長文 1.1週
1. 【1】「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言えり。されば天より人を生ずるには、万人は万人みな同じ位にして、生まれながら
貴賤上下の差別なく、万物の
霊たる身と心との働きをもって天地の間にあるよろずの物を
資り、【2】もって衣食住の用を達し、自由自在、
互いに人の
妨げをなさずしておのおの安楽にこの世を
渡らしめ給うの
趣意なり。されども今、広くこの人間世界を
見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、【3】
貴人もあり、
下人もありて、その有様雲と
泥との
相違あるに似たるはなんぞや。その次第はなはだ明らかなり。『
実語教』に、「人学ばざれば
智なし、
智なき者は
愚人なり」とあり。【4】されば
賢人と
愚人との別は学ぶと学ばざるとによりてできるものなり。また世の中にむずかしき仕事もあり、やすき仕事もあり。そのむずかしき仕事をする者を身分重き人と名づけ、やすき仕事をする者を身分軽き人という。【5】すべて心を用い、心配する仕事はむずかしくして、手足を用うる
力役はやすし。ゆえに医者、学者、政府の役人、または大なる商売をする町人、あまたの
奉公人を
召し使う大
百姓などは、身分重くして貴き者と言うべし。
2. 【6】身分重くして貴ければおのずからその家も富んで、
下々の者より見れば
及ぶべからざるようなれども、その
本を
尋ぬればただその人に学問の力あるとなきとによりてその
相違もできたるのみにて、天より定めたる約束にあらず。【7】
諺にいわく、「天は富貴を人に
与えずして、これをその人の働きに
与うるものなり」と。されば前にも言えるとおり、人は生まれながらにして貴
賤・貧富の別なし。ただ学問を勤めて物事をよく知る者は
貴人となり
富人となり、無学なる者は
貧人となり
下人となるなり。∵
3. 【8】学問とは、ただむずかしき字を知り、
解し難き古文を読み、和歌を楽しみ、詩を作るなど、世上に実のなき文学を言うにあらず。これらの文学もおのずから人の心を
悦ばしめずいぶん調法なるものなれども、【9】古来、世間の
儒者・和学者などの申すよう、さまであがめ
貴むべきものにあらず。古来、漢学者に世帯持ちの上手なる者も少なく、和歌をよくして商売に
巧者なる町人もまれなり。【0】これがため心ある町人・
百姓は、その子の学問に出精するを見て、やがて身代を
持ち崩すならんとて親心に心配する者あり。無理ならぬことなり。
畢竟その学問の実に遠くして日用の間に合わぬ
証拠なり。
4. されば今、かかる実なき学問はまず次にし、もっぱら勤むべきは人間
普通日用に近き実学なり。
5. 「学問のすすめ」(
福沢諭吉)より
長文 1.2週
1. 【1】
慰霊祭のたびに
官僚たちの
挨拶がある。「……みなさまの尊い
犠牲の上に今の平和があることを決して忘れず……」という言い回しを何度か聞いた。そのたびにそれは
違うと思った。
犠牲がなければ今の平和がなかったわけではないだろう。【2】早い話が、一九四四年末の段階で
大日本帝国ファシスト(軍国主義者)政権が
降伏していれば、三月十日の東京大
空襲の死者十万人も、
沖縄戦の死者二十三万人も、ヒロシマの死者十五万人もナガサキの死者七万人も出さずに済んだ。【3】同じように、シンガポールで死んだ人たちも
南京で死んだ人たちも、そもそも日本軍が来なければ自分たちは……と言うはずだ。
2.
誰だって
同胞たちの死を
無駄とは思いたくない。意義のある
崇高な死と見なしたい。【4】しかし、
無駄と認めないのは、自分たち人間の
愚かさを
糊塗(こと。とりつくろってごまかすこと)することに他ならない。数百万人の死という
犠牲の上にしか二十世紀後半の平和が成立しないのだとしたら、そんな平和はいらない。【5】死者たちの上に築かれた平和を楽しむ資格など
誰にもないではないか。
覚悟の
犠牲ではなく無念の死であったという前提から考えないかぎり、また同じことがくりかえされるだろう。
3. ヒロシマへの
原爆投下の正当性を言い張る人々がまだアメリカには多いようだ。【6】つまり、あそこで
原爆を使わなければ本土上陸作戦でたくさんのアメリカの若者が死んだし、日本側の
犠牲も多かったはずだという論法。あの時点でトルーマン大統領にいかなる
選択肢があったかを考えて、アメリカ兵の死者の数について、数万人から百万人までさまざまな数字が提出されている。【7】その前提として、
沖縄戦で日本軍はあれだけ
頑強に
抵抗したではないかとも言われる。実際の話、
沖縄では日本軍は民間人を
楯に取り、白旗を
掲げてアメリカ兵を呼び寄せた上で
反撃するようなアンフェア(公正でないこと)までした。
4. 【8】これに対して、日本の側から何の反論も出てこないのはなぜだろう。ヒロシマとナガサキに
原爆が落とされなかったと仮定して、∵いったい
大日本帝国はどこまで
抵抗したか。軍の指揮系統はどの程度混乱していたのか、天皇はどこで収拾を図り得たか。【9】だいたいあの時期には
誰にどれだけの権力・指揮力があったのか。五十年もたって、関係者の多くが死んでしまって、回想録の
類も
出尽くしたというのに、その程度のシミュレーション(
模擬的に調査・実験をして研究すること)を
誰もしていない。【0】戦争で死んだ人々の大半は若かった。高い地位にいたくせに責任の所在をごまかす
卑怯者ばかりが生き残ったとしたら、いかに
慰霊祭を重ねても若い死者たちは
浮かばれないだろう。戦後五十年、各論として
名誉の破片を拾う本はたくさん出たが、究極の責任を問う史書はまだ出ていない。だから、
原爆投下に対しても決定的な反論ができない。
5. 「二十年前の八月十五日、私は
哀れな
捕虜として、フィリピンの収容所にいた。敗戦が近いのは
覚悟していたが、祖国が敗れたのは初めての体験である。
捕虜の仲間といっしょに、少し泣いた」と
大岡昇平は書いた。あの時期に、あの
状況で、少ししか泣かなかったことがこの人の知の力だと思う。その力をもって
大岡さんは事実による
鎮魂(死者の
魂をしずめること)を行った。
薄っぺらな政治の言葉ではなく、戦場で何が起こったかを確定してゆく
堅固な言葉によって、あの戦争を定義した。『レイテ戦記』(
大岡昇平の書いた戦争文学)を読み返すのも、ぼくにとっては今年の夏の
黙祷の一つだった。
6.(
池澤夏樹『
黙祷の夏』による)
長文 1.3週
