http://www.mmjp.or.jp/shine/1998年8月3週号 通算第582号(Yahoo!で"言葉の森"と検索してください)

言葉の森新聞

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  8/31(月)はお休み

 8月31日(月)はお休みです。宿題はありません。

  8.3週のヒント

  小3・4年生 8.3週 「そのころパストゥールは(感)」

 捨てようとしていた古いコレラ菌をためしにニワトリに注射してみたら、コレラという病気にかからなくなったという話です。ここから、パストゥールは、その後何百万人もの命を救うことになる予防接種という新しい医学の方法を発見したのです。

 みなさんが小さいころにしたことのあるBCGは、毒性を弱めた結核菌です。以前、結核はこわい病気でしたが、この注射をするようになってから、結核にかかる人はほとんどいなくなりました。

 捨てようとしていたものが役立ったという話で、何か似た話がありそうです。失敗だと思っていたものが成功に結びついたという話も、どこかで聞いたことがあるでしょう。(そう、前の学期の長文だね)

 弱いもので抵抗力をつけておけば、強いものにぶつかっても大丈夫、というところで考えると、ふだんから薄着をしていれば風邪にもひきにくくなるというような例が考えられます。昔の忍者は、毎日少しずつ毒を飲んで、毒に強い身体に鍛えていたそうです。実は、みなさんのお父さんも、毎日タバコやお酒を少しずつ飲んで、昔の忍者のように毒に強い身体に鍛えているのですよ。(うそうそ)

  小5.6年生、中1年生 8.3週 「車と人間(感)」

 道路で遊んだことはあまりないかもしれませんが、歩行者天国を歩いた話などは経験のある人もいるかもしれません。今の道は車が多くて、人間はすみっこのほうを遠慮がちに歩いています。本当は、人間が道路の真ん中をどうどうと歩いて、車がすみっこの方を控えめに走ればいいのにね。インドでは、牛が道路の真ん中を歩いて、車は牛が通りすぎるまでじっと待っているそうです。何かそのほうが人間的というか牛的というか、安心して暮らせる社会のような気がします。

 先生(森川 林)が子供のころ、近所に真っ黒いクロという名前の犬がいて(名前がシロならおもしろかったんだけど)、よく道の真ん中で寝ていました。そのころ夜道は暗かったので、夜中に歩くとよくそのクロを踏んでしまいました。しかし、クロは、こりもせずに毎晩のように道の真ん中で寝ていました。犬ながらあっぱれというか、単にまぬけだったというか。

 人間の作ったものが逆に人間を苦しめているという例は、「ドラえもん」の話などにもありそうです。

 ことわざは、「92、長所は短所」「71、過ぎたるは及ばざるがごとし」などが使えそうです。

  小5.6年生 8.3週 「日本語は、いままで日本民族によって(感)」

 日本語は敬語の使い方や漢字の多さなど、外国人が学ぶには難しい、という例を考えてみましょう。

 自分のことを表わすのに、英語なら「I(アイ)」だけですが、日本語では「わたし」「ぼく」「おれ」「おいら」「わし」「うち」「わて」「せっしゃ」「おいどん」「そうでごわす」などといろいろな言い表し方があります(ひとつちがうだろ)。こんなところに、日本語が国際化されていない姿が表れていそうですね。

 あまり簡単にしすぎると「95、角を矯めて牛を殺す」となりかねませんが、今後の国際化を考えると「66、小の虫を殺して大の虫を生かす」も必要かもしれません。

  中学生 8.3週 「いったい臆病とは(感)」

 友達を作るためには自分に劣等感を持たないことと温かい空気を持つことが大切という話です。

 意見文としては、「確かに謙虚さは必要だが、自分に自信を持つことも大切だ」というところで考えるといいかもしれません。

 社会実例は、頭が切れるが冷たく厳しい人よりも、のんびりしていても温かい人柄の人の方が多くの人に支持されてうまくいったという話などがありそう。また、自分に劣等感を持たないという例では、「シンデレラ」などもあてはまりそうです。「どうせ、私なんか」と思わずに、「私もお城に行ってみたい」という彼女の前向きな姿勢が幸運を呼んだのでしょう。でも、あまり「私が、私が」となりすぎると、「鏡よ、鏡よ、この国でいちばんきれいなのは、だーれ」という変なおばさんみたいになっちゃうから気をつけようね。

