http://www.mmjp.or.jp/shine/1998年8月2週号 通算第581号(Yahoo!で"言葉の森"と検索してください)

言葉の森新聞

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  8.2週のヒント

  小3・4年生 8.2週 「みずでっぽうで遊んだこと」

 夏になると、水遊びをする機会も多くなるでしょう。おもちゃ屋さんにはいろいろかっこいい水鉄砲が売られていますが、仕組みは簡単ですから、自分で作ってみましょう。

 いちばんシンプルな水鉄砲は、マヨネーズの入れ物などを利用すればすぐにできます。熱したくぎでふたに穴を開ければもう完成。ふたをとってそのままでももちろん大丈夫。これは、かなり強力な水鉄砲です。命中したら相手は水びたしでしょう(@_@)。おこられても知らないよう。

  小5.6年生、中1年生 8.2週 「道はやさしい道でした(感)」

 この長文を読んで、男坂、女坂の説明をお父さんやお母さんにしてみましょう。そうすると、「あ、そう言えば、あそこの坂は男坂と女坂だね」と実際の例が見つかるかもしれません。

 歩道橋などでも、車椅子や乳母車の人が渡れるようにスロープがついているところがあります。

 学校の先生もみんなを叱るとき、男の子には厳しくどなるのに、女の子には「そんなことしちゃだめですよ」とやさしく言うでしょう。あれはひいきではなく、男の子には男の子に適した叱り方があり、女の子には女の子にふさわしい叱り方があるからなのですよ。ん? ぼくは男だけど女の子のように叱ってほしいだと? このー、何を言っとるか。ゴツン!

 ことわざは、無理して男坂を昇るよりも「12、急がば回れ」。弱い人にやさしくすることが、やがて自分にも返ってくるという意味で「104、情けは人のためならず」なども使えそう。

  小5.6年生 8.2週 「少年のころのサクラは(感)」

 桜の花の散る様子を「私だったらこう表す」と書いてもいいでしょう。言葉に言い表せないものの例を自分なりに考えてみてもおもしろいと思います。

 日本語の特徴は、豊かな擬態語・擬声語を持っていることです。「風が吹く」という同じことがらを表すときでも、さわさわ吹く、そよそよ吹く、ビュービュー吹く、といろいろな言い表わし方ができます。同じように笑い方でも、「わはは」「おほほ」「えへへ」「うふふ」「いっひっひ」(おいおいブキミだぞ)といろいろなニュアンスがあります。お父さんが「おほほ」と笑ったらおかしいし、お母さんが「ふははははは」と大魔王のように笑ったらこれもおかしいでしょ。その場面にふさわしい細かいニュアンスの違いがあるのが日本語の特徴です。

 ことわざは、いろいろな表現があるがちょうどぴったりのがないという意味で「帯に短し、たすきに長し」。的確な表現を考えようとして言葉は豊かになってきたという意味で「38、窮すれば通ず」など。

  中学生 8.2週 「吉川のパスは(感)」

 部活と勉強(受験)の両立というテーマで考えてもいいですし、自分の利益とチーム全体の利益というテーマで考えてみてもいいでしょう。運動部に入っている人は、うちに帰ってきたらくたびれてすぐにバタンキュー。勉強する時間がとれないと悩んでいる人も多いかもしれませんね。

 社会実例は、みんなに流されず勇気を出して自分の考えを貫いたなどという昔話。ぴったりの話を見つけようとするよりも、自分の知っている範囲の話を加工して主題に結び付けるように練習していきましょう。例えば「三匹の子豚」の物語。「いちばん小さい子豚は、お兄さんたちから笑われながらもレンガで家を作った。みんなに合わせて生きていくことは簡単だが、それでは本当の自分の人生を作ることにはならない。云々」

 先生(森川 林)も、中学生のころ、漢字を簡略化してひらがなができたというの知って、それでは自分も作ってみようと考え(ヒマだったんだなあ)、いろいろな試行錯誤のはてに、ひらがなを簡略化した文字を作ったことがあります。しばらく、その文字を使って日記を書いていましたが、毎年少しずつ改良するので、そのうち、最初に書いた文字は読めなくなってしまいました。

