http://www.mmjp.or.jp/shine/ 1999年3月4週号 通算第611号 shine@japan.email.ne.jp

言葉の森新聞

文責 中根克明(森川林)

  3.4週は清書です

 3月4週は清書です。担当の先生の説明を参考にして、返却された作文の中から自分でいちばんよいと思うものを選び、清書用紙に清書してください。清書はファクスで送られたものよりも郵便で送られたものの方が文字がきれいに印刷されることが多いので、できるだけ郵送でお願いします。

 新しく教室に入ったばかりの人は、返却されている作文がない場合もあります。また、返却されている作文の中に清書するようなものがない場合もあります。そのときは、清書用紙に直接自由な題名で作文を書いて送ってください。

 清書の仕方は、課題集の中の「学習の手引」に書いてあります。名前を載せてほしくない人は、表には名前を書かずに裏に書いてください。また、清書用紙の空いているところには、絵などを書いて楽しい清書にしてください。

 感想文を清書する場合は、最初の「三文抜き書き」や「要約」はカットするか、簡単な説明に変えておく方が作品としてまとまりがよくなります。

 この清書は、全員の分を4月ごろから順に掲載し、インターネットに掲載し、そのあと新聞社に送ります。(新聞社に送ることを希望しない人はその旨を清書用紙の裏に書いておいてください)

 新聞への応募を希望する小学生のみなさんは、清書用紙の裏に必ず学校名を書いておいてください。

 中学生以上の方は、新聞社に送る際の字数の目安は、400〜500字です。長すぎる場合は、新聞社の方で適当にカットされて掲載されることがあります。字数を縮めるときは、いろいろなところを少しずつ縮めるのではなく、段落単位でまとめて削るようにしていくのがコツです。第一段落の要約と第三段落の社会実例は削除し、名言や書き出しの結びなどの表現の工夫も削除し、第二段落の体験実例と第四段落の意見だけでまとめるようにするといいと思います。

  3月22日(月)は休みで宿題です

 3月22日(月)は休みです。先生からの電話はありません。教室も休みです。言葉の森新聞が郵便で送られてきますから、それを見て、3月4週の課題(清書)を自宅でやっておきましょう。

 書き方がわかりにくい人は、別の日に、教室に電話をして説明を聞いてください(午後4時〜8時)

  3月29(月)30(火)31(水)日は休みです

 3月29(月)30(火)31(水)日の3日間、教室は休みです。先生からの電話もありません。

  4月の新学期は4月1日(木)からです

 4月の新学期は4月1日(木)から始まります。

 通信の生徒には、3月の下旬に新学期用の教材を郵送でお送りします。古い教材を整理して、新しい教材で自習をはじめておきましょう。

  新5年生の課題は難しくなりますが

 4月からの教材で、新5年生の長文は、急に難しくなります。毎年、新5年生は「こんなにむずかしいのができるのかなあ」と不安になるようですが、長文を何度も読んでいるうちに、自然に読む力がついてきます。

 むずかしい長文だけでは、書けない日もありそうですので、新5年生だけは、長文を2種類(易しいものと難しいもの)用意しています。しかし、できるだけ難しい方に挑戦していくといいと思います。

 長文の読解力は、音読の繰り返しによってつきます。個々の言葉の意味は十分にわからなくてもかまいませんから、音読ですらすら読めるようになることを目標に自習を続けていってください。その際、お母さんはお子さんの音読をできるだけ近くで聞いてあげてください。はじめのうちはつっかえたり読み間違えたりすることも数多くあると思いますが、決して叱ったりからかったりせずに温かい目で音読を見守ってあげてください。

  ホームページの紹介

 言葉の森のホームページは、見るところがたくさんあるので、迷子になってしまいそうです。

 ホームページの構成は、現在、次のようになっています。ごらんになるときの参考にしてください。

 言葉の森のホームページは、リンク先の●印をクリックすると、新しいウィンドウが開き、文字の方をクリックするとそのままそのページにジャンプするようになっています。ちょっとだけそのページを見て、またすぐ元に戻りたいというときは、新しいウィンドウで開いておいた方が便利です。しかし、ネットスケープでは、新しいウィンドウを開きすぎるとダウンしてしまうことがありますのでご注意ください。

 