 名言は、いろいろありそうです。自分で考えてみましょう。

  高校生大学生社会人 8.3週 「どこかへ旅行が(感)」

 旅行が題材になっていますが、無難で安全な既成のやり方でなく、危険もあるが発見もある自分独自のやり方の方がよい、という一般的な意見を主題にして考えてみるといいでしょう。

 これも体験実例はいろいろありそうです。数学の問題を解くときでも、ゲームをするときでも、ほかの人に教えてもらってうまくやってもあまりうれしくありません。自分の力でやろうとすると失敗も多いのですが、そのかわりうまくいったときの喜びは何にもかえがたいですね。

 社会実例は、歴史上の話でいろいろありそうです。義経のひよどり越え、信長の桶狭間の戦いなど、捨て身のオリジナルな戦法が成功した例と言えます。エジソンやライト兄弟なども、みんなに認められる歩きやすい道でなく、自分の考えであえて狭く困難な道を選んだ人たちです。桃太郎も、村でのんびり畑仕事をしていたほうがずっと楽だったのに、あえて鬼退治という困難な道を選びました。みんな、自分の意志で自分らしい人生を歩こうとした人たちです。

 もし、桃太郎の昔話が、「桃から産まれた桃太郎は、若者になると、おじいさんのかわりに毎日山へ柴刈りにでかけましたとさ。めでたし、めでたし」となったら、めでたくもなんともないでしょう。

 ことわざは、第一次南極観測隊の西堀栄三郎さんの著書名「石橋を叩いていては渡れない」などが加工の例として使えそうです。自分でほかの例を考えてみましょう。

  遺伝子工学が開く可能性と限界

 先日、日経産業新聞に次のような記事がありました。

 ある会社が、蛍の光る遺伝子を大腸菌に移植し、その大腸菌を大量に培養することに成功したそうです。この大腸菌を粉末にし、コップの中の水にさらさらとふりかけると、あーら不思議。コップの中の水が蛍が飛んでいるようにきらきら光り出すということです。

 こういうことを聞くと、普通の感覚の人は、「だから、それがどうだって言うの? 蛍はやっぱり自然の中で見るのが一番よ」と思うでしょう。私(森川 林)の妻もそう言いました。

 しかし、こういう遺伝子工学の技術をうまく利用すれば、例えば、電気ウナギの電気を発生する遺伝子を大腸菌に移して、クリーンで効率のよい発電機を作ることもできるかもしれません。

 自然界は、人間の科学が考えつくようなものを既にほとんど実現しています。南極で泳ぐペンギンと砂漠を歩くラクダの両方の皮膚の特性をもった衣服ができれば、今のように夏はクーラーをつけて冬はこたつに入るというような不自然な科学に頼らずに、その衣服のまま氷の海で泳いだり猛暑の砂漠で昼寝をしたりという生活ができるようになるかもしれません。発想がかなりドラえもん的になってきましたが、決して夢物語ではありません。

 しかし、遺伝子工学には限界もあります。

 今、人間の遺伝子地図を作る作業が国際的な連携のもとに行なわれており、あと数年で人間の遺伝子の地図がすべて明らかになるということです。しかし、ここで、例えば、すごく性格のよい明るい遺伝子と、すごく根性の悪い暗い遺伝子の地図がわかった場合、それをそのままよい悪いと判断してしまうことには問題があります。

 人間は、自分の短所を克服することを通して、新しい価値を創造することのできる生き物です。例えば、すごく足の遅い人がサッカーの選手になりたいと思ったとき、彼はその足の遅さを克服するために、ほかの人では考え付かないような新しい技術や方法を創造する可能性があります。人間の社会は、サッカーのようなゲームよりもはるかに複雑ですから、短所も長所も単純にとらえることはできません。

 もし、お釈迦様の遺伝子が発見されて、それをもとにしてクローンお釈迦様を復活させることができるようになったとしても(お釈迦様を恐竜映画のようにたとえることに、だいぶクレームがつきそうですが……)、それはたぶん生前のお釈迦様とはまったく別な人物になるでしょう。人間の人生は遺伝子によって決められるものよりも、遺伝子以外のものによって決められる要素の方がずっと大きいからです。

 一時、人間は、遺伝子の単なる乗り物に過ぎないという考えがはやったことがあります。「利己的な遺伝子」などの著書で述べられていることは、遺伝子が主人公で、生物の個体はその遺伝子に利用されているにすぎないということです。

