http://www.mmjp.or.jp/shine/1998年8月4週号 通算第583号(Yahoo!で"言葉の森"と検索してください)

言葉の森新聞

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  8月4週は清書です 

 第4週は清書です。担当の先生のアドバイスを参考にしながら、返却された作文の中から自分でいちばんよいと思うものを選んで、清書用紙に清書してください(今学期から、清書用紙はこれまでの水色の罫線の用紙ではなく作文用紙と同じ黒色の罫線の用紙になりました)。清書はできるだけファクスではなく郵便で送ってください。

 今回、返却した作文は、7月から8月にかけて書いたものです。新しく教室に入ったばかりの人は、返却される作文がない場合もあります。また、返却された作文の中に清書するようなものがない場合もあります。そのときは、清書用紙に直接自由な題名で作文を書いて送ってください。

 清書の仕方は、課題集の中の「学習の手引」に書いてあります。名前を載せてほしくない人は、表には名前を書かずに裏に書いてください。また、清書用紙の空いているところには、絵などを書いて楽しい清書にしてください。

 この清書は、全員の分を10月ごろに発行する「広場」に掲載し、インターネットに掲載し、そのあと新聞社に送ります。(新聞社に送るのは希望した人のみ)

  8/31(月)はお休み(再連絡)

 8月31日(月)はお休みです。宿題はありません。

 

  9.1週は作文テスト(予告)

 9.1週は作文のテストです。書き方は同じですが、項目表の●印が全部できるように書いていきましょう。書くことをうちでよく準備してきてください。

 

  9.1週のヒント(予告)

  小3・4年生 9.1週 「おじいちゃんおばあちゃん」

 おじいちゃん、おばあちゃんの話を書いてみましょう。「わたしのおじいちゃん(おばあちゃん)は、こんなおじいちゃん(おばあちゃん)です。」と書いたあとに、「この前、こんなことがありました。」と、実際にあったできごとを書いていきましょう。説明的な題名の作文は、説明だけで終わらずにできごとを書いていくことが大切です。

 おじいちゃん、おばあちゃんに接したことのない人は、お父さんやお母さんに話を聞いて書いていきましょう。

  小5.6年生、中1年生 9.1週 「私の祖父母」

 高学年の人は、自分のお父さんのことを「私の父」と言いますね。お母さんのことは「私の母」と言います。お兄さんは「兄」、お姉さんは「姉」。それでは、おじいさんは、「おじん?」。違うよね。おじいさんは祖父、おばあさんは祖母です。作文の中でも、「私の祖母は、今年百二十歳になった。」のように書いていきましょう。

 高学年の人は「聞いた話・調べた話」の項目がありますから、お父さんやお母さんにおじいちゃんやおばあちゃんの話を取材してきましょう。

 ことわざのヒントは、「34、亀の甲より年の功」。「41、麒麟(きりん)も老いては……」なんていうのは使っちゃだめですよ。

  中学生 9.1週 「勉強と遊び」

 勉強で得るものと同じように、遊びで得るものがあります。また遊びのし過ぎで失うものがあるのと同じように、勉強のし過ぎで失うものがあります。でも、これを読んでいる君は、たぶん勉強のし過ぎは心配しなくていいからね。

 身近な例と昔話を通して、勉強と遊びとどちらが大切かと考えてみましょう。「サルカニ合戦」のカニがサルに勝ったのは知恵や力によってではなく、ウスやハチやクリという友達の協力によってでした。もし、カニが毎日勉強をしているだけだったら、そういう豊かな友達関係はできなかったでしょう。ふだんから、ウスやハチやクリと遊んでいたからこそ困ったときに助けてくれる友達ができたのです。しかし、カニとウスとハチとクリはいったい何をして遊んでいたのでしょうね。昔話ではありませんが、感想文の宿題でよく出る「車輪の下」なども社会実例として使えそうです。

  高校生大学生社会人 9.1週 「鶏口のよさと牛後のよさ」

 「鶏口となるもむしろ牛後となるなかれ」という故事をもとにしたテーマです。小さな会社に入ってすぐに重要な役割を受け持って活躍するような生き方と、大きな会社に入ってスタートは遅くてもその大きさに見合った大きな役割を受け持つようになる生き方と、どちらがいいかという設定です。

 受験する学校などについても同じことが言えそうです。

 鶏口は往々にして「井の中の蛙」や「裸の王様」になり、牛後は往々にして「事なかれ主義」や「赤信号みんなで渡れば怖くない」になりがちです。反対意見も十分に考えながら書いていきましょう。

 昔話は、桃太郎や金太郎などが使えそうですが、昔話よりも歴史上の人物実例の方がたくさんの例が見つかりそうですね。

  光る表現

麻林さん(やり/小2)の作文より(かつみ先生/月日810)

 わたしは、ライオンのことを、ねこだと思いました。【評:ほんとうにそうだね。大きなねこってかんじだもんね。すなおにひょうげんできていてよかったですよ。】

遥さん(らき/小2)の作文より(かつみ先生/月日728)

 (ねむたいのだけれど、おきてじぶんであるいてといわれて。)わたしは、がまんしてあるきました。【評:ねむいのに、しかたがないからあるく、そういうきもちがよくつたわってきましたよ。】

友紀子さん(らび/小2)の作文より(とも先生/月日725)

