http://www.mori7.com/ 1999年7月4週号 通算第626号 mori7@mori7.com

言葉の森新聞

文責 中根克明(森川林)

  夏休み中の授業について

   帰省や塾の講習で通常の言葉の森の授業を受けられない場合

 言葉の森の授業は、夏休み中も平常どおり行ないます。

 夏休み中は、田舎に帰省したり塾の講習に参加したりと普段とは違う生活を送る方も多いと思います。このため、通常の授業を受けられない場合は、次のようにしてください。

 曜日や時間の変更は随時できます。休んだ分は、ほかの日にふりかえて、生徒のみなさんから教室に直接お電話をして説明を聞いてください。電話で説明を聞くことのできる時間は、夏休み中に限り、平日午前9時半〜午後8時、土曜午前9時半〜午後5時とします。(通常は平日午後4時〜午後8時、土曜午後2時〜午後5時)。なお、夏休み中の欠席のふりかえは、7月〜9月の間いつでもできます。

 教材の送付先を田舎などの帰省先にすることができます。数週間田舎などに滞在する場合は、ご連絡をいただければ教材の送付先をその滞在先にして郵送します。また、先生からの説明電話もその滞在先にすることができます。

 欠席のふりかえで、先生から生徒に電話をすることはしませんので、ふりかえの電話は必ず生徒の方から教室あてにしてくださるようお願いします。

 ふりかえや欠席の連絡は、自習用紙の連絡欄に書いてくださっても結構ですし、そのつど教室の電話または留守番電話に伝言してくださっても結構です。

  学校の宿題の感想文の書き方(1998年の原稿に一部手直ししたもの)

  いまの感想文指導には無理がある

 感想文が楽に書けるようになるのは、年齢的には小学5年生からです。小学1〜4年生は、全体の構成を考えて書くという能力がまだ育っていませんから、大人の人が全体の方向づけをしなければ自分で本の流れに合わせて感想文の流れを考えていくという書き方はできません。

 また、小学1〜4年生の場合、似た話がうまく見つかる場合と見つからない場合とでは、作品の出来に大きな差が出てきます。大人(親や先生)が近くにいて、「この次はこんなことを書いたらいいよ」とときどきアドバイスをしてあげなければまとまった作品を書くことはできません。

 なぜ学校のふだんの授業で感想文を指導せずに、夏休みの宿題というかたちで感想文を書かせるかというと、感想文は(特に低中学年の場合は)、一人ひとり別のアドバイスをしなければならないからで、30人から40人を相手にした一斉指導ではそういうアドバイスはできないからです。

  子供まかせでは書けない

 「なんでもいいから自分で好きな本を選んで、自分で好きなように書いてごらん」ということでは、感想文は書けません。小学生の場合は、大人がなんのアドバイスもせずに感想文を書かせるぐらいなら、感想文を書くことそのものをしない方がいいのです。単に字数を埋めるだけの感想文は、何の勉強にもなりません。

  じょうずな感想文を書くコツはあるが

 書くからには、じょうずな感想文を書いて、コンクールなどに入選したいとはだれもが思うことです。作品の出来具合の半分は、似た話などの題材の部分に支えられています。また、もう半分は、感想の部分の一般化の深まりに支えられています。ですから、感動のある似た話が連想できるような本を選び、感想の部分で大人の人が一般化の手助けをしてあげれば、じょうずな感想文が書けます。

 しかし、こういうかたちで親や先生がアドバイスをすることは、子供にとってはあまりうれしいことではありません。また、親や先生に支えられてじょうずな作文を書いても、教育的意義はありません。ですから、感想文の目標はじょうずな作品を書くことにではなく、ひとまとまりの本を読み、ひとまとまりの文章を書く練習をするということに置くべきです。

  書き方の手順「まず本選び」

 まず本選びですが、子供が「この本、おもしろいから書きたい」と言うような本が必ずしも書きやすい本であるとは限りません。子供が自分なりに似た話を見つけることができたり、想像をふくらませたりできるような本が書きやすい本です。この本選びは、大人がアドバイスをした方がいいようです。少なくとも、子供には「似た話や想像した話が書けるような本が、感想文の本としては書きやすいよ」と言ってあげるといいと思います。

  書き方の手順「次に字数配分」

 感想文の宿題は、原稿用紙3枚程度(400字詰めで1200字)の分量で指定されることが多いようです。これだけの分量を1日で書くというのは大変です。無理のない字数配分は、1日1枚(400字)です。感想文の宿題をするために、4日間の予定を立てて、1日目に400字以上、2日目も400字以上、3日目も400字以上と書いていって、4日目に全体を通して要らないところを削り、清書するという予定を立てれば無理なく書くことができます。

  書き方の手順「1日目の400字」

 本のはじめの方から一ヶ所、似た話や想像した話の書けそうな場所を選び、そこを引用し、自分の似た話を書き、最後に「たぶん」「きっと」「もしかしたら」などという言葉を利用しながら、自分の感想を書きます。

 本の引用(1)

 ↓

 似た話(1)(もし…だったらと想像してもよい)(たとえも入れる)

 ↓

 感想(1)(たぶん、きっと、もしかしたらなどと考えてみる)

  書き方の手順「2日目の400字」

 2日目も同じです。本の中ほどから一ヶ所、似た話の書けそうな場所を選び、そこを引用し、似た話を書き、感想を書いていきます。

 本の引用(2)

 ↓

 似た話(2)

 ↓

 感想(2)

