http://www.mmjp.or.jp/shine/1998年9月1週号 通算第584号(Yahoo!で"言葉の森"と検索してください)

言葉の森新聞

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  図書の返却は9月10日までに 

 現在、貸出中の図書は9月10日までに返却してください。通信の人は学期の初めに返信封筒が送られていると思いますので、その封筒に入れて(一部開封です)郵便ポストにそのまま入れてください。返信用封筒が見つからない方はご連絡ください。

 毎学期、締め切りが過ぎてから返却される図書が多数あります。特に中学生以上の人は、貸出図書が難しいものになっているために、期限内に読み切れない人も多いようですが、必ず返却期限内に教室に返却するようにしてください。

 貸出図書の一覧表は、インターネットのホームページ「図書の森」に掲載しています。今後、この一覧表から自分の借りたい図書を自由に選べるようにしていきたいと思っています。

  9月1週は作文テスト(前週で予告)

 9.1週は作文のテストです。書き方は同じですが、項目表の●印が全部できるように書いていきましょう。書くことをうちでよく準備してきてください。

  9.1週のヒント(前週で予告)

  小3・4年生 9.1週 「おじいちゃんおばあちゃん」

 おじいちゃん、おばあちゃんの話を書いてみましょう。「わたしのおじいちゃん(おばあちゃん)は、こんなおじいちゃん(おばあちゃん)です。」と書いたあとに、「この前、こんなことがありました。」と、実際にあったできごとを書いていきましょう。説明的な題名の作文は、説明だけで終わらずにできごとを書いていくことが大切です。

 おじいちゃん、おばあちゃんに接したことのない人は、お父さんやお母さんに話を聞いて書いていきましょう。

  小5.6年生、中1年生 9.1週 「私の祖父母」

 高学年の人は、自分のお父さんのことを「私の父」と言いますね。お母さんのことは「私の母」と言います。お兄さんは「兄」、お姉さんは「姉」。それでは、おじいさんは、「おじん?」。違うよね。おじいさんは祖父、おばあさんは祖母です。作文の中でも、「私の祖母は、今年百二十歳になった。」のように書いていきましょう。

 高学年の人は「聞いた話・調べた話」の項目がありますから、お父さんやお母さんにおじいちゃんやおばあちゃんの話を取材してきましょう。

 ことわざのヒントは、「34、亀の甲より年の功」。「41、麒麟(きりん)も老いては……」なんていうのは使っちゃだめですよ。

  中学生 9.1週 「勉強と遊び」

 勉強で得るものと同じように、遊びで得るものがあります。また遊びのし過ぎで失うものがあるのと同じように、勉強のし過ぎで失うものがあります。でも、これを読んでいる君は、たぶん勉強のし過ぎは心配しなくていいかも……。

 身近な例と昔話を通して、勉強と遊びとどちらが大切かと考えてみましょう。「サルカニ合戦」のカニがサルに勝ったのは知恵や力によってではなく、ウスやハチやクリという友達の協力によってでした。もし、カニが毎日勉強をしているだけだったら、そういう豊かな友達関係はできなかったでしょう。ふだんから、ウスやハチやクリと遊んでいたからこそ困ったときに助けてくれる友達ができたのです。しかし、カニとウスとハチとクリはいったい何をして遊んでいたのでしょうね。昔話ではありませんが、感想文の宿題でよく出る「車輪の下」なども社会実例として使えそうです。

  高校生大学生社会人 9.1週 「鶏口のよさと牛後のよさ」

 「鶏口となるもむしろ牛後となるなかれ」という故事をもとにしたテーマです。小さな会社に入ってすぐに重要な役割を受け持って活躍するような生き方と、大きな会社に入ってスタートは遅くてもその大きさに見合った大きな役割を受け持つようになる生き方と、どちらがいいかという設定です。

 受験する学校などについても同じことが言えそうです。

 鶏口は往々にして「井の中の蛙」や「裸の王様」になり、牛後は往々にして「事なかれ主義」や「赤信号みんなで渡れば怖くない」になりがちです。反対意見も十分に考えながら書いていきましょう。

 昔話は、桃太郎や金太郎などが使えそうですが、昔話よりも歴史上の人物実例の方がたくさん見つかりそうですね。

  9.2週のヒント(予告)

  小3・4年生 9.2週 「いたかったこと」

 いたかったことを準備するというのはちょっとむずかしいですね。しかし、いたかった思い出というものは、わすれようとしてもわすれられないものがだれにもあります。この「いたみ」というのは、生き物が危険な目に合わないように神様が作ってくれたものなのかもしれませんね。