1. 【1】一流ホテルの、いかにも「一流でござい」というロビーに、たいていこうした男女の一群がたむろしているのは、そうでないとどうしていいかわからない客がいると考え、ホテル側があらかじめそれ専門の「仕出し屋」に
頼んで用意しておく場合が多いからである。【2】当然、経費もかかるが、ロビーを利用する客にランクの最上位にある「待ちあわせ場所」としてふさわしい体験をしてもらうことはホテル側としても望ましいことであるし、これにはちょっとした教育効果もある。【3】つまり、
彼等があまり
傍若無人な
振る舞いに
及ぶと、ボーイが近づいて行って「周囲のお客様が
迷惑をいたしますから」と、それとなく注意をするのを見かけるであろう。あれは、そうすることによって「周囲の客」の方が、「ははあ、ホテルのロビーであんなことをしてはいけないんだな」と学ぶことを、期待しているのである。
2. 【4】もちろん、くり返しそこで待ちあわせをし経験を積むと、もう、そうした
騒がしい男女の一群がかたわらにいなくとも、何とかそれらしくそこに座っていられるようになる。【5】しかし、ホテルのロビーは、
奥が深い。ある日、
彼もしくは
彼女は、近くに座っていた若い女性がちらりと指をあげ寄ってきたボーイに「お手洗いはどちら」と聞き、「あのエレベーターの
奥にございます」と言わせてから、「ありがとう」とハンドバッグを持って立ち上がるのを見る。【6】「なるほど、そうなんだ」というわけだ。なぜなら、それまで
彼もしくは
彼女は、自ら立ってボーイに近づき、時には向こうに行くボーイに走って追いつき、「ねえ、トイレはどこ」と聞いていたからである。
3. 【7】ホテルのロビーでは「ボーイにむこうからやって来させる」のでなければいけない。それが一流ホテルのロビーを利用する、一流の客のやり方なのだ。そこで、次の日から早速これを試みることになるのだが、簡単なようでこれがなかなかできない。【8】指をちらりと持ち上げた程度では、ボーイなんか来てくれやしないのだ。しかし、飲み屋でおねえちゃんに焼き鳥を
頼むのではないから、「おーい」と
叫んだり、パチパチと手をたたいたりするわけにはいかない。【9】ロビーに入ってきた時に、あらかじめボーイに注目させておき、その一挙手一投足に意味を持たせておいて、タイミングよくちらりとやらないと、これは空を切る。
4. ただし、難しいだけにこれが成功した時の感動は、えも言われな∵い。【0】ホテルのロビーにいることの、
奥儀に達したのだという気がするのである。そして、教えられた通りトイレに入って、洗った手をぬぐいながら出てくると、そこに、くだんのボーイが立っている。「お客さま」と、
彼が言うのである。「お客さまこそ、ホテルのロビーを利用なさるにふさわしい方とお見受けいたしました。ついては明日より、失礼ながら日当をお
払い致しますので、当ホテルのためにロビーに座っていただけませんでしょうか。他の、まだホテルのロビーになれないお客さまのための、
模範になっていただきたいと存じますので……」
5. つまり、ホテルのロビーにいる「どうしようもない田舎者」と、「これこそが都会人」と思えるものは、
双方ともホテル側の「
雇われ」なのだ。その間をキョロキョロしながらうろつきそれぞれから何ごとかを学ぼうとしているのが、本来の客ということになる。もちろん、学び終わって「田舎者」度がすっかり
払い落とされると、ボーイがやってきて
雇ってくれる。
6.(別役実『都市の
鑑賞法』による)
長文 1.4週
1. 旅に出て未知の風景に接し、感動する前に、「ああ、絵はがきとそっくり。」というセリフを口にする人をよく見かける。また、最近のように飛行機利用のたびが盛んになると、若い女性が下界を見ながら、「まあ、地図とそっくりね。」という
歓声をあげる。しかし人間は、飛行機を発明してから百年とは経過していないのに、今や、
驚異的な速さのジェット機を考え出し、それが人間を苦しめようと
疲労させようとおかまいなしに、ますますスピードを速めようとつとめている。一昔前は船でインド洋を横断して、はるばると
欧州を目指したのに、それが、現在はどうだ。あっという間に目的地に着いてしまう。
2. 思うに、人々は旅というものへの導入部を持つことが少ない。この導入部が実は旅だったのだが、今では目的の地へ着くことだけが旅のように思われてしまった。そして、それが旅だと思いこんでしまう現代人は気の毒だ。乗り物は極めて速くなり、時間の節約といちはやく目的地へ着くことは実現されたが、旅情はそれに比例するとはいえないからだ。
3. そのうち、人々はもうわかってしまっているから、旅に出る必要はないなどといいかねない。旅とは未知のものを知るだけの
行為ではないのである。旅をして、「絵はがきそっくりの風景」という感想を口にするような人にとっては、いっそ旅などしない方がいいのだ。
4. 旅は心の中でもできる。
病床に
臥している人でも、現実にそこを旅した人よりも旅情を味わっている場合がある。それは想像力が豊かだからだ。逆に、小説の中に
描かれた風景や土地にあこがれてそこへ行き、現実には失望したといって帰ってくるような人もいる。それは、小説家がうそをついたのではない。現実が先行して実景を変えたのでもない。
5. 旅情というものは、意外に、その人の心の中にあるものだということである。ある土地へ旅をして、何が心に残ったか、胸に手をあててそれを思い返してみるとわかる。旅先での、絵はがきや小説では体験できなかった未知の人との出会い、その人のおしゃべりやアクセント、そして、そのとき自分が味わった何ともいえない感情、そうしたものが旅の忘れ得ぬ一こまではなかったか。そういうイメージは常に自分の心の側にある。心が風景をみるのである。
6.(
岡田喜秋「旅に出る日」)
長文 2.1週
1.【二番目の長文が課題の長文です。】
2. 【1】文化の発展には民族というものが
基礎とならねばならぬ。民族的統一を形成するものは
風俗慣習等種々なる生活様式を挙げることができるであろうが、言語というものがその最大な要素でなければならない。故に
優秀な民族は
優秀な言語を
有つ。【2】ギリシャ語は
哲学に適し、ラティン語は法律に適するといわれる。日本語は何に適するか。私はなおかかる問題について考えて見たことはないが、一例をいえば、俳句という
如きものは、とても外国語には訳のできないものではないかと思う。【3】それは日本語によってのみ表現し得る美であり、大きくいえば日本人の人生観、世界観の特色を示しているともいえる。日本人の物の見方考え方の特色は、現実の中に無限を
掴むにあるのである。【4】しかし我々は単に俳句の
如きものの美を