  書き方の手順「3日目の400字」

 3日目も同じように、本の終わりのほうから一ヶ所選んで書いていきますが、最後の感想のところがちょっと違います。1日目、2日目は、引用した小さな箇所の感想でしたが、3日目は本全体についての感想を書いていきます。

 小学5・6年生の生徒の場合、この感想は、「○○は(人間にとって)……である」というような一般化した大きな感想を書いてまとめます。この感想の部分は、お母さんやお父さんと話し合いをして、子供自身の考えを深めていくといいと思います。そして、「私はこれから」などという言葉を使い、この本から得たことを自分のこれからの生き方にどうつなげていくかを考えてまとめます。中学生の場合は、結びの5行に「光る表現」を入れていくとよいでしょう。

 本の引用(3)

 ↓

 似た話(3)

 ↓

 大きな感想(○○は人間にとって……。私はこれから)

  書き方の手順「4日目の清書」

 4日目は清書です。お母さんやお父さんが全体を通して読んであげると、要らないところが見つかると思います(書いた人自身には、要らない部分というものはなかなかわかりません。これは大人でも同じです)。この要らない部分を削ります。次に、書き出しの部分に本の引用として情景描写の部分を入れられれば、書き出しの工夫ができます。これは無理のない範囲でやっていくといいでしょう。

  書き方の手順「できたらほめる」

 書いている途中でも、書き終えたあとでも、親や先生が「これは、おもしろいね」「それは、いいね」と、子供の書いた内容のいいところやおもしろいところをどんどん認めてあげることが大切です。多少おかしいところや変なところがあっても、子供が書いた内容をできるだけ尊重してあげてください。これと反対に「これは、こうした方がいいんじゃない?」「そこは、ちょっとおかしいんじゃない?」などという否定的なアドバイスをすると、勉強でいちばん大事な子供の意欲をそぐことになります。大事なことは、いい作品を仕上げることではなく、手順にそってできるだけ自力で書く力をつけることです。

  教室では宿題の感想文の個別指導はしませんのでご了承ください。

 感想文の指導には、生徒ひとりずつ異なるアドバイスが要求されます。更に作品として完成させるためには、書いている途中にも頻繁にアドバイスをする必要が出てきます。このような対応は、普段の勉強の中ではできませんので、夏休みの宿題のための感想文指導は、教室では行ないません

 宿題として感想文を提出しなければならないという事情のある方は、教室で練習した長文の感想文で似た話のよく書けたものをベースにして、ご家庭で書き直していかれるといいと思います。

  7月29・30・31日は休み

 7月29日(木)・30日(金)・31日(土)は、お休みです。作文の宿題もありませんので、自習だけをして、あとはたっぷり遊んだり本を読んだりほかの勉強をしたりしていてください。

  7.4週は清書です

  清書用紙には必ず生徒コードを入れておいてください

 7.4週は、清書です。教室に通っている人は、これまでの作文を持ってきましょう。

 清書は、担当の先生の説明を参考にして、返却された作文の中から自分でいちばんよいと思うものを選び、清書用紙に清書してください。

 新しく教室に入ったばかりの人は、返却されている作文がない場合もあります。また、返却されている作文の中に清書するようなものがない場合もあります。そのときは、清書用紙に直接自由な題名で作文を書いて送ってください。

 この清書は、全員の分を9月ごろから順に掲載し、インターネットに掲載し、そのあと新聞社に送ります。新聞社に送るために、清書用紙の裏に「学校、学年、名前、住所、電話」を書いておいてください。新聞社に送ることを希望しない人はその旨を清書用紙の裏に書いておいてください。インターネットに掲載する際に名前を載せてほしくない人は、清書用紙の表(おもて)には名前を書かずに裏に書いてください。

 清書用紙には必ず生徒コードを書いておいてください

 

  次週、8.1週のヒント

   課題の長文とみんなの作品は下記のページに掲載されています。

   「課題の岩」http://www.mori7.com/mine/iwa/iiwa.html

 

 来週の課題の説明です。事前の準備ができるように、今回から翌週の課題の説明を中心に掲載します。教室に通っている人は、この言葉の森新聞を来週も必ず持ってきてください

 小学1、2年生 じゆうなだいめい

 小学3、4、5、6年生 おにぎりを作ったこと

 夏休みは海に行ったり山に行ったり、遊ぶ機会がたくさんあります。どこかに出かけるとき、お弁当のおにぎりを自分で作ってみましょう。お母さんはじょうずに三角ににぎれるのに、みなさんがおにぎりを作ると、なかなか三角にならずまん丸のおだんごのようになってしまうと思います。でも、自分で作ったおにぎりの味は、格別です。中身は梅干しにしようかなあ、おかかにしようかなあ、サケにしようかなあ……。いいや、全部入れちゃえ。

 中学1年生 作曲に集中しているとき(感想文)

 著者は、音楽は生き物だと述べています。詩や彫刻などの芸術も、詩人や芸術家が作るものではなく、逆に生き物である詩や彫刻が、詩人や彫刻家との協同作業で姿を現わすと言えるのかもしれません。「自然から学ぶことはあまりに多い」という部分を主題にして、人為的なものと自然なものの対比をしていくといいでしょう。

