KotobanomoriNo.751

言葉の森新聞

2002年3月2週号

文責 中根克明(森川林)

  幼長年長の評価は全◎で

 この春から幼稚園年長の生徒が通信や通学で勉強しています。

 幼稚園年長の生徒は、表記の面で個人差が大きいので、字数や◎印をそのままつけるのはやや問題があるように思いました。そこで、3月までは一律に字数700字、項目は全部◎で評価を入れておきたいと思います。実際の評価と指導は講評の中でしていきますのでご了解ください。

  教育にゲームの面白さを

 1980年ごろから始まった少子化にもかかわらず、一貫して成長を続けてきたベネッセの会員数が2000年に頭打ちになり、2001年から減少に転じました。(「日経ビジネス2002年2月25日号」)

 現在の人口構造のまま推移すると、2009年には大学定員数と進学年齢に達した子供の数がつりあい、希望者全員が大学に入学できるようになると言われています。ちょうど今の小学2年生からぐらいでしょうか。

 現在の親の世代は多かれ少なかれ厳しい受験競争をばねにして勉強してきました。しかし、これからの子供の世代は、受験競争が著しく緩和された環境の中で勉強する立場に置かれます。そうすると、これまで勉強のばねとしてきた多くのきっかけが使えなくなります。これがこれからの教育界が直面してくる問題です。

 しかし、日本には、昔から教育重視の長い伝統がありました。士農工商の身分制が確立していた江戸時代に、寺子屋や藩校というかたちで教育が日本中に普及していたのは、立身出世の手段とは別の原理で教育が運営されていたからです。逆に言えば、福沢諭吉が、立身出世を新しい時代の教育の原理として提案するまで、日本の教育は別の原理で動いていました。それはひとことで言えば、よりよい人間になるため(人格向上)の教育です。

 しかし、現代のように多様な価値観や多様な娯楽がひしめく中で、人格向上の旗を掲げても集まってくる人はほとんどいないでしょう。ここで、新しい工夫が必要となります。

 それは、人格の向上を目的としていながらも、味気ない勉強とならず、しかも受験にも役に立つ勉強という工夫です。

 勉強とは本来おもしろいものです。それは、勉強の中で自分が日々向上し、新たな工夫や発見ができ、社会に貢献できるというおもしろさです。しかし、勉強がそのおもしろさの域に達するまでに、長い単調なアプローチが必要です。

 この勉強と対照的な位置にあるものがゲームです。ゲームの本質は暇つぶしです。(笑) というと囲碁や将棋を真面目にやっている人から怒られそうですが、高度な域に達したもの以外のほとんどのゲームは人格や技術の向上とは関係ありません。その典型的な例であるテレビゲームになぜ子供たちが熱中するかと言えば、そのゲームの中に、やはり進歩と向上、工夫と発見、成果と貢献という要素が架空のかたちで生きているからです。

 単調な教育にこのゲームの面白さを取り入れることが、これからの教育界の技術的な課題となるでしょう。

 言葉の森の長文音読と短文暗唱も、味気ない勉強です。成果が実感できるまでに長いアプローチが必要です。しかし、その実感を意識的に早める工夫ができれば、勉強自体に面白さが加わってくると思います。

 そのために重要な要素は四つあると考えています。

 第一は、長文や短文自体に、美しさや楽しさがあることです。

 第二は、前の学期で学習した長文や短文が、次の学期の題材や表現や主題を書くときに生かせるということです。

 第三は、長文や短文の生かし方が画一的でなく、組み合わせの仕方に工夫の余地があるということです。

 第四は、変化や進歩を、ビジュアルに表示することです。

 言葉の森の今後の教材作りも、このような方向で考えています。

  曽野綾子さんの受けた作文教育

 ある方が雑誌の記事を紹介してくれました。作家の曽野綾子さんの体験談です。

 私は幼い頃、ピアノと日本舞踊と作文の個人教育を強制的に受けさせられました。でも、ピアノと日本舞踊は才能がなかったためか、早々にイヤになり長続きしませんでした。でも、作文教育は身についたんですね。もちろんこれだって、最初はいやいやでしたけど、徐々に面白さがわかってきて一生の仕事になったんです。作家としての自分があるのは、母の強制的な作文教育のおかげなんです。母の教育は有効だったとしか言えません。教育の出発点には強制があるのです。

 

