http://www.mori7.com/ 1999年10月2週号 通算第635号 mori7@mori7.com

言葉の森新聞

文責 中根克明(森川林)

  漢字の読み書き能力

 漢字力と一口に言いますが、読む力と書く力は別のものです。

 読む力が不足している場合、そのいちばんの原因は読書不足です。逆に、習っていない漢字でも読めるという子は、例外なく読書好きです。読む力は、勉強によってつくよりも、日常生活の中の読書によってつくものです。

 書く力が不足している場合、そのいちばんの原因は勉強不足です。漢字というものは、独自に書き取りの勉強をしなければ、たとえ読めても正確には書けないものです。逆に言えば、漢字を書く力は、勉強すればだれでも身につくものです。

 学校のテストなどでは、習っていない漢字の読み書きが出されることはありませんから、読むことでは差がつくことはなく、もっぱら書くことで差がつきます。そのため、書き取りの力だけがクローズアップされがちですが、本当の実力は、むしろ、習っていない漢字を読む力のほうに表われています。

 漢字を読む力があると、読書の幅も自然に広がります。読書の幅が広がると、さらに漢字を読む力がついてきます。

 では、漢字を読む力はどのようにつけたらいいのでしょうか。

 湯川秀樹氏は、小学校に上がるか上がらないかのころに祖父から四書五経を読まされました。そのことで、どんな本も楽に読めるようになったと、後年述懐しています。

 言葉の森の長文には、その学年で習っていない漢字がたくさん出てきます。ふりがなをふらずにこの長文を読む練習をしていると、漢字を読む力が自然についてきます。

 しかし、まじめな生徒ほど、予習するときに読み間違えないようにふりがなをわざわざふって読んでいるようです。読めない漢字にふりがなをふるというやり方は、音楽の音符にドレミファを書くとか、英語の単語にカタカナの読み方を書くとかいうことと同じで、実は勉強の吸収度を浅くするものです。

 長文は、ふりがなをふらずに読めるようにしておきましょう。そして、習っていない漢字もどんどん読めるようにして、本を読む力をつけていきましょう。

  光る表現コーナー1999年10月2週号

稔生さん(あきわ/小5)の作文より(ももんが先生/9.3週)

 また、(遠くに行った友達との)再びの出会いも楽しいが、それに期待するのは、当たりつきのおかしの当たりを期待するようなものである。評:「当たりつきのおかしの当たり」って、出そうだな、出てほしいなあって思っても、なかなか出ないんだよね。遠くに行った友達も、会えそうでなかなか会えない。とってもうまいたとえだね。

友世さん(あちか/小5)の作文より(きょうこ先生/9.2週)

  「一寸の虫にも五分のたましいで、日本では捨て猫でもだれかにかわいがられていた。けれども、あんなに増えては、めんどうが見きれなかったのだと思う。」そうだね。めんどうを見きれるうちは何も問題はなかったのかもしれないね。日本人のちょっとした優しい心も、最後にはかえってかわいそうな結果を作り出してしまうこともあるんだね..。

史弥さん(あてろ/小5)の作文より(ふじのみや先生/9.1週)

 「ツクツクボウシ、ツクツクボウシ、ツクツクボウシ、ジューン、ジューン、ジューン、ジューン、ジジジジジジジジジジジ…」 評:これを読んだ時、頭の中でツクツクボウシが鳴き出しました。どうして、どのツクツクボウシも同じリズムで鳴くのか不思議ですね。

わたるさん(あにと/小5)の作文より(きょうこ先生/9.2週)

  「体が不自由な人にとってはイギリスの犬の方がいいだろう。でも、日本にも盲導犬というしつけの良い犬はいる。日本の犬はこのままでいいのではないかと思う。」うん、ほんとだね! 日本にもきちんとしつけをされた犬はいるんだよね! 長文にもなかった航くんの発見だ!!

プリンさん(あにも/小5)の作文より(けいこ先生/9.2週)

 不思議すぎて鳥肌が立ちそうだ。評:寒くなくても鳥肌は立つ。文章を読んで、心がふるえたということなんだと思うよ。

しょうさん(あふみ/小5)の作文より(ふじのみや先生/9.2週)

 やっぱりりんごは、まっかで味もおいしいなあと思いました。「シャク」。 評:作文の最初に「シャクシャク」という表現を入れ、最後を「シャク」。と音の書き終わりにしていて、後味(あとあじ)のいい結び方ですね。

茉有さん(ああの/小6)の作文より(スズラン先生/9.1週)