 しかし、本当は遺伝子自体が単なる乗り物なのだと思います。同じ年度にできた同じ色のカローラに乗っても、運転手によって行き先は違います。時速がどれくらい出るかということと、1リットルのガソリンでどれだけ走れるかということは同じように決まっていたとしても、その同じ性能を利用して、ある人は海に行き、ある人は山に行くでしょう。

 大事なことは、いい遺伝子に乗ることではなく、どこに行きたいかという情熱を持つことです。人間の可能性は、遺伝子を操作することによってではなく、情熱を持つ工夫をすることによって切り開かれていくと思います。

  作文を書くおもしろさ

 人間の持つ喜びの一つに、創造があります。別の言葉で、発明と発見と言ってもいいと思います。

 「光る表現」コーナーを見ていると、いろいろな子供たちがいろいろな発明や発見をしていることに驚きます。

 「一、二週間ほど放っておいたみかんは白いカビがいっぱいはえ皮がぷかぷかして、まるで空気のはいっていないビ−チボ−ルのようでした。(香織さん)」のような表現は、エジソンが竹の炭でフィラメントを作り電球を完成させたことと、かかった時間は違うにせよ、本質的には同じ創造です。

 大学生や社会人になると、文章を書くおもしろさのようなものが分かりにくくなる時期があると思います。ある程度うまくなんでもそこそこに書けるようになると、書きながら「こんなこと書いても何になるんだろう」と思うようになってきます。

 しかし、そう思うのは、そこに創造がないからです。あっちから仕入れた材料とこっちから仕入れた材料をただきれいに並べて売っているだけでは、商売もおもしろくありません。自分でオリジナルな付加価値をつけて、新しい何かを創造してこそおもしろさがあるのです。

 小学生のころの創造は、例えば新しいたとえを作るような表現の上の創造が中心です。高校生以上になると、これに意見の創造が加わります。意見の創造は時間がかかるので、つい後回しにしてしまいがちです。しかし、既に完成されている既成の意見に頼っているだけでは、よその店で売っているのを同じものをただ包装紙だけを変えて売っているのと同じです。

 意見の創造は、毎回できるわけではありません。むしろ、同じようなことしか書けない日が多いのが普通です。しかし、いつでも自分なりの新しいものを付け加えようと考える人の文章は、少しずつ変わってきます。

 新しいものを付け加えることを、自分なりの課題として作文を書いていきましょう。

  光る表現

真衣子さん(あこい/小1)の作文より(かつみ先生/月日716)

 そのざりがには、かわにもどしました。(いきものをだいじにしているので◎。やっぱり、すんでいるところがいちばんだよね。)

ペンギンさん(しろ/小2)の作文より(かつみ先生/月日721)

 竹は、四かいだての学校ぐらいの高さでした。【たとえが使ってあるので、竹の大きさがイメージしやすくなっているね。】

穂香さん(すよ/小2)の作文より(まや先生/月日722)

 おばあちゃんが「今日の夜ごはんは、穂香ちゃんからもらったピーマンを入れましょう。」と言われてうれしくなりました。「何を作るのかなぁ何を作るのかなぁ?」とわくわくしてしまいました。[評]気持ちの伝わってくる表現ですね。

栞さん(つて/小2)の作文より(ひかり先生/月日715)

 その日は寒い日でした。わたしはプ−ルの水をさわってみました。そしたらすこしあたたかかったです。先生が「シャワ−をあびましょう」といいました。 中略 そしたらとてもつめたかったです。 「評」寒い日でプ−ルの水の方が温かく感じた、不思議なかんじがつたわってきます。それぐらい寒い日だったのでしょうね。おもったこと感じたことが素直に表現できましたね。

みきさん(つゆ/小2)の作文より(スズラン先生/月日720)

 しばらくすると、なかよしのえりちゃんと、わたしだけじんちにのこっていました。わたしは、ともだちと二人だけじんちにのこっているのは、はじめてなので、わたしはドキドキしました。評:ドッジボールでのこったときの気持ちがよくでていますね。

まほうつかいさん(とみ/小2)の作文より(洋子先生/月日727)

