1997年4-6月 第11週号 通算第527号

言葉の森新聞

住所 234横浜市港南区港南台4-7-29-A201 電話 0120-22-3987 留守番電話・ファクス 0120-72-3987

  しかし問題は家庭にではなく社会に

子供の教育の中心になる場所は、学校でも塾でもなく家庭です。

家庭で、しっかりしたしつけをされて、愛情たっぷりに育てられ、豊かな体験と読書をしている子は、学校がどんな学校でもまともに育っていきます。逆に、家庭でしっかり育っていなければ、どんな学校や塾に行っても、子供はまともに育ちません。

「いい学校に入れば、いい教育をしてもらえる」と考えている人も多いと思いますが、そういうことはほとんどないと思います。私立の小学校で、中学・高校まで併設しているところがありますが、成績のいい子は、小学校から入ってきた子よりも、高校受験で入った子や、中学受験で入った子の方に圧倒的に多いのが実態です。学校には、子供を成長させる力はないのです。では、なぜ学校に行くかというと、学校は、家庭では用意できない新しい知識や技術を体系的に提供することができるからです。しかし、その与えられた知識や技術を消化して自分のものにしていくのは、学校の力ではなく、その子自身の力です。そして、その子自身の力は、家庭でのしつけや愛情や読書や体験で育っているのです。

その肝心の家庭で、しつけや愛情の不十分さが目立っているのはなぜでしょうか。

子供たちに、「お母さんはやさしいでしょ」と聞くと、多くの子供たちは「お母さんはこわい」といいます。そして、「お父さんのほうがやさしい」と言います。これは、何を表わしているかというと、「お父さんは、ふだん家にあまりいないので、たまにいるときはやさしい面だけが見える」、他方、「お母さんは、不在のお父さんの分までがんばるからこわい面が前面に出て見える」ということだと思います。

子供を育てるのに理想の親というものはありません。どの親も、思考錯誤をしながら、なんとかまあ子供が無事に育っているというのが本音だと思います。

人間には、必ず長所の裏側に短所があります。しつけの厳しい親は往々にして、子供に対する愛情のかけ方が不十分になりがちです。優しい親は、往々にしてしつけの面で甘くなりがちです。愛情たっぷりで厳しいしつけもできるというのは、笑いながらおこるというぐらい難しいことです。

ですから、子供は、ひとりの人間によって育てられれば、必ずその人間の長所と短所をそのまま引き受けて育つことになります。

昔の社会では、父親や母親以外に、おじいちゃんやおばあちゃん、さらに、近所のおじさんやおばさんが、子供たちの教育に関わっていました。人間には、どんな短所にも必ずその裏側に長所があります。だらしないけどやさしいおじさんや、こわいけど筋が通っているおばさんなどに囲まれて、子供たちは、その人間の短所の面を緩和しつつ、長所の面を吸収してバランスよく育っていったのだと思います。

今の社会では、多くの家庭で、教育の中心になるのは、父親と母親だと思います。厳父慈母といいう言葉がありますが、お父さんが厳しい役割をしっかり担っていれば、お母さんは優しい役割を十分に果たせるように思います。また、お父さんが子供に、「人生には勉強よりも大事なことがたくさんあるんだぞ」と教えていれば、お母さんは、「今いちばん大事なことはしっかり勉強することなのよ」とはっきり言うことができます。もちろん、この役割は逆でもいいのですが、要は、複数の人間が家庭で子供の教育に関わらなければ、子供はバランスよく育たないということです。

こう考えると、本当の問題は、家庭にではなく、そのような理想の家庭を成立させにくくしている社会にあるような気がしてきます。

ドイツには、日曜日の営業や遠方通勤を制限する法律があるそうです。それは、企業の利益や社会の発展よりも家庭や人間を大切にする思想があるからです。アングロサクソン系の「競争=善」という考えの対極にあるのが、このライン系の「人間性優先」の考え方で、日本は、ちょうどその中間に位置しているようです。

企業や社会がどんなに発展しても、その一方で家庭が家庭の役割を十分に果たせないまま取り残されているような社会は、いずれ行きづまるのではないかと私は思います。今、日本も、会社よりも家庭をという方向に大きく舵(かじ)を切るべき時期に来ているのだと思います。

  第11週の長文感想文のヒント

第11週 「コオロギはリーリーと」の要約

  1. コオロギの声は、日本人には美しく聴こえるが、ヨーロッパ人には雑音として聴こえるといわれている。
  2. アオマツムシの声も、帰化昆虫だということを知ってからうるさく聴こえるようになった。
  3. 知識や習慣は、ものの見方を変える。
  4. 自分のものの見方や考え方が絶対のものだと思わないことが大切だ。

似た例

先入観でものを見てしまうという例など。例えば、「あの先生こわいんだよ」などと人から教えられると、会う前から、その先生がこわそうに見えるということがあります。歴史上の実例では、天動説と地動説などの話も書けそう。知識がものの見方を変えるということですね。

感想とことわざ

反対意見の理解は、「自分が正しいと思ったことを主張することも大切だが」というところ。「自分のものの見方が絶対だと思わない」という謙虚さは大切だけど、その考えが行き過ぎると、「人は人、自分は自分」という関わり合いのない社会になってしまうこともあるからです。

ことわざは、「88、たで食う虫も……」「92、長所は短所」「16、井の中のかわず……」などが使えそう。

第11週「文化ということ」の要約

  1. ヨーロッパの文化は、個人の独立という市民意識を長所として持っている。
  2. しかし、それは同時に、愛や助け合いの乏しさという短所も伴っている。
  3. 日本は、ヨーロッパの長所を取り入れつつ、短所を取り入れない新しい文化を創っていかなければならない。

似た例

以前の長文にもありましたが、欧米では、子供は小さいころから自分の部屋で寝るという習慣があり、日本では、かなり大きくなるまで両親と一緒に寝るという習慣があるようです。こういう身近な例を通して考えてみるとよいでしょう。

意見と名言

Aの意見は「個人の自立」、Bの意見は「相互の助け合い」ということで考えてみましょう。どちらを自分の意見の中心にしてもよいと思います。総合化ということでは、この長文にも書いてあるように、「ヨーロッパの伝統にもよいところがあり、日本の伝統にもよいところがあるが、大事なことは、過去の伝統を取り上げてどちらがよいかと考えることではなく、私たちが「個人の自立と相互の助け合い」を両立させる新しい伝統を作り上げていくことである」というような感じで。

名言は、「77、やさしさが……」「45、短所をなくす……」「87、私たちの幸福が……」など。自分でもいろいろと考えてみましょう。