国語読解(こくごどっかい)クラス
 体験学習用(たいけんがくしゅうよう)課題(かだい)フォルダ リンゴ

 国語(こくご)読解(どっかい)クラスで勉強(べんきょう)することは、
1.読書(どくしょ)紹介(しょうかい)
2.問題(もんだい)集(しゅう)読書(どくしょ)
3.読解(どっかい)検定(けんてい)の解説(かいせつ)(小5()以上(いじょう))
です。

 詳しい(くわ  )勉強(べんきょう)の仕方(しかた)は、中(なか)をごらんください。

※受講(じゅこう)される場合(ばあい)は、問題(もんだい)集(しゅう)読書(どくしょ)の教材(きょうざい)をご注文(ちゅうもん)ください。
 

読書(どくしょ)紹介(しょうかい)
 毎日(まいにち)、本(ほん)を10ページ以上(いじょう)読み(よ )ましょう。読む(よ )本(ほん)は、字(じ)のスペースが絵(え)のスペースよりも大きい(おお  )ものであれば何(なに)でもかまいません。
 その週(しゅう)に読ん(よ )だ本(ほん)を1冊(さつ)選び(えら )、みんなに紹介(しょうかい)します。紹介(しょうかい)の時間(じかん)は2分(ふん)以内(いない)ですから、「いちばん面白かっ(おもしろ  )たところ」などを中心(ちゅうしん)に紹介(しょうかい)してください。
 低(てい)学年(がくねん)の生徒(せいと)で、口頭(こうとう)の紹介(しょうかい)が難しい(むずか  )場合(ばあい)は、その本(ほん)の表紙(ひょうし)や挿絵(さしえ)を見せる(み  )だけで結構(けっこう)です。



















 

問題(もんだい)集(しゅう)読書(どくしょ)
 問題(もんだい)集(しゅう)の問題(もんだい)文(ぶん)を毎日(まいにち)5ページ以上(いじょう)音読(おんどく)しましょう。問題(もんだい)はやる必要(ひつよう)はありません。問題(もんだい)文(ぶん)だけの音読(おんどく)なので、正味(しょうみ)2ページ分(ぶん)程度(ていど)です。
 読み(よ )ながら、自分(じぶん)なりによくわかったところや印象(いんしょう)に残っ(のこ )たところに傍線(ぼうせん)を引い(ひ )ておきましょう。
 授業(じゅぎょう)のある日(ひ)には、学習(がくしゅう)の記録(きろく)に、その日(ひ)に読み(よ )始める(はじ  )ページを記録(きろく)しておきましょう。その記録(きろく)をもとに、先生(せんせい)が問題(もんだい)文(ぶん)の内容(ないよう)について質問(しつもん)をします。
 問題(もんだい)集(しゅう)読書(どくしょ)は、1冊(さつ)を最後(さいご)まで読み(よ )終え(お )たらまた最初(さいしょ)に戻っ(もど )て読み(よ )、1冊(さつ)を5回(かい)以上(いじょう)繰り返し(く かえ )て読む(よ )ようにしましょう。
 保護(ほご)者(しゃ)の方(かた)は、お子様( こさま)が音読(おんどく)をしているときは、読み方(よ かた)の注意(ちゅうい)はせずに、いつも褒める(ほ  )だけにしてください。


















▼問題集読書1ページ(受講を継続される場合は、問題集を購入してください。)
 
▼問題集読書2ページ
 
▼問題集読書3ページ
 
▼問題集読書4ページ
 
▼問題集読書5ページ
 
▼問題集読書6ページ
 
▼問題集読書7ページ
 
▼問題集読書8ページ
 
▼問題集読書9ページ
 
▼問題集読書10ページ(受講を継続される場合は、問題集を購入してください。)
 

読解(どっかい)検定(けんてい)(読解(どっかい)マラソン集(しゅう))の解説(かいせつ)
 読解(どっかい)検定(けんてい)の問題(もんだい)文(ぶん)を読み(よ )、全部(ぜんぶ)で8問(もん)あるうちの1問(もん)を選び(えら )、その問題(もんだい)の正解(せいかい)の解説(かいせつ)を書き(か )発表(はっぴょう)します。
 これは、小学(しょうがく)5年生(ねんせい)以上(いじょう)の課題(かだい)です。小学(しょうがく)4年生(ねんせい)以下(いか)の生徒(せいと)は、できる人(ひと)だけやってください。
 生徒(せいと)本人(ほんにん)だけで解説(かいせつ)が書け(か )ない場合(ばあい)は、保護(ほご)者(しゃ)の方(かた)が協力(きょうりょく)してください。
 解説(かいせつ)は、そのクラスの発表(はっぴょう)室(しつ)にアップロードします。解説(かいせつ)は、ノートに書い(か )たものの画像(がぞう)でも、テキストで入力(にゅうりょく)したものでもどちらでも結構(けっこう)です。


