1. 【1】
妖怪の中に「もののけ」という種類があって、これは「もの」につく。
一般には、「ものの毛」と書いて、これは「もの」に生える「毛」のことであろうと考えられているようであるが、そうではない。「ものの気」と書いて、これは「もの」が
漂わせているかに見える「気配」のことである。
2. 【2】つまりこれは、「もの」についてそれが「もの」であることを、次第に
歪曲もしくは変質させてゆくわけであり、それが我々には、どことなく得体の知れない「気配」を
漂わせているように見えるのであるが、ここで言う「もったい」も、そうした「もののけ」の
亜種にほかならない。【3】そしてそれがつくと、我々はその「もの」を、むしょうに捨てたくなる。
3. 従って逆に、それのついていないものを見ると、むしょうに拾いたくなる。【4】つまり、「もったいない」のである。我々は、定期的にごみ捨て場をうろつき、「もったいない」とつぶやきながらあれこれと拾い集める連中を見て、「あれはきっと、それらのものが拾ってくれ拾ってくれと、連中をそそのかすからに
違いない」と考えるが、実はそうではない。【5】「もの」に「もったい」という「もののけ」がついている時、その「もの」が我々に「捨てろ捨てろ」とそそのかすのであり、「もったいない」と言って拾うのは、単にその反動にすぎないのである。(中略)
4. 【6】ところで、人類史をひもとくまでもなく我々は、かつて「
狩猟採集時代」というものを経験し、今また「消費
遺棄時代」というものを
迎えつつあることを、よく知っている。つまり、その生活の主たる様態を、「拾う」ことから「捨てる」ことへ、大きく
転換させつつあるのだ。【7】
妖怪もったいは太古より存在し、それが「もの」についたり
離れたりすることにより、人々にそれを捨てさせたり拾わせたりする法則性は、何ら変化していないにもかかわらず、こうした
転換が行なわれたということは、明らかに
奇妙なことと言えよう。
5. 【8】現在、もったい専門の
妖怪学者が問題としているのは、この点にほかならない。言うまでもなく、考えられることはひとつである。つまり「
狩猟採集時代」から「消費
遺棄時代」に至る期間∵の、どこかの時点で文明が、もったいを
人為的に操作しはじめたのだ。【9】文明がもったいという
妖怪の存在に気づき、それをひそかに養い育て、「もの」に自由につけたり
離したりすることができれば、人々に「もの」を、これまた自由に捨てさせたり拾わせたりすることができるようになるのは、道理である。
6. 【0】もちろん文明が、人々に「もの」を捨てさせなければならなくなった理由は、
誰もが知っている。あらためてここで歴史の復習をする
余裕はないが、この間に人類は「産業革命」を経て「大量生産時代」を
迎えたのであり、当然ながらその大量に生産された「もの」は、大量に消費されなければならなくなったのである。しかし、生産力というものはやみくもに向上させることができるが、消費の方はそうはいかない。そこで、どうするべきか。
7. 当たり前の文明ならここで消費に見合うべく生産力の方を
抑えるであろう。ところが、我々の文明はそうしなかった。生産力を
抑えるどころか、それをさらに向上させ、我々の消費の手に余る分を、そのまま捨てさせることにしたのである。このあたりが、我々の文明の、天才的なところと言えよう。そしてそのためにも、
妖怪もったいが
駆り出されるハメになったのだ。
8. 前述したように、「もの」に「もったい」がつくと、我々はそれをまだ消費しつくしてないにもかかわらず、むしょうに捨てたくなる。文明は――というより、現在それをしているのは流通経済の
中枢を支える専門家たちであるが――ひそかにこの操作をしている。つまりこれを、専門用語で「もったいをつける」と言う。「もったい」がつくと、何となくその「もの」が、「重く」感じられたり、「わずらわしく」感じられたり、「うっとうしく」感じられたりするのである。
9. もちろん、こうした専門家たちだって
馬鹿ではないから、商店へ並べられた商品に「もったい」をつけるようなことはしない。そんなことをすれば我々は、消費はおろか、「
購入する」ことをすらしなくなる。商品の流通が
円滑に行なわれるためには、我々がそれを買って帰り、包装紙を開いたとたん、それがつくようにしなければならない。ということから考えれば、シャーロック・ホームズを∵一冊でも読んだことのあるものには、どこにカラクリがあるか、すでに推理できたことであろう。そうなのだ。包装紙である。
化粧箱である。そして、それを結ぶリボンである。そこにもったいが
仕掛けられ、それらを解き放ったとたん、それは中の商品につくことになっているのである。包装紙や、
化粧箱やリボンを、もったいないと言ってしまっておきたくなるのは、そこにそれまでついていたもったいが、中の商品に移り住んでいるからにほかならない。
10. かくて、流通経済は
円滑に機能し、生活は
潤い、我々は満足している。「もったい」である。
妖怪もったいの養育と、専門家たちによるその見事な操作によって我々は「捨てるために手に入れる」という、生物学的には
希有の性向を身につけ、「消費を上回る生産」という、あり得べからざる事態を楽々とこなしているのだ。
11.(別役実『当世もののけ生態学』より)