 自分の利益とチーム全体の利益という例では、昔、東京オリンピックで活躍した「東洋の魔女」という女子バレーボールチームがありました(年がわかるなあ)。鬼の大松監督のもと、彼女たちはおしゃれも恋も犠牲にしてひたすら金メダルのために練習をしました。それも、価値あるひとつの生き方だったと思います。

  高校生大学生社会人 8.2週 「私たちは旅(感)」

 旅によって生き生きとした感受性をとりもどすことができる、という話です。自分の旅行体験などを書いてもいいでしょう。修学旅行などで、ただみんなについていっただけの旅行というのは、夜中の枕投げ以外にそれほど印象に残るものはありませんが、自分ひとりで行った旅行の場合は、細かいところまで鮮明に記憶しているものです。

 修学旅行と言えば、先生(森川 林)も、高校3年生のときの修学旅行は確か九州か京都に行ったはずですが(それとも奈良だったかな)、行った場所などは何にも覚えていず、覚えているのはバスガイドさんがきれいだったことと、夜中にみんなで電気を暗くして話をしたことぐらいです。

 主題は、単なる知識よりも、生きた関心が必要だということで大きく考えていくといいでしょう。

 社会実例は、主人公が旅に出て成長する物語などで考えてみましょう。例えば、「浦島太郎」。「平凡な生活を営んでいた太郎は、亀を助けたことから、海の中の竜宮城に旅立った。地上では何百年もたつ時間がわずか数日にしか感じられなかったのは、それだけ太郎の感受性が生き生きとしていたからにちがいない。云々」

 ことわざは、「かわいい子には旅をさせよ」などのようにすぐに当てはまりそうな表現だと、かえって加工しにくいものです。「ロバが旅に出たところで馬になって帰ってくるわけではない」は逆の意味のことわざなので、この方が加工しやすいでしょう。まったく関係のなさそうなことわざで、「猿も木から落ちる」のようなものを主題に関連させて加工していくと、頭の体操になりそうです。「『猿も木から落ちる』『カッパの川流れ』とは言うが、決して『猿の川流れ』とは言わない。つまり、慣れているものには注意力も散漫になるが、初めて出合うものには集中力も高まるということである。家と学校(会社)の往復だけでは得られない新鮮な感受性を、非日常的な旅行で手に入れることが必要なのかもしれない」のように。しかし、猿が川を流れている場面というのは、想像しにくいなあ。

  生物の歴史

 生物の歴史を見ていると、壮大な実験が今も続いていることがわかります。

 5億7千万年前のカンブリア紀に栄えていた生物の中には、三葉虫などポピュラーなものに混じって、現在の生物という概念から大きくはずれているようなものもたくさんいます。

 現在でも、タコやクラゲなどの生き物を見ると、彼らが人間と同じ四種類の塩基の組み合わせでできたDNAを持っている地球上の兄弟なのだとは、なかなか実感できません。

 これまでに栄えた生物の中には、滅びたものも数多くいます。生物種の数で言えば、現在まで生き残っているものよりも滅びたものの数の方が圧倒的に多いでしょう。しかし、滅びたものも生き残っているものもすべて、自分自身を実験台にして、生物の可能性に挑戦しているのだと思います。

 タコは、生物がタコ的な方向でどこまで可能性を広げられるかを試しています。それは、人間が人間という姿かたちでどこまで生物の可能性が広げられるかを試していることと同じです。どの生物も、安全確実な道を二番手で歩いて、リスクはないがメリットだけはあるという生き方をしているものはいません。

 森林にいたサルのグループのひとつが、地上におりることを選択し、二本足で歩くことを選択し、毛のない皮膚を選択したときの不安に満ちた勇気を、私たちはときどき思い起こすべきでしょう。もしかしたら単なる絶滅に終わったかもしれないその選択を、多くの工夫で乗り越えて現在の私たちがあるのです。

 大学三年生の人は、そろそろ就職のことを考える時期になりました。大切なのは勇気です。社会に出てこれから何度も必要になる勇気の最初の一歩を自分らしく踏み出していきましょう。