  小5・6年生と中学1年生 9.2週 「川の道(感)」

 夏休みに川遊びをした人も多いことでしょう。ふだんの街の生活では目にできないような大量の水がひとときも休まずに流れていくことに自然の大きさを感じた人も多かったと思います。川の流れている力を昔の人は、動く道路として使っていました。川の力ということで似た話を探してくるといいでしょう。

  小5・6年生 9.2週 「ガッツがあるとか(感)」

 自動車のハンドルにも人間の生活にも「遊び」や「余裕」が必要だというのが主題です。「ものをおいしく食べるにはおなかをすかせたらいい」というのは、経験したことのある人も多いことでしょう。大学へ入ったものの何をしたらよいかわからない幼稚な大学生というところは、お父さんやお母さんの会話で話題になることがあるかもしれませんね。

  中学生 9.2週 「何ごとぞ(感)」

 お花見に行ったことのある人は多いでしょう。このお花見というのは、日本独特の風習です。筆者はここに「共通の対象を見ることによって成り立つ日本文化特有のコミュニケーションの方法」を見ています。え、せっかくの花見なんだからそんなに堅いことを言うなって。

  高校生・大学生・社会人 9.2週 「私はこの数年間テレビ(感)」

 世界でもまれなほど自由が保障されている日本の言論環境と、それにも関わらず驚くほど画一化されているマスコミの商業主義的な報道というのがテーマです。ベマ・ギャルポ氏のこの短い文章の中に、日本のマスコミをめぐる問題点の本質がわかりやすく説明されています。

 

  ミスプリントの訂正

 小学5・6年生の長文で、ミスプリントがありました。訂正してお読みください。

 長文「ひ」8.4週の11行目「ひをとらない甲虫で、金色の翅鞘(さやね)」→「ひをとらない甲虫で、金色の翅鞘(さやね)」。

 長文「ひ」9.3週の11行目「イリオモテイリオモテヤマネコなど、」→「イリオモテヤマネコなど、」

  インターネットは勉強に欠かせないものに 

 港南台の教室では、中学生以上の人は全員パソコンで作文を書き、その作文をインターネットの掲示板を経由して教室に送っています。(教室にいるのに、その教室に送るというところがおもしろい。どこが)

 通信で勉強している生徒の中にも、パソコンで書いてインターネット経由で作文を送ってくれる人が少しずつ増えています。

 パソコンで作文を書くということにはいくつかのメリットがありますが、その中であまりよく知られていないものに作品性というものがあります。作品性とは、作品を作ったという実感です。手書きで文章を書いているよりもパソコンで書いているときの方が、何かかたちのある仕事を一仕事したという感覚を持ちやすいのです。梅棹忠夫さんも、自分の行動予定などをなぜわざわざワープロで印刷するかという理由で、こういう感覚を指摘していました。小学6年生から中学2年生ごろは、だれでも書くことが苦手になりやすい時期ですが、こういうときに勉強の実感を持てるというのはとても大事なことのように思います。

 ただし、構成メモを書くなどという考える作業は、紙と鉛筆でなければできません。矢印でつなげたり、四角で囲んだり、小さい文字をあとで挿入したり、書いた図の全体を遠くからながめたりというような操作では、手書きの万能性にまさるものは今のところありません。

 インターネット経由で作文を送るということには、もうひとつ大きなメリットがあります。それは、自分の書いたものがそのまますぐに掲示板に載るということです。ですから、ほかの人がインターネット上に書いた作文もその場ですぐに読むことができます。教室ではよく次のような会話があります。

生徒A「先生、社会実例を書くというところがよくわからないんですが」

先生「それなら、ほかのひとの作文を見てみたら」(検索コーナーで探せるようになっています)

生徒A「はあい。あ、ありました。……この人うまいですね」

先生「その作文は、あそこで今、掲示板に落書きしているB君がさっき書いたんだよ」

生徒A「それじゃあ、感想、書いておこうっと。『B君、はじめまして』っと」

 先生の説明を聞いたり言葉の森新聞の解説を読んだりしただけでは、今ひとつ書き方の要領がつかめないということがあります。そういうときに、ほかの人の作文をその場で読めるというのは、勉強を進める上でかなり役立っています。

 ここから先は、パソコンのシステムなどに関心のある方向けの話です。

 掲示板に書いた作文を教室に送る仕組みは次のようになっています。掲示板の上では、題名が太字になったり名前のところだけ色が変わっていたりという読みやすいレイアウトで作文が表示されていますが、もともとのデータは、文字の情報を「^」や「+」などの特定の記号で区切ったものがサーバーの中にベタ打ちで蓄積されているだけです。