 人為と自然の対比を具体的に言うと、造花の花と自然の花、エアコンの風と自然の風、テレビで見る自然と本物の自然など、いろいろ考えられます。

 ただし、このように主題を自分なりに作り直すと、長文からずれてしまうおそれも出てきます。結びの部分では長文に戻りながらまとめてみましょう。

 名言は「12、カメラマンはレンズのほこりを払う前に目のほこりを払わねばならない」など。ことわざでは、「135、やはり野におけ蓮花草」なども使えるかな。

 長文実例は、7.3週の「現代社会では、おむつのあて方や授乳の仕方などまでが、経験ではなく育児書をひもといて……」というような例が使えそう。

 

 

 

 

 

 

 

 中学2年生 食べられるか(感想文)

 「食べれる」「見れる」はそれぞれ下一段活用と上一段活用なので、正しくは「食べられる」「見られる」ですが、「食べられる」と言うと「わあ、怪獣に食べられちゃう」というような言い方を連想してしまいますし、「見られる」と言うと「わあ、ズボンが破れているの見られちゃった」というような言い方を連想してしまいます。そのため、今では「食べれる」「見れる」の方が優勢になりつつあります。

 著者は、この「ら抜き言葉」の是非を論じてはいません。(社説なので、あまり偏ったことは書けない^_^;)。幅広い論議が必要だと結んでいます。しかし、みなさんが感想文を書くときに「幅広い論議が必要だ」を主題にすると、意見の焦点がぼやけてしまいます。主題は「新しいもの」と「古いもの」の対比で考えていくといいでしょう。それは「新しい、使いやすい、かっこいい、しかし間違っているもの」と「古い、使いにくい、かっこわるい、しかし正しいもの」との対比だと考えてもいいでしょう。ルーズソックス、茶髪、ピアスなど具体的に考えるとわかりやすいと思います。

 しかし、具体的に論じていると長文の主題とずれてくることもあります。結びでは必ず長文の述べている題材に関連させてまとめましょう。

 名言は、「43、脱皮できない蛇は滅びる(ニーチェ)」。昔話実例は、「姥捨て山」。長文実例は、7.2週の「日本の赤ちゃん言葉にある『マンマ』『ブーブー』『ワンワン』」などがうまく使えるかな。昔話実例か長文実例かのどちらかを入れてみましょう。

 中学3年生 生き物のように焔をあげ(感想文)

 かつて生き物のように人間の身近にあった「火」は、今ブラックボックスに囲まれて、生活の隅々に入り込んでいます。ライター、電子レンジ、ガスコンロ、そして原子力発電所などというかたちで供給される火は、次第に人間の手を離れていくようです。

 アメリカで、濡れたネコを乾かすのに電子レンジに入れてしまったという事故がありましたが、これも火がブラックボックス化したために人間の実感から離れてしまった一つの例でしょう。今、ご飯を炊くのに、近くの山からまきを拾ってきて、火打ち石で火をおこしてという人は、まずいません。マッチを使う機会さえ少なくなりました。そのために、火の怖さや熱さを感じる機会も減っています。

 生活が便利になり、人間が自分で手を下す必要がなくなった結果、そのものの持つ危険性を実感できなくなったという例は、ほかにもたくさんありそうです。

 格闘のテレビゲームなどをやっていると、空中に数メートルも跳ね飛ばされるようなパンチを食らっても骨付き肉を食べればまたすぐにパワー全開! という、おまえはどういう体をしとんじゃいというような場面がよく登場します。こういう人体の実態からかけ離れたゲームをしていると、暴力にも次第に無感覚になっていきそうです。戦争でも、刀や槍を使う戦争であれば、「こんなので切ったら相手も痛いだろうなあ」という想像が働きますが、モニター画面を見ながらスイッチを押して爆弾を投下するようなかたちの戦争ですと、ついコーラを片手に「よっしゃあ、今度はこっちに爆弾投下だ」などとやってしまいそうです。

 自然の力を制御する技術が、その力をブラックボックス化し、そのためにかえってその力(火や水など)が暴走する可能性を増大させているる、という例を探してみましょう。便利な生活に流されないで、自分の手足を実際に使ってみることの大切さということを主題にしてもいいでしょう。

 名言は「25、寒さにふるえたものほど……」「32、上天気に日に、嵐のことなど……」「84、理想に到達するための手段は……」など。

 伝記実例は、アインシュタインなど。長文実例は、7.2週のキノコの話で、逆境=不便さと置き換えて考えてみるといいかな。または7.3週のレンタルのすすめで言うと、アメリカは今経営をスリム化するために、次々にアウトソーシングを進めていますが、これが逆に技術の空洞化を生み出している面もあるようです。みなさんも人から借りたノートをコピーするよりも、ちゃんと自分で授業を聞いて手を使って苦労して書いた方が身につくという経験を持っているでしょう。便利なレンタルよりも……と考えてみましょう。

 高校1年生 バルカンの歴史は(感想文)

 バルカン半島の民族紛争は、当事者どうしも説明できないほど不可解なものです。これまで隣人として仲良く暮らしてきた者どうしが、突然血で血を洗うような抗争を始め、やがてだれにも止められなくなるほど泥沼化していきます。フロイトの呼んだ「微差のナルシズム」が異なる民族間の小さな差異を想像の上で必要以上に増幅させているのでしょうか。

 いじめにも、似たような経緯があるようです。自分たちとまったく違うものは、かえっていじめの対象にはなりません。似ているのに少しだけ違うということがいじめを引き起こすきっかけになります。

