長文 10.1週
1. 【1】流行という言葉の対義語は不易だ。時代の変化に合わせて変わるものがあると同様に、時代を通して変わらないものもある。
2. 流行を意識することは、社会生活を
円滑に行うために欠かせない。【2】例えば、遠く
離れた場所に行くのに、今どき
牛車を使う人はいない。もちろん、人力車も使わない。現代なら自動車が
普通だが、
環境への負荷を考えて、今後は自転車になり、やがて科学の進歩によってタケコプターのような交通手段になるかもしれない。【3】こういう外見の変化が流行だ。
3. 流行の大切さについては、言うまでもない。特に、現代のようにIT技術の進歩が速い時期には、流行に乗り流行を活用することは一層重要になる。
4. 【4】例えば、今のIT技術の前線のひとつはソーシャルサービスだ。ネットによるコミュニケーションが日常化し、リアルな世界のコミュニケーションと同様に人間の社会生活を深く支えるものになっている。
5. 【5】しかし、だから、その
普及に
伴う弊害も当然ある。イギリスでは、ソーシャルサービスの広がりによって中学生が本を読まなくなったと言う。テレビが初めて登場し
普及したときも、一億総
白痴化が
叫ばれた。テレビゲームのときも、
携帯電話のときも、家庭の中で多くの
葛藤があったはずだ。
6. 【6】しかし、そういう
弊害を
乗り越えなければ、新しい活用法は身につかない。流行の持つマイナス面に目を向けて過去にしがみつくのではなく、流行のプラス面を見て、その
弊害を
知恵と工夫によって
克服していくのが、最も現実的な対応と言えるだろう。
7. 【7】不易とは、外見の変化にも関わらず、変わらない本質のことだ。例えば、牛車から自動車へ、自動車からタケコプターへという変化を考えたとき、変わらないものは、ある場所から他の場所への移動そのものであり、その移動に
伴う周囲への
配慮など、時代を
超えて不変なものだ。∵
8. 【8】
牛車の時代に、
狭い道を
すれ違う牛車どうしで
譲り合いがあったように、タケコプターの時代にも
譲り合いはある。これが不易だ。
9. このように考えると、流行と不易とは対立するものではなく、むしろ流行があるからこそ不易があり、不易に
貫かれているからこそ流行があるとも言える。
10. 【9】そう考えれば、不易と流行は、物の側にあるのではなく、人の側にあることがわかる。変化する
状況に合わせて自分らしくあること、これが不易と流行を結びつける要なのではないだろうか。【0】
11.(言葉の森長文作成委員会 Σ)
長文 10.2週
1. 【1】何でもよく知っていて、次から次へと、どんな問題についても、よく話をする人がいる。じっと聞いていると、話している内容は、ほとんどが新聞や雑誌に出ていたこと、あるいはテレビで
誰かが話していたこと、つまり「情報」なのである。【2】それを右から左へと流しているだけのことだ。話のある部分について、疑問点を確かめたいと思って
詳しく聞くと、はっきりした「知識」を持っているわけではないから答えられない。【3】しかも、「情報」をほとんど受け売りしているだけで、その中身を自分の考えによって
吟味していないから、どんな話をしてもその人の人生経験に照らした上での「
知恵」になっていない。【4】わざわざ「情報」「知識」「
知恵」という三つのことばにかぎカッコをつけたのには意味がある。人の話を聞く時、その内容を、この三つに分類しながら聞くと、なかなか面白いからだ。【5】むろん情報を得たいと思って話を聞く時には、情報が的確に得られれば良いので、うまく情報を伝えてくれる人が好ましい。また知識についても同じことが言える。三番目の
知恵が、最も興味深い分野である。
知恵があるかどうかは学歴などとはまったく関係がない。【6】世の中には、情報には
疎いかもしれないが、豊かな人生の
知恵を持った人がいる。そうかと思うと、情報にはやたら
詳しいのに、まったく
知恵のことばを
吐かない人がいる。【7】そして、人間として
魅力があるのは、もちろん
知恵のある人である。取材していてもはっとさせられるのは
知恵のことばを聞く時である。
普段は無口だが、口を開けば
知恵のことばを語るという人がいる。【8】しっかりと生きてきた、その個人の存在を感じさせられる。対照的に情報ばかりをぐるぐるまわし続け、情報に
踊らされる人の人生とは何だろう、と思わされる。
知恵があるかないかは、
一に、ものを自分の頭でじっくりと考えているかいないか、の
違いではないかと思う。
2. 【9】T・S・エリオットという名の詩人がいる。この人の詩に、右の三つを
読み込んだ、こういう文章がある。「私たちが、知識の中で失った
知恵はどこにある。私たちが、情報の中で失った知識はどこにある。」これは、長い詩の一部である。【0】三つのものについてエリオットが考えていたこと、三者の関係をどうとらえていたかと∵いうことが、ここにうまく表現されている。(中略)
3. 最近の世相を評するのによく使われるのは、いわゆるマニュアル文化ということばである。ある時、作家の山田太一さんと話す機会があった。いろいろな話の中で、マニュアル文化の話が出た。そうしたら、
彼がこういう実例をあげた。知り合いの有名な俳優が、
芝居の
稽古の合間にファーストフードの店に行ったというのである。一座の人々の昼食を買うためで、ハンバーガーか何かを二十数個、買うつもりだった。注文したら、注文を受けた
娘さんが、それを復唱したあと、「ここでお
召し上がりになりますか。」と聞いた。俳優はあっけにとられた。「おい、よく見ろよ。ここにいるの、おれ一人じゃないか……。」