  できたところをほめる教え方へ

 作文の勉強というものは、熱心に教えれば教えるほど、生徒を作文嫌いにさせるという面を持っています。

 それは、熱心な指導者は、直すことを勉強の中心にするからです。子供たちに自由に作文を書かせて、そのあと、「この字がちがうよ」とか「段落をつけようね」とか「てんの付け方がおかしいよ」などと注意していれば、だれでも書くことが嫌になります。まして、そのあと、上手に書けた作文だけを印刷して、「みんなもこんなふうに書こう」というのでは、書くことが好きになるのはもともと得意だったひとにぎりの子だけになってしまいます。

 言葉の森の作文指導ではそうならないように、項目の事前指導を作文指導の中心にしています。それは、その子の実力に応じて、「今日の作文は会話を入れてみよう」「今度はたとえを入れてみよう」「今回は段落をつけてみよう」と重点をひとつずつ決めて指導する方法です。ですから、生徒は自分が何を要求されているかがわかり、努力することができ、その努力に応じてほめてもらうことができるのです。

 書いたあとに漠然と全体を評価するのではなくて、書く前に指導したことだけを評価するというのが作文の指導をする上で大切なことです。(ときどきそのことを忘れがちになる自分に自戒の意味も込めて)

  書くことがなくなったら

■書くことがない原因

 書くことがないという原因には、材料不足と主題不足があります。

 小学生の場合、書くことがないというときは、主に材料不足に原因があります。今日も一日同じようにぼんやりとゲームをしたりテレビを見たり勉強をしたり……という生活ですと、「書くことがない」となりがちです。先生が「何もしなかったの?」と聞くと、「うん、何もしなかった」。「息も?」「うん」(笑)。熱中した遊びであれば書くことはどんどん出てくるのですが、ぼんやりと惰性で過ごすような遊び方ですと、印象に残らないようです。

 高校生以上の場合、書くことがないというときは、主に主題不足に原因があります。材料は冷蔵庫にあるが、何を作りたいのかよくわからないという状態です。人間の意識は、違いを認識することによって鮮明になります。書きたい意見がないのではなく、ほかの人との違いがわからないから書きたい気持ちが出てこないということです。

■書くことを見つけるには

 小学生の場合は、新しいことをするというのがいちばんの対策です。テレビゲームの新しい面をクリアするということではなく、これまでしたことのなかったことをしてみるということです。インターネットで理科実験のページをさがしてみると、スライム作りとかロケット作りとか、安上がりで手軽でたっぷり遊べるものが見つかると思います。もちろん、図書館で、子供向けの理科実験の本などをさがしても、いろいろなものが出ていると思います。

 高校生以上の場合は、ほかの人の意見を知ることです。ほかの人の意見を知ると、自分も何か言いたくなってきます。特に、ある一つのテーマについて、二つの異なる考え方が出されていると、自分の考えもはっきりしてきます。「あなたはそう言うけど、私は違うわ」とか、「あなたもそうなの。私もそうよ」というふうに、自分の意見は、ほかの人の意見と比較する中で輪郭がはっきりしてくるからです。

 書くことがいつも同じような気がしてきたら、本を読んで他人の考えに触れてみましょう。

  光る表現

真衣子さん(あこい/小1)の作文より(かつみ先生/月日708)

 (プールのじかんでじゆうのじかんをもらった)わたしはいるかみたいになりました。(きもちよくおよいでいるようすがよくかけています)

真衣子さん(あこい/小1)の作文より(かつみ先生/月日709)

 (シャワーをあびたとき)そのときにじがみえました。あかとあおとむらさきとみどりできれいでした。(つめたいシャワーもにじがみえると、きもちよくなるよね)

ペンギンさん(しろ/小2)の作文より(かつみ先生/月日713)

 題名『セミなきはじめて夏がきた』評:なんだか、歌のような、情緒(じょうちょ)ある言葉だよね。すずしさと、あつくるしさと両方感じられる言葉です。

ペンギンさん(しろ/小2)の作文より(かつみ先生/月日714)

 「ジージージジー」とわらっているようにないたので、「セミもわらうのかな?」と思いました。(評:本当にわらっているのかもしれないね。どうしておかしかったんだろうね。どんな鳴き方が怒っているのか、どんどん興味はふくらんでくるね。

友理絵さん(ああて/小3)の作文より(かつみ先生/月日626)