 この生のデータをftpソフトでダウンロードし名前をつけて保存し、それをワードのマクロ機能を利用して自動的に編集します。例えば改行マークはインターネットでは「<br>」という記号になっているので、これを「+」などの記号に全部変換します。

 そのあと、この変換したデータを、アクセスというデータベースにインポートします。データベースに入ったデータは掲示板の場所によって分類し、既にデータベースに入っている生徒や先生のデータとリンクして、紙に印刷する状態に作り直します。

 この一連の操作をワードやアクセスのマクロ機能を使って自動的にやっています。ですから教室のパソコンは、年中マクロ機能がどこかでジジジジジと動いています。本当はプログラムなどが書ければもっとスマートなシステムになるのでしょうが、そこまでの知識はないので、市販のソフトやフリーのソフトの理解できた部分だけを組み合わせて動かしています。若い人で、将来オリジナルなことをするつもりの人は、ぜひパソコンに習熟しておくといいと思います。特に文系の人ほど、パソコンと機械工作に慣れておくと将来役に立つと思います。

 

光る表現コーナー

98年8月18日〜98年8月26日

 皆さんが書いた最近の作文の中から、光る表現を選んで載せています。

結里亜さん(あえま/小2)の作文より(ゆり先生/月日808)

 その犬はとってもほしいぐらいとってもかわいいです。その犬は、はやくもらいたいとおもいました。その犬はすごいのみがついていました。 (評:のみがついていても、ゆりあちゃんはその犬がかわいくてかわいくてしかたがなかったんだね。その時のゆりあちゃんのきもちが とてもよくつたわってきます。)

ペンギンさん(しろ/小2)の作文より(かつみ先生/月日810)

 まるで雨のたつまきのような、いきおいでふりだしました。(すごいいきおいでふってきたことが、よくわかるよ)

ハッピィーさん(せさ/小2)の作文より(まや先生/月日813)

 せん車のような大きながんじょうな車にのって氷の上にのりました。(略)おばあちゃんが、「稜子すべらないようにね。」といいながら、こわそうにペンギンみたいにちょこちょこ歩いていました。 [評]『たとえ』を、自然な形で、効果的に使っています。

デジモンさん(てつ/小2)の作文より(ミルクティ先生/月日818)

 まっかになったりょうすけくんとちひろちゃんのトマトがカラスにはんぶんいじょう食べられました。ぼくのトマトは、まっかになっていたけれど、見えにくかったのでセーフでした。りょうすけくんは「あーあ、ざんねんだったなぁ。」と言っていました。評:会話がうまいね。りょうすけくんのくやしい気もちが、よく表現できてるよ。

友理絵さん(ああて/小3)の作文より(かつみ先生/月日812)

 できたコップは、まるでルビーみたいにきれいに見えました。(きらきらと光る魔法のようなコップなんだね。たとえがじょうずにかけました。)

チョチコンさん(あさお/小3)の作文より(ゆり先生/月日815)

 (お姉ちゃんと水でっぽうをしていて)ビシュッ! これはしょう子がやった音。ジャッ!ジャ! これはお姉ちゃんがやった音。(評:ふたりの水でっぽうの音の違いを、分かりやすい音で表せたね。どっちも水がいきおいよく飛び出す感じですね。) 

カイリューさん(せほ/小3)の作文より(スズラン先生/月日813)

 ミヤマクワガタは、土をふかくほって、土にもぐり、やがて出てくるあそびとかをしました。まるで、ブルドーザーのようにほっていきました。評:ミヤマクワガタが動いているようすにぴったりのたとえですね。

エコチャンさん(せゆ/小3)の作文より(まや先生/月日813)

 のぞくと、セミが、つかれたようにきゅうけいしていました。(略)みんなで、「セミさーんさようなら」といいました。 [評]楽しいですねえ。

ケッピーさん(そゆ/小3)の作文より(ひかり先生/月日814)

 バッタのいろは、まるでエメラルドのようなきれいな緑色でした。「評」本当にきれいなみずみずしい緑色のバッタなのでしょう。目にうかぶようです。

知里さん(ちこ/小3)の作文より(ミルクティ先生/月日818)

 先生がこんな話をしました。「今は、あんまり星が見えません。でも、山とかは、星がよく見えます。なんでかとゆうとくうきがよごれているからです。」と言いました。私は、このへんには、星がないから星のがっこうの場所かえ(ひっこし)みたいだなと思いました。評:町では星が見えなくなったことを「星の学校のひっこし」に、たとえたところが、童話(どうわ)のようでゆめがあるね。(☆_☆)

