1998年 3月 2週号 通算第561号

言葉の森新聞

住所 234横浜市港南区港南台4-7-29-A201 電話 0120-22-3987 ファクス 0120-72-3987 留守電 0120-64-3987

http://www.mmjp.or.jp/shine/index.html  (Yahoo!で"言葉の森"と検索してください)

  留守電の番号が変わります 0120−64−3987

勉強が終了したときは、教室に「○○ですが終わりました」と留守電に報告するようになっています。この留守電の番号が3月10日(火)から変わります。

新しい番号は、0120−64−3987(丸い庭、虫と咲く花……なんだかよくわからんが)です。ちなみに教室は、0120−22−3987(二つ咲く花)で、ファクスは、0120−72−3987(七つ咲く花)です。

  3月21日(土)は休み・宿題です

 3月21日(土)(3月3週)は春分の日で、教室はお休みです。先生からの電話はありません。「山のたより」などは郵送しますので、自宅で作文を書いて送ってください。別の日に教室に電話をして説明を聞いても結構です。

  小学生の算数、中学生の英語・数学も教えています

言葉の森では、小学生の算数、中学生の英語・数学の勉強も教えています。

勉強の仕方は、教科書に準拠したガイドや問題集をもとに、それぞれの生徒の苦手なところをわかるまで教える個別指導です。教科書レベルの問題が十分にできるようになった生徒には、更に進んだ教材で勉強を進めていきます。時間は、週1回1時間。毎日の自習は15分〜30分程度。受講料は、小学生の場合1教科5000円、中学生は1教科6000円です。

作文の勉強と教科の勉強を両立させるために、無理のない計画で勉強を進めていきましょう。

小学生の場合:(例1)週1回作文、週1回算数。

中学生の場合:(例1)週1回作文、週1回英語と数学(例2)週1回作文、週1回英語、週1回数学(例3)週1回作文と数学、週1回英語(例4)週1回作文と英語、週1回数学。

このほかに、国語理科社会の3教科を総合して1教科分とした講座もあります。これは月4週のうち1・2週目は国語、3週目は理科、4週目は社会というかたちで勉強を進めていきます。

通学生にかぎり、3月中は体験学習ができます。体験学習のお申し込みは、0120−22−3987まで。

  光る表現コーナー

■フリーザさん(せと/小2)の作文より(もとばと228)

 ぼくは、はじめてせいかリレーのテレビを見ていたらせいかリレーにでたくなりました。ぼくはおかあさんに、「せいかリレーでたい。」と言いました。おかあさんが、「じゃあこんどのせいかリレーね。」といいました。ぼくは、もえてもえてもえまくってどんどんどんどん、れんしゅうしました。はしったのでからだがほかほかになりました。そして夜になってふろにはいったらゆでだこみたいになりました。ねたら、ふとん1まいで、ねていました。それでからだのおんどはぜんぜんさがりませんでした。

■友紀さん(あおる/小3)の作文より(とも216)

 (蝶が羽化した時のこと。辞典に、針を使って蝶のくだをのばすように書いてあったのを読んで。)「だけどはりでなんかしたくない。ちょうにささったらどうするんだ、と思いました。」評:昆虫が大好きで、本当に優しい気持ちで接しているのがよくわかるね。「いい虫悪い虫」について話した時も、先生に「わるい虫なんていないんだよ。」と言ったのが印象的でした。

  3月2週の課題のヒント

   小3・4年生 「給食のこと」または「料理を作ったこと」

給食のときのみんなのようす、自分の思ったことなどを書いていきましょう。料理を作ったことのような、自分からすすんでしたことは、作文のいい題材になります。色、音、匂いなどもたっぷり書いていきましょう。

3・4年生の3月3週の課題は「ヒトとイエバエ(感)」の感想文です。長文をよく読んで、お父さんやお母さんを話をしてくると書きやすいでしょう。

   小5・6年生 「けんかの仕方(感)」

要約:要約の例は、次号の言葉の森新聞に載せます。生徒のみなさんは、自分の力でまとめていきましょう。要約は、初めのうちは長くなってもかまいません。慣れてくるとだんだん短く要領よくまとめられるようになってきます。全体から三文ぐらい大事なところを選んで200字ぐらいにまとめていきましょう。

似た例:自分の好きなことだと夢中になれる、という例。絵をかくことや音楽を聴くこと水泳ピアノなど、これだけは夢中になれるという自分の体験実例を書いていくとよいでしょう。また、勉強だけが人生ではないということで、クラスの友達などを通して幅広い趣味を持っている人の魅力などを書いてもいいかもしれません。

ことわざや名言:「青春とは何もかも実験である(スチーブンスン)」「自分自身の道を歩いて迷っている青年の方が他人の道をまちがいなく歩いている人々の方が好ましい(ゲーテ)」「内から成長してこないものは基礎が弱い(ウーラント)」「まず自分をこの世に必要な人間とせよ。そうしたらパンは自然に得られる(エマーソン)」。以上、ミルクティ先生からの名言のアドバイスです。

 「43、鶏口となるも牛後となるなかれ」「128、みずから省みて直くんば千万人といえどわれ行かん」「123、太ったブタになるよりもやせたソクラテスになれ」なども使えそう。