誇とするに安んずることなく、我々の物の見方考え方を深めて、我々の心の底から
雄大な文学や深遠な
哲学を生み出すよう努力せなければならない。【5】我々は腹の底から物事を深く考え大きく組織して行くと共に、我々の国語をして自ら世界歴史において他に類のない人生観、世界観を表現する特色ある言語たらしめねばならない。【6】本当に物事を考えて真に
或物を
掴めば、自ら他によって表現することのできない
言表が出て来るものである。
3. 日本語ほど、他の国語を取り入れてそのまま日本化する言語は少いであろう。【7】久しい間、我々は漢文をそのままに読み、多くの学者は漢文書き下しによって、否、漢文そのものによって自己の思想を発表して来た。それは一面に純なる生きた日本語の発展を
妨げたともいい得るであろう。【8】しかし一面には我々の国語の自在性というものを考えることもできる。私は復古
癖の人のように、
徒らに言語の
純粋性を主張して、
強いて古き言語や語法によって今日の思想を言い表そうとするものに同意することはできない。【9】無論、古語というものは我々の言語の源であり、我民族の成立と共に、我国語の言語的精神もそこに形成せられたものとして、何処までも深く研究すべきはいうまでもない。しかし言語というものは生きたものということを忘れてはならない。【0】『源氏』などの中にも、∵
如何に多くの漢字がそのまま発音を丸めて用いられていることよ。また
蕪村が俳句の中に漢語を取り入れた
如く、外国語の語法でも日本化することができるかも知れない。ただ、その消化
如何にあるのである。
4. 「国語の自在性」(西田
幾多郎)より∵
5. 【1】イスラエルを旅していたとき「ここでは全員
一致の裁決は採用しないんですよ」と聞かされた。
6. ユダヤ教の習慣だ、というような話だったが本当だろうか。
根拠は、もう一つ、はっきりとしないけれど、事実ならば、なかなか興味深い。
7. 【2】みんなが賛成したときには、それをよしとしない、と言うのだから「そんなばかな」という声が、すぐさま聞こえてきそうな気もするが、この種の言い分は一つのパラドックスである。そのまま受け取ってはなるまい。どういう条件の中でそれを言っているのか、中身を
吟味する必要がある。
8. 【3】まず第一に、みんなが
一致できるような案件は、いちいち採決にかけないという事情があるだろう。答えが初めからわかっていることを、わざわざ問いただして全員
一致を確認するケースは『ない』とは言わないが、あまり意味を持たない。【4】だから、ことさらに裁決を求めるのは、べつな考えがありそうなときであり、そうであるにもかかわらず、裁決の結果、全員
一致というのは、ちょっと疑ってみたほうがよい、という教えだろう。
9. たとえば、みんなが
熟慮せず、いい加減に答えているケースがある。【5】また反対意見をすなおに言い表せない
状況が、そこに
伏在しているケースも少なからずありそうだ。さらにまた、あまりかんばしくない根まわしがおこなわれているケースもあるだろう。
10. こういう事情を
勘案すれば、一つのパラドックスとして「全員
一致は採用せず」という
理屈も理解できる。
11. 【6】たとえば
日本相撲協会。ほとんどの重要議題が、全員
一致でシャンシャンと決定すると聞いたことがあるけれど、私なんか根が疑い深くできているから、
12. ――本当かいな――
13. と首をかしげてしまう。異論を唱えると、いろいろまずいことが生じそうだから、形だけ
一致させている、と、そういうことではないのか。
14. 【7】これが私の
勘ちがいならば、まことにご
同慶にたえないが、
相撲協会はともかく、こうした気配を
漂わせている全員
一致も、世∵間にはけっしてまれではあるまい。わざわざ裁決を必要とするような案件ならば、一人や二人、異論を
挟む者がいるほうが自然である。
15. 【8】お話変わって、テレビの時局討論会などを聞いていると、司会者が、「イエスかノーかで答えてください」と言っているのに、長々と意見を述べる論者が多い。と言うより、この設問に対して「イエス」あるいは「ノー」のひとことで答えたケースを、私は見たことがない。
16. 【9】この設問に対する答えは「イエス」か「ノー」か、あるいは「この問題にはイエスかノーかで答えられません」か、この三つしかないと思うのだが、現実には、どれでもないことが
圧倒的に多いのである。
17. 【0】論者の本心を推測すれば、イエスかノーか答えはできているし、答えようと思えば答えられるのである。ただ、イエスの中にもいろいろなイエスがある。ノーの中にも同様にいろいろなノーがある。自分の心中を
尋ねてみて百対ゼロの確信でイエスが言える場合もあれば、五十五対四十五でからくもイエスに
傾いている場合もある。その内容はとても複雑だ。
18. にもかかわらず、「イエス」と答えたとたん、すべて百対ゼロのイエスのような印象をふりまくことになってしまう。その誤解を
避けるあまり、簡単に答えることができない。
19. 五十五対四十五の迷ったあげくのイエスと、四十五対五十五の迷ったあげくのノーとの間には、十ポイントのちがいしかない。
僅少差と言ってよい。さらに言えば、五十五対四十五のイエスは、百対ゼロのイエスより、ずっと四十五対五十五のノーに近いのである。が、結果的には、それもイエスのグループにまとめられてしまう。
20. この世にある、すべての困難な決断は、五十五対四十五と、四十五対五十五との間にある、と私は考えている。百対ゼロはおろか、七十対三十くらいの
状況だって、判断は明々白々、
悩むほどのことではない。五十五から四十五に至る
僅少の差異を……わずかな迷いをどう考えるか、この世の
悩みは、そこにある。こんなふうに考えてみると、全員
一致を
排除するパラドックスもおおいに意味を持つように思えてならない。 (
阿刀田高の文章による)
長文 2.2週
1. 【1】文化もパーソナリティも、多くの場合すこしずつ変化し、そしてときには大きく急速に変化しうるものである。文化のコードは長年の間にひとりひとりの人間の安全と満足をもとめる欲望があつまって、
暗黙の合意のうちにつくりあげられてきたと考えられがちである。【2】しかし、次第に社会が強く組織化されるとともに、そこには、社会の強者、すなわち権力者の安全と満足をもとめる欲望が支配的なものとなっていったのは自然のなりゆきであった。たとえば、テューダー朝のイングランド王へンリー八世(在位一五〇九〜四七)は、【3】自らの
離婚の合法性をめぐってアングリカン・チャーチ(イギリス国教会)を成立させ、ローマ教会からの