 強制が単純にいいとは言えませんが、親の側にある程度の見通しがあれば、子供に強制することは教育の重要な手段になると思います。

 「読書を無理にさせて嫌いになったら困る」という声をときどき聞きますが、そういうケースはまずありません。一般にどのような習い事も無理にさせてでも実力をつけるところまで持っていけば、好きになっていくものです。読書も作文も同じです。大事なことは、実力をつけるまで続けるということだと思います。

  社会人入試の合格者の声

 社会人の大学入試で、この春合格したNさんの声を紹介します。

 約半年間、言葉の森で学び、無事大学に合格することができましたことに、大変感謝しております。

 通信教育といえば、文書でのやりとりが一般的だと思いますが、言葉の森の週1回のお電話に精神的にとても支えられました。勉強は一人でするものとわかっていても、情報が少ない社会人入試では孤独になりがちでした。そうした中、先生からのお電話があったからこそ、最後まで続けられたのだと思います。試験の際は「時間優先、反対意見……」という最後のアドバイスを試験の直前まで何度も繰り返しました。そして「充分合格圏内」という言葉のおかげで自信を持って受験することができました。

 こうした先生のアドバイスや励ましが、合格に結びついたのだと思います。一般的な通信教育では受験の不安は拭えなかったと思います。

 先生の説明はとてもわかりやすく、また声もとてもお優しいので、小論文の勉強が楽しみのひとつになりました。これを機会に、これからも勉強を続けていこうと思います。

 文章を書くことが大の苦手だった私が、言葉の森での「電話教育」のおかげで合格することができました。本当にありがとうございました。(原文のまま)

 社会人入試に挑戦する方がこれから増えると思いますので、コツをひとことで言うと、(1)書き出しの意見と結びの意見を一致させる、(2)課題のキーワードを結びの10行に入れる、(3)結びの意見には反対意見への理解を入れる、(4)できれば結びに「○○はAでなくBである」というかたちの光る表現を入れる、というところです。(ひとことでなく四言でした)

 このお手紙にあったNさんが、試験の直後に、試験で書いた小論文と同じものを思い出して書き、送ってきてくれました。すごく自信なさそうに、「課題が難しくて、よくわからなかった。一応書いてきたけど駄目だと思います。来年もう一年お願いします」ということでした。しかし、私がその小論文を見てみると、確かに課題が難しく主題を取り違えているところがありましたが、上記の四言のコツは全部できていました。試験とは相対的なものですから、課題が難しいということはほかの受験生にとっても同じように難しかったはずです。難しくて書きにくい課題であればあるほど、構成のしっかりしている文章は高く評価されます。ほとんどの人は、考えたことを思いつきで書いていくだけで、最初に構成を考えるようなことをしません。そこで、「うーん、これは主題がちょっとずれているけど……合格! これで合格しなかったら、その大学に人を見る目がなかったのです」と言いました。(笑)

 それから、数日後、無事に合格のお知らせが来て、ほっとしたところです。

  インターネットのセキュリティ

 先日、ある生徒の父母から、「国際電話で7万円の請求があった(T_T)」と連絡を受けました。インターネットのサイトでクリックを次々としていくと、突然ソフトをダウンロードする画面になることがあります。小さい子供ですと、どうしたらいいかわからないので、そのままOKを押してしてしまうことがあります。また、画面によっては閉じることもキャンセルすることもできなくなる場合があります。そして、そのように強制的にダウンロードするような設定になっているソフトのほとんどは、モデムの設定を変え、ダイヤル先を国際電話やダイヤルQ2に変更してしまうソフトです。

 ダイヤルQ2は支払いを拒否することができますが、国際電話は支払いを拒否することは難しいようです。

 インターネットにつながっているどの家庭でも起こりうることなので、以前、言葉の森新聞に掲載した記事を再度掲載します。

 関連する記事は、「言葉の森新聞2000年11月1週号」「同2001年5月2週号」「同2001年7月4週号」にも載っています。

 簡単な対策は次の三つです。

(1)添付ファイルは、知人からのものであっても原則削除。

 (本文中に、どういう添付ファイルを送ったと明記してあるものは可。しかし、その場合でもワード文書やエクセル文書の添付ファイルは送らないのがエチケット)

(2)116へ電話をしてダイヤルQ2利用停止の申し込みをする。

 (停止は無料だが、再開は有料)