 わたしは、「じゃあクイ−ン(庭にいる犬)のところに出そうか。クイ−ンにも見せてあげなきゃ」といいました。七夕かざりをだして、おかあさんは、「クイ−ンささの葉だよ」と言って「ささの葉さらさら——」というふうに歌いました。今では、七夕かざりは、風にふかれてまるでフラダンスを踊っているようでした。(七夕飾りの作文から。七夕の夕べの親子のほほえましい会話。犬にも七夕飾りを見せてあげたいというやさしさ、また風にゆれる七夕飾りのたとえがよく書けていましたね。(^o^))

紗由美さん(ああも/小3)の作文より(ひかり先生/月日715)

 コ−チが、二コ−スのみんなに「この子うまいよ。よくみていてごらん」といってわたしに「手本みんなにみせてあげて。」といわれました。中略 わたしはすこしうれしいきもちでした。 「評」水泳教室での出来事がよくわかる会話とそのときのさゆみちゃんの嬉しい気持ちが素直に表現出来た文です。

こあらこっこさん(あうみ/小3)の作文より(ミルクティ先生/月日716)

 『七ばたかざり』とっても、たくさんの子ども会で今、商店がいに、作った、たなばたかざりがかざってあるけど、どれもきれいです。そして、どれも、かざりがうれしそうに、さやさやと、さわやかに泳いでいます。評:たなばたかざりがうれしそう、というように、かざりの気もちになって書いたところが、光っていますね。

早織さん(あこて/小3)の作文より(みち先生/月日714)

 かざりや、いろんなものとか、たんざくをつけるから、まるでクリスマスツリーのようにみえました。評:たとえがじょうずにかけ、かんじがよくでています。ささのはにつけたかざりつけをみているとほんとうによくにていますね。ねがいことがお星さまにとどいたことでしょう。

チョチコンさん(あさお/小3)の作文より(ゆり先生/月日720)

 (せんこう花火をしていて)それからしばらくして、ポトッとバケツに落ちました。 それはまるで小さな小さなビーダマが金色のようなオレンジに光ったようでした。 評:せんこう花火が最後に小さく丸くなって落ちる様子を、とてもきれいなたとえで表せました。その時の様子が目にうかぶようですね。

千陽さん(あすえ/小3)の作文より(ひかり先生/月日715)

 短冊には、「友達がたくさんできますように」とかいたので、心の中でなんども願いました。ささかざりを見たときとてもきれいでした。「評」願い事が本当にかなうといいですね。一生懸命おねがいしたあと、ふっと目をあけて見上げたささかざりはとてもきれいだったと、そのときのようすがつたわる文です。

エコチャンさん(せゆ/小3)の作文より(まや先生/月日716)

 (たんざくさん、ねがいをかなえてね!)と思いました。[評]素直さが伝わってきます。

 

香織さん(ねは/小3)の作文より(ひかり先生/月日715)

 「めずらしく、今日は晴れたね。お父さんが子供の頃も天の川はあまりみられなかったよ。」そしてお母さんは、「毎年晴れてこの二つの星がみれたらいいなあ−」といいました。またテレビでも「ことしは、めずらしく、おりひめと彦星が、あうことが出来ました。」といっていました。彦星も織り姫もなんかあおじろかったです。「評」家族で七夕の日をどう過ごしたかがよく分かる内容の濃い作文がかけましたね。ほのぼのとした家庭の様子が伝わり、また実際に天の川をみているようすが目にうかぶようです。

香織さん(ねは/小3)の作文より(ひかり先生/月日722)

 一、二週間ほど放っておいたみかんは白いカビがいっぱいはえ皮がぷかぷかして、まるで空気のはいっていないビ−チボ−ルのようでした。 「評」ついうっかり、食べるのを忘れていると、このように、みかんの皮一面に真っ白のカビがはえていることがよくありますね。みんながよく経験している情景を、うまくたとえています。

たっくんさん(ああい/小4)の作文より(スズラン先生/月日721)

 「ひまわりも七夕」家にはささがなかったので、外にうえてある草花の中で、もっともせたけのたかかった、ひまわりにむすびつけました。むすびつけるこよりは、ティッシュでつくりました。評:いろいろくふうした、楽しい七夕飾りができましたね。

チビ太郎さん(ああは/小4)の作文より(洋子先生/月日703)