●解説(かいせつ)の書き方(か かた)の例(れい)(この例(れい)は小5の課題(かだい)をもとにしたものです。)

 9.1週(しゅう)の問題(もんだい)文(ぶん)では、「世界(せかい)人口(じんこう)の半数(はんすう)がエネルギーをまきや炭(すみ)に頼っ(たよ )ています」と書い(か )てあるが、選択肢(せんたくし)Aでは、「世界(せかい)人口(じんこう)の大(だい)部分(ぶぶん)が、エネルギーを石油(せきゆ)に頼っ(たよ )ている」と書い(か )てあるので×。
 同じく(おな  )、問題(もんだい)文(ぶん)では、「森林(しんりん)の破壊(はかい)でキャッチャーがいなくなると、雨(あめ)が大幅(おおはば)に減っ(へ )て気候(きこう)がいっぺんに乾燥(かんそう)してしまいます」と書い(か )てあるが、Bでは、「森林(しんりん)と大気(たいき)の間(あいだ)で水(みず)のキャッチボールができなくなると、大雨(おおあめ)が降り(ふ )やすくなる」と書い(か )てあるので×。

(解説(かいせつ)は口頭(こうとう)で発表(はっぴょう)するので、解説(かいせつ)の文章(ぶんしょう)は、もっと簡単(かんたん)に書い(か )てもいいです。)













 
a 読解マラソン集 9番 かつて私は、 ri3
 かつて私は、ある作曲家に、作曲家が自分の名を冠する(かん  )ことのできる曲は、時代がくだるにつれて可能性がかぎられてゆき、やがて種切れになるのではないかと、質問したことがある。作曲家の答えは、まだまだ無限といってよい音やリズムの、組みあわせの可能性がある、ということであった。
 まもなく私は、音楽より絵の方が、種切れになりつつあるのではないかと思うようになった。特に、現代にさかんな公募(こうぼ)展という発表形式は、画家の自己主張の工夫と、みじめなあせりとの悪循環(あくじゅんかん)をあおっているように、私は思えてならなかった。「制作」と「売り絵」を描き(えが )分けている人では、売り絵の方に、その人のもっている良いものが、かえって素直に出ていると思われることがある。
 数年前パリで、ジョルジオ・モランディの遺作展をみて深い感銘(かんめい)をうけてから、私はこうした種切れ論など、たいそう浅はかな見方にすぎないことを感じるようになった。このつつましい現代イタリアの絵かきは、それまでの何万何十万人の画家が描い(えが )てきたものに彼(かれ)の独創をつけ加えようなどとは、決して考えなかったにちがいない。彼(かれ)はただ透明(とうめい)な目と心の指示するままに、ものの色とか形とかから、不純なものを取り除いていったのであろう。その精進が、あれほど単純で、ありふれてさえみえる静物画や風景画に、あれほど大きくて深い力を与え(あた )ているのであろう。こうした精進によって、私たちの前にとりだされた色と形に向かって、絵画種切れ論など頭を垂れるほかはない。ジャン・フォートリエの作品のような、感性が、そのまま色の濃淡(のうたん)、時として絵の具のわずかなもりあがりになって流れ出ていると思われる絵にすら、私は「創造」よりは「発見」への努力の、謙虚(けんきょ)な崇高(すうこう)さを感じずにはいられない。
 同じことは、学問についてもいえるかもしれない。真に深い洞察(どうさつ)は、先人の業績におのれの独創をつけ加えてやろうとする肩(かた)をいからした精神からは決して生まれないようだ。それなら、宇宙の構成要素と、それらをつなぐ原理は、古来一定不変で、ただその組みあわせの変化の多様さや、動きの複雑さが、歴史の進行に新しい創造があるかのような錯覚(さっかく)を、人間に与え(あた )てきたといえるであろうか。そのことは、これから先も、おそらく人間に決してわかることがないだろう。
 333231302928272625242322212019181716151413121110090807060504030201 