 日照りが強くて、蒸し暑い夏が過ぎて秋になった。・・略・・セミの、あのミイーン、ミイーンといううるさい声が減っていくかわりに、コオロギのリー、リーというきれいな声が増えていく。評:秋の虫が活躍を始める季節感がでていますね。

ミッチーさん(あこは/小6)の作文より(ミルクティ先生/9.2週)

 うるおいというものは大切だと思う。「きれいな食器で食事をしたり花をかざったりする事が何に役立っているというわけではないけれど、生活にうるおいを与えている。それが大事なことだ」と母は言っている。「角を矯めて牛を殺す」ということわざがあるが否定しすぎるとかえって良くないのである。多少のことには目をつむったほうがいいのかなと思う。噴水は僕たちにとって無くてはならないものではないが、生活にうるおいを与えてくれるのである。<評>作文のテーマについて、お母さんと話をして書いたんだね。ほかの人の意見を聞くことで自分の考えを深めているのがすばらしいよ。

tweetyさん(あすき/小6)の作文より(スズラン先生/9.3週)

 私は、去年の夏休み、団体だが、ホームスティでアメリカのオレゴン州という所へ行った。このことは、別に両親が行きなさいと言ったのではなく、私、自分自身が行きたいと言ったのだ。このことで、私は、文化的カプセルから足を踏み出そうとしている。評:積極的に行動を起こして、未知の世界を楽しむチャンスを作ったのは、とても良い体験でしたね。良い実例でしたよ。

しおりさん(あそと/小6)の作文より(ふじのみや先生/9.3週)

 絵や、技術を見るだけではなく、「外に出る」ということは、他の人と交流することでもあるのだ。 評:日本人は技術など、見せるものがあってこそ外国人と話ができるのだけれど、個人対個人になってしまうとどうもコミュニケーションは苦手なのかもね。

宮淳さん(あたつ/小6)の作文より(かつみ先生/9.3週)

 ……(略)……不気味に笑って手で口を押さえながら…… 評:不気味に笑って、というのが、大いにうなづけました。文化というものは、すぐにあきてしまう人間をあきさせないために、意味のないものを作り、興味をもたせ文化を作っていくんだと思った。

はるるさん(くあ/小6)の作文より(みち先生/9.2週)

 食べて寝てまた食べての繰り返しのハムスターたちにお皿を洗ってもらうのもできないし、お布団を干してもらうこともできない。しかし、そんなことをいったら、私も早川家の「必要無い物」になってしまう。私は、だから、「必要ないもの」も、とても大切だと思う。評:ハムスターのことを考えてみたら、私も似てるなあと思ったのはユーモアがあっておもしろいですね。秋の虫の鳴き声が和むという人は、よくいるけど、夏の虫、たとえば蝉などの鳴き声を聞いて心が和むという人は今の次点では聞いたことが無い。では、なぜ秋なのだろうか。それには、気温の差というものもついてくると思う。夏はとてつもなく暑いが、秋は、そんな夏から寒い冬へとかわる時期だから、よけい涼しく感じると思う。そして、いままでなかった余裕ができて、夏にはなかった虫の声に関心がもてるようになったのではないのだろうか。評:科学的な考え方は思考力の深さですね。

駿介さん(らる/小6)の作文より(ミルクティ先生/9.2週)

 ぼくにとっては、いい物だけどお母さんにとってはいやな物がある。それは、ゲームだ。お母さんは、ぼくがゲームをやっていると「ゲームをやるよりか勉強をしなさい」と言ってくる。(略)ぼくは、お母さんもお父さんも、ぼくみたいにゲームをやってみればいいのにと思った。<評>「役に立たないようで大事なもの」を身近な例でうまく見つけたね。駿介君にとっては、ゲームは役に立たないものではなくて、息ぬきに必要なものなんだね。(^o^)

魔法使いさん(あちほ/中1)の作文より(スズラン先生/9.3週)

 人の心というものは、こわれることは簡単だが、直すにはかなり時間がかかる。だから弱気になってしまうことがあるかもしれないが、一人で考えないで、他人と交わることを心掛けたい。評:他の人の生き方を知るということも、自分自身を見つめることにもなりますものね。一人で閉じこもっていては解決しないことがいっぱいありそうです。

 

 

  10.2週のヒント(小1〜小5)

 小学1年生 10.2週 自由な題名

 小学1年生は、自由な題名です。書くことを見つけてきましょう。

 小学1年生 10.3週 ミナちゃんは、まるくて(感想文)

 ミナちゃんは、おとうさんといっしょにあさがおのたねをまきました。うえきばきの土に、ゆびで小さなあなをつくると、その中に一つぶずつたねをいれてそっと土をかけました。

 植物を植えたことがあるという似た話を思い出してみましょう。夏休みに、ヒマワリの種やアサガオの種を植えたことのある人も多いでしょう。

 ところで、みなさんは、アサガオのつるが左巻きか右巻きか知っていますか。上から見ると時計と反対回りに巻いているので、アサガオのつるは左巻きです。では、この巻いているつるをはずして、むりやりに右巻きに巻き直してみたら、アサガオはどうなるでしょう。(1)そのままのんきそうに右巻きをつづける、(2)いつのまにか自分で右巻きをほどいて左巻きに直してしまう、(3)「なんでこんなことするんだ」とアサガオがおこりだす。さて、何番かな?