(3)『国際不取扱センター』(フリーダイヤル:0120-210-364)に電話をして国際電話の利用停止を申し込む。

 (国際電話をかける必要のある人は、インターネット電話を利用するとよいと思います)

 いずれも簡単なことですから、早めに実行しておくといいと思います。

 

  光る表現(幼長−小4) 2002年3月2週号

●麻理子さん(いほけ/幼長)の作文より(かすみ先生/2.4週)

 ソクラテスのはなしよんだらかんじすきになりました。かんじよめたらひらがなもよめるしかたかなもよめてかんじもよめるからもっともっとひとりでほんがよめるようになります。▲(評)むずかしいほんをひとりでよめたときのうれしさと、これからももっといろいろなほんをよんでみたいというきもちをじょうずにあらわしていますね。

●なるなるさん(いとほ/小1)の作文より(みのり先生/2.4週)

 かじ原先生はおなかが大きくて、プヨプヨしているので、トトロのようです。体がおもいので、なわとびはとべませんが、算数では、楽しいすごろくゲームをしてくれます。みんなにかわいいあだ名をつけてくれました。わたしは先生からなるなるとよばれています。わたしはこんなかじ原先生が大すきです。(評)本当にすてきな先生ですね。なるみちゃんが大すきになるきもちがとてもよくわかるよ。

●裕子さん(いせて/小2)の作文より(メグ先生/2.2週)

 お兄ちゃんでも入りそうな箱を三つ出してきました。さいしょの箱は、おひなさまとおだいりさまとぼんぼりとびょうぶとお花が入っていました。【評】どのくらい大きな箱なのか、すぐに想像できるね。しかもそんなに大きな箱が三つとは……。

●ひよこさん(いひな/小2)の作文より(そら先生/2.4週)

 私は遊園地のかんらん車を見た時、じくのところがキラキラ光っているのを見て、「乗っている人の席に、電気がビリビリこないかしら」と思いました。でも、とてもそれがきれいだったので、そのことは頭からふっとんでしまいました。★怖いよね、ビリビリ来たら。空気がかんそうする冬にビリッと痛みが走る静電気みたいで。私は毛布やセーターなどの化せんがだめで、しょっちゅうビリッと来るのね。特に、飛行機のなかに置いてあるペラペラした安っぽい毛布が最悪。バチバチがすごくて、かけることができない。 きれいだったので頭からふっとんだ、という表現も面白いね。

●メロディ・ブルさん(いふす/小2)の作文より(きりこ先生/2.3週)

 そしてまたずっとつづけて足がいたくなりました。きんにくつうになるかも、というほどでした。<どのくらい足がいたいか、これでよくわかるね。いい表現だよ>

●フレディさん(いせそ/小3)の作文より(ふじのみや先生/2.3週)

 パストゥールがこの発見ができたことは、パストゥール自身がすごい人だからではなく、一生けん命研究するパストゥールを見て、ぐうぜんが味方してくれたのだと思います。【評】 発見の意味を深く考え、自分だけの意見にまとめられましたね。

●スマイルさん(いにわ/小3)の作文より(さかな先生/2.3週)

 パストゥールには、ぐうぜん以外に、たんそきん(ばいようした)や、コレラのばいようえきも、二重スパイとして味方しているのだと思いました。★評:たくさんの味方が協力して、重大な発見につながったのですね。

●ポッターさん(いねり/小3)の作文より(はるな先生/2.4週)

 春のあたたかさは、まるで、太陽がわたしたちを、つつんでいるようなあたたかさです。 (講評);あたたかい春のようすを、太陽を主人公にして、擬人法でたいへんうまく書きあらわしましたね。この文章を読んでいると、知らず知らずのうちに、なんとなく、身体がポカポカしてくるようです。

●由緒さん(いひく/小3)の作文より(ふじのみや先生/2.2週)

 わたしとイブがけいさつになって、妹二人がどろぼうです。そのときイブは、とってもとっても足が速いです。シェパードは、けいさつ犬が多いです。イブもまるでほんとうのけいさつ犬のように妹どろぼうを追いかけます。すごくかっこいいけどイブは、メスです。☆かっこいいけいさつ犬のような、イブ。 婦人警官(ふじんけいかん)のつもりかな?