【図の説明 上の段】

(1)週刊オンラインマガジンを発行しています(無料)。内容は「言葉の森新聞」の記事が中心です。現在、読者数1212名。

(2)1996年分からの言葉の森新聞が掲載されています。そのうち、創刊当時の第1号から載せたいと思います。

(3)中央公園には、言葉の森にある全掲示板の最新の情報がまとめて掲載されています。どこでどんな書き込みがあったかは、この中央公園に寄れば一目でわかります。

(4)1998年1月からのパソコンで書かれた作文が、全部掲載されています。たくさんあるので読み切れません。

(5)7月からスタートするオンライン作文コースの情報が掲載されています。まだあちこち工事中です。

(6)毎週の山のたよりのホームページ版が掲載されています。言葉の森の会員だけが読めるように、パスワードを設定しています。(合言葉は yama です。ときどき変更する予定です)

(7)検索コーナーでは、生徒コードで生徒の検索ができます。

【図の説明 下の段】

(8)画像広場では、自宅のパソコンで書いた絵や写真をホームページに掲載することができます。(ただしファイルの容量は50KBのものまで)

(9)1996年からの入選作文が掲載されています。

(10)インターネット経由で作文を送る人は、この学年別のポストから送ります。目標字数以上の字数で書いた作文を送ると音楽プレゼントで音楽が流れます。

(11)その学年の生徒全員のプロフィールや清書が掲載されています。清書は毎月更新。このページで、ほかの生徒にメッセージを書いて送ることもできます。教室では、よく一緒に勉強している人が、勉強の始まる前や終わったあとに、互いのページに落書きを書きあっています。

(12)その週の作文が載っています。どういうふうに書いていいかわからないときは、このページで同学年のほかの人の作文を見ると、いろいろとヒントになると思います。

(13)推薦図書の一覧表です。将来は、このページから貸出図書の注文などができるようにしていく予定です。

(14)言葉の森のスタッフのページです。遊びに来てください。

 

  光る表現コーナー 1999年3月4週号

セシルさん(あたと/小1)の作文より(とこのん先生/3.2週)

 3月7日にぼくは、どうそう会でルーテルようち園にいきました。 評:いつ・どこへ・だれが・なにをしにいったのか、がきちんと書かれていて、大変分かりやすいです。

中村さん(あつき/小1)の作文より(はるな先生/3.1週)

 ....それで、たくさんのねつがでてきました。かなづちで、あたまを、「がんがんがん」と、たたかれているみたいだった。(講評):今年は、インフルエンザが、大流行しちゃいましたね。中村君も高熱で、かなりおちこんでしまったようですが、そのときのようすが、大変くわしくかけました。高熱でぼーっとして、すごく、つらそうなようすが、たとえをつかって、とてもじょうずにかきあらわせました。

ピッチーさん(あねあ/小1)の作文より(かつみ先生/3.2週)

 「ガオーなにやってるんだ少年。」とか言うよ。 評:おこっているようすがよくわかるね。「」がうまくつかえたね。

山田さん(ふれ/小1)の作文より(ゆり先生/3.2週)

 二つ目におどろいたことは、一てんでも入ると、いれたチームのにんぎょうがりょうがわのテレビにすごく大きな音でおどっていたことです。一かい目と、二かい目とは、ちょっとちがううごきでした。評:にんぎょうのようすをよく見ていたんだね。わかりやすく書けているよ。

さるきちさん(あある/小2)の作文より(はるな先生/3.2週)

 どては、すごくさかがきゅうなので、あしがいたくなって、つくしもとりづらいです。 でも、おいしいつくだにをたべるために、ぼくは、いっしょうけんめいとりました。 つくだにのつくりかたは、まず、はかまと、ほうしを新聞紙の上でとります。このしごとは、ぼくたちこどものしごとです。 それから、おかあさんが、あまからく、たいてくれます。・・・・・・(講評):つくしとりのようすや、おかあさんに、つくだにに、してもらうための、下ごしらえを、弘毅君が懸命に(けんめいに)がんばっている光景(こうけい)が、いきいきとかきあらわせました。春をみつけたよろこびが、作文のすみずみにあふれているようです。

しょうたさん(あたの/小2)の作文より(もとばと先生/3.2週)