 高校1年生は、社会問題ではなく当為の主題で書く練習をしていますから、人間の生き方に関連させて考えてみるといいでしょう。名言集に「自国への賞賛が他国への軽蔑によって支えられているのであってはならない」という言葉がありますが、小さな差異を実際以上に強調し、相手を引き下げることによって、自己満足するという弱さがだれにもあるようです。

 「まったく、うちの上司はわかってないよなあ」「あの先生は、だめだよなあ」「あいつは、ここがだめ」「こいつは、ここがだめ」という言い方は、だれでもついしてしまいますが、そういう、相手をけなすことによって自己満足するという人間の弱さを克服していくためにはどうしたらいいでしょうか。

 長文実例は、7.3週のアンパンマンとバイキンマンの話も使えそうです。

 高校2年生 オイルショックが生じた時(感想文)

 太平洋戦争のひとつの大きなきっかけは、米国などの対日石油禁輸政策でした。オイルショックはそれに匹敵する重大事件でしたが、日本は逆にそのオイル危機をばねに省エネ技術を発達させ、かえってオイルショック以前よりも輸出競争力を伸ばしました。しかし、このことが欧米との間に貿易摩擦を引き起こす結果になりました。

 何か「塞翁が馬」を思わせるような話ですね。

 資本主義の原理は、弱肉強食の自由ですが、現代のように人間性の進歩した社会になると、弱いものが滅びて強いものが勝つのは当然でそれが社会の発展だと単純に言うことはできなくなっています。日本がオイルショックを乗り切るために必死の思いで古い設備を捨て新しい設備を使うようにし、その結果輸出競争力が増したとしても、他国にはまだその古い設備を使うことによって生計を立てている人もいます。その人たちにとって、日本の輸出は失業の輸出にほかならないということです。

 自分自身を向上させるために努力することは大切ですが、自分の進歩によって得た利益がほかの人の不利益に結びつくのであれば、自分の利益よりも全体の調和の方を優先させるくふうをすることが、これからの社会には求められてくるのだと思います。一人ひとりのエゴイズムを自由に発揮することが社会全体の利益になるというアダム・スミスの「見えざる手」は、これからの社会では多少修正を迫られてくるのかもしれません。

 自国の利益と同時に他国の事情も考えることを社会問題として考えていくといいと思います。

 長文実例は、7.3週の「人間とのかかわりなしに創造活動はありえない」などが加工できそうです。

 高校3年生 実は現在インターネットの(感想文)

 インターネットでは、資本主義化の力と贈与交換化の力とが争っています。ウィンドウズに対抗するOS(オペレーティングシステム)であるLinux(リナックス、リヌクス、ライナックスなどいろいろな読み方があります)が今急速に普及しつつあるのは、その一つの象徴でしょう。Linuxは、企業の力によってではなく全世界のボランティアの力によって発達したOSです。開発の責任者もいなければ開発に伴う報酬もない世界で、ウィンドウズに匹敵するほどのソフトウェアに発達したということは、これまでの価値観の延長では説明できないことです。

 しかし、この、だれでも参加できる自由でオープンなボランティアの世界は、その当初の自由さを維持するために、次第に仲間うちの閉鎖されたものを志向せざるを得ないという逆説も秘めています。

 インターネットにおける贈与交換の世界が将来どういう問題を生み出すか、そしてその対策は何か、ということを自分なりに考えて書いていきましょう。

 長文実例は、7.2週の競争原理の是非が使えそう。

 大学生社会人 こと青春に関するかぎり(感想文)

 青春には、自己否定に伴うエネルギーと未完成とが共存しています。人間の青春にかぎらず、すべて新しく生まれたり成長したりしているものごとには、このエネルギーの美しさと未完成の醜さが共存していると言ってもよいでしょう。

 現代の社会も、新しいものが生まれつつある社会です。みなさんもまた、日々新しい生き方に挑戦しようとしているでしょう。新しいものを生み出すことのプラス面とマイナス面を考えながら、本当に大事なことは何かという総合化の主題でまとめてみましょう。

 長文実例は、7.3週の学力の例に関連させて考えられそうです。学力は貨幣のように所有するものではなく、それを使うことによって初めて生きたものになることができます。青春も、所有するものではなく、それを生きていくことによって初めて意味あるのもになるのでしょう。

  光る表現コーナー 1999年7月4週号

由楽さん(あのか/小3)の作文より(みきこ先生/7.1週)

 もぐっていると「チャプ、チャプ」と聞こえるし、人がもぐっていないときは静かです。(評):音の聞こえるときと聞こえないとき。両方書いてあるので、その場の感じがとてもよく伝わります。

ペンギンさん(しろ/小3)の作文より(かつみ先生/7週)

 ぼくにとっては、西柴小学校のプールは、はじめてだったので、ひといちばいがっかりしました。 評:そうか、引越して初めてのプールだったんだね。

 「あぁあ。」「また入れないの。」みんながっかりして口ぐちに言いました。 評:会話文の書き出し、良くかけているよ。口ぐちに…というところがいいね。

栞さん(つて/小3)の作文より(とも先生/6.2週)

 わたしはおきものみたいな月みたいななぞのおりがみになまえをつけました。中略「なぞの月」というなまえにしました。なぜそんななまえにしたかというと月ににていて、ちゃんとたつからそういうなまえにしました。評:たとえやじぶんのやったことのりゆうがしっかり書けているね。「なぞの月」を先生も見てみたいな。

瑞季さん(てく/小3)の作文より(ゆり先生/7.1週)