●彩花さん(いへゆ/小3)の作文より(そら先生/2.3週)

 今日はメリーゴーランドの遊びをしました。わたしは一・二回ぐらいでこけてしまうけど、まわっているときは、ドキッドキッと心ぞうがなるときもあります。でもメリーゴーランドは、こけるのが、楽しいので、みんな、わたしとやるときは、みんなわらってわらいがとまらないほど、おもしろいらしいのです。わたしは、もう少しうまくなったら、そのおもしろいのをたいけんしてみたいです。★なるほど、一りん車でいろんな遊びができるんだね。あやかちゃんとみんなのようすがよく伝わってくる。ドキッドキッと心ぞうがなるときもある、という表現(ひょうげん)がとてもいいよ。わらってわらいがとまらないほどおもしろいらしい、というのもね。

 

●上原さん(いきあ/小4)の作文より(ふじのみや先生/2.3週)

 カをころすのも動物をころすのもいのちをうばうということでは、同じなのでどちらも悪いと思う。 動物(人間)をころしたほうがおおごとになるけれど。 【評】よく考えて、最後はひねりをきかせた文でしめくくったね。

●みかんさん(いこい/小4)の作文より(みか先生/2.3週)

 お母さんの子どものころは、家の中にもたくさんカがいたそうです。だから、夜ねる時は「かや」というものをつって、その中に入ってねたそうです。私もおばあちゃんの家に泊まりに行ったときに、かやの中に入ってねました。すると、なんだか安心して、すぐねむれました。まるで、カはきゅう血きで、かやはきゅう血から守ってくれるものみたいだなぁと思いました。(評)実際にかやの中でねむる経験ができたなんて、みかんさんはラッキーでしたね。

●真裕子さん(いさは/小4)の作文より(ふじのみや先生/2.3週)

 血がいっぱいでてるカは、じゅうでうたれたみたいです。 【評】こわい…けれど、その通りですね。 しょうげき的(笑)な、たとえです。

●ヒマワリさん(いすさ/小4)の作文より(はるな先生/2.3週)

 ・・・・・私の場合は「あーっ。カだ。・・・・パチン」というふうに発見して、すぐにつぶしてしまいます(がまんできないのです。)わたしは、この文章を読んで「ことしは蚊をつぶさないようにしよう。」と、新しい目標を決めました。「目標たっせい、がんばるぞ!」でも、一ぴきもつぶさずに夏が終わることはなさそうです。(講評);蚊の発生する夏を想像(そうぞう)したことが、大変うまく書けていますよ蚊に刺されたら、途中でたたかず、血を分けてやったほうが、かゆくなくていいと、わかっていても、やはりがまんしきれずに、パチンとつぶしてしまう人の心理を、大変ユーモラスに表現できました。先生も、「本当にそのとおりだ!」と思いますよ。

●アミーゴさん(いそと/小4)の作文より(ゆうこ先生/2.3週)

 「ビューン。」と早く回り、まるでかざぐるまのようでした。沢山回って目が回んないのかなぁ、と不思議に思います。私の知らない、色々なわざを見せてくれました。(中略)なに事もあきらめず、がんばることをフィギアスケートの本田選手から学びました。メダルにはおいつかなかったけれど、がんばっているすがたを見て、一生けん命やってるんだなー、と思いました。【講評】オリンピック観戦を通して学んだことを自分のことばでまとめてくれました。フィギアを知っているアミーゴさんらしくてステキだな♪

●れもんさん(ふれ/小4)の作文より(さかな先生/2.3週)

 それは、集団責任と言えるでしょう。だから、どんなときにも、人から信頼されるような行いをすることは大切だと思います。★評:とても鋭い意見です。いろいろな問題が起こる社会の中で、反省が必要な大人も少なくありませんね。

  光る表現(小5−社) 2002年3月2週号

●ミュウさん(あにた/小5)の作文より(けいこ先生/2.3週)

 このようなことは、井の中の蛙、大海を知らずだ。このことで大切なのは、井戸の中にいるということを気づくことだ。しかし、井戸の中にいるということは、どのようなことで分かるのだろうか。気づくには、自分自身(個人)の行動として分かるものだ。例えば、井戸の外には、中にはないエサがある。しかし、その近くには猫がいる。その時に、「自分だったらどうするか?」という、個人の行動によって、自分の住処が分かる者と分からない者に分けられるのだ。つまり、分かる者は成長して、分からない者は成長しないのだ。もし、勇気のある蛙とあまりない蛙がいるとする。そこで、勇気のある蛙が美味しいエサを取りに井戸から出て行く。そして、「自分はこんなに狭い中に住んでいたんだ。」と思い、成長することになる。それとは反対に、勇気のない蛙は「この中は広い。」と思い込み、成長しないのである。 評:井戸の外に出ていくためには、まず自分が井戸の中にいると気づかなければならない。このことを説得力をもって主張できた。ことわざの使い方がうまい。

