1. 【1】祝う言葉という
依頼なのだが、いきなり「バンザイ」とくると下品だろうか。たしかに最近では、選挙に勝った場面とか、とにかく多勢で
酔っぱらって両手をあげている姿しか
浮かばない。
2. 【2】しかしこれはもともと中国の正月の習慣で、
五岳(注・中国で古来から
崇拝されている五つの名山)の一つである
泰山に
皇帝が登り、「
万歳」
3. すなわち
悠久の平和を
祈る儀式に由来している。今の平和に感謝しつつ、それが一万年も続きますようにという
祈りの言葉なのである。 【3】ところで私が祝いの言葉として「バンザイ」を挙げたのは、これが心底思いを
込めて使われた場面に接したからである。
4.
気仙沼のお寺の
和尚が住職になる
儀式だったが、修行時代の
師匠である老師が本山から招かれ、「祝辞」という段になった。【4】その際、老師はしばし
沈黙し、ぴったりと
唇を閉じて
虚空をにらみ、それから大声で「バンザーイ」と大声をあげた。それだけである。
5. 長々とした祝辞が多いなかで、それは
鮮やかな場面として今も脳裏によみがえる。伝わるものは言葉にしなくても伝わる。【5】いや、へたに言葉にする以上のものが伝わることがある。何人かの
涙ぐむ人々を見ながら、私はそう思ったものだった。
6. しかしこれは極めて
稀な例である。おそらく何度か見てしまえば、
感慨も
薄れるのかもしれない。【6】通常は、祝う心を
丁寧に表現しないとそれは伝わらないし、それどころか、表現することで無意識だった気持ちまで引きだされたりもする。
7. 「愛でたい」という気持ちを、わざわざ言葉に出して表現することを、日本では古来「ことほぐ(言祝ぐ)」と言う。【7】「
寿」は、その名詞形である「ことほぎ」がさらに
訛ったものだ。
8.
禅ではこの「言祝ぎ」が重視される。なによりもまず自分の生まれた場所や親は選べなかったわけだから、そこから言祝いでしまうのである。この町に生まれて
佳かった。【8】この両親のもとに生まれて
佳かった、そこから始まって「今日は
佳い台風だ」「今の私は素敵な
年齢だ」「歯が痛いのもしみじみして味わい深い」などと、自∵分の立っている足許の
状況をすべて
肯定していくのである。
9. 【9】むろん文句をいえば
状況が変わるというなら、言ったらいい。しかし
大抵の
状況は、文句を言うと
更にその不満が強く意識されるだけで、あまり意味がない。だから言っても仕方がない文句は言わず、言祝ぐことで「今」を安定させる。それが
禅的な意味での「足るを知る」ということだ。
10.【0】(中略)
11. バンザイと
叫んだところで、その事態が「
万歳」続くとは
誰も思っちゃいない。しかし志さえ
揺らがなければ、人生はさまざまな「ゆらぎ」さえ風流と味わえる。その人間の
知恵に、私はバンザイを言いたいのである。
12.(
玄侑 宗久『
釈迦に説法』による)