娘さんは、マニュアルに沿った応対をし、決められた順序で、決められた発言をしただけなのだろう。忠実なのはいいが、目の前の現実を見て考える、という自分の能力と自由とを忘れているとしか思えない。山田さんとしばらく笑ったあと、笑い事ではないですね、という話になった。
4. 新聞のコラムを
執筆していて、考えるということについて大いに考えさせられた。いまの教育は、家庭でも学校でも、十分に考える訓練をしているだろうか、子どもは自分の頭でじっくり考えるためのゆとりを
与えられているだろうか、という疑念が頭を
離れない。むろん、間題は子どもだけではない。フランスに、ジャン・ギットンという
哲学者・神学者がいる。この人の本に、こういう一文がある。「学校とは一点から一点への最
長距離を教えることであると、私は言いたい。」思うに名言である。私は、このことばをよく思い起こす。ある人々は、最
長距離と聞いただけで、
耐えられない長さと想像するかもしれない。その最
長距離を、道草のように思う人もいるかもしれない。しかし、子どもは自分の頭で考えたり、感じたりしながら、長い長い
距離を歩き、それによって自分らしい成長をとげるのである。ギットンは何よりも、考えることの大切さを説いた。考える訓練をしなければならないのは子どもばかりではない。教師も大人も同様である。さきに述べた「情報」と「知識」と「
知恵」の三つに
即して言えば、先生が教室の中で話したことの中で子どもが成人した後もいつまでも覚えているのは、たいてい「
知恵」のことばである。 (
白井健策「天声人語の七年」から)
長文 10.3週
1. 【1】ある朝、私は一冊の本と、ひときれのパンをポケットに入れて家を出て、気の向くままに歩いて行った。少年時代にいつもそうしたように、私はまず家の裏の庭へ入った。そこにはまだ日が当たっていなかった。【2】父が植えたモミの木立、私がまだほんの幼い、細い若木だったのを覚えているモミの木立ががっしりと高くそびえ、その下には
淡褐色の針葉が積もっていた。【3】そこには数年来ツルニチニチソウのほかは何も育とうとしなかった。が、そのかたわらの細長い
縁どり花壇には、母の植えた宿根草が生えていて、豊かに、楽しげに花をつけていた。
2. 【4】休日のくつろいだ気分で、私は花から花へと歩き、あちらこちらで
芳香を放つ散形花の
匂いをかいだり、指先で注意深くひとつの花のがくを開いてのぞきこんで、神秘的な白っぽい色のうてなと、花弁の脈や、めしべや、やわらかい毛のあるおしべや、
透きとおった導管などの
絶妙な配列を観察したりした。【5】そのあいだに私は雲の多い朝の空を
眺めた。そこには、細い綿となってたなびく
霧と、羊毛のようにふわふわした小さなうろこ雲が、
奇妙に入り乱れて広がっていた……。
3. 不思議な、あるひそかな不安を感じながら、私は少年時代に喜びを味わった、なじみの場所を見まわした。【6】小さな庭や、花で
飾られたバルコニーや、
湿った、日の当たらない、
敷石が
苔で緑色になった中庭が私を見つめた。それらは、昔とは
違った顔をしていた。花たちさえもつきることのないその
魅力をいくぶんか失っていた。【7】庭の
隅に古い水
桶が水道の
栓とともにひっそりとそっけなく立っていた。そこで昔、私は木の水車をとりつけ、半日ものあいだ水を出しっぱなしにして、父を
悩ましたものだった。路上にダムや運河を築いて、大
洪水を起こしたのである。【8】風雨にさらされたその水
桶は、私にとって忠実なお気に入りで、気晴らしの相手であった。それを見つめていると、あの子どもの
頃の喜びの
余韻さえパッと心に
浮かんでくるのであった。が、それは悲しい味がした。【9】その水
桶はもう泉でもなく、大河でもなく、ナイアガラの
滝でもなかった。∵
4. 物思いにふけりながら、私は
垣根をよじ登って
越えた。一輪の青いヒルガオの花が、私の顔にかるく
触れた。私はそれを
摘みとって口にくわえた。【0】そのとき私は、散歩をして、山の上から町を見下ろしてみようと心に決めていた。散歩をするのも、本当に楽しい
企てではなかった。以前ならば、決して思いつくことなどなかっただろう。少年は散歩などしない。少年は、森へ行くなら
盗賊か、
騎士になって行く。川へ行くなら
筏乗りか、漁師か、あるいは水車作りになって行く。草原へ走るのは、
蝶の採集かトカゲ
捕りに行くのだ。こうして私の散歩は、自分が何をしたらよいかわからない大人の、上品だが少々
退屈な
行為のように思われた。
5. 青いヒルガオはまもなくしぼんで投げ捨てられた。そして今度はもぎ取ったブナの小枝をかじった。苦い、
香ばしい味がした。高いエニシダの生えている鉄道の土手のところで一
匹のみどり色のトカゲが私の足もとを走って
逃げた。すると、また私の心に少年の気持ちがふっと目覚めた。私はじっとしていられず、走ったり、しのび寄ったり、待ちぶせしたりして、ついに日に当たって温かなおくびょうなトカゲを両手に
捕らえた。私はその
光沢のある、小さな宝石のような眼をのぞきこみ、少年のころの
狩りの楽しみの
余韻を味わいながら、そのしなやかで力強いからだと固い足が私の指のあいだで
抵抗し、
突っ張るのを感じた。だがそれからよろこびは消えてしまった。
捕まえた動物をどうしたらよいのかまったく分からなくなった。どうすることもできなかった。それを持っていてももう幸福感はなかった。私は地面にかがみこんで、手を開いた。トカゲは