 (三かさ公園で見学中)三かさの船はせんそうの時の船でたいほうになんどもあたったそうだけどしずまなかったそうです。・・・ロシアのたいほうがあたってもばくはつしなかった、たいほうの玉があってかざってありました。これがばくはつしたらみんなしんでたと思います。ぼくがもしむかしの人だったらせんそうなんてやりたくないです。評:見学中に見たり聞いたりしたものがきちんとつたえられていますね。またほんとうのたいほうを目にしてせんそうのこわさをきちんとかんがえているところがえらいです。

えりさん(あなふ/小2)の作文より(とこのん先生/3.2週)

 「よいしょよいしょ。」と(つなひきを)力いっぱい力を合わせてひっぱります。「こしを下げて、こしを下げて。」とおうえんしています。 評:作文の中から、にぎやかな声援が聞こえてきそうですね。

ハッピィーさん(せさ/小2)の作文より(まや先生/3.2週)

 そのおすしは、ただのおすしではありません。デコレーションおすしです。−略−食べた時、ほっぺたが二つ一ぺんにおちそうでした。(評:そのおすしのおいしさは、ただのおいしさではありませんでした…)

まほうつかいさん(とみ/小2)の作文より(洋子先生/3.2週)

 あまいこな薬をのんで、かぜをなおそうとおもいました。こな薬は、一円だまぐらいでした(評:一円だまぐらいのりょうのこな薬をのんだことがよくわかりましたよ)。

西原さん(ふま/小2)の作文より(はるな先生/3.1週)

 ぼくには姉と妹がいます。きょうはひなまついりです。姉と妹はいばっています。・・・・・(講評):年に一度の女のこのおまつりですから、ひな祭りの日、きっと、お姉さんたちは、はりきっていたのでしょうね。そのときのようすが、大変ほほえましくかきあらわせました。でも、そのかわり、5月5日の端午の節句(たんごのせっく)には、こんどは、君が大いばりするばんですよね。

まささん(あうこ/小3)の作文より(みち先生/3.1週)

 一番して遊ぶことは、かくれんぼです。かくれやすいところといえば、しょうきゃくろうのうらです。これは、ほんとうは、先生にいってはいけないといわれています。−(中略)−。学校の中で一番かくれやすい場所は、図工室や理科室です。これは、ほんとうは、じゅぎょうをするところですけど、一番かくれやすいのでかくれます。—(中略)−。それからぼくは、学校のことをかくれ里とよぶようになりました。評:暖かくやさしくつつんでくれる場所のイメージにぴったりのことばですね。

 

サボテンさん(あさお/小3)の作文より(ゆり先生/3.1週)

 こたつの中は、みんなのくさい足のにおいや、だれかがこっそりとした、ひみつのおならのくさいくさいくさぁーーーいにおいがしみついている。評:そうそう・・・。おもしろいなあ。

松井さん(あてす/小3)の作文より(洋子先生/3.2週)

 「また今度給食にでてほしいよね」といったら、「できるだけ今週中にでてほしいよね」といいました。(評:だいすきな給食のメニュ−への待ち遠しい気持ちが短い会話文にうまくはいってかけていますね。)

まなみっちさん(しあ/小3)の作文より(スズラン先生/3.2週)

 給食を食べているとき、給食のおばさんがどんなにたいへんな思いをして給食を作っているかが、目にうかびます。評:作ってくれる人に感謝の気持ちをもつことは大切なことですね。

丸山さん(せと/小3)の作文より(もとばと先生/3.1週)

 インフルエンザは悪くなったりよくなったりするのでまるで小さくなったり大きく成ったりする海の波のようです。評:熱がないからとおもって安心しているとまたでたりとなかなかなおらなかったようすがじょうずにたとえられていますね。

清水さん(てい/小3)の作文より(スズラン先生/3.1週)

 かぜをひくということはとてもいやなことです。一人ぼっちにされるし、外であそべないからです。自分のベットでグースカグースカ、食べてねて、食べてねて、グータラ星人みたいです。評:風邪をひいたときは、グータラ星人のようにしているのも仕方がないかもしれないですね。おもしろい表現でした。

アルルさん(てよ/小3)の作文より(もとばと先生/3.1週)

 (風邪をひいたとき)きょうはとくべつな日です。いつもは、こどもべやのベットでねますが、今日はかぜをひいているからとくべつにお母さんといっしょの部屋でねました。ついでにお母さんがごはんを食べさせてくれて、私はまるで赤ちゃんになったような気分でした。こういう時何回もあまえられます。評:かぜはつらいけど、こういういいこともありますね。

飯田さん(あいい/小4)の作文より(かつみ先生/3.2週)

 きょうふの金曜日 評:金曜日にあげパンがでるんだね。あげパンファンにとっては、金曜日の楽園っていうところかな?

