http://www.mmjp.or.jp/shine/ 1999年2月3週号 通算第606号 shine@japan.email.ne.jp

言葉の森新聞

文責 中根克明(森川林)

  2.3週のヒント

  (再掲:2.3週はちょっと早めですが、作文のテストです)

  小3・4年生 2.3週 先生は

 長文集の4ページと5ページは続いています。2.3週はその5ページの方の長文ですが、その前の4ページと合わせて読むと内容がよくわかります。似た話は、「わすれものをしたこと」「やさしい先生のこと」「うそをつくつもりでないのにうそになってしまったこと」「失敗をして学校をやすみたくなったこと」「先生におこられたこと」などが書けると思います。

  小5・6年生 2.3週 島に住む動物と

 島では、ゾウは小さくなりネズミは大きくなるという法則があるそうです。日本も島国ですから、日本に住んでいる野生の動物は、ウサギやサルやタヌキが中心で、せいぜい大きくてもシカやクマどまりです。これがアフリカのような大きな大陸になると、ゾウとかキリンとかカバとかサイとかゴリラが住めるようになってきます。日本の山にゾウやキリンが住んでいたら、せまくて大変でしょうね。身近なところではあまり経験はないかもしれませんが、大きな集団になると、ピンからキリまでいろいろな人が出てきます。スポーツなどをしている人は、大きな大会に参加するとすごい選手がいたので驚いたという経験があるかもしれませんね。

 ことわざは、「16、井の中の蛙、大海を知らず」など。井戸の中にいると、小さなカエルでも自分がいちばんえらくて大きい生き物のように思ってしまうのかもしれません。

  中学生 2.3週 父が父で

 父親の役割とは、子供に文化や社会規範を伝えることだ、というのテーマです。価値観を伝える父親像というのは、現代では少なくなりましたが、歴史を見ると、父親というのはいつも無理を承知でやせ我慢という役割を果たしていたようです。

 昔話ではありませんが、有名なのは「巨人の星」の父親、星一徹です。大リーガー養成ギブスなどは一徹の価値観をよく表しています。桃太郎が鬼退治に行くことをおじいさんとおばあさんに告げたとき、おじいさん(父親の役)とおばあさん(母親の役)がそれぞれどんなことを桃太郎に言ったか想像してみてもおもしろいと思います。おばあさんは、「そんなところにわざわざ行かなくても、ここで楽しくくらしていれば」と引き止めたでしょうが、おじいさんは、「どんなに苦しくても見事に鬼を退治するまでは戻ってくるな」などと言ったかなあ……。

  高大社 2.3週 コンピュータにかぎらず

 コンピュータは単なる道具である。道具に人間が合わせるのではなく、人間に道具が合わせるべきだ、というのが筆者の主張です。日ごろコンピュータに振り回されている人は大いに共感するでしょう。

 こういう目で見てみると、世の中には、道具に人間が合わせている例がたくさんあります。自動車の運転で、運転手がいちいちブレーキを踏んだりハンドルを回したりするのなども、本当は車が自分で勝手にやってくれるようになればいいのです。そうすれば不注意による事故なども少なくなるでしょう。実はその研究はすでに実際に進んでいます。そのうち、人間のすることは目的地を車に告げてあとは寝ているだけということになるかもしれません。

 昔話で、ベッドの長さに合わせて人間を切って寝かせたという人の話を知っているかな。知らない場合は、桃太郎(よく登場しますが)。村を荒らしまわっている鬼という環境に合わせていたのがそれまでの村人でした。桃太郎は、環境に人間が合わせるのではなく、人間が自分たちの住みやすいように環境を変えていくべきだと考えて、鬼退治に出かけたのです。環境を道具と言いかえれば、あてはまりそうでしょ。

  手書きの作文もインターネットで送れるように 

 言葉の森では、現在、パソコンで書いた作文をインターネットから送れるようにしています。今はそれを言葉の森のプリンタで印刷物として出力し、講師が添削をして郵送で本人に返すというようなかたちにしていますが、将来は、インターネットの画面の上だけで、添削や講評も行なえるようにしていく予定です。