 お母さんから聞いた話だと、昔のおふろは、木でできていて、まきで火をたいているんだそうです。おふろっていろいろあってたのしいね。評:昔のおふろ、外で星を見ながら入ることなんかをそうぞうするとホントに楽しいよね。

ひめさん(とけ/小3)の作文より(スズラン先生/7.1週)

 わたしが、かたまで入ると、「ジャー、バッシー」と、おゆがおふろの外にでます。評:お湯がいっぱい入っているお風呂に入った感じが出ていて、とても気持ちが良さそうですね。

純太さん(ねあ/小3)の作文より(ももんが先生/7.1週)

 カップに水を入れて、上から流すと、「ゴーゴー。」という音がします。評:元気良く流れ出す水のようすを、かっこよく表げんすることができましたね。

加恵さん(られ/小3)の作文より(あかね先生/7.1週)

 「つめたい。」シャワーの中で、おじぞうさんをした。今日は、学校の三年生のプールだ。十びょうかんシャワーをあびるのが、三年生の二十きゅうだ。(評)「つめたい。」という一言で、生き生きとその時のようすがえがけているね。

まなみっちさん(しあ/小4)の作文より(スズラン先生/7.1週)

 「ザブーン」おふろのおゆがたきのようにあふれます。気持ちいいなぁと思いました。評:お湯がいっぱいのお風呂に入ったときの感じが良く出ていますね。

ゆうちゃんさん(あにみ/小4)の作文より(ももんが先生/7.1週)

 アイスカップは、昔、遊びに使われていましたが、今では、大切な実験道具です。評:小さいころと今で、使われ方が変わったものがあることによく気がつき、うまく表現できました。こんな風に使われ方が変わったものが、もしかしたら他にもあるかもしれません。探してみるとおもしろいかもね。

ゼニガメさん(あひろ/小4)の作文より(ももんが先生/7.1週)

 わたしのほしいおふろは、たて二十五メートル、横、十三メートルのおふろです。そうすれば、夏になって、プールに行かなくても、そのおふろに水をはれば、プールになるからです。評:お〜! グッドアイデアだね。そんなおふろ、あったらいいなあ。

 バレエに行く前は、いやだなあと思いながら行きます。でも、バレエをやっていると、ウヒャー楽しいという気持ちに変わってしまうので、自分でもおもしろいなと思いました。評:自分の心の変化をすなおに表現した上で、それを見つめて、またそこで思ったことを書いてくれました。こんな風に自分の心をちょっと離れたところから、もう一度ふりかえってみることも大切ですね。

侑公子さん(あふえ/小4)の作文より(ももんが先生/7.1週)

 プリン(犬の名前)をあらうと、プリンの毛がなくなって、やせたろうじんになってしまうのでおかしいです。...(中略)。もちろん犬用のにゅうよくざいです。においは、ゆでたまごのにおいです。評:ふわふわのワンちゃんの毛が、水にぬれてしゅんとなっちゃうのね。「いいにおい」とか「いやなにおい」だけじゃなくって「ゆでたまごのにおい」ってすると、とってもわかりやすいね。なんだか作文を読んでいて、「くんくん...」においがしてくるみたいでしたよ。

ケッピーさん(そゆ/小4)の作文より(ふじのみや先生/7.1週)

 (ケッピーさんのお母さん)「はいはい。ガラーン。ぐしゅぐしゅ、はいっ、おわったからいくね。けいこ。」 ☆あわが目に入らないように、呼ばれたらすぐに行ってケッピーさんの頭を流してくれるのですね。いそがしそうね。

康平さん(てい/小4)の作文より(スズラン先生/7.1週)

 ぼくは、お風呂をあらうとき、ほとんどいやがりますが、あらっていると、なぜかたのしくなって、うれしくなってきたりして、まるで、野球でホームランを打ったようなたのしさです。評:始めはいやだなぁと思っていても、きれいになってくると、気持ちもピカピカ光ってくる感じがしますものね。感じがでていました。

惇平さん(あうさ/小5)の作文より(ゆり先生/7.1週)

 僕は、この前お風呂の枠の所にのってたっていたら(つるっごんどて)枠から落ちて転んだ。その時は、まるで頭が半分に割れたような痛さだった。評:落ちたときの様子がつたわってくるようですね。でも、どうしてお風呂の枠に乗って立っていたの?

信長さん(あえほ/小5)の作文より(かつみ先生/7.1週)

 三ヶ月後木魚をきくことになるかもしれない。 評:ユーモアをまじえた表現だね。先生は、大いにウケたよ

美和さん(あきき/小5)の作文より(スズラン先生/7.1週)

 私は、お風呂はまるで、体を温めてくれるお湯の精だなぁと思ったことがある。お風呂に入ると、お湯が体を温かく包んでくれるような気がするからだ。評:お風呂に入ったときの気持ち良さが出ている、きれいなたとえですね。

ひろりんさん(あしゆ/小5)の作文より(ふじのみや先生/7.1週)

 (お湯の中の虫は、お母さんが取ってくれたが、まだ気持ち悪い尋子さん)冬の朝にふとんにくるまっているように丸まって入った。 評:身動きできず、じっと固まっている様子。スキーの疲れをいやすどころじゃないですね。

チェリーさん(あにわ/小5)の作文より(とこのん先生/7.1週)

 お風呂という物は人によってさまざまです。私にとっては、小さいころは遊び場でした。でも今はごく楽の世界だと私は思います。お風呂は、家の中で安心するところベスト2ぐらいかな? 評:小さい頃は「遊び場」、そして今は「ごく楽」。お風呂が自分にとってどんな場所であるかを、とてもうまくたとえましたね。