 やっぱり(やはり)プ−ルは、楽しい。でもたのしいものこそ時間がみじかいなあと思うのが不思議だと思いました。(プ−ルのことを書いた作文より。楽しいことをやっているときは、時間がすぎるのが早いし、いやなことをしているときは、反対になかなか時間が過ぎてくれないですものね。)

誓子さん(あいい/小4)の作文より(かつみ先生/月日721)

 きっかけは、私が「ねえ、お友だちになって。」と声をかけたら、「いいよ。」と言ってくれました。(評:どきどきして、はなしかけていることがわかります。)

ふるばさん(あすら/小4)の作文より(みち先生/月日627)

 ぼくは、学校のプールがすきではありません。なぜなら、まるで氷山の海を泳いでいるようにつめたいのです。そして、たいようの光がカンカンでりのとき、プールサイドがまるでやけどをしてしまうように、あっついのです。そしてシャワ−は、ただのつめたい水なので、みんなこわがっています。それに人がいっぱいで、プールには、虫の死がいがういています。評:室内プールとくらべるとすきになれないのがわかるね。でも、おともだちがたくさんいて学校のプールも楽しいのはよかったね。

ふるばさん(あすら/小4)の作文より(みち先生/月日712)

 コロコロコミックを読んでみたらたのしそうなおもちゃだったので、ほしいと思っていました。ジターリングがうっていたので、お母さんと相談したりおねがいしてみたら、かってくれてうれしかったです。僕はお母さんにお金をもらった時にやったーとまるで買ってしまったようにうれしかったです。———ほかに家にれいぞうこが来た時も、うれしかったです。まるで、ぞうのようにでっかい冷ぞうこが来たからです。うれしいことは、ほかにいっぱいあるけど作文を書くのもうれしいです。評:経験して感動すると書きたくなるんだね。上手になるようにたくさん書こう。

遼太郎さん(せは/小4)の作文より(まや先生/月日716)

 さいしょ、おちばのおくにかくれていたダンゴムシほとんどが、すごいいきおいで、にぼしにちかづいてきました。これはぼくも、おどろきました。もっと、よく見てみると、たくさんのダンゴムシが、おちちをのんでいるように、一列にならんでいるようです。そして、その日の夜みてみたら、なんと、にぼしがほねだけになっていたので、びっくりしました。きれいに、ほねだけのこっています。「すげー。」ぼくは思わず声をだしてしまいました。ダンゴムシは、食べ物をこんなに大切に、きれいにするとは、思っていませんでした。[評]すごい!!!

こっPさん(てえ/小4)の作文より(ひかり先生/月日717)

 かなさんはすごいな。ぼくは低学年のボ−ルはとれるけど、とても高学年のボ−ルはとれないとおもいました。かなさんはまるでゴリラのようにちからがあるとおもいました。 "評" とても強いボ−ルを投げたり、受けたりできるおんなのこなのでしょうね。うまくたとえられていますが、ご本人が見るとおこるかな?

じゅんさん(とぬ/小4)の作文より(ひかり先生/月日722)

 ぼくが、一番おもしろかったのは「酸素がなくなると急に細菌が元気づく」というところです。それは人間は酸素をすって生きているからです。もし酸素がないという同じ条件だったら人間は、くさってカビだらけになると思います。「評」純一くんらしい疑問、興味が、「一番———だったら」「もし———だったら」という表現を使ってうまくかけていますね。

真沙実さん(なお/小4)の作文より(スズラン先生/月日716)

 私は、はまっこスクールに行っています。はまっこの帰りにささの葉をもらいました。・・中略・・エレベーターに五人でのったとき、私は、まるでささの葉がいっぱいあるぞうき林みたいだと思いました。評:ささの葉のいいにおいがしていたのが分かりますね。

 

慶一さん(ねる/小4)の作文より(洋子先生/月日727)

 いすにすわって胸をたこの吸盤みたいなものでちょんちょんとやってもらいました。(痛くないと思ったけれど痛たかった注射の作文より。日本脳炎の予防注射をしにいって、お医者さんに聴診器を胸にあててもらったときのことです。聴診器のたとえがおもしろくておもわず笑ってしまいました。)

しっぽさん(ほし/小4)の作文より(スズラン先生/月日721)

 夜の外食は、なんだかうきうきして、どきどきして、かえるのようにぴょんぴょんはねてしまいそうです。評:ひとりでに体が動いてしまいそうなうれしさが感じられますね。

しっぽさん(ほし/小4)の作文より(スズラン先生/月日727)

