長文集  3月1週  ★学童のあそびには多くの想像力や(感)  yube-03-1
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2016/12/15 04:23:36
【二番目の長文が課題の長文です。】
 【1】欧米語に対する社会一般の軽薄な好
奇心を統制して大和(やまと)言葉ないしは
東洋語の尊重を自覚させるにはどうしたらい
いか。その基礎がひろく日本精神の鼓吹にあ
ることはいうまでもない。基礎さえ出来れば
外来語はおのずから影をうすくするであろ 
う。基礎が出来なくては何もならない。【2
】基礎を前提すると共に基礎の建設に貢献す
べき言語統制の方法としては、文筆に携わる
ものが必要のない外来語は断然用いない決意
を強固にし、まず新しい外国語がはいってき
かけた場合には自己の好奇心を抑圧して直ち
に適当な訳語をつくること、【3】またいっ
たん通用してしまった場合にはなるべく早く
訳語をつくって原語を社会の識閾(しきい 
き)から駆逐する事を計らなければならない

 いったん、外来語が社会的識閾へ上って常
識化されてしまうと便利であるから誰しも使
うようになる。【4】それ故に常識化される
までに一般的通用を阻止することに全力をそ
そがなくてはならな い。そして不幸にも既
に言語の通貨となりすましてしまったならば
贋金(にせがね)を根絶することに必死の努
力を払うべきである。【5】失望するには当
らない。「オールドゥーヴル」は「前菜」に
殆ど駆逐されたかたちである。「ベースボー
ル」は「野球」に完全に駆逐されてしまった
。これらの事実は我々に勇気と希望とを与え
る。【6】新しい言語内容に関して外国語を
そのまま用いればなるほど一番世話はない。
好奇心を満足させることも事実である。しか
しそれではあまりにも自国語に対する愛と民
族的義務とに欠けている。
 【7】西洋哲学の術語などは明治以来諸先
輩の努力によって殆どすべて翻訳され尽して
いる。範疇(はんちゅう)、当為、止揚、妥
当などというむつかしい言葉も今日ではもう
日用語になりきってしまった。∵【8】哲学
上の言葉は概念的抽象的であるからある意味
ではかえって翻訳とその通用とが容易である
とも考えられる。すべて言語の内容が客観的
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知的である場合には翻訳が成立しやすく、主
観的情的である場合には翻訳がうまくいかな
いことは事実である。
 【9】生活と密接な具体的関係にある言葉
は雰囲気の情調を満喫していて他国語への翻
訳が困難であるには相違ないが、それも程度
の問題であって、外来語の国訳へ向って出来
得る限りの努力が払われなくてはならない。
【0】知識階級が全面的に誠意ある努力をこ
の点に払うならば必ず社会民衆が納得して使
用するような新鮮味ある訳語が出来てくると
信ずる。
 日本人は一日も早く西洋崇拝を根柢から断
絶すべきである。殊(こと)に文筆の上で国
民指導の位置にある学者と文士と新聞雑誌記
者とが民族意識に深く目覚めて、国語の純化
に努力し、外来語の排撃に奮闘し、社会の趣
味を高きへ導くことを心掛けなければならな
い。

 「外来語所感」(九鬼周造)より∵
 【1】学童のあそびには多くの想像力や抽
象思考力がはいってくるからきわめて多彩な
ものになる。すでに三歳ごろからみとめられ
たことではあるが、低学年ではとくに「何な
にごっこ」がさかんになる。【2】たとえば
小学校一年の男の子二人は学校から帰ると必
ずどちらかの家に行って、庭に大きなみかん
箱をひきずり出し、めいめい一つの箱にはい
って、自分たちはこの舟の船長なんだぞ、と
言い合い、荒れる海を航海するつもりになっ
てさかんに体をゆす り、箱をガタガ夕させ
るあそびを「発明」した。【3】これがよほ
ど気に入ったらしく、かなりの間、同じあそ
びを、いろいろと変化を加えながらくりかえ
していた。七、八歳ぐらいまでの子はあきず