ミッキーさん(けく/小5)の作文より(かつみ先生/7.1週)

 たぶんまるでそれは、肩がこっているときに、大人が「気持ちいい〜」というような、あのような気持ちよさだ。 評:それはきっといい気持ちなんだよ。これは説得力のある書き方だね。今回はちょっと長めの会話付き「たとえ」で来たね。これもいい方法。たとえをかんがえるのって、結構楽しいよね。

亜耶さん(ちて/小5)の作文より(ももんが先生/7.1週)

 お風呂に入っていると、けむりがもくもくとなって、まるで天国の中の温泉に入っているようです。評:わあ、おもしろい表現だね。もくもくの湯気もそうだけど、きっととっても気持ちがいいから「う〜ん。こりゃ天国みたいだなあ」って思うんだろうね。

みかんさん(つろ/小5)の作文より(ふじのみや先生/7.1週)

 (五右衛門風呂の板を)下におろすのが、また大変なのだ。一人でやると、「ヒョイ」とななめになって、またもどってしまう。二人で息を合わせてやると、「せーの! ちゃぷん! 」やっと入れるのだ。 評:ぷかぷか浮いてくる板を押さえるには、チームワーク(?)が大切なのね。

SAPPHIREさん(ああす/小6)の作文より(ミルクティ先生/7.1週)

 母は、五右衛門風呂に入ると、神秘的な感じがしたそうだ。なぜなら、まきの燃えるにおいや、窓を開けて入ってくる風、窓から見える田んぼの景色…といろいろなことがあるからだ。母は、片手または両手でお湯をすくっては、またもどしたら、そのぴちゃっぴちゃっという音がひびいて聞こえたそうだ。まるで、森の中にある泉のようだ。<評>聞いた話を、こまやかな情景描写で書けましたね。情緒のある文章です。

マサさん(あうて/小6)の作文より(とこのん先生/7.1週)

 お風呂は人にとって、一日のつかれやよごれをとるだけでなく、心もきれいにしてくれると思います。 評:一日で一番リラックスできる時間だからこそ、そう思えるんだよね。お風呂につかっていると、一日の嫌なことなんかがお湯と一緒に流れていくような気がするね。

 

宮淳さん(あたつ/小6)の作文より(かつみ先生/7.1週)

 「十人十色」というように、つかれていても、せんとうに行く人もいるのでさまざまだと思いました。 評:銭湯は各家庭にお風呂がつくようになったので、どんどん数が減っています。人と人とのコミュニケーションする場所が、時代とともに減っているような気がするね。もし近くに銭湯があるようだったら、ためしに行ってみるといいよ。昔からきているおじいちゃんたちから、きっと貴重な話が聞けると思うよ。

玲子さん(あたゆ/小6)の作文より(ひまわり先生/7.1週)

 いつもはよくしゃべる私たちでさえ、とても静かにはいっていた。(評)そのときのお風呂の雰囲気をよく伝えているね。

沙季子さん(てあ/小6)の作文より(スズラン先生/7.1週)

 五月にはしょうぶ湯という風習がある。略私は、しょうぶの葉をお腹にまいていたら、母が、「頭にまいてみたら。良くなるかもよ。」と言った。私は、失礼しちゃうわね、と思ったが、ひそかにまいてみた。その効果はどうかよく分からない。評:昔からの風習を楽しみましたね。きっと効果がありますよ。

エガさん(てせ/小6)の作文より(とこのん先生/7.1週)

 (お風呂は)一日の疲れを癒してくれる、いわば「宿」である。 評:「宿」とは、シブイこといいます。お風呂は本当に一日で最もゆっくりできる、至福の時かもしれません。

魔法使いさん(あちほ/中1)の作文より(スズラン先生/7.1週)

 私は日本舞踊を習っている。略たとえ一夜漬けで練習をしたとしても、へただと思われるだけで、成功でも何でもない。評:時間を掛けて体得するものは、一夜漬けは無理ということでしょうね。

パリパリさん(にみ/中1)の作文より(スズラン先生/7.1週)

 私も一度、一夜漬けをしてみて、そのつらさを実感した。ただひたすら、片手にえんぴつを持ち、勉強をする。まるで、自由を奪われた感じだった。評:一夜漬けは、時間がないというあせりの気持ちも、頭にのしかかってきますものね。つら〜い。(~_~メ)

まるこ2さん(ひえ/中1)の作文より(ふじのみや先生/7.1週)

 『一夜漬けは計画的に』 評:何かのCMで聞いたことのあるフレーズ? それを自作名言としてうまくアレンジして、結びを締めくくっています。

TERUさん(ふり/中1)の作文より(かつみ先生/7.1週)

 一夜漬け…。私はこの言葉を母から何回も聞いている。 評:インパクトのあるか出しだね。この一文で、野文ちゃんがいつも一夜漬けしていることがわかるね。(毎日勉強しておくれ)

哲也さん(くさ/中2)の作文より(ミルクティ先生/7.1週)

 私はどちらかというと、毎日コツコツやる派だから、あまり一夜漬けというものとは縁がないような気がする。「カメとウサギ」という物語があるが、ウサギのように、最後になって一気に終わらせてしまおうという一夜漬け派より、コツコツと努力していったカメが最後には勝利をものにする。<評>自分の意見を昔話とうまく結びつけて書けましたね。

アッポさん(うえ/中3)の作文より(ふじのみや先生/7.1週)

 積み重ねが必要なものは、いつもしっかりやる代わりに直前は軽めにする。暗記ものは、日ごろは、全体の流れをつかむ程度に下準備をし、直前は、暗記に力を注げばいいと思う。 評:なるほど、よい方法ですね。この逆にならないように、他の中学生の皆さんも参考にしましょう!