 (コンパスをわすれてしまったため、四時間目の授業が近づくにつれ、どきどきしてきました。でも、四時間目は自習になりました)どきどきがほっとしました。(評:よかったよかった。わすれものしないようにしようね。)

プリンさん(あえは/小3)の作文より(スズラン先生/月日709)

 (キャンプ教室で)夜ごはんを食べるのにつかう、おはしや、おさらなど、竹で作りました。・・中略・・ナイフの切るところは、なんでも切れそうで、まるで、カマキリのかまのようです。評:良く切れるナイフにぴったりのたとえですね。

サンダーさん(あかる/小3)の作文より(かつみ先生/月日)

 鈴虫の話は、いいおはなしでした。生き物を卵からかえすというのはなかなか大変なことだと思います。光洋君にとっても、とてもいい経験ができたと思います。これから、意図的に鈴虫の成長の話とか、観察をするとか働きかけていただけるとさらに知識としての興味が湧くと思うので、よいかと思います。光洋君へ…また、すずむしのはなしをきかせてね。

サンダーさん(あかる/小3)の作文より(かつみ先生/月日626)

 (スズムシが大きくなって、黒い色になってきた)その黒さ、はまるで、ゴキブリのちょっとうすめくらいです。(評:どんな色かとてもよく想像できる表現です。面白いたとえが使えたね)

千陽さん(あすえ/小3)の作文より(ひかり先生/月日707)

 シャワ−を浴びたときまるで、ハリネズミのはりのようにチクチクしていたかった。「評」冷たいシャワ−の水が自分の体にさすようにあたる様子をうまくハリネズミにたとえて表現できました。

文ちゃんさん(あすに/小3)の作文より(みち先生/月日707)

 小川先生にたまに水をジャバッとかけるので、思わず目をつぶってしまいます。でもときどき手で水をすくってかけそうになります。でもやめて、すぐに泳いでどっかににげてしまいます。わたしは、魚はかおをふかないときいていて、いつもかおをふかないで、顔をブルブルとふっているうちに、まるで、ほんとうに、魚になったみたいで、とてもゆかいなきぶんでした。評:その時のうごきを"どうさのようす"でしっかり書けています。「水をえた魚のよう」という言葉があるように文ちゃんが水の中で魚になった良い気分がたとえでじょうずに書けましたね。プールでの自由時間がたのしそうですね。

康平さん(てい/小3)の作文より(スズラン先生/月日713)

 プールの大きさは、みずうみでボートでも乗れるぐらい大きくて、反対まで泳げるかなあと心配したけど、お父さんとお姉ちゃんとで、反対側が見えるまで泳いで行きました。評:広いプールだということがわかるたとえですね。

たっくんさん(ああい/小4)の作文より(スズラン先生/月日714)

 「学校でのプール」自由時間の一番最初に「なみ」をつくります。海のようになんこものなみをつくるわけではありません。・・中略・・なみは、かべにあたったときに、おし入れの戸よりすこし小さいぐらいの大きさです。評:波の大きさが良く分かりますね。

誓子さん(あいい/小4)の作文より(かつみ先生/月日714)

 (プールのあとの)きゅう食は、とってもつかれてたので、いつもよりおいしく感じました。(評:本当にプールのあとのきゅう食はおいしいよね。今度は、どんな風においしかったか、たとえを使って書いてみてね。

 

知尋さん(あえな/小4)の作文より(みち先生/月日618)

 わたしは、まえにえのぐの箱をひっくりかえしてしまったことがありました。そのときはたいへんでした。すると同じクラスの澤井さんが「だいじょうぶ」とてつだってくれました。また一人友達がふえました。澤井さんは、まるでおじぞうさまのようにせっせとてつだってくれました。せっせっせとやったのであっというまにおわってしまいました。——。たぶんこういうことをけがの功名と言うんだと思います。評:良いにた話を探しましたね。ことわざは、一言でズバッと表せる言葉です。友達がふえてよかったですね。

知尋さん(あえな/小4)の作文より(みち先生/月日708)

 わたしはひっしでにげました。とってもあせをかきました。———うさぎになったきもちでいきがきれそうでした。たぶんみんなもおなじきもちだったのだとおもいます。評:おにごっこで逃げる時のようすが読む人によくつたわってきます。

