が進み、「文化」が発展す
るのと歩調を合わせ て、静寂は私たちから
、反対に遠ざかってしまった。日本の都会 
の、日本の町々のどこに、「群竹のかそけき
音」を耳にしうる場所があろうか。ほんのわ
ずかでも、ほんのいっときでも、静かに思い
にふけることのできる空間や時間が、都会の
、町々のどこに残されているというのか。 
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 全く逆なのである。私たちの文明とは、静
寂を騒音に変えるこ∵とだったのであり、私
たちの文化とは、「かそけき音」を拡声器で
ただやたらに増幅することだったのだ。 
 日本の町々には、便利さのための、ありと
あらゆる施設が造られている。そして、これ
からも造られようとしている。たった一つ、
「静寂の空間」を除いて。 
 現代の日本の文明は、静寂だけはつくりだ
すことができないのである。いや、つくりだ
せないのではなく、つくりだそうと思わない
のだ。静寂な空間とは、空白な空間であり、
むだな空間だと思っているからである。自然
は真空をきらうというが、現代の日本人は沈
黙をきらう。きらうのではなくて、恐れてい
るのだ。だから、少しでも、静寂の場所があ
れば、あわててそこを騒音でふさごうとす 
る。 
 武器は拡声器である。駅でも、交差点でも
、公園でも、横丁で も、喫茶店でも、ホテ
ルのロビーでも、大学の構内でも、寺院でさ
え、今や騒音なしには存在しえない。岩にま
でしみ込むほどの「閑(しず)かさ」の力を
、日本の社会は、とうとう文明によって追放
してしまった。そして、人々を沈黙の恐怖か
ら救い出し、静寂の不安から連れ出した。 
 さあ、もう安心するがいい。どこにいても
、騒音が付き添っている。どうだ、寂しくな
いだろう……。 
 こうして、人々は、騒音に取り巻かれ、そ
の中で安心して憩い、眠る。 
 しかし、これほど夢中になって音を製造し
たにもかかわらず、私たちは、実は何一つ「
音」を聞いていないのである。聞こうにも、
聞くことができないのだ。私たちのまわりに
、いったい、生活のどんな音があるというの
か。 
 折にふれ、人々は、夜明けとともに聞こえ
てきた納豆売りの声、夕べとともに響いた豆
腐屋のラッパの音を懐かしむ。だがそれは、
実をいうと、物売りの声やラッパの音そのも
のを懐かしんでいるのはなく、そうした生活
の音をしみじみと聞くことができた「静か 
さ」への郷愁なのである。現に、それに代わ
る生活の音なら、今∵だってまわりにたくさ
んあるではないか。けれど、私たちには、も
うそれが聞こえない。なぜなら、音の一つ一
つが、くっきりと浮かび上がってくるような
静かな空間、沈黙の時間を捨ててしまったか
らだ。そして、すべての音を、「文化」の名
のもとに、単なる騒音につくり変えてしまっ
たからである。 
 島根県の山あい、津和野の町で、私は久し
ぶりに忘れていた「 音」を聞いた。それは
、町のいたるところを流れる用水のささやき
だった。 
この町には、九千人という人口の十倍もの鯉
が放されているのだ。 
 夜、八時、私は宿を出た。祇園町を通り、
新町通りを抜け、殿町を過ぎ、大橋を渡った
。どこを歩いても、足もとに用水の鳴る音が
ついてきた。それはまさしく津和野の町の音
だった。 
 三百年来、この町の人たちは鯉を飼ってき
た。「食べない、捕らない、殺さない。」と
いって。だが、人々はただ鯉をだいじにした
のではない。鯉をだいじにすることによって
、この用水の音を大切にしてきたのだ。水の
「声」に耳を傾けることのできる静かさを。
 
 大橋に立って、私は改めて思う。 
 日本の暮らしのなかで、どんな「かそけき
」音でも聞くことができ、それに耳を傾ける
ことができる。そのような空間をつくるこ 
と、そのような時間をもつこと、これこそが
本当の文化、本当の生活なのではなかろうか
、と。

(森本哲朗「日本のたたずまい」)