1997年7-9月 第3週号 通算第531号

言葉の森新聞

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  第3週の長文感想文の説明

小学3年生以上の人は、長文を読んで感想文を書く練習をしていきます。

小学2年生以下の人は、なるべく無理がないように自由な題名で書く練習をしていきますが、感想文を希望する人は先生にご連絡ください。

初めての人もいると思いますので、長文について説明をします。

長文は、全部で8ページあります。これは、主として貸出図書の一部を抜粋したものですが、必ずしも今学期送った本と一致してはいるわけではありません。

長文の中には、その学年で習わない漢字も出ていて読みにくいものもかなりあると思いますが、そのつどおうちの方が読み方を教えてくだされば、子供たちはすぐに読み方を覚えてしまいます。できるだけルビなどはつけずに、漢字のまま読めるようにしてくださるとよいと思います。

「母屋(おもや)」の感想文のヒント

小学3年生の人は、項目表を参考に次のように書いてください。

「この話を読んでいちばんおもしろかったところは……です。→わたしも、こんなことがありました。(または、もし、わたしだったら、こんなことをしたと思います。)→この話を読んで私は……と思いました。」

小学4年生の人は、「いちばん……だったのは」という書き出しのかわりに、長文の「はじめ」「中」「おわり」からそれぞれ一文ずつ、合計三つの文を抜き書きしてください。これは、5年生でやる要約の練習の前段階の練習です。抜き書きする文は必ずしも大事なところということではなく、どこでもかまいません。ただあまり短い文を抜き書きするよりも、比較的長い文を三つ抜き書きするほうがよいでしょう。文というのは、「。」がつくところまでのことです。

似た話は、「古いものは不便だ」という話で。今は火打ち石なんて使う人はまずいないと思いますが、マッチも最近ではあまり使いません。夏になると花火などをする機会が多くなりますが、そのときもマッチではなく、ライターを使うことのほうが多いでしょう。いろいろな例を考えて「古いものよりも新しいもののほうが便利だ」という似た話を書いていきましょう。自分で見つからないときは、お父さんやお母さんに聞いてみると参考になるでしょう。「昔は電話なんて便利なものがなかったから、手紙でやりとりしたのよ」なとどいう話が聞けるかもしれません。

「まさか」の感想文のヒント

要約のヒントはありません。自分で第3週の長文を線を引きながら3回以上くりかえし読んで、大事だと思ったところを3ヶ所ぐらい選んで、それらの文を意味が通じるようにつなげていきましょう。

似た話は、「私たちは先入観にとらわれがちだ」という話で。例えば、幼稚園のころは、「空はどうして青いのかしら」とか「お星さまはなぜ落っこちてこないのかしら」などと不思議なことがたくさんあったでしょう。だんだん大きくなると、そういうことがあたりまえだと思うようになってしまいますが、本当は考えてみると不思議なことなのでしょうね。

感想は、「世界に驚く能力を持つことの大切さ」というところで。

ことわざは、「67、初心……」や「113、のどもとすぎれば……」などが使えそう。

「一流ホテル」の感想文のヒント

要約のヒントはありません。自分で第3週の長文を線を引きながら3回以上くりかえし読んで、大事だと思ったところを3ヶ所ぐらい選んで、それらの文を意味が通じるようにつなげていきましょう。中学生の人は、要約の力もついてきていると思いますから、ただ要約するだけでなく、200字ぴったりに要約するというふうに自分で字数を制限して書いていくとよいでしょう。

この長文に対する意見の書き方は難しいと思います。長文そのものが意見を述べているわけではないので、自分で見つけていくことが必要になります。もちろんその見つけ方は人によって違います。書きやすそうな意見としては、「場所に応じた振る舞いが大切だ」「しかし、あまり無理する必要はない」というところでしょう。みなさんも、うちにいるときの言葉遣いと、よその人に話すときの言葉遣いを自然に変えていると思います。しかし、あまり無理をして、「○○先生がおっしゃられましたように」なんて舌をかみそうな言い方をしてしまうときがあるでしょう。(この場合は、「おっしゃいました」か「いわれました」が正しくて、「おっしゃられました」は二重敬語です)