 (上手におよげたあと、違う泳ぎ方をしたとき)つぎは、はいめんキックです。コーチに、「もうちょっとおなかあげて。」といわれたので、すこしかなしかったです。「でも、今どのテストでがんばればいいかな」と、思いました。…評:うまく泳げた後だっただけに、かなしいきもちがよくわかります。でも次を目標にがんばる気持ちが、とてもよく書けていました。

友理絵さん(ああて/小3)の作文より(かつみ先生/月日722)

 けつえきがとまるとそれからさきは、くさってしまいます。こわいなぁーと思ってびっくりしてしにたくないなと思いました。【評:せんせいもしにたくないとおもいます。くさるって、ほんとうにふしぎだね。】

ゆりさん(あおへ/小3)の作文より(かつみ先生/月日723)

 リコーダーをするとき、"左手だけしかつかわないときは、心の中でゥォといって、右手もつかうときは、トォというといいおとがでるんだよ。"と言います。【中略】つばさをくださいをうたうときは、「くちをラッパみたいにしてこえをだすこと。あとおじぞうさんみたいにじっとしてないで体をゆらしてうたってごらん。」と宮松先生が言います。【評:会話が上手に使われていますね。先生もこの注意を守って、リコーダーをふいたり、うたをうたったりしてみよう。】

佳明さん(ひな/小4)の作文より(かつみ先生/月日810)

 ジョイポリスの入場料は、まるでシネマワールドのようですが、中はおもしろい物ばかりでした。【知る人ぞ知るたとえだね。でも、この文章で言うと、シネマワールドハ,そんなに面白くなかったのかな?】

翠さん(ふめ/小4)の作文より(かつみ先生/月日728)

 「まるで、リュックがあるいているみたい。」と、お母さんが笑いました。 体けん学習をする日、とても、うきうきしていました。【評:たとえがあることで、いかにリュックが大きいのかがよくわかります。また、体けん学習をとても楽しみにしていたことがよくわかるね。】

チョロすけさん(ふか/小5)の作文より(スズラン先生/月日723)

 最初は「あーまた字がたくさんあるー」と思っていたが、どんどん読むにつれて、とてもおもしろくなっていった。中略「うわぁ。読書ってけっこうおもしろいなぁ」と思った。それに、すべて本を読んだときは、なにものにもかえがたい充実感を得たような気がした。評:この充実感をあじわえるのが、読書の楽しみですね。

拓馬さん(ねき/中1)の作文より(ひかり先生/月日725)

 「子供は大人を小さくしたものではなく、それ独自の価値を持っている。」というように親が子供のためだと思ってやっても、それが子供にとってはおせっかいになったり逆効果になったりする。親と子供は同じようで違う、いわば太陽と月のようなものであり、それぞれが価値をもっている。そしてこれからはお互いの気持ちを考えていかなければならないのである。 「評」前後の文章の内容にピッタリの名言を良く考えて、引用していますね。何処から引用したかを書き加えるといいですよ。ルソ−の「エミ−ル」からかな?

  資本主義のあとに来るもの

 生物の歴史を長い目で見ると、あるものが過剰になり、その過剰を利用して新しいものが生まれ、それがまた別の新しい過剰の原因になり、というふうに、過剰の中心が移動することに伴って進歩のフロンティアが移動し世の中が移り変わっていくようです。

 地球の誕生時には酸素はありませんでした。その当時生まれた細菌が酸素以外のものを利用して代謝を行ない、酸素はその廃棄物として地上に登場したと考えられています。酸素がある程度増えてきて初めて、その酸素をエネルギー源として利用する好気性細菌が現われました。同じように、植物を餌とする草食動物がある程度増えてきて初めて、その草食動物を餌とする肉食動物が現われました。

 人間社会の歴史も同じように進んでいます。ある時期にあるものが過剰になり、その過剰を利用したフロンティアが生まれ、そのフロンティアが続く期間がひとつの時代となります。この時代には、そのフロンティアの進む方向がひとつの原理や法則や理念として認識されます。ですから、その時代の人には、あたかもその法則が世界の進歩の動因になっているように見えます。

 現在、資本主義は、資本の増殖そのものをひとつの法則として展開されているように見えています。しかし、今はその法則の前提となる資本主義の中で新しい過剰が生まれ新しいフロンティアが生まれているようです。

 資本主義の原理は、個人が自分の利益を自由に追求することが社会全体の利益につながるという考えでした。しかし、今は環境問題ひとつをとっても必ずしもそうは言えない状況が生まれています。現在、資本主義を変質させているものは、その資本主義が生み出した巨大なマネーです。

 「各人が自分の利益を追求することによって社会全体が豊かになる」というのが資本主義の原理だったとすれば、今生まれつつあるものは「各人が相手の利益を追求することによって社会全体がより豊かになる」という社会のように思います。右に回っていた渦巻きが急に左に回り始めるような過渡的な混乱が今の時代の特徴だと言えるかもしれません。

 

 

ドリカムさん(うせ/中2)の作文より(ひかり先生/月日724)

 「姥捨て山」の昔話にもあるように、自分よりたくさん生きている人しかも、一番話しやすい人「親」にいろいろ教えてもらうのは———中略———痛いところを突かれ結局私の負けでいつの間にか普通にはなしてしまうのである。そう言う不思議な関係が親子関係かもしれない。「評」身近な自分とお母さんとの関係を具体的に例にあげたり、社会実例として昔話を引用して説得力のある文がかけましたね。