分離独立をなしとげてこれを広く認めさせたし、ヒットラーのネクロフィリア(
破壊性)はあの悪名高きナチズムにおける大規模な人間
破壊行為を当時の社会におしつけたのであった。【4】しかし、今日、あらゆる点において高度に統合的な組織性を強めた社会では、個人としての権力者ではなく、その構造的力動によって自律的につくり出されるより大きな
交換価値こそが、文化のコードとして支配者の地位につくことになっている。【5】そこでは、そもそものはじめから個人の署名をもたないこの文化のコードとしての
交換価値を満たそうとする社会の力動的な動きに、個人の欲望は動かされざるをえないような仕組みになっていると言うことができよう。【6】私たちの支配者は、かつてのように、名前をもちはっきり目に見える権力者として君臨しているのではなく、社会的な
交換価値という千変万化する記号のかたちをとって私たちひとりひとりを支配するようになっている。【7】そして、文化のコードというこの無名の支配者は、朝から晩まで私たちひとりひとりの全存在を直接・間接に支配しつづけているようだ。
2. ほかならぬこの私自身が欲していると思うことも、それは
幻想であるにすぎない。【8】より大きな
交換価値をもつ記号として
皆が欲しているがゆえに、常識を身につけている私が無意識のうちに欲するようになってしまっているものであるにすぎない。「○○大学に入学しますように!」「スリムな美人になりますように!」等、つきることのないこの
世俗の欲望は、【9】常識となった文化のコードとしての「より大きな
交換価値」を無意識のうちに私的コードにとりこみ、それに身をまかせることによって生じているという側面が強い∵ようだ。――ただし、機械ならぬ人間は、規則を変える創造性という能力を持っているために、全面的にそうであるというわけではない。【0】そのために、そうした「
交換価値」が変化すれば常識も変化し、それにしたがって個人の欲望の内容も当然変化することになるのだろう。人気のある学校や学部そして美人のタイプなどが時代とともに移りかわるのはその証である。そしてこの情報化社会にあって、このような
交換価値としての文化のコードを
敏速かつ広域に
浸透させるのを助けているのは、いうまでもなく新聞・テレビなどのマス・メディアである。
3. これらの欲望を満たそうとすることは、私たちを日々仕事に学習にその他さまざまな活動にかりたてる原動力となっているが、他方その欲望を満足させることがあまりにもむずかしく思えるとき、私の存在の
核心にしのびこんだこれらの欲望のいっさいから解放されればどんなに心が休まるだろうか、と思うことにもなる。そのようなとき、
冒頭に述べたように、私たちは無意識のうちにできるだけ文化という「人の手」の加わらない自然の中に
逃れ、あるいは「非社会」的
行為の中にかりそめの
脱出を試みて、文化のコードによるすさまじい
搾取からすこしでも身をまもろうとすることになるのかも知れない。
4. しかし、文化のコードの手の届かないところに
逃げきったように思っていても、新記録をうちたてたいという思いをひめた探検家はもちろんのこと、南太平洋の豊かな自然というデラックスな
休暇の宣伝に
誘われて自然に親しむ人々もまた、やはり文化のコードにしっかりとからめとられていることになる。それに、海や山の「自然」の中でも、やはり、流行の登山装備や水着、さまざまな人との出会いがあり、文化的なものを完全に
拒んでしまうことは、とうてい不可能であると言ってよいだろう。
5.(有馬 道子)
長文 2.3週
1. 【1】私が本当に「日本」を身をもって発見したと思ったのは、戦後であった。ある日、
偶然、上野の博物館で、はじめて
縄文土器の異様な美にふれ、全身がふくれあがった。底の底から
戦慄した。日本の根源をつきとめたと思った。【2】無限に
渦巻き、くりかえし、もどってくる。そのすごみ。それはいわゆる「日本風」とはまったく正反対だ。あまりにも異質なので、それまではだれもがこの国の伝統とは考えなかった。たんに考古学的資料として
扱われ、美術史からも除外されていた。【3】しかし、私はそこに日本人としてビリビリと受けとめる、
迫ってくるものを感じとった。そして私はその感動を文章にして発表した。それはひどく
衝撃的な発言と受け取られたようだ。
2. 【4】
縄文土器論を私は美学的な問題やただの文化論として書いたのではない。つまりこれから日本人がどういう人間像をとりもどすべきかということのポジティブ(積極的)な提言であり、またあまりにも形式的で
惰性的な日本観に、激しく「ノー」を発言したのだ。【5】いわゆる日本的と考えられている
弥生式以来の農耕文化の伝統、近世からのワビ、サビ、シブミの平板で
陰湿なパターンに対して、太々と明朗で
強烈な、根源的感動をぶつける。自分の作品でたたかい、言葉、論理で「ノー」と言う。【6】それはもちろんだが、それだけでなく、だれでもの心の
奥底、その
暗闇に置去られている、よりナマな人間像をつきつけることによって、現代の
惰性をうち破るテコにするのだ。強力な
証拠をぶつけたからには、それを
起爆剤として、何か生まれるに
違いない。私は当然そう期待した。
3. 【7】
憎まれることを前提にして、極力ひらききったつもりである。過ぎ去ったことをいろいろ言う気もないが、私は日本に
賭けた。
4. (中略)
5. 私は今この世界で、二本の糸の上を異様なバランスをとりながらわたって行くような思いがする。【8】いわゆる「
綱わたり」、曲技を言っているのではない。……見えるような、見えないような、
迫り、遠のき、からんでくる、
透明な糸。あたりには何もない。見∵物人も青空も。ただ二本の糸だけが灰色の空間のなかに果てしなくのびている。【9】私は自分の周辺と運命を不思議な思いで
凝視する。
瞬間にバランスが
崩れて精神を
動揺させる。一本の糸の上に二本の足で立てば、あるいは
軽業師のように安定するだろう。しかし二本の足で、二筋の
違ったスジをわたるのは絶望的である。
6. 【0】(中略)
7. ふと私は思うことがある。
欧米の方ばかりに目を向け、すべての価値判断をあずけて己を空しくしている現代日本。しかし、その
欧米の文化自体が
壁にぶつかって、存在感を絶望的に失いつつある。そのような風土よりも、この根源的な、ナマな生活感の中で、
純粋な
魂の共同体を作る方が正しいのではないか。なぜ世界の政治、経済の中心地がそのまま文化・芸術のセンターでなければならないのか。それは
卑しい。むしろ反対であるべきだ。
8.