髙津さん(あうれ/小4)の作文より(スズラン先生/2.3週)

 あめ湯は、しょうががぴりりときいていておいしいとおもいました。あんまりおいしいので、二杯も飲んでしまいました。評:しょうがのきき具合がよかったのですね。お祭りで飲む楽しさがでていました。

山田さん(あえた/小4)の作文より(洋子先生/3.2週)

 三月九日、学校で給食のチャイムがながれました。もう、この時から私たちのクラスは、ざわついています。なぜかというと、みんな給食が好きだからです。それに今日は、みんながとくに好きなカレ−だったので、「腹へったぞ−。今日は、カレ−だじょ−ん」と言って(まるで、うさぎのように)ピヨンピヨンはねていた人もいました。(評:文のかきだしです。みんなの好きなカレ−の給食の教室の様子がうまく書けていますね。

信長さん(あえほ/小4)の作文より(かつみ先生/3.2週)

 すごくおいしいだけなのである。 評:この「だけ」が上手くつかえているね.本当においしいカレーなんだね。

ミュウさん(あおゆ/小4)の作文より(とも先生/3.2週)

 私は、みんないつもはいぜんがおわるのは三十分ぐらいなのに、カレーの日だけみんなのはいぜんは二十分〜二十五分におわるということに気付きました。私は、それはみんなが、カレーを好きだからだと思います。…評:ちょっとしたことによく気が付いて、その理由もしっかり考えて書けているね。

山本さん(あきき/小4)の作文より(スズラン先生/3.2週)

 もし、私がだんご屋だったら、ふつうはだんごが四つついていますが、三つにして、だんご三兄弟にしたいと思います。評:良く売れるお店になりそうです。

一木さん(あきわ/小4)の作文より(みち先生/2.3週)

 心のおくでさけびました。評:思いましたよりジーンときたんだね。 

横山さん(あちか/小4)の作文より(まや先生/3.1週)

 「おかあさん、頭がいたいよー。」朝おきて、お母さんの所へ行ってしがみつきました。そしてお母さんは、私のひたいをさわって熱があるかたしかめました。お母さんは、「こりゃあ熱があるぞ。」と言って体温計ではかりました。五分はかるのは、とても長くかんじます。どうしてかというと、私は、体温計をはかるのがにがてかだらです。カップラーメンの三分より長くはからないといけないのは、とてもいやです。(評:情景が目にうかんでくる書き出しですね。)

バカボンさん(あつう/小4)の作文より(洋子先生/3.2週)

 ぼくが給食の中ですきな食べ物は、あげギョウザです。なぜならパリパリしていて、ふっくらとふくらんいて、とても大きくとてもおいしいからです。(評:ふっくら膨らんでいて、食べるとパリパリとしたあげギョウザの特徴がみごとに描写できていましたよ。)

邱さん(あてゆ/小4)の作文より(かつみ先生/3.2週)

 日直が「いただきます。」と言ったしゅんかんに、僕はフォークを持ち上げて、あげパンを食べ始めました。 評:よっぽどおなかがすいていたんだね。その様子がよくわかるよ。

小松さん(あてろ/小4)の作文より(スズラン先生/3.1週)

 (お友達が朝むかえにきたとき)「今日、風邪でやすむんよ。」「え〜〜」と、シャボン玉がはじけるような小さな小さな矢富君の言葉がうすく聞こえてきました。評:お母さんが玄関で、お友達に話していたことを奥の部屋で聞いていたようすが分かりますね。

ミッキーさん(けく/小4)の作文より(かつみ先生/3.2週)

 「バタリ。」私はつくえにたおれてしまいました。目の前はやみに包まれたまっ黒な世界。でも一つだけ見えるものがあります。五人分のゴミやお皿。評:美紀ちゃんのショックな気持ちが伝わってきました。ごくろうさまでした。

星野惇さん(のと/小4)の作文より(ゆり先生/3.2週)

 今は三時かんめの終わりです。もうこの時間では病気でないかぎり、おなかは空きます。評:「病気でないかぎり」というところがとくにおもしろい表現だね。

たかどんさん(ふさ/小4)の作文より(洋子先生/3.2週)