一瞬おどろいて、横腹をはげしく息づかせながらじっとしていたが、それからわき目もふらずに草の中へ姿を消した。汽車が
輝く鉄路を走って来て、私のそばを通り過ぎた。それを見送った私は、
一瞬非常にはっきりと、ここではもう私の本当のよろこびが花
咲くことはないと感じた。そしてあの列車に乗って世の中へ出て行きたいと、心の底から思った。
6. (ヘルマン・ヘッセ作 フォルカー・ミヒェルス 編
岡田朝)
長文 10.4週
1. 都会にはむろんのこと、日本の町々には、ある大切な要素が欠けている。
2.―
沈黙である。
静寂である。
3. (中略)
4. わが
屋戸のいささ
群竹吹く風の
5. 音のかそけきこの夕べかも
6. 夕風にそよいで、かすかな葉ずれの音をたてている群竹。作者の
大伴家持は、その
静寂にじっと耳を
傾けている。このような、かそけき音にひかれる心の姿というものこそ日本人特有の姿だった。古池に
飛び込む蛙の音、ほかの国の人たちが聞いても、おそらくなんの
感興もおこさないであろうような、そのような音を、日本人が何世代にもわたって味わい続けてきたのは、それが「音」だったからではない。「静けさ」だったからなのだ。全山に降る
蝉しぐれ、岩にしみ入るようなその
蝉の声に
芭蕉は耳をとられ、そして、その一句に「
閑かさや」という適切な初語を置いた。
7. 静かさというものは、音のない状態をいうのではない。音が音として、くっきり
浮かび上がる、そのような空間と時間をさすのである。音は「
静寂」というカンバスに
描かれて、初めて「音」になるのであり、同様に静かさというものは、そこに音がくっきりと
浮かび上がることによって「
静寂」となる。
8. 湯のたぎる音が茶室の
静寂をささえ、
懸樋の水音が庭の
閑寂をいっそう深いものにする。かぼそい虫の声が秋の夜の静けさを呼び、炭火のはじける音が冬の午後の
沈黙を生む。こうした「音」と「
静寂」のこよなき調和の場こそ、日本人の愛した生活の空間であり、暮らしの時間だった。
9. だが、「文明」が進み、「文化」が発展するのと歩調を合わせて、
静寂は私たちから、反対に遠ざかってしまった。日本の都会の、日本の町々のどこに、「群竹のかそけき音」を耳にしうる場所があろうか。ほんのわずかでも、ほんのいっときでも、静かに思いにふけることのできる空間や時間が、都会の、町々のどこに残されているというのか。
10. 全く逆なのである。私たちの文明とは、
静寂を
騒音に変えるこ∵とだったのであり、私たちの文化とは、「かそけき音」を拡声器でただやたらに
増幅することだったのだ。
11. 日本の町々には、便利さのための、ありとあらゆる
施設が造られている。そして、これからも造られようとしている。たった一つ、「
静寂の空間」を除いて。
12. 現代の日本の文明は、
静寂だけはつくりだすことができないのである。いや、つくりだせないのではなく、つくりだそうと思わないのだ。
静寂な空間とは、空白な空間であり、むだな空間だと思っているからである。自然は真空をきらうというが、現代の日本人は
沈黙をきらう。きらうのではなくて、
恐れているのだ。だから、少しでも、
静寂の場所があれば、あわててそこを
騒音でふさごうとする。
13. 武器は拡声器である。駅でも、交差点でも、公園でも、横丁でも、
喫茶店でも、ホテルのロビーでも、大学の構内でも、寺院でさえ、今や
騒音なしには存在しえない。岩にまで
しみ込むほどの「
閑かさ」の力を、日本の社会は、とうとう文明によって追放してしまった。そして、人々を
沈黙の
恐怖から救い出し、
静寂の不安から連れ出した。
14. さあ、もう安心するがいい。どこにいても、
騒音が
付き添っている。どうだ、
寂しくないだろう……。
15. こうして、人々は、
騒音に取り巻かれ、その中で安心して
憩い、
眠る。
16. しかし、これほど夢中になって音を製造したにもかかわらず、私たちは、実は何一つ「音」を聞いていないのである。聞こうにも、聞くことができないのだ。私たちのまわりに、いったい、生活のどんな音があるというのか。
17. 折にふれ、人々は、夜明けとともに聞こえてきた納豆売りの声、夕べとともに
響いた
豆腐屋のラッパの音を
懐かしむ。だがそれは、実をいうと、物売りの声やラッパの音そのものを
懐かしんでいるのはなく、そうした生活の音をしみじみと聞くことができた「静かさ」への
郷愁なのである。現に、それに代わる生活の音なら、今∵だってまわりにたくさんあるではないか。けれど、私たちには、もうそれが聞こえない。なぜなら、音の一つ一つが、くっきりと
浮かび上がってくるような静かな空間、
沈黙の時間を捨ててしまったからだ。そして、すべての音を、「文化」の名のもとに、単なる
騒音につくり変えてしまったからである。
18. 島根県の山あい、
津和野の町で、私は久しぶりに忘れていた「音」を聞いた。それは、町のいたるところを流れる用水のささやきだった。
19.この町には、九千人という人口の十倍もの
鯉が放されているのだ。
20. 夜、八時、私は宿を出た。
祇園町を通り、新町通りを
抜け、
殿町を過ぎ、大橋を
渡った。どこを歩いても、足もとに用水の鳴る音がついてきた。それはまさしく
津和野の町の音だった。
21. 三百年来、この町の人たちは
鯉を飼ってきた。「食べない、
捕らない、殺さない。」といって。だが、人々はただ
鯉をだいじにしたのではない。
鯉をだいじにすることによって、この用水の音を大切にしてきたのだ。水の「声」に耳を
傾けることのできる静かさを。
22. 大橋に立って、私は改めて思う。
