http://www.mmjp.or.jp/shine/1998年9月3週号 通算第586号(Yahoo!で"言葉の森"と検索してください)

言葉の森新聞

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  9/15(火)・9/23(水)は休みで宿題 

 9月15日(火)と9月23日(水)は、教室は休みで先生からの電話はありません。9.3週の課題は宿題となりますので、言葉の森新聞を見ながら自分で書いて提出してください。9.4週の清書も、「山のたより」を見ながら書いて提出してください。先生からの説明を聞かないと書きにくいという人は、ほかの曜日に教室に来るか、ほかの曜日に教室に電話をして聞いてください(電話の時間は、平日4:00〜8:00 土曜2:00〜4:30です)

  9.3週のヒント

  小3・4年生 9.3週 「事件が起こったのは(感)」

 狂犬病の予防注射が発明されたのは、今から百年前です。今では狂犬病で死ぬ人はほとんどいなくなりましたが、昔はとてもこわい病気だったのです。名前からしてこわそうでしょ。

 パストゥールは少年の命を助けるために、それまでニワトリコレラなどで実験していた予防注射を初めて人間に試してみました。それにしても、必ず死ぬと言われている狂犬病のウィルスを人間に注射するときは不安だったでしょうね。

 似た話は、予防注射の話。自分だけで似た話を思い出すのはむずかしいと思うので、お母さんやお父さんに、自分がこれまでどんな予防注射をしたか聞いてみるといいでしょう。(以上、前号での説明)

 パストゥールが注射をしたのは、すでに狂犬病にかかっている少年でした。ウィルスがもう体内に入っているのに、そのウィルスを倒すために、毒性を弱めたウィルスをさらに体内に入れようというのです。これは、例えば、食べ過ぎておなかをこわしたときに、その食べ過ぎに対して抵抗力をつけるために、もう少し食べ過ぎてみる(ややこしいけど)といようなやり方です。当時の人たちは、そういうやり方でウィルスが倒せるとはなかなか信じられなかったでしょう。

 人間は、成長するにつれて、自然に抵抗力を身につけていきます。赤ん坊のころはみんな弱く、ちょっとしたことで風邪を引いたりおなかをこわしていたりしますが、大きくなると、めったなことでは病気にかからなくなります。それは、自然の中にあるいろいろな病気を吸収して体の中に抵抗力ができてくるからです。病気に負けない体を作るためには、どんどん病気にかからなければならないのです。

 そう考えると、みなさんが病気にかかって頭が痛かったりお腹が痛かったりするときは、みなさんの体がそれらの病気に対する抵抗力をつけているときなのかもしれません。

 似た話は、幅広く考えて、自分が病気にかかったときのことなどを思い出して書いてみてもいいですよ。

  小5・6年生と中学1年生 9.3週 「おまいりの道(感)」

 船橋(ふなばし)というのは船で作った橋という意味です。将軍が江戸から日光に行くとき、途中の川を渡るために船をならべて、はば十五メートルの橋を作ったというのです。いなばの白ウサギがワニの背中を渡ったというのとは、だいぶ規模が違いますね。いちばんさかんなときには、行列の馬の数だけでも三十五万頭だったというのですから、どれほど盛大なおまいりだったか想像できるでしょう。似た話を見つけにくいときは、「もし、私がその時代に生きていたら……」と想像した話で書いてみましょう。(以上、前号での説明)

 おまいりの道に限らず、大きなイベントがあると、それをきっかけにして道が整備されるということはよくあります。オリンピックなどが開かれると、その地域の道路や駅は広くきれいになります。みなさんの学校でも、授業参観がある前は、クラスの中がきれいになるでしょう。逆に、家庭訪問があるときは、うちの中が急にきれいになるということもあります。先生(森川林)のうちもそうでした。似た話は、そんなところから探してみましょう。

  小5・6年生 9.3週 「先日、日本産のトキの絶滅が(感)」

  (11行目にミスプリントがあります。正しくは、「イリオモテヤマネコなど」です)

