長文 3.4週
1. 子どもたち全員と学校の裏手の雑木山に出かけました。日かげのさわにはまだ汚れよご た雪が残っていましたが、陽だまりは枯れ葉か は柔らかいやわ   熱を含みふく 、そこを歩くときにほおに暖かみを送ってきます。子どもたちは歓声かんせいをあげ、木に登ったり、つるにぶらさがったり、カタクリを摘んつ だりしました。教室にいるときとは別人のようでした。
2. 枯れ草か くさこしをおろしていると、六年生らしい女の子が寄ってきました。ほおに赤いあざのあるひっそりとした感じの子でした。女の子はだまってわたしのそばにすわり、しばらく枯れ草か くさ引き抜いひ ぬ ては編んでいましたが、やがてぽつりと言いました。
3.「こんどの先生ァ、男先生もおなゴ先生もいい先生だね。」
4.「…………。」
5. わたしはとっさにはこたえることができませんでした。今の今まで村や分校や子どもたちをよく思っていなかったような気がしました。わたしは小さな狼狽ろうばい押し隠しお かく ながら、女の子の名前や家の仕事のことや兄弟のことを聞きました。里枝というその女の子は、一言一言恥ずかしは   がるように言い淀みい よど ながら自分のことを語りました。なまりの強い方言は、わたしには耳ざわりなはずでしたが、おとなしい里枝の口からそれが洩れるも  と、素直にわたしのからだの中に溶けと こんでいくようでした。
6. 先生! とだしぬけに後ろから背中をたたかれ、わたしは思わず悲鳴をあげました。どんぐりまなこの一年生の明が、眼をいっそう大きく見開き、息をはずませていました。
7.「先生ァ、おらァ卒業するまでいてくれるね。」
8.「どうして?」
9.「ほだって……。」
10. 明は後ろをふりかえりました。明をからかったらしい背の大きい男の子が朴の木ほう きによりかかり、照れ笑いを浮かべう  てこっちを見ていました。
11.「兼吉けんきちがな。ハイカラ先生などァ一年で分校なんかやめて、すぐ町サ帰るって……。」
12.「先生はハイカラじゃないよ。」∵
13.「ハイカラださァ、金色の眼鏡かけてェ。」
14. わたしは思わず笑いました。女学校の卒業記念に、役場の書記をしていた父が買ってくれた旧式の金縁きんぶちの眼鏡を、わたしは大事に使い続けていたのでした。

15.(三好京三「分校日記」)