 一番大きいものと、一番小さいものは何かという問いすら、永遠に答えられないことを自分でも承知していて、あいまいに、ある程度の時間だけ生きている人間にとって、彼(かれ)が宇宙のなかで明らかにしえた既知(きち)の部分など、未知の部分にくらべて微々たる(びび  )ものでしかない。人間にとって、未知の部分は永遠に残るどころか、人間が既知(きち)の領域を骨折って拡大すればするだけ、それに外接する未知としてじかに感得できる領域も、ますます拡がってゆくことはたしかなのだから。
 人間の営みを扱う(あつか )人文・社会科学と自然現象一般(いっぱん)を扱う(あつか )自然科学という、比較的(ひかくてき)あとの時代になって人間が問題とするようになった区別も断絶した対立ではなく連続した差異にすぎないことは、サバンナの中で考えていると全く自明のことのように思われてくる。どれほど精密な電子顕微鏡(けんびきょう)をのぞくのも、人間の目であり、あらゆる計算を可能にする数の体系を、ひとつの約束事として考察したのも人間である一方で、言語を頂点とする意思の伝達や、後天的に得られた知識や技能の同類への伝達は、決してホモ・サピエンスだけのものではない。
 人間は、自分たちだけが自然のなかにたまたま見つけたものは、したり顔に「発明」と呼び、他の動物のすることは、どんな精巧(せいこう)でも、あれは本能だという。自然の一部分である人間の自然のなかでの優位の主張は、人間の自然認識がある程度すすんだ段階で、人間が示したいくらか子供らしい拒絶(きょぜつ)反応であったように、私には思われる。人間が自然と連続した関係においてとらえられることが、ほかならぬ人間が考察し精密化した手段によって明らかになるにつれて、逆に人間は主体性とか価値ということに、ますます執着(しゅうちゃく)せざるをえなくなったのであろう。
 自由への道は、人間が自然に対して自分勝手に振る(ふ )まうのではなく、自然と人間の関わりあいについての認識を拡げ、明白にする努力のうちに、少しずつ明らかになってゆくものなのかもしれない。

(川田順造『曠野(こうや)から』)
 666564636261605958575655545352515049484746454443424140393837363534 
 
a 読解マラソン集 10番 ある作家の全集を ri3
 ある作家の全集を読むのはひじょうにいいことだ。研究でもしようというのでなければ、そんなことは全くむだごとだと思われがちだが、決してそうではない。読書の楽しみの源泉にはいつも「文は人なり」ということばがあるのだがこの言葉の深い意味を了解(りょうかい)するのには、全集を読むのがいちばんてっとり早い。しかも確実な方法なのである。一流の作家ならだれでもよい。好きな作家でよい。その人の全集を、日記や書簡の類に至るまで、隅(すみ)から隅(すみ)まで読んでみるのだ。
 そうすると、一流といわれる人物は、どんなに色々なことを考えていたかがわかる。彼(かれ)の代表作などと呼ばれているものが、彼(かれ)の考えていたどんなにたくさんの思想を犠牲(ぎせい)にした結果、生まれたものであるかが納得できる。単純に考えていたその作家の姿などは、この人にこんなことばがあったのか、こんな思想があったのかという驚き(おどろ )でめちゃめちゃになってしまうであろう。その作家の性格とか、個性とかいうものは、もはや表面のところに判然と見えるというようなものではなく、いよいよ奥(おく)の方の深い小暗いところに、手探りで捜さ(さが )ねばならぬもののように思われてくるだろう。僕(ぼく)は、理屈(りくつ)を述べるのではなく、経験を話すのだが、そうして手探りをしているうちに、作者にめぐり会うのであって、だれかの紹介(しょうかい)などによって相手を知るのではない。こうして、小暗いところで、顔は定かにわからぬが、手はしっかりと握っ(にぎ )たというぐあいなわかり方をしてしまうと、その作家の傑作(けっさく)とか失敗作とかいうような区別も、別段たいした意味をもたなくなる、というより、ほんの片言隻句(せっく)にも、その作家の人間全部が感じられるというようになる。これが、「文は人なり」ということばの真意だ。それは、文は目の前にあり、人は奥(おく)の方にいるという意味だ。書物が書物には見えず、それを書いた人間に見えてくるのは、相当な時間と努力とを必要とする。人間から出てきて文学となったものを、再びもとの人間に返すこと、読書の技術というものも、そこ以外にはない。もともと、出てくる時に、明らかな筋道を踏ん(ふ )できたわけではないのだから、もとに返す正確な方法があるわけではない。
 要するに読者は暗中模索(あんちゅうもさく)する。創った人を求めようとして、創った人の真似をするのだ。なるほど、作者という人間を知ろうとし
 333231302928272625242322212019181716151413121110090807060504030201 