西欧文化の系列と全く反対の出発点に立った、
縄文文化とか、マヤ、インカ、北米インディアン……一つながりの通じあい。この
魂の風土ともいうべきものを見きわめあい、再発見、再
獲得し、ひらいて行くことが大事なのではないか。世界文化の運命のためにも。
9.
西欧世紀末以来のいわゆる芸術運動、エリートだけの、「芸術」の
枠内での戦いは空しい。民衆全体、風土の生活全体に
響き、うねりを
及ぼすような運動であるべきだ。
10. 私の目の前に、二本の糸が
浮かびあがってくる。
魂に
純粋にふれて新しく出発する筋。その上をひたすらに走っていくのか。また日本――言いようのない
抵抗がある。現実的な場であるからこその、その絶望的な因果の筋を
矛盾に
耐えながら生きるべきか。心は
動揺するのだが。いずれにしても運命の二本の糸の上を異様なバランスをとりながら進んで行くつもりである。
11.(
岡本 太郎)
長文 2.4週
1. 人間は目ざめているかぎり、いつも頭のなかに何かを
描いています。もしここに一枚の白い
カンヴァスがあって、それに人間があれこれ
思い描くイメージが、そのまま映しだされるとしたら、いったい、その絵はどんな作品になることか。人間の頭のなかほど神秘的なものはない、と言ってもいいと思います。
2. そこでいま、私は自分を実験台にして、自分の頭のなかを正直に
描いてみようと思います。といっても、まさか白い
カンヴァスに私の頭のなかにあるイメージを映しだすわけにはゆきません。やむを得ず、それを何とかことばで書き記してみようと思うのです。
3. ところが、このような試みは、けっして容易ではありません。なぜなら人間が頭に
思い描いているものは、なかなかことばにならないからです。人間は何かを考える際に、ことばで考えています。ですから、考えていることを、そのままことばにすることは、かんたんのように思えますが、頭のなかで考えているそのことばは、けっして完全なことばなのではなく、いわば、ことばの断片のようなものです。とぎれとぎれのことばが、
浮かんだり、消えたりしている、と言ってもいいでしょう。それを、そのまま
原稿用紙に書き写してみても、当人以外には、いや当人にとってさえ、意味不明のことばの
羅列になってしまい、とうてい、理解できる文章にはなりません。
4. フランスの生理学者ポール・ショシャールは、頭のなかで考えているそのようなことばを「内言語」と呼んでいます。つまり、人間はことばで何かを考えているのですが、そのことばは、話したり書いたりすることばとはちがった「内言語」だ、というのです。したがって、人間は、つねにふたつのことばを持っているということになります。考えるときに使う「内言語」と、話したり書いたりするときに用いる通常のことば――ショシャールそれを「外言語」と名づけます――です。
5. このふたつの言語は、一見、おなじように思われますが、じつはそうではなく、両者はまったく異質な
脈絡のなかにあるのです。ですから、「思ったとおりに書け」と言われても、そうかんたんにゆきません。文章を書くということは、「内言語」を「外言語」に
翻訳することであり、その
翻訳の作業が何よりも大変なのですから。
6. しかし、人間の頭のなかには、ただ「内言語」だけが
漂っている∵わけではありません。たしかに、
抽象的な
概念は「内言語」によって意識されていますが、そうした言語とともに、さまざまなイメージが
明滅しているのです。いや、言語よりも、イメージのほうが主要部分を
占めているように思われます。
7. たとえば、あなたが、リンゴを食べたい、と思ったとします。あるいは友だちに会おうと考えたとする。その際、あなたの頭に、まずリンゴということばが
浮かんだのか、それともリンゴのイメージが先に現れたのか。友だちの顔が先か、友だちという言葉が最初か。私はいまそれを自分に
即して考えてみたのですが、どうも、はっきりしません。イメージが先のようでもあるし、ことばがまず
浮かんだような気もします。
8. このように、イメージといっても、きわめて
漠然としており、さらによく考えてみると、イメージは「内言語」と一体になっているようにも思えます。しかし、イメージの背後に「内言語」があったとしても、あるいは「内言語」の土台にイメージが形成されていたとしても、イメージと「内言語」とは、やはりどこかちがっている。イメージとは画像のようなものであり、「内言語」とはことばだからです。
9.(森本
哲郎「ことばへの旅」)
長文 3.1週
1.【二番目の長文が課題の長文です。】
2. 【1】
欧米語に対する社会
一般の
軽薄な
好奇心を統制して
大和言葉ないしは東洋語の尊重を自覚させるにはどうしたらいいか。その
基礎がひろく日本精神の
鼓吹にあることはいうまでもない。
基礎さえ出来れば外来語はおのずから
影をうすくするであろう。
基礎が出来なくては何もならない。【2】
基礎を前提すると共に
基礎の建設に
貢献すべき言語統制の方法としては、文筆に
携わるものが必要のない外来語は断然用いない決意を強固にし、まず新しい外国語がはいってきかけた場合には自己の
好奇心を
抑圧して直ちに適当な訳語をつくること、【3】またいったん通用してしまった場合にはなるべく早く訳語をつくって原語を社会の
識閾から
駆逐する事を計らなければならない。
3. いったん、外来語が社会的
識閾へ上って常識化されてしまうと便利であるから
誰しも使うようになる。【4】それ故に常識化されるまでに
一般的通用を
阻止することに全力をそそがなくてはならない。そして不幸にも
既に言語の通貨となりすましてしまったならば
贋金を根絶することに必死の努力を
払うべきである。【5】失望するには当らない。「
オールドゥーヴル」は「前菜」に
殆ど駆逐されたかたちである。「ベースボール」は「野球」に完全に
駆逐されてしまった。これらの事実は我々に勇気と希望とを
与える。【6】新しい言語内容に関して外国語をそのまま用いればなるほど一番世話はない。