 また、作文をキーボードで打つのがまだ難しい小学3年生までの生徒の場合は、自宅で書いた手書きでの作文をスキャナで読み取り、それをインターネットの掲示板から送るというような仕組みを考えています。今、スキャナはA4サイズのカラーのものでも3万円ぐらいで買えるようになりました。ずいぶん身近になったと思います。わざわざスキャナを購入するほどでもないという人は、デジタルカメラで作文を写し取ってその画像を送るというようなやり方も考えられると思います。リコーでは、デジカメをA4のスキャナがわりに使うという使い方を提案していくそうですから、スキャナよりもカメラで作文を写して送るというやり方の方が今後主流になるかもしれません。スキャナもデジカメも用意せず、もっと手軽にやるとすれば、ペイントブラシなどのお絵描きソフトを使いマウスで文字を書き、その画像を送るということも可能です。

 インターネットで毎週、みんなの作文や絵が見られるようになったら楽しいですね。

  理系の人は国語の勉強を、文系の人は数学の勉強を 

 文科系の人は、よく「いやあ、私は文系なので数学が苦手で」というようなことを言います。逆に、理科系の人の中には、「いやあ、私は理系なので文章を書くのが苦手で」というような人もいます。

 文科系と理科系が分かれているのは、大学受験のテストのときだけの話であって、実社会では、両方の能力が一体のものとして求められています。

 文章を書くのが得意な人の中には、将来、小説家になろうとか新聞記者になろうとか考えている人もいると思いますが、文章がうまいだけの人ならば世の中にはたくさんいます。求められているのは、文章がうまいことプラス何かの専門知識を持っていることで、その専門知識に理科や数学の分野が入っていれば、希少価値はぐんと高まります。また、理科系の分野に進む人で、文章を書くのが得意という人も同じように活躍する範囲はぐんと広がると思います。

 高校生のみなさんは、大学受験という狭い目標だけにとらわれず、自分の将来の人生という広い視野を持って幅広く勉強していってください。

 進学校の中には、文系の人の理科選択には生物をすすめ、理系の人の社会選択には地理をすすめるというように受験勉強のしやすさだけを考えた選択教科を決めているところもありますが、受験のしやすさという観点からだけ選択教科をしぼるのは、もったいないことだと思います。個人的な偏りのある意見だということを承知の上で敢えて言うと、これからの国際社会とコンピュータ社会を考えた場合、社会は世界史、理科は物理というのが多くの人にとって主要な教科になってくると思います。

  これからのインターネットに求められるもの 

 インターネットの普及と利用が本格化してきました。インターネットによる金銭のやりとりを可能にする仕組みがより簡単で安定したものになれば、業種によっては仮想空間の市場規模の方が現実空間のものより大きくなるところも出てくるでしょう。既に一部の業種ではそうなっています。

 このインターネットの今後の発展に求められるものはいくつかあります。ひとつは日本の通信料金の飛躍的な低料金化です。これは、一私企業の短期的な採算などは度外視して国の政策として大胆におこなっていくべきものだと思います。国の政策として「電話料はすべてタダ」とするぐらいの決断が必要だと思います。

 もうひとつは、インターネットの双方向性を生かした画像や音声のやりとりがもっと簡単におこなえるようになることです。今でもすでに電子メールに画像や音声のファイルを添付して相手に送ることはできるようになっていますが、これが、電話やテレビのようにもっと手軽にできるようになれば、その応用範囲は、はかりしれないと思います。

 インターネットの技術革新は目をみはるほどのスピードなので、これらはいずれも近いうちに可能になることでしょう。

  「それで」「それから」の多い子 

 小学校の低学年のころの作文で「それで」や「それから」という言葉を頻繁に使う子がいます。

 ふだんの話し言葉でも、「それでね」というつなぎの言葉を使うことは多いので、文章に書くときもついその調子で書いてしまうのでしょう。

 こういう「それで」「それから」の多い作文を直すためには、長文の音読を繰り返していくことが大切です。長文を何度も音読していると、長文と同じようなリズムで作文を書けるようになってきます。そうなると、「それで」や「それから」は自然に少なくなります。

 もっと簡単な方法は、作文を書き出す前に、「『それで』と『それから』は、一枚の作文用紙に一回だけしか使っちゃだめだよ」というアドバイスをすることです。書いたあとに、次のように言ってもかまいません。「読み返してみて、『それで』と『それから』があったら、一つだけ残してあとは全部消しといてね」

