1997年4−6月 第6週号 通算第522号 言葉の森 

言葉の森新聞

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  未来の勉強

 日経産業新聞に、サイバースペースという特集記事が掲載されています。この欄に、未来を暗示するコンピュータの先端分野の記事が掲載されています。

先日、クローン牛の登場が話題になりましたが、今、コンピュータのチップを人間の頭脳に埋め込む技術が開発されているそうです。倫理的な問題があるので、こういうものが実用化されるのはかなり先の話になるか、または永久に実用化されないと思いますが、脳の中にある情報も、書物の中にある情報も、ある一定の信号の組み合わせだと考えると、百科事典をそのまま人間の脳にコピーするということも技術的にはできないわけではないと思います。もちろん、百科事典が頭の中にいくら入っても、その人の幸福にはあまり結びつかないような気がしますが。

ところで、大事なことは、今、学校や塾でしている勉強のかなりの部分が今後、これらの技術の発達をきっかけとして、大きく修正されるだろうということです。勉強は、人間の根源的な知識欲に基づいたものですし、人間が社会生活を行うために必要なものですから、どういう時代になっても勉強そのものは残っていきます。また、知識はそのときの経験や感情と結びついてはじめて生きたものになるのですから、知識だけをフロッピーディスクにコピーするように頭にコピーすればいいということにはなりません。

しかし、今、勉強している多くのことがらが、将来不要になる可能性がある、ということは、大きい視野に立って考えていく必要があると思います。

江戸時代に武士の必須の教養であった剣術や馬術が、今の時代でも必要だと思う人はだれもいません。中国の科挙という試験で出された知識のうち、現在の日本で今も必要とされているものは、たぶんほとんどないでしょう。当時の人たちにとっては、生活の大部分だと思われていたものが、時代や社会が変わると、まったくその意味を失ってしまったのです。

これと同じことが、今、勉強の分野で起きつつあると思います。

右脳教育はまだその全貌が明らかになっているわけではありませんが、これからの教育にもたらす影響は予想以上に大きなものになると思います。

これまでの勉強の大部分は、すでに用意されている答えを記憶の中から思い出すというところに力点がありました。英単語を覚えるのも、漢字を覚えるのも、数学の解法を覚えるのも、すべて人間の記憶力に頼った勉強でした。人間の本当に人間的な頭脳の使い方は、これらの記憶を創造的に結び付けることにあるはずですが、これまでの勉強では、記憶の量を増やすこと自体が勉強の目的であるかのように思われてきました。

しかし、この記憶力の分野で、今、大きな変革が行われようとしています。だれでもが、いちばん記憶力がある人と同じ程度の記憶力を簡単に持つことができるようになれば、勉強の雰囲気は今とは全く違ったものになるでしょう。

そのときに、人間にとって大事なものは、幸福に生きること、向上心があること、ヒューマニズムに満ちていること、など、今の勉強で必要とされているものとはかなり異なったものになるはずです。

今はまだ、顔の見えない偏差値で人間がモノのようにまとめて評価される面が、教育の分野では残っていますが、現実の社会そのものは、実はもっと進んでいます。たとえば、みなさんが会社の社長であったとしたら、一緒に仕事をする人を選ぶときに、その人の学校時代の偏差値を基準にするでしょうか。そういう単純な数値よりも、話をしていて温かみがあるとか、前向きにものごとを考えているとか、勉強以外の教養があるとか、正直で約束したことをきちんと守るとか、そのような、より人間的な総合力を大事にすると思います。

会社の試験だけでなく、今は、大学の入学試験でも、面接や小論文などを利用して、できるだけその人の偏差値以外の面を総合的に見るような方向に進んでいます。

この大きな方向を見誤らないように勉強を進めていきましょう。

なぜこういうことを書くかというと、今の子供たちの中に、成績だけで人を見て、できない人をバカにするというゆがんだ考えを持つ子供たちが増えていることに、心配なものを感じるからです。子供たちは周囲の影響を受けて育っていくのですから、、学習塾のそういう一面的な人生観に染まらないように、家庭で十分に話し合いをしていくことが大切です。

また、もうひとつは、非常に苦しい思いをして勉強させられている子供たちが増えているということにも、心配なものを感じるからです。勉強は、本来おもしろいものです。特に、高校時代の勉強は、自分の知性が日々豊かになっていくことに心から喜びを感じることができるはずのものです。このように考えれば、受験も、自分自身のひとつの挑戦すべき試練として前向きに取り組んでいくことができるものです。しかし、今、進学塾に通う小学生の子供たちは、みずから望んだわけではない勉強を、無理矢理につめこまれている勉強している面があります。小学校時代に、たっぷり遊べずに、勉強にくたびれている子供たちを見ていると、受験で得るものよりも失うもののほうが大きい子供たちがかなりの割合でいるのではないかという気がします。

  第6週の長文の解説

   解説を読む前に必ず自分で考えてみましょう

第6週「さて、人間を科学的に」の要約

1、機械の科学は進んだが、人間の科学はなかなか進んでいない。

2、人間は、機械と違って、生きている。

  1. また、人間は、機械と違って、進歩する。

似た例

人間と機械の違いを想像して考えよう。自動販売機で、「いらっしゃいませ」などとしゃべる機械があるが、そのあいさつが人間のあいさつと根本的に違うところはどこか、などと考えてみるとよい。

感想とことわざ

「人間は、機械とは違って……である」というようなかたちで考える。または、「確かに機械には……というよい面もあるが、人間の持つよい面をもっと大切にしていこう」。人間の持つよい面とは、ここでは、「進歩すること」「努力できること」などかな。

ことわざ(名言?)は「111、人間は一本の葦にすぎない」「89、玉磨かざれば……」「94、使っている鍬は光る」など。

第6週「子供のころ」の要約

  1. 普段の散歩道で風景が変わっていたために道に迷った。
  2. 動物は、無意識のうちに道筋や情報を蓄積しているので、道に迷いにくい。
  3. 人間は、他人の地理的な情報を地図として利用できる。
  4. 地図などのように人間の作り出した情報は、行動の助けになるが、使い方が身についていないと役に立たないこともある。

似た例

地図を見て目的地に着いた、時刻表を見て電車に乗った、辞書を見てわからない言葉を調べた、などの例が考えられる。

意見と名言

「他人の情報を利用することの大切さ」というところで考えると意見が書きやすい。自分の力だけで試行錯誤を繰り返して目的地に到達することも大切だが、地図や参考書を頼りに能率のよい行動をしていくことも大切。

名言は、逆の意味で書いてあるが「51、読書とは自分の頭で考えることではなく、他人の頭で考えることである」など。また、「助けにも妨げにもなる」というところで、「84、理想に到達するための手段はまた、理想への到達を阻む障害でもある」から、使い方をうまく身につけることが必要だ、とまとめることができる。