て、その作家に関する伝記その他の研究を読んだり、その時代の歴史を調べたり、というような色々な方法があるが、それは、碁(ご)・将棋(しょうぎ)でいえば、定石のようなものだ。定石というものは、勝負の正確を期するために案出されたものには相違(そうい)ないが、実際には勝負の不正確さ曖昧(あいまい)さを、いよいよ鋭い(するど )魅力(みりょく)あるものにするだけだ。人間は厳正な知力を傾け(かたむ )て、曖昧(あいまい)さのうちに遊ぶようにできている。

(小林秀雄(ひでお)『読書について』)
 666564636261605958575655545352515049484746454443424140393837363534 
 
a 読解マラソン集 11番 子供たちは、どこでも、 ri3
 子供たちは、どこでも、英雄(えいゆう)物語を与え(あた )られる。英雄(えいゆう)たちを、いわば自らを映す鏡として子供たちは育ってゆく。誘惑(ゆうわく)に負けそうになったとき、意気がくじけたとき、子供たちは英雄(えいゆう)の事績を思い出し、歯を食いしばって頑張る(がんば )のだ。少なくとも、発展途上(とじょう)国の友人たちの話を聞いていると、国家的英雄(えいゆう)こそが希望の星であり、それに向かって人々が日々の努力を重ねている、という社会的事実がひしひしとよくわかる。
 そうしたことを考えながら、日本の現実をながめてみると、私は一つの重大なことに気がつく。それは、現代の日本には、生き方のモデルになるような英雄(えいゆう)があんまり見当たらない、ということだ。いや、そもそも、どう生きるか、についての教育があんまり行われていない、ということだ。
 まず教科書の中に、英雄(えいゆう)物語が少なくなった。皆無(かいむ)とは言わない。いくつもの感動的な物語はある。しかし、たとえば、一時代昔にわれわれの世代が学んだような愛国的英雄(えいゆう)は、もはや今日の日本の教科書には見当たらない。偉大(いだい)な政治家や科学者の伝記がいくつかあるけれど、それらの過半数は外国人である。日本の国家とかかわりあう英雄(えいゆう)は、今日の子供たちの文化の中から姿を消してしまったようなのである。
 課外の読みものでも、英雄(えいゆう)の話はあんまり好まれていないようだ。児童図書の売り場には、たしかにキューリー夫人、リンカーンなど内外さまざまな偉人(いじん)の伝記がならんでいるけれども、必ずしもそれは人気のある書物ではない。子供たちは、マンガや探偵(たんてい)小説の方に手を伸ばす(の  )。伝記を買ってやっても、あんまり読む気にはなれないらしい。
 これは、日本の現代文学史を考えるにあたって、きわめて重大なことであるように私には思える。少なくとも、私が子供のころには、たくさんの伝記があり、それらの伝記を私たちは、次から次へと読んだ覚えがある。もちろん、伝記というのは一般(いっぱん)的に言って、子供にとって小説ほど面白くもないし、またマンガほどわかりやすいものでもない。しかし、私たちの時代には、たとえば少年講談といったような、面白い文学形式があった。ややもすれば平板になり
 333231302928272625242322212019181716151413121110090807060504030201 