 子どもに作文の指導をするときには、できるだけ単純に説明することが大切です。次のような言い方は複雑すぎるので、子どもには理解しにくくなります。「同じ言葉が一つの文章の中に何度も出てくると表現が単調になるから、できるだけ表現を工夫して書いてごらん」

 てんの打ち方の指導でも同じです。学年によっていろいろなアドバイスの仕方がありますが、いちばん簡単なのは「まる一つに、てんは一つか二つだよ」という説明です。

 段落のつけ方の指導でも同じです。「まるが三つぐらい来たら段落にしようね」という説明をすると、小学校中学年の子でも、段落のつけ方がすぐにわかります。

 実際にかたちの上でできるようにしてから、あとから理屈の説明をしていくというのが教え方のコツです。これを逆に先に理屈で正確に説明してからやらせようとすると、すごく時間がかかってしまいます。

 自動車教習所で、縦列駐車の練習をしたことがある人は覚えていると思いますが、教習所の先生は、「車の角があのポールに重なったらハンドルをいっぱい回して……」というような説明の仕方をします。このように教習所の中でしか通用しないような教え方であっても、実際に縦列駐車ができるようになると、ほかのところでも応用がきくようになってくるのです。

  2.2週にミスプリント 

 先週の言葉の森新聞で、中学生の2.2週の課題が「中学生」となっていました。「こればかりは」の間違いです。訂正しておわびします。

 

 

  光る表現コーナー

セシルさん(あたと/小1)の作文より(とこのん先生/2.1週)

 「石井寛敬くんごうかく。」といわれたときはむねの中で「よかった。ああこのことを早くおかあさんにつたえたいな。」とおもいました。 評:ほっとした気持ちや、うれしい気持ち、そんないろいろなきもちが、この一節から伝わってきます。

福伊さん(あなな/小1)の作文より(ミルクティ先生/2.1週)

 わたしの一ばんすきなたべものは、きゅうりです。(略)なぜかというと、たべるときの「カリッコリ」というおとと、口の中に水けがシュワーとひろがるのがすきだからです。<評>きゅうりのおいしさを「カリッコリ」という音と口の中のかんじで、とてもじょうずに表現(ひょうげん)できたね。よんでいて、きゅうりをたべたくなっちゃったよ。(^^;

山田さん(ふれ/小1)の作文より(ゆり先生/2.1週)

 (まめまきで)さいしょにまいたおへやはしょくどうでした。しょくどうのまどからおもいっきり「おにはそと。」といってなげました。そしてまどをばたんとしめました。評:まめまきしたときのようすがとても生き生きと書けていますね。おにもびっくりしてにげだしたことでしょう。

ひろみさん(あちや/小2)の作文より(とも先生/1.3週)

 (学校の休み時間にマンガを書こうとしたとき)自由帳にマンガを書くマスを、五つかきました。「五マスでいいね。」と人に話しかけるように一人ごとを言いました。・・・評:「〜しているように・・・しました」というのがとても工夫されているね。どんなふうに言ったのか、よく伝わてくるね。

堂地さん(あてい/小2)の作文より(スズラン先生/2.1週)

 もし、ほっかいどうだったら、すごくつもってスピードがでて、もっと楽しかったと思います。評:九州でも雪がふったので、そりすべりをしながら、北海道を想像してみたのはよかったですよ。

ペンギンさん(しろ/小2)の作文より(かつみ先生/2.1週)

 そして、十五回い上れんしゅうして一回せいこう!さらに十回中三回はできるようになりました。 評:具体的な数字があると、どれくらいがんばったかがよくわかるね。上手く表現できました。

秋間さん(つて/小2)の作文より(とも先生/1.3週)

 (お友だちとはねつきをしたときのこと)いたはわたしのピアノのがくふくらいです。・・・中略・・・あせをかいたので、手がすべってとおくのほうへとんでいってしまったので、ふたりで「わっははは」とわらっていました。わたしたちは、おかしくてわらいがとまらなくなってしまいました。・・・評:なんて楽しそう!思わずにこにこしてしまうね。

ゆみちゃんさん(あとき/小3)の作文より(とこのん先生/2.1週)