 ロスアンゼルスでは、カマキリをつかまえることが禁止されています。数が少なくなったのでカマキリが絶滅しないようにしているのです。「えー、うっそー」と思わず言ってしまいそうな話ですね。でも、日本でも、カマキリ以外のほかの虫や鳥や生き物で、昔に比べて数が激減しているものがあります。

 お父さんやお母さんに、昔と今とで身近に見られる虫の種類がどんなにちがってきたか聞いてみましょう。お父さんなどは、「昔は、オニヤンマもいたし、コウモリもいたし……」と、いろいろな話をしてくれると思います。(以上前号)

 先生(森川林)の兄が子供のころ、カマキリの卵を見つけてきて、それを引き出しの中にしまっておいたことがあります。しまったことをすっかりわすれて、しばらくしてから引き出しを開けたら、中からカマキリの子供たちが雲がわくようにどっと出てきました。あとは部屋中カマキリだらけで表に出すのが大変。日本ではまだしばらくはカマキリを絶滅しそうにありません。みなさんもカマキリの卵を引き出しにしまってわすれることのないようにね。

  中学生 9.3週 「衰弱したアイデンティティの(感)」

 他者から位置づけられた「わたし」というものが確認できないとき、人は自分の存在の同一性を皮膚感覚の境界で回復しようとする、という話です。中学生は、この長文は少なくとも五回は読んでこないと、似た話を見つけて書くというのはむずかしいと思います。よく読んできてね。(以上、前号での説明)

 

 大人になるとだんだん生きることになれてきて、ほかの人から認められなくても「自分」というものを持つことができるようになります。また、小学生のころは、子供はお父さんやお母さんに認められて「自分」というものを持つことができます。しかし、中学生や高校生のころは、ちょうど自分を成長させている最中なので、いちばん「自分」というものを持ちにくい時期にあたるようです。

 「リレーで一位になった」とか「クラスで一人だけ百点をとった」とか「学校で一人だけ鉄棒のウルトラ回転前回りができる(そんな技あるか)」などのようにほめられるかたちで周りから「自分」を認められればいいのですが、そういうことはめったにあるわけではありません(一生ないかも(笑))。人間は無視されることにはたえられないので、よいことをして認められるあてのない子供は、ぐれて認められることで自分を回復しようとするのかもしれません。

 タレントの好き嫌いなども、皮膚感覚的な「自分」の回復と言えるでしょう。「わたし、○○ってキライ」「わたしは、△△の方がもっとキライ」というような会話をよく聞きます。「嫌い」というほうが「自分」の存在を確認しやすいのです。「□□が大好き」という場合も、みんなと同じようなタレントではなくみんなと違うタレントを「好き」ということが多いと思います。そう言えば、先生(森川林)も昔、「ピンクレディが大好き」なんて言っていたなあ。(いつの時代の話じゃ)

  高校生・大学生・社会人 9.3週 「先進国の後を(感)」

  (最後の行にミスプリントがあります。正しくは、「中谷著『日本経済の歴史的転換』」です。

 知識偏重の画一的な教育が、これからの時代に合わなくなっているという指摘です。みなさんの小中学校のころを思い出してみましょう。画一性というのは、日本のこれまでの教育の美点でしたが、それが今、生徒の自由な創造性を抑制するようになっています。(以上、前号での説明)

 現在は、上から与えられた課題を、先生が決めたスピードでこなしていくことが優秀な生徒の条件で、勉強も量的な尺度で評価されています。みんなと同じものをほかの人よりも大量に早く吸収している人が優秀だということです。しかし、これからは「みんなと違うものをどれだけ身につけているか」という質的なものがより重要になってきそうです。

 レストランでも、戦後すぐは、安くて量が多ければよいというような時期がありました。今は、そういうレストランは流行りません。ほかとは違うものがあるというのが、選ばれるレストランの条件になっています。

 最近、企業の倒産が相次いでいますが、失業した人たちの新しい就職先について、他の企業の幹部が「優秀なだけの人ならうちでも十分いる。欲しいのはほかにない特技を持っている人だ」と言っているのが印象的でした。もちろん、特技といっても、ケン玉チャンピオンとか鼻で牛乳を飲めるとかそういったものではありません。