みみデカさん(あえほ/小4)の作文より(かつみ先生/月日617)

 自然は母親のようだもん。「アリっていうのは、まるで森の神がつかわした少ない体せきのすごい生命力をもつ動物だあー。」(評:面白い題名をつけていて、きっと龍之介君はひょうきんものなんだね。それと、四年生にしてはちょっと大人びた表現もあったりして、ユニークだと思います。)

みみデカさん(あえほ/小4)の作文より(かつみ先生/月日624)

 (約束を勘違いして理解しおり、事実が判明したとき)まるでキツネあるいはタヌキにだまされたようでした。(評:いつも龍之介君は面白い表現を考えてきて、毎度びっくりしています。ところで、本当にキツネやタヌキにだまされた人っているのかな?? どうしてこのような表現が生まれたのか探ってみたいね)

みみデカさん(あえほ/小4)の作文より(かつみ先生/月日713)

 たとえてみればわがままな王様みたいです。(評:あれもいやだ、これもいやだという龍之介君のことが、うまく表現できています。でも、わがままな王様は、たいていのお話の場合、天罰をうけることになるんだけど、そのへんはどうなるのかな?

みみデカさん(あえほ/小4)の作文より(かつみ先生/月日714)

 題名「学校のプールは…好きじゃない」思わせぶりな表現が◎。

友紀さん(あおる/小4)の作文より(とも先生/月日714)

 (プールに行くときの様子)みんなでベラベラベラベラしゃべりながら、のこのこと歩きながら行きました。まるでのんびりのんび〜りと、みちのオオバコやタンポポやハコベを食べながら(道くさ食いながら)行く草食りくガメのようでした。…評:自分らしいとても工夫したたとえが書けたね!

風花さん(あかり/小4)の作文より(はるな先生/月日630)

 森林公園へ行って、フルーツポンチとやきそばと、コーンスープをつくりました。……それをたべたら、おいしくて、ほっぺがいたくなりました。(きのうのできごと)より……。苦労して、やっと出来上がったお料理のおいしさを、とても、上手にたとえましたね。

SAYAさん(そよ/小4)の作文より(まや先生/月日715)

 友だちの名前は、原田まゆみ。/中は、クーラーがかかっているみたいで、やけにすずしい。[評]ひきしまった、リズミカルな表現で、すてき!

じゅんさん(とぬ/小4)の作文より(ひかり先生/月日707)

 学校に行く途中で、だんだん太陽がでてきて「やった−! プ−ルにはいれるかもしれないぞ。」と心がウキウキしてきました。「評」太陽とともに、こころがはれやかになって行く様子が、そして「プ−ルにはいれかもしれないぞ!」という言葉でうれしさがとても良く伝わってきます。

新社長さん(あおふ/小5)の作文より(かつみ先生/月日709)

 (水泳のゴーグルをかりたが、ブカブカのものだった)まるで、ブカブカのズボンのように、つかいもにならなかった。いい表現だね。思わず笑ってしまいました。たとえをつかうと、イメージしやすくなるところがいいよね。

たば星人さん(あころ/小5)の作文より(はるな先生/月日701)

 ぼくは、「人の短所は、すぐみつけられるのに、なんで、長所はなかなか、みつけられないのかなあ」と思ったことだあります。 それは、たぶん、自分が他人に負けたくないからだと思いました。それで、他人を否定して、自分より下の人のように見せるようにしていると思います。・・・・・・(評)心理分析がとても、すぐれていますね。

沙季子さん(てあ/小5)の作文より(スズラン先生/月日713)

 お友達と自分の言いたいことが正しく伝わるような関係を作り、自分も友達も成長することができたらすばらしいと思う。評:友達と信頼しあい、助け合う関係が大切ですものね。

太一さん(あうけ/小6)の作文より(みち先生/月日707)

 犬の名前を登録する日になっても、名前がおもいつきません。ぼくは、かんがえながら、犬と遊んでいる途中、はっとひらめきました。「そうだ。元気だから、元気の元をとって、げんという名前にしよう」評:ひらめきでいい名前がつきましたね。げんは元気で"名は体を現す"で、ぴったりですね。!