 感想文の書き方の流れ

 わたしがこの話を読んでいちばんおもしろいと思ったところは、ミナちゃんが手についた土をポンポンとおとしたところです。(と、中心を決めます。「いちばん」という言葉が使いにくいときは、「ミナちゃんは、おとうさんといっしょにアサガオのたねをうえました」と、長文の説明を書いていってもいいでしょう)

 わたしもにた話があります。それは、夏休みに入る前のことです。わたしは、お母さんといっしょにアサガオのたねをうえました。それは、……(ここは、普通の作文と同じように会話やたとえなどを入れてくわしく書きます。また、「どうしてかというと」という言葉をつかって、そのときの理由などもできるだけくわしく説明していきましょう)

 わたしは、ミナちゃんのうえたアサガオは何色の花がさくかなあと思いました。(と、長文の話にもどって、結びの感想を書きます)

 小学2年生 10.2週 自由な題名

 小学2年生は、自由な題名です。書くことを見つけてきましょう。題名課題の中にある「秋を見つけたこと」「木登りをしたこと」などで書いていく場合は、何を書くか書くことを考えてきましょう。木登りの話は、お父さんに子供のころの話を聞いてみるとおもしろいと思います。

 小学2年生 10.3週 生まれたての(感想文)

 夏の初めにオタマジャクシをつかまえた人も多いでしょう。長いしっぽがだんだん短くなり、やがて後足がはえて前足がはえてきます。しっぽがオタマジャクシの体の中にすいこまれていくようですね。

 生き物の体は不思議な力を持っています。みなさんがけがをしたときのことなどを思い出してみましょう。初めのうち痛そうに開いていた傷口の上にだんだんかさぶたができて、やがてかさぶたがはがれてくると、その下からまた新しい皮膚が出てきています。オタマジャクシで似た話の書けない人は、自分の体のことで似た話を考えてみましょう。この長文に書いてあるように、おじいさんやおばあさんの白髪(しらが)の話を書いてもいいでしょう。えっ? 「ぼくのお父さんは頭がはげています」だって? うーん、それは、似た話になるかなあ。^^; 頭が毛をすいこんじゃったのかなあ……。

 書き方の流れ

 ぼくが、この話を読んでいちばんふしぎだったことは、オタマジャクシが自分のしっぽをすいこんでしまうということです。(と、中心を決めます。「いちばん」という言葉が使いにくいときは無理に使わなくてもいいです。「オタマジャクシは、自分のしっぽをすいこんでしまいます」などと、長文の説明を書いておきましょう)

 ぼくも、つかまえたオタマジャクシを観察したことがあります。そのとき、……(と、ここで、会話やたとえなどを入れて、普段の作文と同じように似た話をくわしくかきます)

 ぼくも、この前けがをしたときに、傷が自然になおっていったので、不思議だと思ったことがあります。そのけがは、……(と、オタマジャクシのこと以外にも、似た話を見つけると、字数を長く書いていくことができます)

 ぼくは、この話を読んで、オタマジャクシのように、ほかにも自分の体をすいこんでしまう生き物がいるかなあと思いました。(と、長文の話にもどって感想をまとめましょう)

 小学3年生 10.2週 秋を見つけたこと

 秋もだいぶ深まってきました。今ごろ目につく秋のものというと、紅葉にはまだ少し早いから、植物の実や種のようなものになるでしょう。カキやクリやサツマイモも秋を感じさせますが、みなさんにとってもっと身近なものは、アメリカセンダングサやオナモミやイノコヅチなどでしょう。カラスウリなどの実も、野山に行くと見つかるかもしれませんね。

 小学3年生 10.3週 でもね、お母さん(感想文)

 アルバート(アインシュタイン)が通っていたころのドイツの小学校は、規則第一で軍隊のようでした。アルバートは一ヶ月で学校がいやになってしまいました。しかし、学校から帰ると、ヤコブおじさんに数学を教えてもらいました。バイオリンもかたくるしいレッスンはきらいでしたが、自分でくふうしているうちにひけるようになりました。父のヘルマンからは文学、母のパゥリーネからは音楽、ヤコブおじさんからは科学。この三つの世界がアインシュタインの人生の柱になりました。

