長文集  10月3週  ★日本語は乱れているのか(感)  yu2-10-3
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2012/06/15 08:09:23
 【1】日本語は乱れているのか、いないの
か。その判断は案外難しい。日常的な感覚で
言えば、「コンビニ」というような名詞や、
「何気に」という副詞や、「お名前さまは?
」などという不気味な質問や、「私って、朝
、弱いじゃないですかあ。」というような話
し方を耳にすると、「日本語は乱れている、
世も末だ。」という気にどうしてもなる。
 【2】一方、客観的に考えれば、言葉は生
き物である。日本語と同じように、英語も古
英語と現代英語とでは大きな違いがある。お
そらく人間の話す言葉はいずれも同様であろ
う。どのような言語であっても、言葉は常に
動いており、時代とともに変化していく。だ
からこそ言葉はおもしろいとも考えられる。
 【3】それなら、なぜ私たちは言葉の変化
に神経をとがらせ、「乱れている」と嘆くの
だろうか。言葉が「乱れている」と我々が表
現する際の心持ちは、その変化が必ずしも好
ましい方向に向かっていないと本能的に感じ
ているか、あるいは、通常の変化の域を越え
ていることへの不安感に基づくものなのでは
あるまいか。
 【4】さらに、外国語からの借用語が入り
込み、日本語が急速に変貌を遂げていること
も「乱れ」と感じる一つの大きな要因となっ
ている。日本人は、日本語で同じ意味を表現
できるにもかかわら ず、半ば無意識に英語
を取り入れてきた。【5】その結果として、
英語からの借用語がただならぬ量で日本語を
侵食しつつある。たとえば、「介護」と言え
ばよいところを「ケア」と言う。自宅で食べ
れば単なる「ご飯」であるものが、レストラ
ンで出されると「ライス」となる不思議さ。
【6】ことは名詞にとどまらず、英語を日本
語の動詞として借用する頻度も増えている。
「トラブる」はすでに日本語として定着して
いると言ってよい。
 しかし、私が懸念を抱くのは、こういった
外来語の増加そのものより、他の点にある。
【7】一つは、こういったカタカナ語のほと
んどが「和製英語」であり、そのまま英語と
しては通用しないものである点。日本語とし
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て取り込んだ以上、どのように使おうと自由
であろうが、使用している側が、もとは英語
であると思い込んでいることがかえって始末
に悪い。【8】日本に住む外国人がもっとも
理解に苦労するのが和製英語だという現実も
、国際化という観点から見れば残念なことで
ある。∵
 懸念の第二点は、「乱れる」という以前に
、日本人の言語に対する姿勢が、ますます消
極的になっている感を受けることである。【
9】コミュニケーションがキーワードとなっ
ているのは表面的な話であり、実のところ、
日本人は若者も含め、コミュニケーションに
対するエネルギーを欠いたままである。その
一つの表れとして、少しでも長い単語は短縮
する傾向が強まっていること、特に若者にそ
れが顕著である点があげられる。【0】「ク
リスマス・パーティ ー」が「クリパ」にな
り、「ラブ・ジエネレーション」という人気
ドラマが「ラブ・ジェネ」となる。単語がこ
んな調子であるから、文章も短文と感動詞の
組み合わせで十分成り立ち、筋道を追った議
論を展開するよりは、「ウッソー、まじ?」
で普段の対人コミュニケーションがすんでし
まう。
 一つ一つの単語の次元を越え、コミュニケ
ーションというレベルで考えると、日本人は
、言葉を探し、言葉によって自己表現し、他
者との関係性を構築することに対して意欲的
でないことが、むしろ気になる。この原因が
何なのかは一概には言えないが、「共同体と
しての緊密性が言語表現への依存度を低くし
ている」というある学者の説が該当すると言
えるのだろうか。一昔前までは確かにそうだ
ったのだろう。しかし、現代の日本社会にお
ける言葉の軽さ、中身の伴わない言語のあり
ようを見ていると、個々人の言葉に寄せる信
頼感や期待感がなし崩しになってきたからだ
と思われる。言語に対する日本人のこのよう
な態度から考えると、日本語は乱れていると
いうより、むしろ力を失っていると言えない
であろうか。

(鳥飼玖美子「日本語は意欲を失っている」
より)