23. 日本の暮らしのなかで、どんな「かそけき」音でも聞くことができ、それに耳を
傾けることができる。そのような空間をつくること、そのような時間をもつこと、これこそが本当の文化、本当の生活なのではなかろうか、と。
24.(森本
哲朗「日本のたたずまい」)
長文 11.1週
1. 【1】交話機能というのは、簡単に言えば、ことばがもつ、人と人の気持ちを結びつける作用を指すものである。
2. 考えてみると、私たちがことばを用いるとき、別に何かを伝えたり、特にあることについて語るというわけでもなく、ただことばを発することそれ自体に、主たる
狙いのある場合がある。
3. 【2】例えば、町中で真夜中あたりに人かげのまったくない時、あるいは人里はるか
離れた山道などで、見知らぬ人に出会ったとき、私たちは何となく不安な気持ちになり、
緊張することがある。【3】そんなとき、思いがけなく相手が一言「今晩は」とか「いい天気ですね」などと声を
掛けてくれると、急に気が楽になって思わず
弾んだ声であいさつを返して行き過ぎる、といった経験をもつ人は多いと思う。このようなとき、もし何も言わずに
擦れ違ったりすると、何となく後ろが気になるものである。
4. 【4】このように人は他人に出会うと、必ず心の中に
警戒、不安、
恐れなどの気持ちが、多少なりとも生まれるもので、都会の人混みに慣れきっている現代人は、このことをあまり意識する機会がないが、いま述べたような
状況の下ではその気持ちが表面化してくるのだ。
5. 【5】人が出会いの際に経験するこの生物的な
緊張をほぐし和らげ、次の交流段階に支障なくつないでゆくきっかけ糸口を
与えることが、
俗にあいさつと呼ばれる言語行動の主たる役目なのである。
6. 【6】具体的な情報伝達を目的としない、したがって内容があまり重要でないタイプの言語活動は、あいさつのほかにも、たとえば雑談やおしゃべり、さらには
井戸端会議などと
称せられる、
一般には無意味で
無駄な時間つぶしと考えられているものに見られる。【7】このような場合、ことばを交わし合うことそれ自体が、
互いの心を通わせ、一体感を高める働きをするのである。
7. 【8】多くの人が仕事の話や用件に入る前に、お天気の話や当たり障りのない短い会話を交わすのも、これが
お互いの
警戒心や敵意を弱め反対に安心感を高める効用があるからである。
8. 【9】交話機能とはこのように、人々が本格的な対話関係に入るためのいわば
地均し、心の波長(ダイヤル)合わせを行うものであり、∵対話者どうしの一体感や帰属意識を高める
潤滑油としての働きなのである。【0】
9. (「教養としての言語学」(
鈴木孝夫)による。
岐阜県)
長文 11.2週
1. 【1】フィンランドの保健担当機関がある調査を
実施したという話を読んだ。食事の指導や健康管理の効果がどのようなものであるかを科学的に調べるためだったという。その結果が、実に興味深い。
2. 【2】四十
歳から四十五
歳までの人々を六百人選んで、Aグループとした。この人たちには、定期
検診や栄養学的な調査などを受けてもらう。また、運動を毎日すること、タバコ、アルコール、砂糖などの
摂取を
抑えることを約束してもらう。【3】そして、そういう健康管理を十五年間続けた。ずいぶん息の長い調査である。この効果の
比較のため、別の同一条件の人たちで構成される六百人のBグループを選んだ。この人たちには、いかなる健康管理も
実施しなかった。
3. 【4】十五年たって、AグループとBグループを
比較すると、はっきりした
違いが現れた。一方のグループでは、病気になった人の数が少なかった。それが健康管理の対象とならなかったBグループだったというのである。【5】
驚いた医師たち、保健担当機関の人たちが、なぜそのような事態が起きたのかという点について、さらにその原因に
迫る調査、研究を行った。その結果は、
治療上の過保護と管理が
依存や
抵抗力の低下をもたらすという結論だった。【6】この調査結果は、まことに意味深長である。私たちの生き方
全般についても、大いに考えさせるものを
突きつけているように私には思える。
4. 【7】自然界にいる動物は、医者が
診てはくれないから、自分で自分の体に気をつけて暮らさなければならない。いま、自分の体は食べ物を求めているか、水を必要としているかといったことについて、自分の本能が内部でささやいている声を聞きとっているのだ。【8】ところが、そういう本能を聞き分ける感度が、私たちの場合、
一般に、
恐ろしく鈍ってしまっている。Bグループの人々は、そういう
鈍っていた感覚を呼び起こし、
磨き始めたのではなかったろうか。
5. 【9】フィンランドのこの調査結果は、そのまま子どもたちの育て方や教育のあり方にも通じる話である。過保護が
依存を生む。そして、自律が自立につながるのだ。最近の子どもは、動物として活動する場や機会が少ないので、かわいそうだと思うことがある。【0】∵本来、子どもは動物の子どもと同じで、成長するに従い、さまざまな
状況にぶつかり、自分の本能と相談しながら行動の仕方を
選択することを覚えてゆく。そういう場がめっきり減ってしまった。「子どもというものはみんな、ある程度まで、世界をふたたび始めから生きる」と書いたのは、米国の思想家、へンリー・ソローである。
6. 大人に知られぬように穴などを探して
もぐり込んだ体験はだれにでもあるだろう。ただおもしろい、秘密の行動にわくわくするということだけではあるまい。穴居の時代の