好奇心を満足させることも事実である。しかしそれではあまりにも自国語に対する愛と民族的義務とに欠けている。
4. 【7】西洋
哲学の術語などは明治以来諸
先輩の努力によって
殆どすべて
翻訳され
尽している。
範疇、
当為、
止揚、
妥当などというむつかしい言葉も今日ではもう日用語になりきってしまった。∵【8】
哲学上の言葉は
概念的抽象的であるからある意味ではかえって
翻訳とその通用とが容易であるとも考えられる。すべて言語の内容が客観的知的である場合には
翻訳が成立しやすく、主観的情的である場合には
翻訳がうまくいかないことは事実である。
5. 【9】生活と密接な具体的関係にある言葉は
雰囲気の情調を
満喫していて他国語への
翻訳が困難であるには
相違ないが、それも程度の問題であって、外来語の国訳へ向って出来得る限りの努力が
払われなくてはならない。【0】知識階級が全面的に誠意ある努力をこの点に
払うならば必ず社会民衆が納得して使用するような
新鮮味ある訳語が出来てくると信ずる。
6. 日本人は一日も早く西洋
崇拝を
根柢から断絶すべきである。
殊に文筆の上で国民指導の位置にある学者と文士と新聞雑誌記者とが民族意識に深く目覚めて、国語の純化に努力し、外来語の
排撃に
奮闘し、社会の
趣味を高きへ導くことを
心掛けなければならない。
7. 「外来語所感」(
九鬼周造)より∵
8. 【1】学童のあそびには多くの想像力や
抽象思考力がはいってくるからきわめて
多彩なものになる。すでに三
歳ごろからみとめられたことではあるが、低学年ではとくに「何なにごっこ」がさかんになる。【2】たとえば小学校一年の男の子二人は学校から帰ると必ずどちらかの家に行って、庭に大きなみかん箱をひきずり出し、めいめい一つの箱にはいって、自分たちはこの
舟の船長なんだぞ、と言い合い、
荒れる海を航海するつもりになってさかんに体をゆすり、箱をガタガ夕させるあそびを「発明」した。【3】これがよほど気に入ったらしく、かなりの間、同じあそびを、いろいろと変化を加えながらくりかえしていた。七、八
歳ぐらいまでの子はあきずに同じ「ごっこ遊び」をくりかえす。しかもその度に本気でだれか他の人物になったつもりになり、たとえば右の場合ならそのたびに
勇猛心や
冒険心がこころに
湧きあがるらしい。【4】箱がひっくりかえって少々のけがをしたところで、それはあそびをいっそうおもしろくするばかりである。女の子も勇ましいあそびに加わることがあるが、女の子同士だと、もっと静かでしばしばロマンティックなあそび、たとえば「おひめさまごっこ」などをする場合も少なくない。【5】いずれにせよ、同じこころの世界に遊んだ者同士として、こうした幼な友だちの味は一生忘れられないものとなる。おそらくそれはのちの交友、
恋愛、
結婚などという対人関係の
基盤をつくる力を持っているのであろう。
9. 【6】ボールあそびなどというものは、もっと幼いときから「心身の機能をはたらかせるもの」として行われていたが、小学校の上級になるほどチームを組んで、ルールを守るという本格的なゲームのかたちをとるようになる。【7】子どもたちがその発達に応じてどのようにルールを意識するか、をピアジェ(スイスの心理学者)はくわしく観察した。五
歳ごろまでは、ルールは少しも強制されたものとは子どもに感じられず、いわばただおもしろいモデルとしてうけとめられる。【8】五
歳以後になるとルールは神聖でおかすべからざるものとして感じられる。ルールは大人がつくったもので、永久にそのままつづくものと子どもは思うので、ちょっとでもルールを変えようとすると重大な
違反、という印象を子どもに
与える。【9】第三の最終段階になると、ルールというものは
皆で協定を結んで作ったものだ、ということがわかってくるので、それをうけ入れるのは、いわ∵ば自分で自分に課したことで、外側から強制されたものとは感じられない。【0】ルールに従うのは集団に忠実であるためで、もしルールが望ましくないとなれば、
皆で相談して変えることもできるのだ、というように考える。このような考えかたは十一
歳か十二
歳ごろにやっと
到達するもので、もうこれは大人の考えかたといってよい。このような考えのもとで行われるゲームをピアジェは「自律的ゲーム」と呼び、それ以前の「他律的ゲーム」と対比させている。
10. ゲームとは、あそびの一種にすぎないとはいえ、この種のあそび活動を通して社会的ルールを守ること、そのために他人と協力すること、つまり
倫理の基本的訓練が行われるのに注目しよう。修身の訓話よりもこうしたあそびの中で子どもの社会性が育って行くことを考えれば、それだけでもあそびの重要性がわかる。
11. さらに、あそびの中で想像性がゆたかに発揮されると、創造的活動にまでつながって行く。「ごっこあそび」もその
萌芽だが、構想力、表現力が発達した子どもは、たとえば「ものがたりあそび」を早くから始める。夜ねる前のひととき、弟妹たちにおとぎ話を「発明」して話してきかせる子がある。それはしばしば「つづきもの」で、一人の主人公が、毎晩新しい経験や活動を行なう。幼児期の子には「お話」をきくのが大きなよろこびなので、
皆一心に耳をすませ、主人公のよろこびや悲しみに
一喜一憂しているうちに、語り手もきき手もいつの間にか
眠りこんでしまう。ウルフ(イギリスの女流作家)はきわめて幼いころから、こうした「語り手」だったというが、のちに作家になるほどの人間でなくとも、学童期は、こうした空想の世界が花ひらく時代である。それは
審美的感情の発達ときわめて密接にむすびついている。子どもの多くが詩人的素質を示すのも、
彼らの
新鮮な感受性と、
奔放な空想力が発達するからであろう。これはうまく発達させれば、大人の
卑小な「現実」を
乗り越えさせ、新しい精神の世界を生み出す
基礎能力となるのだから、大人はなるべくこの芽をつんでしまわないように、むしろ子どもから学ぶように心したいものだ。こうした面を発達させるために、学校の国語教育や作文の授業はきわめて大切な役割を持っているにちがいない。