ドリカムさん(うせ/中3)の作文より(ふじのみや先生/7.1週)

 一夜漬けには、いろいろと良い面があるけれど、それは短時間の自分の力で、長い目で見ると地道にやっていかなければ、自分のためにならない。評:その通り。その通りなのですが、ついついやってしまって、たまにうまくいくから、やめられないのが一夜漬け。

太公望さん(うの/中3)の作文より(スズラン先生/7.1週)

 集中力をつけるなら一夜漬けはとても良いが、しかし、すぐ忘れてしまうので結局意味がない。その場しのぎということだ。評:一夜漬けで覚えたことは、結局は身に付かないということなのでしょうね。

正広さん(あのあ/高1)の作文より(みきこ先生/7.1週)

 今日まで経験してきた中で一夜漬けで成功したことは一度もない。(評):この切れ味鋭い書き出しで読み手の心をつかんでいます。

 

 

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あいさん(あねて/小2)の作文より(かつみ先生/7.2週)

 ゆいちゃんが「いいよ。」と、言ってくれたのでわたしはうれしいなぁ。と思いました。 評:おしえてくれるひとから、じょうずだよ、とか、いいよ、と言われると本当にうれしいよね。

夏紀さん(あはた/小2)の作文より(はるな先生/7.2週)

 ・・・・・わたしは、字をていねいにかけるようになりたいのですが、「字がていねいに....」とは、かきませんでした。なぜかというと、そんなにいっぱい、かなわない、と思ったからです。わたしはおもいました。「たなばたのねがいごとは、1つか2つまでかな」 だって、ささのはっぱでは、流れ星じゃないから、」あまりききめは、ないと思ったからです。「でも,流れ星もききめあるのかな?」こんどは、流れ星のことを考えました。 でも、わたしは、わかりませんでした。 講評;ことしの七夕祭りは,きもちよい晴天(せいてん)で、本当によかったですね。ささかざりに、おねがいごとを、ふたつ書いて、もうひとつのことを、えんりょしたいきさつが、とても、正直(しょうじき)に、のべられました。笹の葉と、流れ星と、どちらが、ききめがあるのかな?と、まよっているようすも、あなたらしくて、大変ほほえましいですね。努力すれば、どちらも、ねがいごとを、きっとかなえてくれることでしょう。

萌さん(あふよ/小2)の作文より(ミルクティ先生/7.1週)

 『おりひめさまとひこぼしさまがあえるといいな!』わたしはおりひめさまとひこぼしさまが会えるといいと思う。なぜかというと一年に一どしかあえないからです。きょ年もおと年も雨だったので会えなかったと思います。こんやはお天気がいいからきっと会えるね!<評>とっても、たのしい題をつけたね。さいごの思ったことも、たくさん書けましたね。v(^o^)

えりさん(あなふ/小3)の作文より(ももんが先生/7.1週)

 わたしは、おふろで、ねちゃいそうなぐらい気もちいいです。評:読んでいて「とろーん」としちゃうくらい、気もちよさがつたわってきました。

勇人さん(せや/小3)の作文より(かつみ先生/7.2週)

 あしたともだちとかえすかもしれません。 評:はやとくんのすなおなきもちがあらわされていて、いいですよ。ほのぼのとしています。先生はかえしたほうがいいとおもうんだけれど…。さいしょはぐるぐる流れる時間です。つぎにじゆうの時間です。 評:さいしょは…つぎは…のかきかたがいいね。

聡一朗さん(ふま/小3)の作文より(はるな先生/7.1週)

 「ガラー」 おふろのとをあけたら、ゆげが、ただよってきて、いいにおいもしてきました。洗面器にお湯をいれて、体にかけると、いつもほっとします。体をせっけんでこすり、またせんめんきにお湯を入れてかけ、ゆぶねに「ジャッパーン」ととびこんでぬくもります。・・・・(「きもちいいおふろ」より抜粋)講評;風呂に入って,いい気分でくつろいでいるんだなー,というふうに、読み手に作文の内容を感じさせる、くふうをこらした、とてもいい題名です。また、音と情景描写(じょうけいびょうしゃ)の書き出しもなかなか、印象的ですよ。

ザッカルさん(あおぬ/小4)の作文より(ひまわり先生/7.2週)

 おきなわで海に行って日やけをしてパイナップッルをいっぱい食べられるんだろうなとかパイナップルのいろんな物を食べたいなとその日の夜思っていました。(評)「うれしかった夜」という題名にふさわしい内容だね。

野本さん(あさつ/小4)の作文より(ひまわり先生/7.2週)

 もし、わたしが区長さんだったら、きちんと、村人、全員の意見をきいて、反対の人がいたら、その人をなっとくさせてから、電気をとりいれたり、ことわったりすると思いました。(評)村人みんなの意見を聞こうとするのは、立派な行いですね。

千陽さん(あすえ/小4)の作文より(はるな先生/7.1週)