名言は、外見よりも中身が大切だという意味で、「30、自分の心のうちに……」「72、持ち物を気にするのは……」「85、ロバが旅に出たところで……」など。

  嘘を書く子、カンニングをする子

小学校の高学年の生徒で、作文をおもしろくするためにちょっとした嘘を書いてしまう子がいます。これは、小学校の中学年の生徒にもときどき見られます。

このときの子供たちの心理は、自分が嘘を書けるような力がついたことがうれしいのでそれを試してみたいということです。この点で、大人がつく嘘とは多少性格が違います。言わば「かわいい嘘」です。

しかし、ここで、それを見た大人はやはり「嘘をついて上手に書くよりも、たとえつまらなくても真実を書く方が尊いことなのだ」ということを教えてあげなければなりません。しかし、その嘘自体をその子の人間性に問題があるような見方で言うことは避けるべきでしょう。

これは、カンニングということについても言えます。小学校低学年のカンニングは無邪気です。「わからないから答えを見ちゃえ」という軽いカンニングです。高校生のカンニングは、悪いことを自覚しているカンニングですから大人と同じ意味で正しくない行為です。しかし、小学校高学年から中学生にかけてのカンニングは、大人のカンニングとは微妙に違って、「自分がずるいこともできるのだということを試してみたい」という要素を含んでいます。これを肯定することはもちろんできません。しかし、単純に否定するのではなく、「カンニングをしてよい点数をとることよりも、正直に悪い点数をとることの方が人間として尊いことなのだ」という原則を教えることが大人の姿勢としては大切です。

こういうことに対して正解となるような対応が一義的にあるわけではありませんが、私ならこう言います。「カンニングかあ。先生も子供のときしたことがあって、それはだれにも見つからなかったけど、そのあと長い間、後味がわるかったなあ。だから、自分の心に照らし合わせてよくないと思うことはしないほうがいいんだよ。悪いことをして結果だけよくしてほかの人にほめられるより、だれにもほめられなくても、自分の心に正しいことをしたという気持ちを持てることのほうが大事でしょ」。

大人の中には、「正しいことは正しい。間違っていることは間違っている」と裁判官のように割り切って考える人も多いと思います。しかし、たぶん、教育という面から考えれば、私たちは裁判官のように判決を下す立場をとるべきではないでしょう。正しい面も悪い面もある人間を、悪い面を少なくしつつ正しい面を多くしていくという人間の成長の可能性に期待して接していくことが大切なのだと思います。

  作文は、簡単じゃない

よく、「のんびりしていないで、さっさと作文なんて書いちゃいなさい」と子供を励ましているお母さんがいます。

実際に週に1回作文を書いている人ならよくわかると思いますが、作文を書くというのは実は大変な精神的エネルギーを必要とします。それは、ほかの勉強が知的な部分だけで処理すればいいのに対して、作文は知性以外の情緒的な面も動員しなければ書けないからです。

だから、学校で何か嫌なことがあって悲しい思いをしている子に、「今日の作文の題名は「楽しかったこと」だから、楽しかったことを思い出して書いてね」と言っても、すぐに「はい、そうですか」というわけにはいかないのです。

実は、小学4年生のころまではまだ考え方も単純なので、上のような無理も結構通用するときもありますが、小学5年生以上になると、こういう無理はできません。

文章を書くということは、きわめて微妙な心理的状態と結びついているということを、小学校高学年の子供をお持ちのお母さんは理解してあげてください。

だから、逆にこういうことも言えるのです。「気分が乗らないからあとで書く」という子に、「じゃあ、気分が乗ったら書いてね」という対応をしてしまうと、その作文はほぼ永久に書けません。書く内容と気分がぴったり一致するというようなことはめったにありません。しかも、教室で勉強している作文は、何も完璧な芸術作品を作ろうとしているわけではなく、文章を書いたり考えたりする練習のために書いているものですから、気分が乗らないときでも、電話のあとにすぐに取り組むと決めておかなければ書き出すきっかけがつかめないのです。

作文というものはそれほど簡単に書けるものではないということと、だから、電話の説明のあとすぐに書く習慣にしておくということを、バランスよく考えて勉強を続けていきましょう。