に同じ「ごっこ遊び」をくりかえす。しかも
その度に本気でだれか他の人物になったつも
りになり、たとえば右の場合ならそのたびに
勇猛心や冒険心がこころに湧きあがるらしい
。【4】箱がひっくりかえって少々のけがを
したところで、それはあそびをいっそうおも
しろくするばかりである。女の子も勇ましい
あそびに加わることがあるが、女の子同士だ
と、もっと静かでしばしばロマンティックな
あそび、たとえば「おひめさまごっこ」など
をする場合も少なくない。【5】いずれにせ
よ、同じこころの世界に遊んだ者同士とし 
て、こうした幼な友だちの味は一生忘れられ
ないものとなる。おそらくそれはのちの交友
、恋愛、結婚などという対人関係の基盤をつ
くる力を持っているのであろう。
 【6】ボールあそびなどというものは、も
っと幼いときから「心身の機能をはたらかせ
るもの」として行われていたが、小学校の上
級になるほどチームを組んで、ルールを守る
という本格的なゲームのかたちをとるように
なる。【7】子どもたちがその発達に応じて
どのようにルールを意識するか、をピアジェ
(スイスの心理学者)はくわしく観察した。
五歳ごろまでは、ルールは少しも強制された
ものとは子どもに感じられず、いわばただお
もしろいモデルとしてうけとめられる。【8
】五歳以後になるとルールは神聖でおかすべ
からざるものとして感じられる。ルールは大
人がつくったもので、永久にそのままつづく
ものと子どもは思うので、ちょっとでもルー
ルを変えようとすると重大な違反、という印
象を子どもに与える。【9】第三の最終段階
になると、ルールというものは皆で協定を結
んで作ったものだ、ということがわかってく
るので、それをうけ入れるのは、いわ∵ば自
分で自分に課したことで、外側から強制され
たものとは感じられない。【0】ルールに従
うのは集団に忠実であるためで、もしルール
が望ましくないとなれば、皆で相談して変え
ることもできるのだ、というように考える。
このような考えかたは十一歳か十二歳ごろに
やっと到達するもので、もうこれは大人の考
えかたといってよい。このような考えのもと
で行われるゲームをピアジェは「自律的ゲー
ム」と呼び、それ以前の「他律的ゲーム」と
対比させている。
 ゲームとは、あそびの一種にすぎないとは
いえ、この種のあそび活動を通して社会的ル
ールを守ること、そのために他人と協力する
こと、つまり倫理の基本的訓練が行われるの
に注目しよう。修身の訓話よりもこうしたあ
そびの中で子どもの社会性が育って行くこと
を考えれば、それだけでもあそびの重要性が
わかる。
 さらに、あそびの中で想像性がゆたかに発
揮されると、創造的活動にまでつながって行
く。「ごっこあそび」もその萌芽だが、構想
力、表現力が発達した子どもは、たとえば「
ものがたりあそび」を早くから始める。夜ね
る前のひととき、弟妹たちにおとぎ話を「発
明」して話してきかせる子がある。それはし
ばしば「つづきもの」で、一人の主人公が、
毎晩新しい経験や活動を行なう。幼児期の子
には「お話」をきくのが大きなよろこびなの
で、皆一心に耳をすませ、主人公のよろこび
や悲しみに一喜一憂しているうちに、語り手
もきき手もいつの間にか眠りこんでしまう。
ウルフ(イギリスの女流作家)はきわめて幼
いころから、こうした「語り手」だったとい
うが、のちに作家になるほどの人間でなくと
も、学童期は、こうした空想の世界が花ひら
く時代である。それは審美的感情の発達とき
わめて密接にむすびついている。子どもの多
くが詩人的素質を示すのも、彼らの新鮮な感
受性と、奔放な空想力が発達するからであろ
う。これはうまく発達させれば、大人の卑小
な「現実」を乗り越えさせ、新しい精神の世
界を生み出す基礎能力となるのだから、大人
はなるべくこの芽をつんでしまわないように
、むしろ子どもから学ぶように心したいもの
だ。こうした面を発達させるために、学校の
国語教育や作文の授業はきわめて大切な役割
を持っているにちがいない。