がちな伝記を、子供向きの講談につくり換え(か )、それを活字にした少年講談は、私たちの同世代人に、大げさに言えば、血湧き(わ )肉踊る(おど )経験を与え(あた )てくれたのである。豊臣秀吉(ひでよし)、西郷隆盛(たかもり)、楠木(くすのき)正成……いろんな歴史上の人物の生き方は、一連の少年講談によって与え(あた )られた。レオナルド・ダ・ビンチ(    )だのも、私はこうして本で学んだ。もちろん、いくつかの人物の選び方や、描き(えが )方は時代の産物であって、したがって、今日の基準から見ると、私が子供のころに読んだ伝記は不適切であったり、あるいは間違っ(まちが )ていたりしただろう。しかし、これまで歴史上に生きた人々の人生を学ぶことによって、自分の人生を考える、という行動の仕方が、昔の子供文化にはあった。それが今は、かなりの程度まで失われてしまっている。
 そのことが悪いことだ、というのではない。時代が変わったのである。新しい時代の子供たちは、旧時代の人間とは違っ(ちが )た価値の中で、新しい生き方を発見してゆくのであろう。それは、それでよい。だが依然として(いぜん   )、私は少なからず気がかりなのである。お手本になるような人生のモデルが貧困な時代に、はたして、子供たちはどんなふうにして人生の意味と方向を学んでゆくことができるのだろうか。
 そのうえ、よしんば教科書的に、こう生きよう、という生き方のモデルが与え(あた )られたとしても、子供文化をとりまくマスコミは、あんまり崇高(すうこう)でない英雄(えいゆう)たちを次々につくり、それをばらまき続けている。子供マンガの主人公は、不良グループのリーダーであったり、あるいは暴力的な超人(ちょうじん)であったりする。それらの主人公の生き方をモデルにして、子供たちが悪い方向に引きずられる、などと即断(そくだん)することは間違い(まちが )だけれども、現代の若い人たちにとって、生きてゆく方向性は相対的に弱くなっている。少なくとも混乱している。若い人たちが、しばしば「生きがい」の喪失(そうしつ)をうんぬんするのも、私の見るところでは、このへんのところと深く関係しているようだ。生きたいように生きる、という思い上がりで、他人の人生から学ぶことを怠っ(おこた )た世代は、結局のところ、人生の意味をつかむ手がかりを失ってしまったのである。
(加藤(かとう)秀俊(ひでとし)『独学のすすめ』)
 666564636261605958575655545352515049484746454443424140393837363534 
 
a 読解マラソン集 12番 近ごろは、ロンドンにいる、 ri3
 近ごろは、ロンドンにいる、あるいはイギリスにいる日本人はかえって英語を使わなくなったのではないか。日本から同日に配達される日本経済新聞と朝日新聞を読み、衛星放送で日本のテレビを見る。そうすれば英語など使わなくていいのである。そういう考え方の人がふえているのではないだろうか。
 こういう生活をして、本人たちはたいへん気楽なつもりでいるが、イギリスの側からいわせると、こういう日本人はイギリスに来ていったい何をしているんだろう、となる。お金儲け(かねもう )以外なにもしていないのではないか。イギリス人をわかろうともしないし、イギリス社会について知ろうともしないじゃないかと。
 こうして、イギリス人の胸の中にひそんでいる時間はしだいにふくらんでくることは間違い(まちが )ない。彼ら(かれ )はこんなふうに思うのだ。――日本人はイギリスに来て、したい放題のことをしている。お金は使ってくれるし、企業(きぎょう)も進出してくれるかもしれないが、実際にやっていることはマナーもないし、イギリス人に敬意を払お(はら )うともしない。自分たちだけで好きなことをやって、ここがまるで自分たちの治外法権の場所みたいな顔をしている。いま若い日本人がますますそういう傾向(けいこう)になっていくとしたら、将来はかなり心配である。日英関係にかならず悪影響(あくえいきょう)を及ぼす(およ  )のではないか――。
 いうまでもないことだが、イギリスにいる日本人のすべて、日本のビジネスマンのすべてがそうだということではない。特に企業(きぎょう)人からも尊敬され、公の場所で意見もいうし、イギリス政府にたいしてアドバイスもする。
 こうした日本の企業(きぎょう)人とイギリス企業(きぎょう)人との大きな違い(ちが )は、日本の企業(きぎょう)のトップは、ビジネスができるだけでなく、教養があるという点である。彼ら(かれ )は文学や芸術のことも話せるし、実際、そういうことに興味をもっている。イギリスのビジネスマンは、サッチャーさんの高等教育拡大方針にもかかわらず、お金儲け(かねもう )はできるし、マネジメントの才もあるが、じつは教養や文化にかかわりのない人が多いのである。お金がたまったらそれを持って外国へ出ようとか、ホリデーをたっぷりとろうとかいうことばかり考えていて、自分の教養を深めるということはしないし、本を読むこともしない。
 そういうビジネスマンが多いイギリスで、日本のトップクラスのビジネスマンは、詩の本を読んでいるとか芸術のこともわかるとか、とてもすばらしいと思われている。もちろんイギリスにもそう
 333231302928272625242322212019181716151413121110090807060504030201 