芽意さん(あえゆ/小6)の作文より(ミルクティ先生/月日709)

 文化とは、各国々の独自のものであるため、よその人間は、「あの国は〜なのよね。」とか、「もうちょっとこうしてみたらどうなの?」などといろいろいわず、見守ってあげたらいいと思う。私もこれからは気をつけていきたいと思う。評:外国の文化も尊重すべきだという意見には、同感です。6年生の一般化の主題を、自分らしい言葉でまとめられましたね。

DAICHIさん(にお/小6)の作文より(みち先生/月日708)

 (ワールドカップ)なによりもぼくたちの応援がすくなかったのだと思う。そう考えると、次のワールドカップは、日本であるから、有利だとおもう。「出る杭は打たれる」というが、いまでてくるくい(ブラジル、アルゼンチンなど)を日本がうつチャンスが四年後にあるのだ。ぼくは、その時、高一だけど応援は、今ぐらいの子ども気分でやろうと思う。評:さすがサッカ−クラブの人だね。高一だけど今ぐらいの子ども気分はユニークな表現だね。夢があって楽しいね。

GLAYさん(まわ/小6)の作文より(みち先生/月日618)

 (グアムのレストランで焼き肉セットを注文した時のこと)日本では、焼いたものが(肉)くるのに、なぜ、グアムでは、こおったままくるのだろうか?。私は、それは文化のちがいだと思った。それは、私たちは日本という国土にすんでいて、日本風文化とはどういうものなのか長年生きていてわかる。評:文化の違いがわるのは、海外へいったとき、実際に経験してよくわかったのですね。文化がわかって「郷に入れば——」のことわざが理解でき上手にまとめました。

圭一郎さん(わめ/小6)の作文より(かつみ先生/月日625)

 ぼくもこんなひみつのあんごうのような手紙をやりあいしてみたいものだ。(評:ひみつのあんごうっていうのが、わくわくする表現だよね。)

○○○○さん(うい/中2)の作文より(かつみ先生/月日)

 「いまの時代は、地域で行われる行事が少なくなってきているから、どんどん参加するように。」と社会科の先生に言われた事がある。この言葉を聞いて、いつの間にかなくなった行事をいろいろ思い出した。(評:自分の体験を取り入れていること、何気ない一言がキーワードになっているところがとてもよいです。)

○○○○さん(うい/中2)の作文より(かつみ先生/月日626)

 つまり、存在するものには、良いとか悪いとかを言う前に、すべてそれなりの理由がある。(評:自分の意見を結論部分でしっかり表現できています。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 8月10日(月)〜15日(土)はお休み・宿題(再)

 8月10日(月)〜15日(土)の第8.2週は、お休みで宿題です。先生からの電話説明はありませんが、自宅で作文を書いておきましょう。説明を聞きたい人は、別の日に教室に電話をして聞いてください。

  訂正 長文んじ9.3週の筆者は「中谷藤」でなく「中谷巌」

 高校生大学生社会人の長文んじ9.3週の筆者は、中谷藤ではなく、中谷巌さんでした。訂正します。

  おわび 7.4週の「山のたより」の国語点が◎なのに0点

 7.4週までの「山のたより」で、国語の点数が◎なのに0点になっていました。8.1週の「山のたより」から直してあります。

 

  インターネットの中央公園

 言葉の森のホームページには、作文を送信する掲示板、生徒別の交流をはかる掲示板、課題ごとの作文の掲示板など、大小さまざまな掲示板があります。

 それらの掲示板の書き込み情報を一目ですべて見られるのが中央公園という掲示板です。ここに来れば、今どこでどんな書き込みがあったかということがすぐにわかります。

http://www.yk.rim.or.jp/~shine/cgi-bin/0zenn.cgi

 この中央公園という掲示板自体に書き込むこともできますし、もとの書き込みの掲示板があるところに飛んで、そこで自分の発言を書き込むこともできます。

 最近活発なのが、中学生のページです。言葉の森に通学している中学生以上の生徒は全員パソコンで作文を書いているので、そこから自然にほかの人の作文を読んで参考にしたり、ついでに落書きを書いたりという流れになります。

 自宅からインターネットにつなげられる方は、最初にこの中央公園に立ち寄ってくださるといいと思います。