記憶からではなかろうか。石を大事に引き出しにしまったり、石けりなどに興じたりしたのは石器時代の名残かもしれぬ。木登り、
昆虫採集、
魚釣り、畑仕事、
家畜の世話、その他すべてが太古からの人間の営みの延長であり、
狩猟や漁労や農耕や
牧畜の復習だったのではないだろうか。子どもは、手や頭を使い、さらにさまざまな道具を作って使う、こういった遊びや手伝いをするなかで、人類の歴史的発展をもう一度たどっているような気がする。
7. 子ども一人ひとりが動物としての感覚を持ち続け、
磨きながら成長するために、そういうことをたっぷりと行うことが必要である。これを私は「人類全課程」と呼んでいるが、最近の子どもがこれを学習するのは、至難のようだ。日本が貧しかったころに育った世代は、それこそ石器時代から全課程をやってきた。いまの子どもは、生まれるとすぐ、電子機器、自動車、
飽食の二十世紀に一足飛びなのである。火のおこし方も、あいさつの仕方も知らずに育つようなことになる。動物だって、それぞれ独特な方法であいさつするというのに。
8. (
白井健策「天声人語の七年」の文章による。
福井県)
長文 11.3週
1. 【1】このところ、ドストエフスキー、ファーブルなどと二十年以上も前に読んだものを、もう一度読み直して、なんとなくよい気分である。古典とは決して「古いもの」という意味ではない。永遠に新しいものを古典という。
2. 【2】時代の流行を代表するような作品は次々にあらわれ、その時代にはたくさんの人に読まれるが、その多くは、いつの間にか消えていく。若いころ、たいそうおもしろく読んだ
記憶があり、思い立って読み直してみると、つまらないものであったりする。【3】同時代の作品は、目に映る
風俗の親近感があるし、また古い作品でもなんとなくその時代によく受ける精神構造を持っていたりすると、一種の流行となることがあるが、時代が変わるとその多くは、あぶくのように消えてしまう。
3. 【4】古典といえるものでも、ある時代には、なりをひそめているが、別の時代にはよみがえってもてはやされることがある。作家の気質が時代の気質によく合ったり、そぐわなかったりするからだ。育っていく子供に似て、時代には気質がむら気にあらわれるものだ。
4. 【5】だが、いずれにしても人間とは
矛盾した感性を
抱き合わせに持っている複雑な生きものなので、一人の人間でも、ああも感じたり、こうも感じたり、
破滅を夢みたり、聖なる
秩序に情熱を
傾けたりする。【6】こういう人間の性質は、どうやら人間が生きのびる限り同じらしい。なぜなら、地上が災いも
破壊もない神の国となり、死というものが消えうせたとしたら、生まれいずるものもまたなくなり、それは人間の国ではなくなってしまうだろう。【7】古典とはその最も人間的なものを、その時代の具体的な素材を用いて
抽象の中に表現し得ているものである。
5. 【8】古典に現代の生活では日常的でない素材が用いてあると、不思議なことなのだが、
抽象の骨組がかえってはっきりと見えてくることがある。そして、それが、現在の日常性の中で混乱している思考をしゃっきりとさせてくれることがあるものだ。
6. 【9】古典はわたしをいつもすがすがしい気分にする。そのすがすがしさを味わいたいばかりに、わたしは古典にふける。わたしはそれが古いという理由で古いものに特別興味があるわけではない。それが今も生きていて、生きているものがわたしに語りかけるから耳を
傾けるのだ。【0】 (大庭みな子『大庭みな子全集第十巻』)
長文 11.4週
1. カラーテレビは教育上よくない、白黒テレビのほうがよいという意見があることを聞いた。白黒テレビだと子どもたちは自分である程度まで着色したイメージをえがきうるし、それはさまざまでありうる。ところがカラーテレビだと子どもの想像力がはたらく余地がない。想像力は創造性の基本だから、つまり創造性の
伸長をさまたげる結果になるのだという。
2. 白黒テレビが、見本なしのぬり絵のように、色についての子どもの想像力をかきたてるという効果はあるかもしれない。だがその場合、色にかんする想像力を裏づける、いわばそれに対応する、経験の
蓄積がなければならない。そうでないなら、白黒の画面を着色の画面に転化したイメージをもつことは困難だし、かりにそうしたことがなされたとしても、そこに成り立ったイメージは、きわめて単純でまずしいものでしかないだろう。子ども向けの
怪人・
怪獣テレビを見ているとき、これはおとなでも同様だと思わざるをえないことがある。
3. ところで、われわれ人間に
色彩の豊富さを教えるまず第一のものは、自然である。山も海も川も、一つ一つの植物も動物も、なんと複雑で
微妙な
色彩に富み、
陰影によるその変化を示すものであることか。私はガラパゴスの海で、空をあおいで
熱帯鳥が羽ばたきもせずに
翔けっていくのを見たとき、その白と空の青とがともに単色であるように見えながら、
繊細な
色彩の
交響を心につたえてくるのにうたれた。
4. 絵画は、どれほど自然に忠実であろうとしても、自然の
色彩のことごとくをそのまま再現することはできない。そもそも、絵画はそのようなことを目標とはしないであろう。たとえば写実的な風景画であっても、それは自然からの
抽象をもとにした創造あるいは再創造であるにちがいない。そして人間は、極度の
抽象や単純化のなかに新たな美を発見する能力をそなえている。現代絵画にあらわれているくすんだ単色あるいはそれに近い
色彩での画面の構成は、
色盲的な夜行動物の世界だといえなくはない。人間にとって、それもまた一つの美である。
5.