長文 3.2週
1. 【1】二十年前、私は京都で下宿しておりました。ある夜、月のいい夜でしたが、私のところのおばあさんと
一緒に、庭に出て月を見てました。そのおばあさんは私に、「アメリカにも月がありますか」と聞いたのです。
2. 【2】たいへんかわいらしい話でしょうが、まだこのような初歩的な誤解が残っているはずです。しかしどちらかというと、少なくなったのです。二十年前か、五十年前なら、
一般の人は同じような誤解をしていたでしょうが、現在よっぽどのおばあさんでなければもう聞けない話になりました。
3. 【3】ところが、もう一つの迷信が――迷信と言ってもいいと思いますが、日本に残っている。ある意味では、これが日米
相互理解の
邪魔をしているのではないかと思います。それは、外国人が
刺し身を食べないという迷信です。【4】私のことを知らない日本人と話し出すと、国を聞かれるし、職業を聞かれるし、そして、三番目あたりの質問は、
刺し身でも平気ですかと聞くのです。このような質問は実はどうでもいいと思います。【5】仮に私が
刺し身を見てムカムカするとしても、日本を理解していないと早合点してもらいたくない。実は私は
刺し身が大好きです。「
刺し身を食べます」という札を胸に付けてもいいとさえ思っています。それとも「食べます」だけでも十分でしょう。【6】どうせ質問はいつも
刺し身のことです。ほかのことは聞かれないんです。(笑)それが一つです。
4. さらに、もう一つ、日本語は外国人に絶対話せない、そして外国人が仮に話せてもぜったい読めないという迷信です。この迷信は非常に根強いのです。【7】三十年前から日本のことを勉強していても、まだ私が日本の漢字を読めないと思っている人たちが
圧倒的に多い。私が外国で日本文学を教えていると知っていても、私が日本の文字を読めないと確信しているんです。【8】そんなに難しいでしょうか。もし、そんなに難しいものでしたら、日本国民はみんな天才ばかりだと言うほかないのです。つまり小学校しか出ていない日本人でもかなり読めるのに三十年間勉強しても「
佐藤一郎」という名前を外国人が読めないと言うのはどういうことでしょうか。
5. 【9】ともかく、そういうような迷信とか、外国人が理解できるということを否定するような態度は、
相互理解の
邪魔になると私は思います。∵
6. アメリカ人も理解の
邪魔をするような迷信を持っているのです。しかし、アメリカ人の迷信は、日本人の迷信とまさに逆です。【0】日本人は、外国人はどうしても日本のことを理解できないと
思い込んで一応
嘆きますが、と同時に、外国人に分かってもらえないと思うと何となく
優越感を覚えるのです。「やっぱり日本人でなければこの食べ物のおいしさは分からない。日本人でなければこの花の美しさが分かるはずがない。日本人でなければ天気のいい日のよさが分かるはずがない……」。これは
極端ですが。
7. ところが、アメリカ人の場合はどうかと言うと、アメリカ人は、日本人はみんなアメリカのことを知っているはずだというふうに思っている。英語をゆっくりしゃべったらどんな日本人でも分かるはず、分からないようならばそれは分からないふりをしてるからだ、みんな分かってるはずだと思うのです。そして、アメリカの食べ物なら日本人は食べているに
違いないと思っているのです。
8. たとえば、外国人が日本の着物を着るとか
草履をはくとか、そういうことがあったら、日本人は何となくおかしいと思う。何となく変です、やっぱり着物は日本人でなければ無理だと言うでしょう。しかし、アメリカ人はまさに逆です。日本人が着ているシャツの胸に、自分の大学の
紋が
描いてあれば、とてもうれしくなる。やっぱり日本人もアメリカ人も全く同じものを喜ぶのだと思いたがるのです。そして、日本人がアメリカ人と
違うと気が付いたら、時間の問題にすぎない、いずれそのうち全く同じになるに
違いない、と思います。
9. それはとんでもない話ですが、もちろん悪意はないのです。日本人の立場にもアメリカ人の立場にも、全く悪意がない。しかし、悪意がなくても
相互理解のためによくないと私は思います。私はいちばん最後に、そういうような悲観的な話はしたくありません。私は
相互理解が年ごとに深まっているに
違いないと思っております。
10.(ドナルド・キーン『日本人の質問』)
長文 3.3週
1. 【1】
妖怪の中に「もののけ」という種類があって、これは「もの」につく。
一般には、「ものの毛」と書いて、これは「もの」に生える「毛」のことであろうと考えられているようであるが、そうではない。「ものの気」と書いて、これは「もの」が
漂わせているかに見える「気配」のことである。
2. 【2】つまりこれは、「もの」についてそれが「もの」であることを、次第に
歪曲もしくは変質させてゆくわけであり、それが我々には、どことなく得体の知れない「気配」を
漂わせているように見えるのであるが、ここで言う「もったい」も、そうした「もののけ」の
亜種にほかならない。【3】そしてそれがつくと、我々はその「もの」を、むしょうに捨てたくなる。
3. 従って逆に、それのついていないものを見ると、むしょうに拾いたくなる。【4】つまり、「もったいない」のである。我々は、定期的にごみ捨て場をうろつき、「もったいない」とつぶやきながらあれこれと拾い集める連中を見て、「あれはきっと、それらのものが拾ってくれ拾ってくれと、連中をそそのかすからに
違いない」と考えるが、実はそうではない。【5】「もの」に「もったい」という「もののけ」がついている時、その「もの」が我々に「捨てろ捨てろ」とそそのかすのであり、「もったいない」と言って拾うのは、単にその反動にすぎないのである。(中略)
4. 【6】ところで、人類史をひもとくまでもなく我々は、かつて「
狩猟採集時代」というものを経験し、今また「消費
遺棄時代」というものを