 こう考えると、高校までの勉強は基礎学力をつけるという意味である程度画一的になるのはやむを得ないのかもしれませんが、大学や社会に出てからの勉強は、ほかの人と違うものをどれだけ身につけるかにかかっているようです。つまり、ほかの人と同じことをちょっと熱心にやっているぐらいで満足していてはだめだということですね。

  パソコンで書く小学生 

 小学4年生でも作文を書く子が増えています。インターネット経由で作文を送信してくる子もいますし、教室のパソコンで書いている子もいます。キーボードで文章を書くのは初めてという人でも、覚えるのは早く、数ヶ月で手で書くよりもずっと早く書けるようになるようです。

 パソコンで作文を書いてインターネット経由で送信すると、自分の作文もすぐにほかの人に読まれるようになりますし、ほかの人の書いた作文もすぐにその場で読めるようになります。大阪の子が書いた作文を、東京の子がすぐにその場で読むというようなことが実際に起きています。

 ほかの人の書いた作文を読むと、同じ課題をほかの人がどういう実例やどういう意見で書いているかがわかり、自分が書くときの参考になります。ある中学生が「これなら、全部パクリで書けますね(笑)」と冗談で言っていましたが、実際には、ほかの人の書いた内容とできるだけ違うものを書こうという気持ちになるものです。先日も、「私もこの昔話を実例で使おうと思っていたんだけど、もう○○さんが書いちゃったから、別のを見つけよう」と言っている人がいました。作文を書くというある意味で孤独な勉強も、ほかの人の作文を読むことで対話として深化していくようです。

 教室では今中学生以上の生徒がパソコンで作文を書いていますが、今後はローマ字を覚えた小学生の人も希望によりパソコンで書くというふうにしていきたいと思っています。

  昔話の実例とことわざの加工 

 昔話の実例という項目は、世間によく知られている昔話を、作文のテーマに合わせて新しい視点でとらえなおして書くという練習です。「勉強と遊び」というようなテーマで「桃太郎」や「浦島太郎」を引用すると、そこで「桃太郎」や「浦島太郎」を、別の視点で考え直していくことができます。

 ことわざの加工も、この昔話の実例と同じような意味を持っています。よく知られていることわざを、そのことわざの本来持っていた意味とは違う視点でとらえて考えを深めていくという練習が、ことわざの加工です。

 たとえば、「子供は親とは違う人格を持っているのだから、親とは違った人生を生きていくべきだ」という意見を書くときに、「ウリのつるにナスビはならぬ」とか「カエルの子はカエル」というようなことわざを思いついたとします。すると、そこで、人間はウリやカエルとは違うのだということに気づき、それではウリやカエルと人間との違いは何かと考えが進んでいきます。その考えを入れながら「ウリのつるに……」ということわざを引用すれば、そこに、「ウリのつるに……」というよく知られていることわざを別の視点からとらえなおす新しい発見が生まれてくるのです。

 「ことわざの加工」というと、意見とぴったり合ったことわざを考えようとして、ことわざ辞典を開いて調べてしまう人がいますが、本当は、ことわざ辞典などを使わずに、自分の頭の中にすでにあることわざを別の視点から引用してみるのがいちばんいいのです。

 

光る表現コーナー

98年8月27日〜98年9月10日

 皆さんが書いた最近の作文の中から、光る表現を選んで載せています。

 

ペンギンさん(しろ/小2)の作文より(かつみ先生/月日810)

 まるで雨のたつまきのような、いきおいでふりだしました。(すごいいきおいでふってきたことが、よくわかるよ)

ハッピィーさん(せさ/小2)の作文より(まや先生/月日813)

 せん車のような大きながんじょうな車にのって氷の上にのりました。(略)おばあちゃんが、「稜子すべらないようにね。」といいながら、こわそうにペンギンみたいにちょこちょこ歩いていました。 [評]『たとえ』を、自然な形で、効果的に使っています。