   中学生 「国際感覚(感)」

 要約:要約の例は、次号の言葉の森新聞に載せます。

意見:自国の利益だけでなく全地球的な利益を優先することの大切さ。身近なクラスや部活などの問題をもとにして考えると実感がわくと思います。部活のみんなの利益のために、自分の都合を犠牲にするなどということはよくありそうですね。自分の利益よりも全体の利益を優先する人の方がみんなから信頼されるというのはどの世界でもあります。それは、環境問題など全地球的な問題が増えてきたこれからの国際社会でますます求められてくるものでしょう。少し前のフランスの核実験などはその反対の例と言えそうです。

名言:「27、自国に対する賞賛が……」「87、私たちの幸福が……」。

   高校生 「テクノロジー科学(感)」

内容:ニュートンが集大成したテクノロジー科学は、イデオロギーとして政治哲学にも取りいれられた。生きている自然を一種の機械として見ることがテクノロジー科学の方法論的合意である。ホッブズは、国家の成り立ちを個々人の安全を保障する政治システムと見た。

説明:生きていて総合的で複雑なものを、死んだ単純な部品の単なる組み合わせと見なすという考え方が、科学を大きく進歩させた、ということです。デカルトは、人間を時計などにたとえています。いまならば自動車にたとえるかもしれません。「心臓がエンジンで、ごはんがガソリンで、足がタイヤで……」と考えると、なぜか、ヘッドライトが目でバックミラーが耳に見えてくるでしょう。そうしたら、排気ガスはおなら? なーんてことないよね。この国家が機械であるという考えが、それまでの王権神授説のような神秘的な国家観を根底からくつがえしました。この点では、機械論的な国家観は進歩的なものでした。しかし、マキュアベリやホッブズがみんなから嫌われたことからもわかるように、人間や組織を機械の組み合わせと見る見方は、かすかに非人間的な要素も含んでいるようです。人間は遺伝子の乗り物だとか、先生は給料をもらっているから子供を教えているだとか(あたりまえだけど)、利害や得失だけでものごとを見ていくと、社会に役立たない人間は要らないというところにまで進みかねません。今ふたたび、全体を個々の要素にまで還元しきれない生きたひとまとまりの全体として見る見方が求められているようです。

   大学生・社会人 「アンテナ(感)」

内容:私たちの周りには無数の電波や波動が飛び交っているが目に見えないものは気がつきにくい。感受性が養われると、波動が感じられるようになる。人間どうしのコミュニケーションは言葉や行動よりも波動が理想だ。

説明:見たもの聞いたものしか理解しない、というのは、感受性にとぼしい人のコミュニケーションの仕方です。同じ「いいよ」という言葉でも、本当はいやのにいいなのか、本当にいいのでいいのか、半分いやで半分いいのでいいのか(ややこしいぞ)は、その言葉のニュアンスで伝わってくるものです。こういう感受性を周りの人間や自然に向けることができたら、世界はさまざまな色彩に満ちていることがわかってくるでしょう。これを生き方や社会問題として考えてみましょう。

  勉強の目標は短所をなくすことであっても、

  教え方は長所をのばすように

小中学生のころの勉強の中心は、短所をなくすことです。英語でも算数でも、苦手なところやわかりにくいところを中心に勉強していくことが大事で、得意なところやわかっているところはやらなくてもいいところです。

しかし、教え方においても、短所をなくすことを中心にしていくと、子供にとって勉強はつらく苦しいものになってきます。「ほら、またまちがえたでしょ」と注意する先生と、「うーん、惜しかったなあ。でも、だんだんできてきたね(本当はできていないけど ^_^;)」とアドバイスする先生とでは、子供の勉強に対する姿勢がちがってきます。

短所をなくすことと長所をのばすことを両立させるためには、対象となる短所をしぼることが大切です。目についた短所を次々に指摘するのではなく、今回はここだけにしぼって教えようということができれば、教える方も教わる方もずいぶん楽になります。

作文指導でよくあるのが、事前の指導なく自由に書かせて、書いたあとに赤ペンでたっぷり訂正することです。教える方は熱心でも、生徒の方は、「なんだかわからないけど、作文を書くと、そのあとよく叱られるから、作文っていやだなあ」と思うだけになることが多いものです。

言葉の森では、それぞれの学期に項目表の●印ができることを目標にしていますから、たとえばその学期の表記の目標が「段落をつける」であれば、段落がついていれば◎、ついていなければ△です。ここで、漠然と「なんだか字の間違いが多いから△」としてしまうと、子供に何を指導し何を評価しているのかわからなくなります。同じように、その学期の表現の目標が「書き出しのくふう」であれば、書き出しのくふうがしてあれば◎、していなければ△です。漠然と「なんだかじょうずだから◎」としてしまうと、そのときはよくても、次第に子供は「適当に書いていると、先生が◎をくれたり△をくれたりするなあ」という感想を持つようになってきます。もともと書くのが好きな子は、これでも勉強を進めていくことができますが、書くのが苦手な子はどこをどう努力すれば先生にほめられるのかわからないので、次第に勉強を負担に感じてきます。

「段落」や「書き出しのくふう」のように、教える項目をしぼれば、注意することも少なくなります。その結果、子供がその項目ができるようになれば、今度はたくさんほめてあげることができるようになります。これは、作文に限らずどの勉強にもあてはまることだと思います。