●あずささん(ありな/小5)の作文より(スズラン先生/2.2週)

 深海魚が、水族館で見られるようになればうれしい。しかし、深海魚は、私達の知らない深い海で生きている方が、神秘的で、「深海魚」らしい気がする。:評:深海魚には深海魚の居場所が、ということが伝わってきますね。神秘的なものはそっとしておきたい気持ちにもなります。

●桃花さん(いてら/小5)の作文より(ぴのこ先生/2.3週)

 春が近づいたとはいえ、相変わらず寒い日が続く。スカートの女の子としては、少し寒さが身にしみる。でも、少しずつ春が近づくのがわかると心まで暖まるようだ。【評】桃花さんらしい春への思いが出ているね。

●たこ焼きさん(いとつ/小5)の作文より(ぴのこ先生/2.4週)

 もし、魚が日本語を話せたら、会議をしたほうが絶対いいと思う。魚にとって考えたら、迷惑なこともあるし・・・・・。でも、自分のことをよーく知ってもらえて嬉しい魚もいるかな?魚や動物、虫たちにとって一番平和で一番素敵なところで過ごしてもらいたいと思う。いつまでも幸せに。

●さるっちさん(やあ/小5)の作文より(メグ先生/3.1週)

 周りのみんなができていて自分だけ出来ていないのは恥ずかしいし、悔しいと思うとがんばらなくちゃという思いが生まれ、それが僕の支えになっていたと思う。【評】がんばることができたのはなぜか、自分なりに分析することができたね。

●シュシュさん(あさつ/小6)の作文より(メグ先生/3.1週)

 私は補欠1になれたのだ。あまり実感が湧かなかったがとにかくうれしくて、どんよりくもり空が青空に見えたほどだ。【評】そのときの気分によって、空の色さえも違って見えるよね。

●早紀子さん(いおよ/小6)の作文より(さかな先生/2.3週)

 私は、見かけというのはちょっと手をつけただけで、人を美しくも、ハデにもかわいらしくもできる魔術師だと思う。そしてみかけばかりに気をとられていると、やがて自分のかっこ(う)と同じ心になり、みかけに汚染されていくのだろう。そうならないためにも外見はほどほどにしたい。そして中身を美しくかわいらしくきれいにしよう!★評:うーむ。外見と人の心の関係を鋭く言い表したね。たとえが鮮(あざ)やかでした。

●こめさん(いせか/中1)の作文より(ゆうこ先生/2.2週)

 太平洋側に住んでいる人は、雪の被害にはあまりそなえていないと思う。日本海側では、大雪の時は消雪パイプで道の雪をとかしたり、流雪溝の中に雪を流したり、除雪車で雪をどけたりしている。ところが、太平洋側では、あまり雪が降らないためにそういう設備がないために、大雪の時は、雪をどける作業をほとんど自分達でやらなくてはならない。【講評】雪と氷の姿を様々な角度から研究・考察してくれています。

●こめさん(いせか/中1)の作文より(ゆうこ先生/2.3週)

 しかし、増加しているといっても少しずつであり、冬鳥は増加するどころか少しずつ減ってきているらしい。僕は、冬鳥にとってちょうど良い環境が失われているから冬鳥が減っているのだと思う。その理由は、ホシハジロやオンクロハジロが減った原因が水質汚染による魚の減少によるものだからである。だから、前にも書いたように、水をきれいにすることが必要なのである。(中略)冬鳥には越冬する期間が長いものと短いものがいるが、中でも一番長い間見られるのはコガモである。この鳥は、少しなら暑さにたえられるのかもしれないと思う。この冬も終わりだが、今いる冬鳥は、もうすぐ渡っていなくなってしまう。今度の秋は、前の冬よりも数が減ることなくここに渡ってきてほしいと思った。【講評】冬鳥を観察した研究論文になりました。たいへん興味深い結果が見られました。

●ペライアさん(いひお/中1)の作文より(森川林先生/2.2週)

 土の道とは人間にとって、自然と一体化した憩いの場といってもいいのではないか。舗装された道も必要ではあるが、自然に優しい土の道を失ってしまったら人間は滅亡するだろう。なぜなら、人間も自然の一部だからである。◆評:「人間にとって」という一般化を、たとえを使って的確にまとめたね。