色彩ばかりではない。ものの形にかんしても同様である。
抽象∵画における、ちょっと見れば単純な一本の曲線とか、
交錯する数本の直線とかにも、その背後には画家に感受された豊富な外界があるはずである。外界の
音響、たとえば風のいぶきや鳥のさえずりと、音楽の創造とのあいだにも、同一の関係が
指摘されるであろう。ある点では、音楽における
抽象と構成ないし再構成とは、絵画の場合よりいっそう高度かもしれない。
6. さて、現代において人間の生活
環境から、自然は急速に追放されつつある。それにとってかわっているのは、人工の世界である。開発され都市化のいちじるしく進んだこの国土の風景を一見すれば、それは
瞭然としている。
巨大なビル、新家屋、
舗道、高速道路、そのほか目に映るすべてのものは、
色彩も形状も、自然と対比すれば単純化され
抽象化されている。だからといって美しくないというのではないが、その人工の美しさを裏づける自然の本来の
多彩さが失われてしまっていくのでは、やがては人工の美のまずしさを招来することになるであろう。
7. 人間がどんな
環境でも生きられるという、その高度の順応性は、こうした問題をむずかしくしている。密林のなかで何十年もくらすことが不可能ではないし、団地のせまいアパートにひしめきあって生活することもできる。長い年月を
牢獄にとじこめられても、それだけですぐ死ぬというわけではない。そして、芸術などにはまったく背を向けて一生を送ったところでどうこういうことは起こらないし、実際に多くの人がそうしている。
8. もしも人間が、よりよく生き、よりよい社会をつくるという目標をもたないならば、この世界からの自然の
消滅を
憂える理由は何もない。問題の根本は、人間の生きかたについて理想や目標をもつかどうかにある。視野を大きく、また時間のはばを広くとってみるならば、自然の
喪失は人間とその社会にいちじるしい
影響をおよぼすことになるにちがいない。われわれの周囲に自然をどう保存するか、どのように新たな自然を設計するかは、いうまでもなく、現代社会の重大な課題である。ことに成長期の子どものために豊かな自然を生活の場として
与えることは、なによりたいせつなことである。
9.(
八杉龍一「自然と言葉」)
長文 12.1週
1. 【1】私たちは、「手を上げよう」と思えば手が上げられます。手を上げるためには、たくさんの筋肉の複雑な収縮が必要ですが、それについては、私たちはなにも知らないのに、手が上げられるのはなぜでしょうか。【2】まず、実際に手を上げた経験があって、それと「手を上げる」ということばとが結びつきます。そうすると、「手を上げよう」と思うと、以前に手を上げたときの脳機能が無意識のうちにはたらいて、ひとりでに手が上がるのです。
2. 【3】このような現象を
随意運動といいますが、要するに、「手を上げよう」という目標に向かって脳がひとりでにはたらくのです。「手を上げよう」というのは意志ともいわれますが、意志さえ強ければなんでもできるというわけではありません。【4】泳げない人が「絶対に泳いでみせる」と力んでも泳げません。つまり、泳いだという経験があって、それと「泳ぐ」ということばが結びついていなければなりません。
3. 【5】スポーツなどの専門分野では、特別のことばがよく使われます。たとえば、スキーの「前
傾」、
踊りの「
腰を入れる」などというものです。しかし、実際の体験をして、「これが前
傾ということなのか」とか「これが
腰を入れるということなのか」とわからないと、これらのことばに従って体を動かすことはできません。
4. 【6】ところで、何をするにしろ、どうしたら失敗するか、ということを知っていて失敗することはめったにありません。どういうわけか失敗してしまうのです。そこで、次に同じことをするときに、「また、失敗するかもしれない」と思うと、ほんとうに失敗してしまいます。【7】前よりもひどく失敗することもあります。これは、「失敗」ということばをきっかけに、以前に失敗したときの脳のはたらきが進行して失敗するのです。
5. 【8】「失敗は成功の母」といわれるように、失敗を重ねることによって、次第に成功に近づいてゆくのが脳の自然のはたらきです。ところが、失敗を
恐れると、脳も人間も発展しません。
6. 【9】従って、「失敗」ということばのために、以前以上に失敗するというのは、ことばを持っている人間の
特徴ともいえます。こういう現象を自己暗示といいますが、「手を上げよう」と思って手が上げられる現象と、よく似ていることに気づくでしょう。【0】つまり、自己暗示は特別に不思議な現象ではなく、私たちはたえず自己暗示によって行動しているともいえます。
7. もちろん、「こんどは絶対に成功するぞ」と
思い込んでも「失敗したらたいへんだ」ということばに負けてしまう場合があります。∵成功した経験がないと、「成功」ということばでは脳は成功に向かってはたらかないからです。これとは反対に、成功する人は成功を重ね「失敗する気がしない」と自信満々です。どうしたら成功するかは、本人にも自覚されていませんが、以前に成功した経験があると、そのときの脳のはたらきがひとりでに進行して、成功を重ねることになるのです。