康平さん(てい/小3)の作文より(スズラン先生/月日810)

 せみをつかまえてみました。そしたら、羽をバタバタさせていました。まるで、鳥が羽をおって、いっしょうけんめいとぼうとしているみたいでした。評:捕まえられたせみのようすが分かるたとえですね。

直茂さん(ねさ/小3)の作文より(ゆり先生/月日808)

 セミのぬけがらは、茶色で、せなかの所がまっすぐにきれていました。体調−三センチ四ミリで前足がすごく大きかったです。(評:がんばって見つけたぬけがらをよく観察したんだね。「まっすぐにきれた」ところからセミはぬけ出たんですね。見たとおりのことをうまく言葉で書けているね。)

誓子さん(あいい/小4)の作文より(かつみ先生/月日812)

 「お母さんには分からない…。あのえいがは、見なきゃ分からない…。」(評:心の中の本当の気持ちがじょうずにあらわれているね。)

みみデカさん(あえほ/小4)の作文より(かつみ先生/月日810)

 結局僕が言いたいのは「遊びで殺したくない」と言う語句です。【虫を取っても,結局死んでしまうんだよね。そんなことしなければ、もっと長く生きていられたかもしれない。そういう、やさしさが現れています】

じゅんさん(とぬ/小4)の作文より(ひかり先生/月日812)

 カブトのメスはまるで「もう、なにするの。私の好きにさせてよ。もうらんぼうなんだから!」といっているようでした。「評」人間以外の生き物カブトの気持ちを上手く表現していますね。

たかどんさん(ふさ/小4)の作文より(もとばと先生/月日812)

 セミのおしっこはまるで、セミをつかまえようとしたしかえしのようなものです。せみのおしっこのこうげきをうけてちょっとびっくりしましたね。しかえしということばがおもしろいですね。

沙季子さん(てあ/小5)の作文より(スズラン先生/月日810)

 セミが虫かごに入れられるというのは、私達が、ろうやに入れられることと同じかなと思った。評:セミを狭い所に入れておくのがかわいそうという気持ちがでているたとえでしたね。

ドガースさん(つら/小6)の作文より(ミルクティ先生/月日821)

 『虫をつかまえた思い出』八月六日は広島にげんばくが落とされた日だが、虫はそんなざんこくなことはしない。他の虫を殺す時はどうしようもない時で、ばくだんなど使わないで、す手で戦う。そう考えると人間ははずかしい、と思った。「一寸の虫にも五分のたましいというように虫も大切な自然の一部である。」評:本当にそのとおりだね。虫の話から人間社会へと目を転じて書いたところに六年生としての視野の広さを感じます

ペー吉さん(うき/中2)の作文より(ミルクティ先生/月日820)

 「脱皮できない蛇は滅びる」とニーチェは言った。これは、かなり的確な言葉だ。蛇は古い皮を脱ぎ捨て、新しい体で野山を進む。古い皮は二度と見ない。我々も、古い「皮」にとらわれず、大人も子供も、この変化の激しい時代を「脱皮」しながら、環境に適応していくしかないのかもしれない。しかし、そうした時に、親から子へ、子から孫へと伝わっていた知識が失われていってはいけないと思う。蛇は蛇であって、皮を脱ぎ捨てたからといって蛇以外には決してならない。皮は周囲の状況にあわせて変わっていっても、「蛇として在る」というのは、変えようのない事柄なのだ。名言をうまく生かして主題が展開できたね。見事!

ドリカムさん(うせ/中2)の作文より(ひかり先生/月日724)

 「姥捨て山」の昔話にもあるように、自分よりたくさん生きている人しかも、一番話しやすい人「親」にいろいろ教えてもらうのは———中略———痛いところを突かれ結局私の負けでいつの間にか普通にはなしてしまうのである。そう言う不思議な関係が親子関係かもしれない。「評」身近な自分とお母さんとの関係を具体的に例にあげたり、社会実例として昔話を引用して説得力のある文がかけましたね。

くみこさん(さく/中3)の作文より(ミルクティ先生/月日820)

 『規則と自由』「何事もしないものだけが失敗もしない」という言葉もあるように、ただ規則の中だけで生きたり、おこられることを気にしてびくびくしていては何も始まらない。自分がいいと思ったことを実行していくべきだ。それが独りよがりになってはいけないが、やはり私はこれからも自分の信じたことを勇気をもってやりとげたいと思う。評:名言の引用が浮いてしまわず、結びの文章となめらかにつながったね。これからこうしていきたいという前向きな終わり方も好感が持てるよ。