 本のピカチュウの絵を厚紙に書いて、きりぬきその(クッキーの)たねをピカチュウがたに切って耳と、目と、鼻にくろごまをつけてあと、ドライフルーツを口と、ほっぺにつけました。 評:ピカチュウクッキーの作り方を、たいへんくわしく、分かりやすく説明してくれました。先生も参考にしてつくってみようかな。

西田さん(あとけ/小3)の作文より(あかね先生/2.1週)

 おには、わるいことばかりしているからおいだされるのに、またわるいことをしているのかな、と思います。(評)おもしろいところに目をつけたね。わるいことをするから毎年おいだされるのだものね。

まなみっちさん(しあ/小3)の作文より(スズラン先生/2.1週)

 大なわをまわすと、外では、地面にあとがついて、体育館のときは、バンバンと音がするので、あたったらいたそうとか、ひっかかったらどうしようなどと思って、ドキドキします。評:大なわの迫力が伝わってきます

荘司さん(すふ/小3)の作文より(あかね先生/2.1週)

 (夏休みの自由工作を学校にもっていき)そして、2かいのピロティーにつくった人だけかざりました。まるでかざってじゅんいをきめているみたいです。(評)作品がほこらしげにならんでいるようすが、目にみえるようです。

清水さん(てい/小3)の作文より(スズラン先生/2.1週)

 先生が前にでてきて、「はい、みんなできたかな。」と、みんなが作ったけん金ぶくろをのぞくように言いました。評:先生のようすをちゃんと見ていたのですね。

早川さん(ふき/小3)の作文より(とこのん先生/1.2週)

 今日はさむい日だったから、カヌーはやりませんでした。しかも、お父さんの車の中もマイナス二度でした。アイちゃんのリードもこおりでかたまってしまいました。 評:じっさいの気温のほかに、リードがこおってしまったこともしょうかいしてくれたので、ものすごく寒いようすがよく伝わってきます。寒そう〜!

ミュウさん(あおゆ/小4)の作文より(とも先生/2.1週)

 「ピチピチ!」フライパンにコロッケを入れると、たちまちコロッケがあわで見えなくなりました。・・・評:情景の書き出しで、コロッケのはねる音の様子から書き始めたところに工夫が感じられるね。

円谷さん(あおる/小4)の作文より(とも先生/2.1週)

 今日も回し車を元気よく回すハムスターたち。おさんぽもいいけど、ダンボールでお家を作ってあげようかな?・・・評:情景の書き出しがとてもいいね。元気なハムスターちゃんたちの様子と、それを見守るやさしい気持ちが伝わってくるね。

山本さん(あきき/小4)の作文より(スズラン先生/2.1週)

 「クッキー作り」いよいよ、本番。私は、(ビシッときめてやる)と思いました。ところが、かたぬきをやるまえのきじをのばすのが、箱に「耳たぶぐらいのやわらかさ」と書いてあるのでそのとおりにやったら、かっこわるく真っ二つに切れてしまいました。評:なかなか思うとおりにいかないものですね。でも、結果はおいしいクッキーでよかったですね。

一木さん(あきわ/小4)の作文より(みち先生/1.2週)

 家を出たときは、雪がふっていなかったのに、乗馬場についたときは、雪がすごくふっていました。今日は乗馬体験の三日目です。今日もせいいっぱいがんばるぞー。ぼくは、そうおもいながらヘルメットをかぶってきて、乗馬生によういできました。——(中略)——。ぼくは、オペラントに乗るときによろしくね。オペラント。と心の中でよびかけるようにいいました。オペラントは、すごくやさしい目をしていて背が二メートルぐらいありました。

遊戯王さん(あたも/小4)の作文より(あかね先生/2.1週)

 (ぼくが描いた)その絵は、ぼくは本当にきにいって、お母さんに「げいじゅつかになったら、もしまさきがげいじゅつかになったら、おやこうこうしてね。」といわれたほどです。(評)よほどすばらしいできだったんだね。(^^)

バカボンさん(あつう/小4)の作文より(洋子先生/2.1週)

 ぼくは、そのときおもいました。いちばん苦労したのは、なべだったなと。なぜならずっとぐるぐるかきまぜておくのでつかれるからです。(評:注意しないとすぐこげてしまうものね。カレ−作りの気をぬけないポイントだね。)しかし、となりの村の水車小屋へ、米を一ぴょうついてもらいに行ったといううそは、ひとりでは、とてもたいへんなのに、ひとりでやったとうそをつくことは、たいへん勇気があると思いました。(評:そうね。そんなこと子供ひとりではできないことだね。うそだとすぐばれてしまうものね。勇気があると感心たところが、君らしい感想でよかったよ。)