いう人もいるが、マナーもすばらしいし、英語もきちんと話せる、いわば世界レベルの日本のビジネスマンがふえていることもまた確かなのである。
 そうしたトップクラスのビジネスマンと、日本からやってきたとたんに、日本にはお金があって、イギリスから習うものは何もないと、まるで植民地にでも来たように威張っ(いば )てみせる若い人たちとの差がひじょうに拡大してきているのではないか。
 長いあいだイギリスにいて、日本企業(きぎょう)の地位を高めるのに努力してきた日本のトップクラスのビジネスマンの苦労は、日本が経済的に世界で大きな地位を占める(し  )ようになってから生まれた若い人たちの軽はずみな言動やバカげた行為(こうい)によって覆さ(くつがえ )れてしまうのではないか――そんなことが危惧さ(きぐ )れるようになってきたのが当節のイギリスなのである。

(マークス寿子(ひさこ)『大人の国イギリスと子どもの国日本』)
 666564636261605958575655545352515049484746454443424140393837363534 
 
読解問題

ri-09-4 問題1
問1 読解マラソン集9番「かつて私は」を読んで次の問題に答えましょう。
 ○と×との組み合わせが合っているものの数字を書きなさい。
A 音楽よりも絵画の方が種切れになる可能性が高いと言われている
B ジョルジオ・モランディは、浅はかな私の見方を変えるほど独創性にあふれていた
1 A○ B○   2 A○ B×   3 A× B○   4 A× B×

解答1

ri-09-4 問題2
問2 読解マラソン集9番「かつて私は」を読んで次の問題に答えましょう。
 ○と×との組み合わせが合っているものの数字を書きなさい。
A 人間にとって既知の部分が少ないときは、未知の部分もまた少ない
B 真に価値ある学問は、先人の模倣ではなく、個性的な独創によって生まれる
1 A○ B○   2 A○ B×   3 A× B○   4 A× B×

解答2

ri-09-4 問題3
問3 読解マラソン集10番「ある作家の全集を」を読んで次の問題に答えましょう。
 ○と×との組み合わせが合っているものの数字を書きなさい。
A 好きな作家の全集を隅から隅まで読むと、「文は人なり」ということがわかってくる
B 作者にめぐり会うことができると、傑作とか失敗作とかいうような区別はどうでもよくなる
1 A○ B○   2 A○ B×   3 A× B○   4 A× B×

解答3

ri-09-4 問題4
問4 読解マラソン集10番「ある作家の全集を」を読んで次の問題に答えましょう。
 ○と×との組み合わせが合っているものの数字を書きなさい。
A 読書の技術というものは、どのような本の中にも自分自身を発見するという技術である
B 読者が作家を求める方法は、その作家の真似をすることだ
1 A○ B○   2 A○ B×   3 A× B○   4 A× B×

解答4

ri-09-4 問題5
問5 読解マラソン集11番「子供たちは、どこでも」を読んで次の問題に答えましょう。
 ○と×との組み合わせが合っているものの数字を書きなさい。
A 私が子供のころは、子供向けのおもしろい伝記がたくさんあった
B 人物の選び方や描き方が不適切であれば、伝記から学べるものは少なくなる
1 A○ B○   2 A○ B×   3 A× B○   4 A× B×

解答5

ri-09-4 問題6
問6 読解マラソン集11番「子供たちは、どこでも」を読んで次の問題に答えましょう。
 ○と×との組み合わせが合っているものの数字を書きなさい。
A 現代の子供たちは、人生の手本になるモデルを身近な人から得ている
B マスコミの描くモデルに頼らない生き方をすることで、生きる方向性は強くなる
1 A○ B○   2 A○ B×   3 A× B○   4 A× B×

解答6

ri-09-4 問題7
問7 読解マラソン集12番「近ごろは、ロンドンにいる」を読んで次の問題に答えましょう。
 ○と×との組み合わせが合っているものの数字を書きなさい。
A 最近イギリスに来る日本人は、英語が苦手な人が多くなっている
B イギリス人は、最近の若い日本人のマナーの悪さが日英関係に悪影響を及ぼすのではないかと心配している
1 A○ B○   2 A○ B×   3 A× B○   4 A× B×

解答7

ri-09-4 問題8
問8 読解マラソン集12番「近ごろは、ロンドンにいる」を読んで次の問題に答えましょう。
 ○と×との組み合わせが合っているものの数字を書きなさい。
A イギリスの企業のトップは、幅広い教養を持っている
B 日本のトップクラスのビジネスマンたちは、イギリスから習うものはもうないと思っている
1 A○ B○   2 A○ B×   3 A× B○   4 A× B×

解答8
 正解は 、問1=4 、問2=2 、問3=1 、問4=3 、問5=2 、問6=4 、問7=3 、問8=4