 わたしは、そのおもちゃの車にのってみました。その時お金をいれてなかったので、すぐおりようとしたとき、つまずいて「ガクッ」 まるでおとしあなにおとされたように、ころんでしまいました、それから、様子がかわりました。歩くと、なんだか、びょうがささったように、足がズキズキするのです。おとうさんにきいてみると、「かえるか?いたいなら?」かえるのがいやだったので、「やだ!」といいました。 講評;ゆめ牧場でのりものから、おりようとして、つまずき、ころんでしまったようすを、たとえをつかって、とても、じょうずに表現できました。くじいた足の痛さが読み手にもじんじんつたわってきます。1年生の頃の,できごとなのに、よくおぼえていたので、感心しました。心配そうに、あなたを気遣うお父さんのやさしさが、会話ににじみでています。・・・・でも、骨折(こっせつ)じゃなくて、本当によかったですね。

 

 

テリーさん(あたや/小4)の作文より(かつみ先生/7.2週)

 ぼくは、みんなに「がんばろうね。」と、言ったらみんなが、「うん。」と答えてくれました。 評:クラスのみんなは仲が良いんだね。チームワークのいいクラスなんだろうなあ。「ひぃーごめんなさいー」と、おびえながらいいました。 評:おびえながら…というのが、ようすをよくつたえているね。こわかったんだね…

けろっぴさん(あちえ/小4)の作文より(ゆり先生/7.1週)

 ぼくはペットボトルをさかさにして、最後まで、湯にひたしました。そして、つかんでいた手をはなしました。「ドッヒューン。」ペットボトルはみごとにバスタブの外に出ました。評:ペットボトルが飛んでいく様子が目にうかぶようだね。「ドッヒューン」っていう音もいいねえ。

華絵さん(あのお/小4)の作文より(みきこ先生/7.2週)

 2枚目は「明るく、元気なクラスでいますように」と書きました。(評):すてきなねがいごとですね。

和也さん(あのく/小4)の作文より(はるな先生/7.2週)

 もっとびっくりしたことがあります。それは、七夕の日の朝7時にうまれたことです。おかあさんは、「この子はなんて、ラッキーな子だろう」とおもったそうです。ぼくは、7月7日にうまれたのが、とてもうれしいです講評;誕生日が、七夕の日7時・・・・・と、7ずくしの、とても、ラッキーな日だとは、本当にすごいですね。その日がとても、待ち遠しかったという理由がが、よーくわかりましたよ!

すぎメカさん(あのも/小4)の作文より(かつみ先生/7.1週)

 おならをタオルでつつんで、「プシュー、ぐおお〜〜お。」と、(略) 評:こういうことが、たのしいときってあるんだよね。ひみつだけれど(!?)先生も小さいとき、よくしました。「 」が、ようすをよくあらわしているね。

丈史さん(すふ/小4)の作文より(あかね先生/7.1週)

 おふろのふたをあげるとゆげがでています。まるでやかんみたいです。(評)おふろをやかんにたとえるなんて、ユニークなはっそうだね。

浩太郎さん(らゆ/小4)の作文より(ひまわり先生/7.1週)

 また水のシャワーをあびておふろのふたをしめて、おふろばからでます。(評)お風呂という題名にふさわしい終わり方になっているね。

遊戯王さん(あたも/小5)の作文より(かつみ先生/7.1週)

 ぼくのうちのお風呂はもうすぐ二十一世紀だというのに、……(略) 評:もうすぐ二十一世紀だというのにが、面白い表現だね。

裕貴さん(あはる/小5)の作文より(ふじのみや先生/7.1週)

 みんなとお風呂に入っていると、戦争みたいだけれど、みんなといると楽しかった。 評:ザブーン、ブクブクブク、と、大砲や潜水艦になってしまう子もいたでしょうね。

ミッキーさん(けく/小5)の作文より(かつみ先生/7.2週)

 どうしても、結果は、「いいよ。」です。 評:美紀ちゃんのやさしさがよく表れている一言だね。断れないって、結構つらいよねえ。

寛子さん(こた/小5)の作文より(とこのん先生/7.1週)

 (お風呂の中にゴーグルをつけてもぐると)中は、海のようで、ひとりでたのしんでいました。息が、足りなくなると、外に出ていきをすい、また中に戻ります。私は、それがたのしくて、たのしくてしょうがありませんでした。評:息継ぎをしてまたもぐる。ちょっとした冒険気分で楽しむ様子がよく伝わってきます。

ゆかちゃんさん(さあ/小5)の作文より(ゆり先生/7.1週)

 家のおふろのふたをしめるとき、おふろのお湯の色が、遠い海の色みたいに見えました。ふたをしめたあとには、うっすらとオレンジのかおりがのこりました。評:お湯の色やかおりを、とってもきれいな表現で書けた

ホームズさん(なか/小5)の作文より(ミルクティ先生/7.2週)

 鈴木君が、プロ野球選手のカードの巨人軍の上原(鈴木君は横浜ファンだけどね)のカードを、福岡君に交換してほしいと言った。だけど、福岡君は断れない。何故なら、日本人には、きっぱりと断れない性質があるからだ。鈴木君は、どこかに上原カードをもらえるという期待を抱きながら「そこをなんとか」を連発する。でも、最後には福岡君がしめる。「二枚になったら交換してあげる。」その言葉で、わがままな鈴木君も、なぜか納得する。このように、やはり日本人は、きっぱりと断れないのだ。<評>「きっぱり断れない日本人」というテーマにぴったりの話が、キレのある文体で書かれていて、最高におもしろい!(^o^)