たまごさん(せろ/小4)の作文より(もとばと先生/2.1週)

 (クリスマスケーキを作っていて)私がしぼりだしぶくろにクリームを入れたのものをにぎって、ウニウニと牛のちちしぼりのように手のひらをゆるめたり、強めたりして、そおっとクリームを出していきました。丸く落としたところと、リボンのような先とで、上面をおおいました。(失敗したらこまる)と真けんにやりました。評:とても緊張してかざりつけを行っている様子がくわしく描写できています。手の緩急のようすがよく書けました。

柳沢さん(なお/小4)の作文より(スズラン先生/2.1週)

 先生がおにの役になり、みんな、先生にむかって豆をシュッと音を出していました。評:ずいぶんいきおいよく豆を投げていたのですね。鬼は降参ですね。

ホームズさん(なか/小4)の作文より(スズラン先生/2.1週)

 「ああ!!しまった。」屋根がこわれてしまいました。「もし、ぼくだったら、上手にいったのに、、、、、」と、くどくど雪っ子のおせっきょうが始まりました。評:雪になれているお友達からちょっと不満がでたのですね。

清原さん(ねる/小4)の作文より(洋子先生/1.1週)

 太陽の光がすごく暖かい日、ぼくは、長い長い坂をおもいっきりつっぱしっています。いつもだったらゆっくりゆっくりとこの坂道をともだちとあがっているのに、きょうは、いつもとちがって一人で走って帰っています。(今学期から勉強をはじめたばかりの情景のかきだしです。今日は、クリスマスイヴ、おばさんからプレゼントが届く日なのね。読むひとに期待感をいだかせるうまい書き出しでした。よくがんばりました。)

星野惇さん(のと/小4)の作文より(ゆり先生/2.1週)

 ぼくの苦労は、いい作品になりました。評:「ぼくは苦労したので」とせずに「ぼくの苦労は」としたので、とてもいい表現になったね。こういう文が書けるようになったのは、作文がうまくなったしょうこだよ。

しっぽさん(ほし/小4)の作文より(スズラン先生/2.1週)

 作っていて一番楽しかったのは、顔や、体にわたをつめることです。白いわたをつめていると、何だか、ぬいぐるみに命をつめているようで、どきどきしてしまうのです。評:ぬいぐるみが動きそうな感じになってきますものね。

SAPPHIREさん(ああす/小5)の作文より(ミルクティ先生/2.1週)

 工作でも洋裁でも石橋をたたいてわたるようにしてつくらないと、物事はうまくいかないなと思った。なんにでもいえるが、その仕事を適当にしてほうり出してしまうのはよくない。だから、必ず慎重にしないと、物もダメになるし、自分もダメになってしまうなと思った。<評>ことわざの引用と思ったことを、しっかり考えて書けたね。いいかげんに作るといいかげんな物しかできないものね。

しおりさん(あそと/小5)の作文より(ひまわり先生/2.1週)

 父のたんじょう日が、福が内に来た日に祝えるからである。(評)お父さんの誕生日を祝う気持ちを節分の言葉を使って伝えることができていますね。

清水さん(てあ/小5)の作文より(スズラン先生/2.1週)

 「べっこうあめを作ったこと」おいしくできあがるしゅんかんをのがさないぞというように、おなべの上からみんなで顔をよせあって見ていた。評:おさとうがとけて黄色になっていくようすをみんなで真剣にみていたようすがわかりますね。

魔法使いさん(あちほ/小6)の作文より(スズラン先生/2.1週)

 大事に使ってもらえるかなとか、使いやすいかなとか考えながら作ったり、おいしいかなとか、形はいいかなとか思いながら作っている人の姿が手作りのものに表れているようだ。評:手作りの良さをしっかり考えてみましたね。

太公望さん(うの/中2)の作文より(スズラン先生/2.1週)

 お金というものは、物物交換の時代の後に新しく出てきたもので、その時代、その時代、人に幸福、不幸を与えてきた。評:お金の使い方次第で人生が変わることがありますね。

 