8. (千葉康則「ヒトはなぜ夢を見るのか」による。
静岡県)
長文 12.2週
1. 【1】外国人に日本語を教えているうちに一つの事実に気づきました。
一般に
欧米人は、質問に対して「いいえ」と言うときに、教師がビクッとするほど強い調子で答えることが多いのです。【2】もしや、質問しそこなったのではないかと、こちらが不安になるほどに――。しかし、よく見ていると、「はい」も「いいえ」も、同じように強くはっきりと答えようとしているだけです。わたくしの耳は、その「いいえ」を強すぎると感じたのでした。
2. 【3】それは、わたくしたちが、日ごろ「いいえ」をやや
控え目に言う習慣が身についているためだと思います。
肯定の場合は調子よく「はい!」という人が、否定になると、内容にもよりますが、無意識に声を落としてしまいます。
3. 【4】いつか米国人に英語を習っていた日本人が、弱々しく「ノー」と答えて、もっとハッキリ態度をあらわせと注意されていたのを思い出します。人格をもった一個の人間なら、責任ある態度をとれ、とその英語教師は言うのです。【5】
彼に言わせれば、事実そうでないことをあいまいにノーと言うのは、質問者に対して失礼ではないかと。
4. この
違いは、否定している対象の
違いにもとづくようです。英語の場合には、おたがいが客観的に「事実」を見て、その「事実」について語ります。【6】それが、イエスとノーに要約されているといえましょう。たとえば、「見ませんでしたか。」というような否定の質問には、日本語と英語とで答えが逆になることが
一般に知られています。見なかった場合に、日本語では「はい」と言い、英語では「ノー」と答えます。【7】つまり日本語の場合、答え手は、まずその質問を受けた「聞き手」として、その質問文の「話し手」の視線に合わせて自分の
行為を見、質問文と自分の
行為との間に
一致点を見いだして、「はい」と答えるわけです。【8】逆に、事実を見た場合には「いいえ」と答えることになります。すなわち、日本語の否定は「質問」の文型あるいは質問者の意向に向けられていますが、英語の否定は質問を受ける側の、現実の
行為の有無に向けられています。【9】ですから英語では「ノー」とはっきり言うことができ、むしろ、事実を事実としてはっきりと否定することが、相手の尊重にもつながるわけです。
5. しかし、日本語の返答では、否定が「質問」の方に向けられているために、
微妙な心理がからんできます。【0】きっぱり否定したりすると、「いいえ」が事実の否定をとびこえて、相手の考え方や感じ∵方の批判にまで
及ばないとも限りません。そこで「いいえ」は自然に
控え目になります。その
控え目な態度によって、否定が事実だけに限定されることを、無意識のうちに
示唆しているといえましょう。こうして声をおさえることが、客観性にふみとどまる一つの手立てともなるわけです。
6. それさえも不安になると、「いいえ」のかわりに小声で「はい」という人さえあります。これをウソつきだときめつけることも
一概にはできません。こういう場合は、声の調子とか表情とかを総合して判断することが必要です。それはもう意味をもつ言葉というよりも、
困惑をあらわすため息のようなものとして受けとめるべきものかもしれません。日本人は、いつしか読心術のようなものを身につけ、ことばのみせかけにまどわされることはありませんが、外国人にとっては
解しがたいことが少なくないようです。
7. (山下
秀雄の文章による。京都府)
長文 12.3週
1. 【1】一人一人の話が、みなそれぞれに
違っているからこそ面白いのだが、その一人一人の
違う話を聞いているうちに、「宇宙飛行士たちは、やはりみんな、宇宙で、ある共通の体験をしているな。」と私は確信するようになった。
2. 【2】ただ、たぶんその共通体験は、ほとんど無意識のうちに、直観的になされるものだから、必ずしも
彼ら自身が認識しているとは限らない。地球に
戻ってから宇宙体験の話をするとなると、どうしてもそこに、宇宙飛行士一人一人の、この地球での個人的な歴史や価値観、現在の
環境などが関わってくる。【3】だから、話の表面のディテールが
違ってくる。しかし、その表面的な
違いにとらわれず、その話の
奥に秘めたものを注意深く探ってみると、そこに共通体験が見えてくるのだ。
3. 【4】結論を先に言ってしまうなら、
彼らはみな、宇宙で『私』という個体意識が一気に
取り払われるような体験をしている。
4. この体験を最もわかりやすく話してくれたのは、アポロ9号の乗組員だったラッセル・シュワイカートだ。
5. 【5】
彼が、月面着陸船のテストを
兼ねて宇宙遊泳している時のことだった。
6.
彼の宇宙空間での仕事ぶりを宇宙船の中から
撮影するはずだったカメラが
突然故障し、動かなくなった。【6】
撮影担当のマックデビッド飛行士は、シュワイカートに、そのまま何もせず五分間待つように言い残して宇宙船の中に消えた。
7. シュワイカートに、
突然まったく予期しなかった
静寂が訪れた。
8. それまで、秒刻みでこなしていた任務が一切なくなってしまったのだ。
9. 【7】地上からの交信も
途絶えた。
10. そして、真空の宇宙での完全な
静寂。
11.