 家で作るカレ−は、おふくろの味、学校給食のカレ−は、学校オリジナルの味だなあとおもいます。(評:家庭のカレ−は、その家その家の味付けや材料にその家らしさがでてきますね。また学校の給食は、大きななべで何十食も一度に作るからまたちがったおいしさがでるんでしょうね。)

南里さん(ふと/小4)の作文より(かつみ先生/3.2週)

 「ワーイ、カレーだ〜。」とみんなはおどっていて、まるでふっとうしているような感じがしてきて、給食室からカレーのにおいがプンプンにおってきました。 評:カレーは昔も今も人気メニューだね。お友達や綾乃ちゃんが喜んでいる様子がよくわかるよ。

しっぽさん(ほし/小4)の作文より(スズラン先生/3.2週)

 ハンバーグは、何だか天使のほっぺたみたいです。食べると口中でとろとろ溶けてしまいます。評:おいしいハンバーグを食べたときの口当たりの良さが想像できますね。

小野さん(あすね/小5)の作文より(ひまわり先生/3.1週)

 めだかがスイスイおよぎ、なの花のにおいがして、空を見ながらクローバーにかこまれて、春のくうきをぞんぶんにすいたいそうだ。(評)お母さんの好きな場所は春の土手だったんだね。春のにおいがしてきそう。

清水さん(てあ/小5)の作文より(スズラン先生/3.1週)

 父は一番早くインフルエンザになり、一番重かった。・・中略・・「我が身をつねって人の痛さを知れ」というけれど、本当に自分がなってみないと痛さは分からないかもしれない。評:自分で体験してはいないけれど、お父さんの痛みを心配していたことが分かりました。

宇佐美さん(あうけ/小6)の作文より(みち先生/3.1週)

 「こんなことで休んでたまるか」と言い返した。実は、ぼくは今年まだ一度も学校を休んでないから、意地でも登校するようにがんばっている。だからかぜ薬を飲み厚着をして登校した。すると、午後になってだんだん具合が良くなり、家にかえってきた時には、もう朝の事を忘れたように具合がよくなった。この日は、自分の心が体に勝ったのだ。評:精神力と対応で風邪に勝てた。

魔法使いさん(あちほ/小6)の作文より(スズラン先生/3.2週)

 (シナリオ作りをしていて)・・略・・今まで本にでてきたものと、自分の中でできているパズルのこまをならべた。するとこまが全部そろい、みごとに一つのパズルに仕上がった。評:考えたことの組み合わせがぴったり合ったことが出ていますね。

ドガースさん(つら/小6)の作文より(洋子先生/3.1週)

 病気とは、体だけでなく気力も弱らせ健康は、逆に体も気力も元気する働きがあるということがわかった。(評:いいところに気がつきました。本当にそうですね。先生も昨年入院して健康のありがたさを痛感しましたよ。)

AE86さん(えや/中2)の作文より(スズラン先生/3.2週)

 今の世の中は、「資源が少ない」と言いつつ「使い捨て〜」というものが多すぎる。評:安易な物作りより、手間を掛けたものの良さを見直したいですね。

 

  中央公園より 1999年3月4週号

 言葉の森のホームページにある「中央公園」には、全掲示板のこれまでの書き込み情報が掲載されています。その中の一部を、作文を中心に抜粋して紹介します。でも、これらを見て自分の子供との比較はしないでね。(^o^)/

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鳩や烏の害

 鳩や烏は最も人間に近い場所で暮らしている鳥と言えよう。鳩は烏を逃れて烏の嫌う人間の多い駅などに集まるし、烏は直接人間に近づくことはないものの、人間の捨てたゴミをあさって食べ物などを得ている。しかしそのことによって人間が受ける被害も少なくはない。かといって鳩や烏をすべて殺してしまうわけにもいかない。それではどのようにこのような生き物とつきあっていけばよいのか。方法は二つある。

 一つめはそのようないきものの集まる場所を減らすということだ。鳩による被害の主なものはやはり駅での羽の飛び散りや、糞による被害だろう。また烏による被害はゴミ収集所でのゴミあさりである。しかしこれは我々がわざわざ鳩や烏にこのような行為をさせているようなもので、これに憤慨して怒っては、鳩や烏にも全く迷惑な話である。烏がゴミをあさらないように、今ではゴミにネットをかけているところも多いし、駅でも鳩の怖がるような物を置いておけば、糞がたまって私達が怒ることもなくなるわけである。つまり、問題の元を穏やかな形でそらせばいいわけである。