  郵便ポストより

 パソコンで書いてインターネットから送られたパソコンは、郵便ポストというページに最新40件が掲載されています。

 その中の作文のいくつかを紹介します。インターネットに接続できる人は、作文を書き出す前に、同じ学年のほかの人の作文を読んでみると参考になると思います。書いた人のページに、感想を書くこともできます。

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節分

昨日は節分だった。夕飯には、めざしをくった。めざしは頭まで食べるが、さんまやタイは頭や骨ごとは食べない。(タイは無理だが)しかしさんまは、やれば頭と骨が食えた。眼球が一番うまくてどんどん口の中で溶けていくような感じで美味かった。結論、タイとか骨の硬いものをのぞいては、ほとんどが骨ごと食えるが小魚の方が骨が小さくて食いやすい。そして豆をまいた。

 「鬼はー外!」

 と、近所迷惑な声を出して当たりかまわず豆を投げまくる。一方私はしっかり周りを気にながら近所迷惑な声を出さないように小さく

 「鬼はー外?」

 と言って投げたのだが母に

 「気合いがたらーん!!!」

 と言われマッハ53の豆が次々と私のからだに炸裂した。痛かった(兄は落ちた豆を犬と食っていた)。そして最後に豆を食った。なぜか袋の中に塩が入っていた。20個くらい食べた。ぽりぽりしておいしかった。そのあとに勉強をした。結論、鬼に金棒と言うことわざがある。強い鬼に金棒を付けるともっと強くなると言う意味で付けられたことわざだが、それが豆にも負けるとは……鬼は弱いと言う事が分かった。

 

● 郵便ポスト でこはげ(小5) ● kanaより 05421 99/02/04 19:04:02

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お金

 お金は無いよりあった方が良い。けど、有り過ぎるのも良く無い。なぜなら、お金という物は人に「幸福」を運んでくる反面「不幸」も運んでくるからだ。皆さんは、「お金が山ほどあったらな〜」なんてことを考えたことないだろうか?僕はある。しかし、それは昔の事で、今はそのような事考えなくなった。むしろ、「あと少しあったらな〜」と考える事のが多いような気がする。

 今の社会は、全てが「お金と時間」で動いているようなものである。そこでお金が無くては困るのだ。今の世の中は、お金が無くては生きていけないといっても過言ではない。

 今の僕には、アルバイトなどをしてお金を稼ぐ事は出来ない。(まだ中学生だから...)だから、お金という物の本当のありがたさをまだ分かっていないような気がする。100円稼ぐだけでも大変なのである。自分は今もらっている小遣いは3000円である。しかし、それを自分で稼ぐには自給600円の所で働いたとしても、5時間も働かなくては稼げないのだ。

 皆さんにとってお金のあり方とは...?

 

● 郵便ポスト SKYLINE GT-R(中2) ● eyaより 08421 99/02/04 17:15:57

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新・だれか私とオーストラリアへ行きませんか??(こればかりは)

 わたしはいろいろな土地に行き、その生き方になじむことで、自分の生きている日本の大都会の生がいかに反自然な人工的なものかを知った。そこで何より思い知らされたのは、人間は生きていく上でなんとわずかの物で足りるかということだった。人間は生きるためにいったい何を必要とし、何を必要としないか。むろん現代に生きるわれわれは良寛のように徹底したシンプル・ライフは送れない。現代文明に埋没しているわれわれが自分の生を全体として見つめ直す気になるのはそういうときくらいのものである。

 エレベーター、エスカレーター、自動ドアー。この教室の近くのダイエーでこれらのものに一体いくらの電気代がかかっているのだろう?デパートでなくても、無駄に使われているところは無数にある。ファーストフードのお店は、使い終わったプラスチック製の食器をすべて捨てている。その結果、都内の埋め立て地はあふれかえり、今やゴミの不法投棄が世間をにぎわしているのだ。これだけではない。長年にわたって、日本人はあらゆる国の知恵や文化を取り入れてきた。その結果、今のようにものがあふれかえり、犯罪が絶えなくなり…と、私たちは日に日に欲深くなっているような気がする。