迎えつつあることを、よく知っている。つまり、その生活の主たる様態を、「拾う」ことから「捨てる」ことへ、大きく
転換させつつあるのだ。【7】
妖怪もったいは太古より存在し、それが「もの」についたり
離れたりすることにより、人々にそれを捨てさせたり拾わせたりする法則性は、何ら変化していないにもかかわらず、こうした
転換が行なわれたということは、明らかに
奇妙なことと言えよう。
5. 【8】現在、もったい専門の
妖怪学者が問題としているのは、この点にほかならない。言うまでもなく、考えられることはひとつである。つまり「
狩猟採集時代」から「消費
遺棄時代」に至る期間∵の、どこかの時点で文明が、もったいを
人為的に操作しはじめたのだ。【9】文明がもったいという
妖怪の存在に気づき、それをひそかに養い育て、「もの」に自由につけたり
離したりすることができれば、人々に「もの」を、これまた自由に捨てさせたり拾わせたりすることができるようになるのは、道理である。
6. 【0】もちろん文明が、人々に「もの」を捨てさせなければならなくなった理由は、
誰もが知っている。あらためてここで歴史の復習をする
余裕はないが、この間に人類は「産業革命」を経て「大量生産時代」を
迎えたのであり、当然ながらその大量に生産された「もの」は、大量に消費されなければならなくなったのである。しかし、生産力というものはやみくもに向上させることができるが、消費の方はそうはいかない。そこで、どうするべきか。
7. 当たり前の文明ならここで消費に見合うべく生産力の方を
抑えるであろう。ところが、我々の文明はそうしなかった。生産力を
抑えるどころか、それをさらに向上させ、我々の消費の手に余る分を、そのまま捨てさせることにしたのである。このあたりが、我々の文明の、天才的なところと言えよう。そしてそのためにも、
妖怪もったいが
駆り出されるハメになったのだ。
8. 前述したように、「もの」に「もったい」がつくと、我々はそれをまだ消費しつくしてないにもかかわらず、むしょうに捨てたくなる。文明は――というより、現在それをしているのは流通経済の
中枢を支える専門家たちであるが――ひそかにこの操作をしている。つまりこれを、専門用語で「もったいをつける」と言う。「もったい」がつくと、何となくその「もの」が、「重く」感じられたり、「わずらわしく」感じられたり、「うっとうしく」感じられたりするのである。
9. もちろん、こうした専門家たちだって
馬鹿ではないから、商店へ並べられた商品に「もったい」をつけるようなことはしない。そんなことをすれば我々は、消費はおろか、「
購入する」ことをすらしなくなる。商品の流通が
円滑に行なわれるためには、我々がそれを買って帰り、包装紙を開いたとたん、それがつくようにしなければならない。ということから考えれば、シャーロック・ホームズを∵一冊でも読んだことのあるものには、どこにカラクリがあるか、すでに推理できたことであろう。そうなのだ。包装紙である。
化粧箱である。そして、それを結ぶリボンである。そこにもったいが
仕掛けられ、それらを解き放ったとたん、それは中の商品につくことになっているのである。包装紙や、
化粧箱やリボンを、もったいないと言ってしまっておきたくなるのは、そこにそれまでついていたもったいが、中の商品に移り住んでいるからにほかならない。
10. かくて、流通経済は
円滑に機能し、生活は
潤い、我々は満足している。「もったい」である。
妖怪もったいの養育と、専門家たちによるその見事な操作によって我々は「捨てるために手に入れる」という、生物学的には
希有の性向を身につけ、「消費を上回る生産」という、あり得べからざる事態を楽々とこなしているのだ。
11.(別役実『当世もののけ生態学』より)
長文 3.4週
1. 子どもたち全員と学校の裏手の雑木山に出かけました。日かげの
沢にはまだ
汚れた雪が残っていましたが、陽だまりは
枯れ葉が
柔らかい熱を
含み、そこを歩くときに
頬に暖かみを送ってきます。子どもたちは
歓声をあげ、木に登ったり、
蔓にぶらさがったり、カタクリを
摘んだりしました。教室にいるときとは別人のようでした。
2.
枯れ草に
腰をおろしていると、六年生らしい女の子が寄ってきました。
頬に赤い
痣のあるひっそりとした感じの子でした。女の子はだまってわたしのそばにすわり、しばらく
枯れ草を
引き抜いては編んでいましたが、やがてぽつりと言いました。
3.「こんどの先生ァ、男先生も
女ゴ先生もいい先生だね。」
4.「…………。」
5. わたしはとっさにはこたえることができませんでした。今の今まで村や分校や子どもたちをよく思っていなかったような気がしました。わたしは小さな
狼狽を
押し隠しながら、女の子の名前や家の仕事のことや兄弟のことを聞きました。里枝というその女の子は、一言一言
恥ずかしがるように
言い淀みながら自分のことを語りました。
訛の強い方言は、わたしには耳ざわりなはずでしたが、おとなしい里枝の口からそれが
洩れると、素直にわたしのからだの中に
溶けこんでいくようでした。
6. 先生! とだしぬけに後ろから背中をたたかれ、わたしは思わず悲鳴をあげました。どんぐり
眼の一年生の明が、眼をいっそう大きく見開き、息をはずませていました。
7.「先生ァ、おらァ卒業するまでいてくれるね。」
8.「どうして?」
9.「ほだって……。」
10. 明は後ろをふりかえりました。明をからかったらしい背の大きい男の子が
朴の木によりかかり、照れ笑いを
浮かべてこっちを見ていました。
11.「
兼吉がな。ハイカラ先生などァ一年で分校なんかやめて、すぐ町サ帰るって……。」
12.「先生はハイカラじゃないよ。」∵
13.「ハイカラださァ、金色の眼鏡かけてェ。」
14. わたしは思わず笑いました。女学校の卒業記念に、役場の書記をしていた父が買ってくれた旧式の
金縁の眼鏡を、わたしは大事に使い続けていたのでした。
15.(三好京三「分校日記」)