 二つめはおおもとの原因を考えてみることである。生き物による被害の場合、人間の身勝手な行動によるものが多い。鳩にしろ烏にしろ他の動物にしろ、元は野生でそれぞれに都合のよい場所で暮らしていたわけであり、大昔人間がまだ原始人であった頃はこのような問題はなかったはずなのである。人間が土地開発や森林伐採などでどんどん自然を切り取り、野生動物のすみかをなくしてしまったのだ。その結果動物達は人間の多いと都会で暮らさざるを得なくなり、そこで衝突が起こることとなった。私達にも非があることを考えなければならないのだ。 私達人間がいい意味でも悪い意味でも最も自然界に影響を及ぼす生き物の一つであることは紛れもない事実である。そのことを常に頭に置いていないとそのうち大変な事が怒るかも知れない。弱肉強食であることは自然の摂理であり、当然のことであるが、そのほかの面でも人間が他の動物を思いどおりにしてよいと思ったら大間違いなのだ。「私達の幸福が他の人々の不幸によって支えられているのであってはならない」という言葉もあるように、人間だけがどんどん繁栄していけばいいのではなく、すべての動物をひっくるめた地球という一つの生命体としての幸福を考えて行動する使命が私達にあるのではないだろうか。

● Online作文レンギョウの苗 磯野 久美子(中3) ● sakuより 09432 99/03/17 19:56:23

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ロボットは

 初めはボクだって角があって白かったのに、使われるにつれ、小さく汚くなってしまった。そのうち新しい奴がきてボクはごみ箱にすてられるのだ。

 正確には覚えていないのだが、これは「消しゴムのかなしみ」という詩である。題名だけ聞けば何を言っているのか分からないが詩を読むと「消しゴムのかなしみ」が妙に真実味をあびてきて、この消しゴムをもっと使ってやるかという気分にさせられる。このように自分の心を物に移入してやることによってこれまで気づかなかったあたらしい世界が広がることは多い。我々はもっと日常的に対象の目線で物事を考えるくせをつけることが大切ではなかろうか。

 ではどうすればよいのであろうか。それは物の価値を自分とその物との関わりで理解することではなかろうか。私はよく友達と化石採集に出かける。ハンマーで石を叩き割り、その割れた面に化石がのぞいたとき私は今でも感動をおぼえる。その化石が何万年もの間私にあうために待っていたような気がしてくるのである。売ろうと思えば一円もつかないであろうが私との関わりにおいてはずっと価値あるものなのだ。「自分」も「モノ」も単独で存在しているわけではない。自分とモノとの関わりでものの存在を認めていくことが対象の目線で考えていく第一歩であろう。アルネ・ネスの提唱した、全ての物は相互に関連して自己開花する本質的価値を持っているとする「ディープ・エコロジー」はその典型であるように思われる。

 しかし現実は物を物としてみる方向に動いてきた。かなり昔のことになるがロシアの「自然改良計画」などそれを良く物がたっている。人間の力で自然をより良い物にするということである。もっと身近な所で言えば、店では一匹一匹きれいにパックされた魚が並んでいる。それがあまりにも具体的な「物」であることに妙な気持ちになったものである。なにも痛いだろうから食べるのをやめなさいと言っているのではない。むしろ人間はそのような関連をもって生きていると言うことである。現代は物から「命臭さ」を消してきた時代なのである。

 たしかに自分の心を物に移入すると言うことを徹底させると、宗教的な偶像崇拝を生むことになるかもしれない。しかし物の目線に「主体」と言うものがあるかぎりではそのようなことはないであろう。我々は小説を読みながら人間以外の動物になることもできる。そして我々とは違う目線で大冒険をすることもできるのである。心の隅では嘘であると知っていながらその物の立場になってみる。それがとても重要なことではなかろうか。物の目線で物事を見れない人間が本当の意味で思いやりを持つことができるかどうかはなはだ疑問である。「ぞうさん」などの童謡を作った作曲家の歌詞につぎのようなものがある。作られたくもないのに作られた物たちに囲まれて人は生きている。そしていつのまにかみんなが人にそっぽを向いている。

● Online作文ペンペングサの苗 ○○○○(高1) ● ayoより 10432 99/03/16 19:17:54