 オーストラリアの先住民、アボリジニーや、どこに住んでいるのか知らないけど、有名な「首長族」という人達は、一番ものの価値をわかっているのではないだろうか。彼らは、ジャングル(森?林?)に狩りに行き、たき火をおこして料理する。水は川で汲んでくる…と、昔話の「おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川に洗濯に…」と似たようなことをしている。この人達は、きっとこういう生活が不便だと思っていないだろう。むしろ、こういう生活をした人達の方が、ひねくれない素直な心を持っているのではないだろうか。

 今の社会はものがあふれている。そういう中で生きている私たちは、どれが必要でどれが不必要かという感覚が麻痺しているように思える。そんな中でこのまま月日が経っていったら、日本はどうなるか分かったもんじゃない。そこで、私はいいアイディアを思いついた。ときどき、オーストラリアにでもいって、アボリジニーに本当の物の価値について聞いてきたらいかがだろうか??なーんちゃって。あははは。

 

がっちゃん(中2) ● tenaより ● 課題コード08422 99/02/09 20:41:58

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豊か?

 アジアやアフリカなどいわゆる第三世界に行けば、日本の今の生活がどれほど反自然的なものであるかがわかる。アジアやアフリカなどにいって何より思い知らされたのは、人間は生きて行く上でなんとわずかなもので足りるかということである。文明の利器なしに自分の身を自然の中に置いたほうがどれほど今自分が生きていることかがわかる。日本人の中でシンプル・ライフを実践した人の一人に良寛がいる。彼は恐ろしいほどの無一物の生活を送ったが、彼の詩や歌をみれば彼が毎日の生活のなかでどれだけ充実していたかがわかる。私たちは今彼のような生活はできないが心は彼のようにすることができるのではないか。確かに私たちの日常生活の中で無駄な物はたくさんあると思う。例えば食器洗い機などは手でやれば良いものをいちいち機械にしているのだから、無駄である。

 わたしは外国にいったことはないし、もしいったとしてもいく場所はいわゆる先進国といわれる国(イギリス、フランス、アメリカなど)の観光名所ぐらいだろう。しかし、本や写真を見たりするだけでもアフリカなどの生活はかなり私たちと違うなあ(貧しいなあ)と思い日本はとても豊かだなあとつくづく思う。例えば私たちがよく利用するコンビニ。お弁当を買おうと思っていったときにお目当てのお弁当がなかったら「なんでないのーーー?」と思うだろう。しかし私たちがわがままであるために明け方のコンビニの前のゴミ場にはたくさんの賞味期限切れのお弁当が捨ててあるのだ。しかもそのお弁当はまだ十分に食べられるものなのだ。なんともったいないことか。私たちはもので満たされているかわりに、わがままで自分勝手な心がまずしい人になってしまっているのだ。

 童話に「青い鳥」という話がある。幸せの青い鳥を探しにいったが実はその青い鳥は身近な所にあったという話である。この話のように私たちは科学に頼って一生懸命に研究してものを豊かにするよりも、身近にあるちょっとした自然などでこころが豊かになれるのである。

 日常生活で無駄な物はたくさんある。私たちは自分自身一人一人が生み出している無駄な物を極力減らそうと努力するべきである。「自分の心のうちに持っていないものは何一つ自分の財産ではないあ。」という言葉があるように、機械がかんがえたものに頼ってばかりいないで、自分が毎日生きていると感じられる生活をできれば良い。

 

篠原さやか(中3) ● aobeより ● 課題コード09422 99/02/08 19:03:18

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ぬいぐるみを作ったよ

  ぬいぐるみを作ったよ

 「うーん、何を作ろうかなあ。」

 夏休みの宿題の事で、私が考えていると、お母さんが、「軍手で作るうさぎのぬいぐるみなんてどう。」

 と言いました。その時、私は、まだ、ぬいものをやったことがなかったので、少しどきどきしました。でも、この前、先生が、「何事もチャレンジしてみよう。」と言ったのを思い出して、

 「うん。」

 と、返事をしました。さっそくほこりだらけになった裁縫箱を取り出して、仕事に取りかかりました。

 作っていて一番楽しかったのは、顔や、体にわたをつめることです。白いわたをつめていると、何だか、ぬいぐるみに命をつめているようで、どきどきしてしまうのです。

 そのぬいぐるみは、とってもかわいくできました。

 それいらい、私は、ぬいものが大好きになりました。

● 郵便ポスト しっぽ(小4) ● hosiより 04421 99/02/04 16:35:01

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