 似た話は、(1)学校がつまらないので行きたくなくなったこと、(2)学校で習わなかったことをお父さんやお母さんに教えてもらったこと、(3)バイオリンなどの楽器を自分で弾けるようになったこと、などが考えられそうです。

 小学4年生 10.2週 お米は日本人に(感想文)

 「秋を見つけたこと」も●になっていますが、できるだけ感想文のほうで書いていきましょう。

 お米は日本人の生活のいろいろなところに使われています。おもち、せんべい、お酒、お酢などのほかに、たたみや壁やわらじやかっぱにも昔はお米から作ったわらが使われていました。わらで作られたものは、使い終えれば燃料になったり肥料になったりしました。

 似た話として、身近にある「お米から作られたもの」を探してみましょう。みなさんの家にも、畳のしいてある部屋と板の間になっている部屋とがあるでしょう。家族みんなでくつろぐときは、やはり、畳の部屋でこたつに入ってというかたちになりがちです。(もちろん、これは家庭によって違いますが)

 いま、わらじをはいて、わらがっぱを着て学校に通う子はいませんが、昔の人は、みんなこういうものを履いたり着たりしていました。お米を主食にしていた日本人は、たくさんとれたお米を食べることに使うだけでなく、食べられないわらやもみも残さず使うようにくふうしました。そのくふうが、なわやわらじやかっぱや畳を生み出したのです。

 現代では、わらを使うことはほとんどなくなりましたが、こういう工夫の精神は日本人の心に生き続けているようです。ペットボトルを再利用したり、牛乳パックを葉書にしたりというのは、昔の人があまったわらを利用した物作りを工夫したことに通じるところがあるようです。みなさんの中にも、一度使った消しゴムのかすをあつめて、それを再利用している人がいるでしょう。「いえーい。鼻くそができたぞ」なあんて。

 小学4年生 10.3週 みなさんは江戸時代の(感想文)

 江戸時代には、「加賀百万石」などというようにお米のとれ高でその国の豊かさを表わしていました。お米は日本人にとっては生きるための基本でした。また、日本の川は急流が多く、降った雨はすぐに川に流れてしまいますが、水田や森林の力でいつでも枯れることがありません。

 日本では、普段の生活の中でお米が重要な役割を果たしています。昔のように、給料のかわりにお米が渡されるというようなことはもうありませんが、朝ご飯でも夕ご飯でも、毎日の食事のほとんどがお米中心だという生活は今も変わらないでしょう。みなさんがスパゲティーやハンバーガーなどを食べていると、よくお父さんやお母さんは「やっぱりご飯の方が食べた気がするね」などと言いませんか。そんな似た話を書いてみましょう。また、田舎などに行くと、水田に稲が実っている光景がよく見られます。水田には、いつも水がたたえられています。こういう水田の水が緑のダムになっているんだなあとあらためて思い起こしてみましょう。

 似た話は、水田を見た話や水田の近くで遊んだ話などが書けそうです。水田にはいつも水がたたえられています。この水田の水が、降った雨が川にすぐながれていかずに地下にたくわえられるもとになっています。

 夏に川で遊んだことを思い出してもいいでしょう。雨が何日も降らずに晴天が続いていても、川はいつも同じように流れています。この川の水は、降った雨がすぐに川になるのではなく、いったん水田や森林にたくわえられてそれが地下水になってから川として出てくるのです。ですから、いま流れている川の水の中には何百年も前の雨の水が含まれています。こう考えると、水田や森林の力は偉大ですね。

 小学5年生 10.2週 子どものころ、わたしは(感想文)

 解説:友達に何かをたのまれてことわれなかったり、いやなことをイヤと言えなかったり、あやまりたいけどあやまれなかったりしたことってあるでしょう。「ごめんね」ということばは、なかなか言いにくいものです。5年生は、この文章を読んで「わかったこと」を書きましょう。「人間は……」「言葉というものは……」という大きい感想でわかったことを書いていくとなおいい感想になります。

 ことわざ:「61、知って行わざるは、知らざるに同じ」「69、人生意気に感ず」「131、実るほど頭(こうべ)をたれる稲穂かな」などが使えそうです。

 小学5年生 10.3週 あなたがたはとくと(感想文)