彼は、ゆっくりとあたりを見回した。
12. 眼下には、真青に
輝く美しい地球が拡がっている。
13. 視界をさえぎるものは一切なく、無重力のため上下左右の感覚も∵ない。【8】自分はまるで生まれたままの
素裸で、たった一人でこの宇宙の
闇の中に
漂っている、そんな気がした。
14.
突然、シュワイカートの胸の中に、なにか言葉では言い表すことのできない熱く激しい
奔流のようなものが一気に
流れ込んできた。【9】考えた、というのではなく、感じた、というのでもなく、その熱い何かが、一気にからだの
隅々にまで満ちあふれたのだった。
彼は、ヘルメットのガラス球の中で、わけもなく
大粒の
涙を流した。この
瞬間、
彼の心に、眼下に拡がる地球のすべての生命、そして地球そのものへの言い知れぬほどの深い連帯感が生まれた。
15.【0】「今、ここにいるのは『私』であって『私』でなく、すべての生きとし生ける者としての『我々』なんだ。それも、今、この
瞬間に、眼下に拡がる、青い地球に生きるすべての生命、過去に生きたすべての生命、そして、これから生まれてくるであろうすべての生命を
含んだ『我々』なんだ。」
16. こんな、静かだが、熱い確信が
彼の心の中に生まれていた。
17. シュワイカートが宇宙空間で体験したこの『私』という個体意識から『我々』という地球意識への
脱皮は、今、この地球に住むすべての人々に求められている。
18. (
龍村仁の文章による。)
長文 12.4週
1. 「見どころ」、「聞きどころ」という言葉がある。「見どころ」は「見る価値のあるすぐれたところ」を、「聞きどころ」は「聞くねうちのある
個所」を意味する言葉として、能、
歌舞伎、
人形浄瑠璃をはじめ、それから派生してきた
舞踊や
歌謡など、日本の伝統的芸能の世界でよく使われてきた。ところが、戦後になってから、いつのころからか、その世界では、この二つの言葉の
影が
薄れて、「見せどころ」、「聞かせどころ」という言葉が優勢になった、とある放送関係の人が教えてくれた。「見どころ」、「聞きどころ」というのは、芸能を
享受する側がそれを演ずる側の芸について言う言葉であるが、「見せどころ」、「聞かせどころ」は反対に演ずる側が言う言葉であろう。後者のような言葉が昔から芸能の世界にあったのかどうか私は知らないが、「見せ場」という言葉はあったらしい。辞書によれば、「みせば」は「
芝居などでその役者が得意とする芸の見せどころ」のことである。(「見せどころ」は――「聞かせどころ」も――辞典には見当たらない)が、それは役者自身が使ったのか、観客たちが「見どころ」を役者に
投影して使ったのか、辞書からはわからない。「見せどころ」、「聞かせどころ」も、芸能の演者自身が使っているのか、
興行や放送番組のプロデューサーなどが使っているのか、私はよく知らないが、とにかく、この二つの言葉がいま電波や活字に乗って
横行しているというのは、どういうことであろうか。
2. 「見どころ」、「聞きどころ」というのは、芸能を
享受する人たちが出し物や曲目からつよい感動をうける個所を指すが、その感動は、それを演ずる人の芸をはなれては生じないが、
享受する側の
鑑賞力をはなれてもありえない。芸能は
享受し
鑑賞する側と演ずる側とが対等であって、両者の交感が成立するときにはじめて十全なものになる。そして、「見どころ」、「聞きどころ」は、
享受する側の批評意識においてこそ成立するはずである。「見どころ」が
隙のない芸の全体をつうじてしか成立しないことを知っている本もの芸能人は、けっして、「見せどころ」、「聞かせどころ」などとは言わないにちがいない。「見せどころ」、「聞かせどころ」という言葉は、
享受する側を無視して、演ずる側が自己を∵
誇示しようとする態度を示すものであろう。その言葉には、演ずる側がその芸をセールス・ポイントにして
享受する側におしつけようとするあつかましさ、「ここが見聞きする価値のあるところだ」というおしつけがましさが感じられる。少なくとも、そこには、芸能人または興行者(放送のプロデューサーや解説者を加えてもいい)が、観客や
聴衆にいわば指導者として臨むという思い上がった姿勢が見られる。
3. だが、他方から見れば、多くの人びとが伝統芸能に対する教養と関心を失っていることもたしかである。かつて、
歌舞伎の観客なり
浄瑠璃の
聴衆なりは、演じられる出し物や曲目についてよく知っており、演ずる者と共通の理解のうえに立っていたが、今日、その共通の
地盤は大きく
崩れている。伝統芸能は生活の根から切りはなされて、いわば保存の対象にされている。だから何とかして多くの人たちに伝統芸能のよさを認識させようと熱意と
焦りが、芸能関係者たちに
啓蒙的指導者としての姿勢をとらせて、「見せどころ」、「聞かせどころ」などという
言葉遣いを生みだしたのかもしれない。
4. いずれにせよ、「見せどころ」、「聞かせどころ」という言葉は、伝統芸能の危機の深さを
端的に表現している。そして、そのような伝統芸能の危機が、日本の社会と日本人の生活意識とのすさまじいほどの急激な変化の一つの局面であることは、言うまでもあるまい。私は「見せどころ」、「聞かせどころ」という言葉のことを考えながら、
言葉遣いの変化という
些細な現象がどんなに複雑な要因をその背後にもっているかに思いあたって、あらためて
驚いた。こうした言葉の変化が日本語の混乱として現れているとすれば、それは日本の社会の変化というより、日本の社会と文化そのものの危機を表しているのではあるまいか。