デジモンさん(てつ/小2)の作文より(ミルクティ先生/月日818)

 まっかになったりょうすけくんとちひろちゃんのトマトがカラスにはんぶんいじょう食べられました。ぼくのトマトは、まっかになっていたけれど、見えにくかったのでセーフでした。りょうすけくんは「あーあ、ざんねんだったなぁ。」と言っていました。評:会話がうまいね。りょうすけくんのくやしい気もちが、よく表現できてるよ。

エコチャンさん(せゆ/小3)の作文より(まや先生/月日813)

 のぞくと、セミが、つかれたようにきゅうけいしていました。(略)みんなで、「セミさーんさようなら」といいました。 [評]楽しいですねえ。

知里さん(ちこ/小3)の作文より(ミルクティ先生/月日818)

 先生がこんな話をしました。「今は、あんまり星が見えません。でも、山とかは、星がよく見えます。なんでかとゆうとくうきがよごれているからです。」と言いました。私は、このへんには、星がないから星のがっこうの場所かえ(ひっこし)みたいだなと思いました。評:町では星が見えなくなったことを「星の学校のひっこし」に、たとえたところが、童話(どうわ)のようでゆめがあるね。(☆_☆)

康平さん(てい/小3)の作文より(スズラン先生/月日810)

 せみをつかまえてみました。そしたら、羽をバタバタさせていました。まるで、鳥が羽をおって、いっしょうけんめいとぼうとしているみたいでした。評:捕まえられたせみのようすが分かるたとえですね。

誓子さん(あいい/小4)の作文より(かつみ先生/月日812)

 「お母さんには分からない…。あのえいがは、見なきゃ分からない…。」(評:心の中の本当の気持ちがじょうずにあらわれているね。)

みみデカさん(あえほ/小4)の作文より(かつみ先生/月日810)

 結局僕が言いたいのは「遊びで殺したくない」と言う語句です。【虫を取っても,結局死んでしまうんだよね。そんなことしなければ、もっと長く生きていられたかもしれない。そういう、やさしさが現れています】

じゅんさん(とぬ/小4)の作文より(ひかり先生/月日812)

 カブトのメスはまるで「もう、なにするの。私の好きにさせてよ。もうらんぼうなんだから!」といっているようでした。「評」人間以外の生き物カブトの気持ちを上手く表現していますね。

沙季子さん(てあ/小5)の作文より(スズラン先生/月日810)

 セミが虫かごに入れられるというのは、私達が、ろうやに入れられることと同じかなと思った。評:セミを狭い所に入れておくのがかわいそうという気持ちがでているたとえでしたね。

ペー吉さん(うき/中2)の作文より(ミルクティ先生/月日820)

 「脱皮できない蛇は滅びる」とニーチェは言った。これは、かなり的確な言葉だ。蛇は古い皮を脱ぎ捨て、新しい体で野山を進む。古い皮は二度と見ない。我々も、古い「皮」にとらわれず、大人も子供も、この変化の激しい時代を「脱皮」しながら、環境に適応していくしかないのかもしれない。しかし、そうした時に、親から子へ、子から孫へと伝わっていた知識が失われていってはいけないと思う。蛇は蛇であって、皮を脱ぎ捨てたからといって蛇以外には決してならない。皮は周囲の状況にあわせて変わっていっても、「蛇として在る」というのは、変えようのない事柄なのだ。名言をうまく生かして主題が展開できたね。見事!

くみこさん(さく/中3)の作文より(ミルクティ先生/月日820)

 『規則と自由』「何事もしないものだけが失敗もしない」という言葉もあるように、ただ規則の中だけで生きたり、おこられることを気にしてびくびくしていては何も始まらない。自分がいいと思ったことを実行していくべきだ。それが独りよがりになってはいけないが、やはり私はこれからも自分の信じたことを勇気をもってやりとげたいと思う。評:名言の引用が浮いてしまわず、結びの文章となめらかにつながったね。これからこうしていきたいという前向きな終わり方も好感が持てるよ。