長文集  1月2週  ★慰霊祭のたびに官僚たちの挨拶が(感)  yube-01-2
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2012/06/15 08:09:23
 【1】慰霊祭のたびに官僚たちの挨拶があ
る。「……みなさまの尊い犠牲の上に今の平
和があることを決して忘れず……」という言
い回しを何度か聞いた。そのたびにそれは違
うと思った。犠牲がなければ今の平和がなか
ったわけではないだろう。【2】早い話が、
一九四四年末の段階で大日本帝国ファシスト
(軍国主義者)政権が降伏していれば、三月
十日の東京大空襲の死者十万人も、沖縄戦の
死者二十三万人も、ヒロシマの死者十五万人
もナガサキの死者七万人も出さずに済んだ。
【3】同じように、シンガポールで死んだ人
たちも南京(なんきん)で死んだ人たちも、
そもそも日本軍が来なければ自分たちは……
と言うはずだ。
 誰だって同胞たちの死を無駄とは思いたく
ない。意義のある崇高な死と見なしたい。【
4】しかし、無駄と認めないのは、自分たち
人間の愚かさを糊塗(こと。とりつくろって
ごまかすこと)することに他ならない。数百
万人の死という犠牲の上にしか二十世紀後半
の平和が成立しないのだとしたら、そんな平
和はいらない。【5】死者たちの上に築かれ
た平和を楽しむ資格など誰にもないではない
か。覚悟の犠牲ではなく無念の死であったと
いう前提から考えないかぎり、また同じこと
がくりかえされるだろう。
 ヒロシマへの原爆投下の正当性を言い張る
人々がまだアメリカには多いようだ。【6】
つまり、あそこで原爆を使わなければ本土上
陸作戦でたくさんのアメリカの若者が死んだ
し、日本側の犠牲も多かったはずだという論
法。あの時点でトルーマン大統領にいかなる
選択肢があったかを考えて、アメリカ兵の死
者の数について、数万人から百万人までさま
ざまな数字が提出されている。【7】その前
提として、沖縄戦で日本軍はあれだけ頑強に
抵抗したではないかとも言われる。実際の話
、沖縄では日本軍は民間人を楯に取り、白旗
を掲げてアメリカ兵を呼び寄せた上で反撃す
るようなアンフェア(公正でないこと)まで
した。
 【8】これに対して、日本の側から何の反
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論も出てこないのはなぜだろう。ヒロシマと
ナガサキに原爆が落とされなかったと仮定し
て、∵いったい大日本帝国はどこまで抵抗し
たか。軍の指揮系統はどの程度混乱していた
のか、天皇はどこで収拾を図り得たか。【9
】だいたいあの時期には誰にどれだけの権力
・指揮力があったの か。五十年もたって、
関係者の多くが死んでしまって、回想録の類
(たぐい)も出尽くしたというのに、その程
度のシミュレーション(模擬的に調査・実験
をして研究すること)を誰もしていない。【
0】戦争で死んだ人々の大半は若かった。高
い地位にいたくせに責任の所在をごまかす卑
怯者ばかりが生き残ったとしたら、いかに慰
霊祭を重ねても若い死者たちは浮かばれない
だろう。戦後五十年、各論として名誉の破片
を拾う本はたくさん出たが、究極の責任を問
う史書はまだ出ていない。だから、原爆投下
に対しても決定的な反論ができない。
 「二十年前の八月十五日、私は哀れな捕虜
として、フィリピンの収容所にいた。敗戦が
近いのは覚悟していたが、祖国が敗れたのは
初めての体験である。捕虜の仲間といっしょ
に、少し泣いた」と大岡昇平は書いた。あの
時期に、あの状況で、少ししか泣かなかった
ことがこの人の知の力だと思う。その力をも
って大岡さんは事実による鎮魂(死者の魂を
しずめること)を行った。薄っぺらな政治の
言葉ではなく、戦場で何が起こったかを確定
してゆく堅固な言葉によって、あの戦争を定
義した。『レイテ戦記』(大岡昇平の書いた
戦争文学)を読み返すのも、ぼくにとっては
今年の夏の黙祷の一つだった。

(池澤夏樹『黙祷の夏』による)