 

●亮さん(いふめ/中1)の作文より(メグ先生/3.1週)

 みんな一斉にスタートした。僕はアンカーだったので最後だったけど緊張した。しかし、やる気の方が勝っていた。【評】それまで一生懸命がんばって練習してきたからこそ、緊張感に負けなかったんだね。

●潤之介さん(かな/中2)の作文より(メグ先生/2.2週)

 個性的に生きるのも大切。今の価値観で生きるのも大切。だが、私たちにとって一番大切なのは、今の価値観にとらわれることなく、未来の価値観を作っていくことではないだろうか。【評】流行に躍らされるのではなく、自ら時代を先取りして、未来の価値観を作っていくことができたらいいですね。

●潤之介さん(かな/中2)の作文より(メグ先生/3.1週)

 何よりも自分でストーリーを考え、世界を自由に表現するのが好きで好きでたまらなかったらしく、その千変万化する世界の中を友達と二人でよく旅したものである。自分達が今登っている木は、ある時は城になり、またある時は海の底や魔物がたくさん潜んでいる洞窟になったりした。だが中学生にもなり木に登ってみても、それはただの木だった。その時私はなにかとても大きなものをなくした気がして悲しくなった。【評】このような気持ちを味わったことのある人は多いと思うよ。

●エガさん(てせ/中2)の作文より(メグ先生/3.1週)

 自分の成長を喜び、それを楽しむことが大切なのだ。そうすれば、勉強だって自分の中では遊びになるはずだ。【評】勉強と遊びとを分けて考えるのではなく、どちらも自分の成長の糧になるものとして大切にしたいですね。

●○○○○さん(うい/高2)の作文より(森川林先生/2.3週)

 共同体に浸かりきった人間はトランプのようなものだ。トランプが生きているのはそれが実際のプレーに使われているときであり、そのプレーという目的がなければただの紙なのだ。◆評:名言を加工したんだね。ちょっと難しいけど、よく考えた。

●眠雨さん(うき/高2)の作文より(森川林先生/2.3週)

 世間との調和とは、自己を埋没させることではない。周囲の人間ともうまくやりながら、自己の意思や尊厳を確保していく、またお互いに確保し合うような、理想的な「世間主義」こそが、今日の我々に求められているのではないだろうか。◆評:「世間との調和は……」が自作名言になっている。

●UZI.SMGさん(そお/高2)の作文より(ぴのこ先生/2.3週)

 このように、日本にはまだ「個人」の概念が定着していない、理解されていないと言えるかもしれない。「世間」の裏返しとしての「個人」と言う発想から、一人一人が独立し全く違った人間と言う意味での「個人」という発想に移っても良いと思う。人間の個別性は疑いようのない事実であるから、それを認め、そのことを前提に考えなければ個人主義という社会は成り立たないだろう。「個人」という概念を考え直し、変に「世間」に縛られることなく自由に生きることは大切だ。【評】今を生きることへの大切な意見だね。

●○○○○さん(あう/社)の作文より(森川林先生/1.2週)

 ぼんやりとバラエティ番組を見ていたら、心霊現象に関するテーマを取り上げていた。霊に悩まされている人が霊的な力をもつ人に除霊を依頼するという定番ともいえる設定だった。霊に悩まされている依頼人の「部屋の植物もよく枯れるのですが、やはり霊が原因なのでしょうか。」という問いに対して、「その前にちゃんと毎日水を与えたのですか、手入れをしてあげたのですか、なんでも霊のせいにしては霊がかわいそうというものですよ」とその霊能力者は答えた。この霊能者の能力についてはともかくとして、この回答は天風の指摘と一致するところがある。◆評:一軒くだらない(笑)テレビ番組も、実例として生かせると、逆に価値あるものになる。

●○○○○さん(あう/社)の作文より(森川林先生/2.2週)

 、「積極的な見方をする」ということを「問題点を直視しない」というある種の現実逃避の切り札として使っている人も少なくはない。消極的な態度ではなく、積極的な姿勢で物事に臨まなくてはならないが、「積極的」と「楽観的」を峻別するべきであるということは特に肝に銘じておくべきである。◆評:名言になっている。世の中には、プラス発想ではなく実際の行動によってでなければ克服できないものも多いからね。

 

 

 

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