 手にザラッとしたかんしょくがあったので、すぐそれをつかみました。・・中略・・光に照らしながらレモンをなにげなく、くるくるまわしていると、なぞの黒い点々があるのがわかりました。・・中略・・毛穴にごみが入ってしまったように、レモンは黒くなっています。評:レモンがくさってしまったようすがよくわかりま

純平さん(にの/小5)の作文より(洋子先生/月日710)

 町田市に「緑のコリド−」があると聞いたことがある。タヌキとの共存で町の人たちは、話し合い、道路のしたにタヌキの道を作った。それでタヌキの交通事故がずいぶんへったといううれしいことがあったそうだ。このちょっとした工夫が野生動物との共存の第一歩だと思った。(里山を歩いてを読んでの感想文から。よいにたはなしが書けましたね。町田の住民の行動力は、すばらしいですね。見習いたいものです。)

惣さん(やき/小5)の作文より(洋子先生/月日727)

 読書のよい点は、マンガとちがって長い文章だし、文章を読んで想像できるからだ。−中略−ぼくは、今、「怪人二十面相」を読んでいるけれどもぼくが、まるで探偵になったような気持ちになれるから楽しい。(読書の楽しみを読んでの感想文から、読書の楽しみがわかってきたようね。読書について、西条八十の詩の一節を紹介しておくから読んでみてね!「雨がふるとき、−−かぜひいて好きな遊びができぬとき、子供よ、書物をおよみなさい。書物はあなたをつれてゆく、海山こえていく千里知らない国や、とおい国。みたこともないひとたちや、また、めずらしい動物があなたと遊び、はなしする。書物を読めば、友だちはいつも出てくる眼のまへに。」君も「文章を読んで想像できるところがよいところだと」かいていたね!

コナンさん(あうち/小6)の作文より(まや先生/月日722)

 この並木道は、ギンナンがとれてくさいから、ぼくは、みかんの並木道がいいなと思いました。(略)ぼくの大好物だし、つかれた人たちにみかんを分けてあげられるからです。[評]やさしさが伝わってきます。

大樹さん(たろ/小6)の作文より(洋子先生/月日703)

 ぼくは、——君は、世界のみんなに「親友は、いいぞ−」といいたいぐらいいい人だと思いました。(親友のことを書いた作文からです。いい友達がいてよかったね。大切にね!)

圭一郎さん(わめ/小6)の作文より(かつみ先生/月日728)

 ぼくはどちらかというと、じゃりの道の方がすきです。なぜかというと、じゃりの道は自然なかんじがするし虫もいます。それにあまりあつくなりません。【評】:じゃりみちのほうがなんだか趣があるよね。先生もじゃりみちの方が好きです。

佳織さん(あえら/中1)の作文より(ミルクティ先生/月日728)

 外国の昔話「エルマーと16匹の竜」という話です。この世界には、竜と人間がいます。竜は竜で独自の文化を歩んでおり、また人間は人間で独自の文化を歩んでいます。つまり竜達は、となりにある人間の文化というのに負けず自分達の過去をふり返り、未来に向かっています。親子も自分の経験をふり返り文明にとりつかれない方がいいです。評:中学生の課題項目「昔話・童話を題材として書く」を、有名な児童文学から探し出して、竜の生き方を人間の親子関係に引き寄せて考えたんだね。「エルマー」を題材に選んだセンスが光ってるよ

Folderさん(あすの/中2)の作文より(はるな先生/月日717)

 その自然が減少していると聞いてびっくりした。その影響で二酸化炭素がふえ、温暖化がすすんでいるそうだ。このままだったら、地球は住みにくく、苦しい場所になってしまうと思う……自然を壊さなければ少しは防げるののではないか。(講評)地球の現状について、最近のニュースに関心を持って、実に建設的な意見をこのあとも、具体的にのべています。共感できる内容でした

 

  パソコン作文の森

 生徒がパソコンで書いた作文は、言葉の森のホームページから直接教室に送ることができます。

 その作文は、その場ですぐにそれぞれの課題のページとその人のページに掲載されますが、それとは別に毎週「パソコン作文の森」にも掲載されます。

http://www.mmjp.or.jp/shine/hana/indexhana.html

 自宅からインターネットにつなげられる人は、ここでほかの人の作文を読んで自分が書くときの参考にするといいでしょう。