 機械でなんでも作れる世の中になってきましたが、それだけに手仕事で作られたもののよさが見直されているようです。みなさんの中にも、教室に持ってくるバッグをお母さんが作ってくれたという人がいるでしょう。もし、芸術家がバッグを作るとしたら、そこに自分の名前を入れて、「これはピカソが作ったバッグだ」などと主張するかもしれません。しかし、お母さんはそんなことをしません。名前を残そうとするよりも、子供が喜ぶようなバッグを作ろうとするところに心が向いているからです。

 手仕事のよさということで、似た話を考えてみましょう。手編みのセーター、手書きの年賀状、手作りのお弁当など、いろいろありそうですね。

ことわざのヒントは、逆の意味で「132、餅(もち)は餅屋」。芸術作品や値段の高いものだけが尊いのではないという意味で「136、山高きが故に貴からず」。だれかにほめてもらうことよりも、いい品物を作ることに心をこめるという意味で「116、人を相手にせず、天を相手にせよ」などが使えそうです。

  10.2週のヒント(小6〜社)

 小学6年生 10.2週 色づいたカキは日本の(感想文)

内容:カキは千年にもわたって日本人とともにあった。カキには甘ガキと渋ガキとがある。渋の本体はタンニンである。渋は、無用な時期に果実が動物に食われるのを防ぐ「適応」的な意味を持っている。

似た例:渋ガキを食べた例などでもいいと思いますが、もっと広げて、果物そのものが、熟してから甘くなるという例で書いてもいいでしょう。鳥などに種を運んでもらうために、若い時期には渋かったものが、熟してから甘くなるという例はカキのほかにもいろいろあると思います。

感想:果物と動物との助け合いというようなところで感想が書けそうです。

ことわざ:渋ガキが熟するまで待っていてはカラスに食べられてしまうというところで「56、先んずれば……」。渋ガキをまだ熟さないうちに取って食べると渋いというところで「76、せいては……」などが使えそう。

 小学6年生 10.3週 「笑う門には福が来る」(感想文)

内容:運は日常の生き方の結果である。社会性を欠いた人は、「私は運が悪い」という。何が原因で自分に世の中がつらく当たるのか理解できない。しかし社会性を欠いた毎日の積み重ねでそうなっていくのだ。こうして幸運や不運の環境はできてくる。著者は運命を信じる人は怠け者でおろかものであるという。努力と忍耐なくして幸運はありえない。困難のない人生などない。これが人生の運を考えるときの大前提である。

似た話:勉強でもスポーツでも、練習で努力をした人にはそれなりの成果があるものですが、練習も努力もしないで、「どうしてうまくいかないのかなあ」とためいきをついている人は、みんなのまわりにいないかな。逆に、みんなから好かれる人やものごとがうまくいく人は、ただ運がいいのではなく、それなりのことをふだんからしているということにも気がつきますね。身近な話で似た例をさがしてみましょう。「聞いた話・調べた話」では、お父さんやお母さんに、運のいい人や悪い人の話を聞いてみるといいでしょう。

感想とことわざ:「126、まかぬ種は……」「120、百里(千里)の道も……」などが使えそうですね。

 中学1年生 10.2週 子供の世界は(感想文)

 意見:確かに人間の内的世界をかかわらせない科学的な見方の方が、世界を正確に表すことができます。実感としては、太陽が東から昇って西に沈むとだれもが感じます。その実感を克服するのが科学的な見方です。しかし、現代の社会は、科学的な正確さを求めるあまり、人間の心の納得をないがしろにしている面もあります。「知識として理解するよりも心から納得することの大切さ」という主題で書いていきましょう。または、長文の冒頭にある「ふしぎに思うことの大切さ」を意見にして書いてもいいと思います。

 名言:「30、自分の心のうちに持っていないものは、何ひとつ自分の財産ではない」などが使えそうです。

 中学2年生 10.2週 何でもよく知っていて(感想文)

 要約:情報や知識よりも知恵が大切だ。知恵があるかないかは、自分の頭で考えているかいないかの違いだ。ファーストフードの定員のマニュアル化した応対なども笑い話とは言えない。今の教育でも、知恵を育てるようなゆとりが必要だ。

 意見:知識よりも自分で考える力が大切だという意見で書くとよいでしょう。反対理解は、「確かに基礎になる知識が大切だが」というところです。知識や情報なしに考えると、ひとりよがりになることもあるでしょう。

 名言:「46、知識がはしごを作ったのではなく……」「51、読書とは自分の頭で考えることでなく……」などが使えそうです。

 「総合化の主題」……AとBの二つの意見を、Cという、より高い次元の意見にまとめていく練習です。これは、ひらめきがないとなかなか考えつかない意見ですから、どうしても思い付かない場合は「AとBをうまく使い分けていくことが大切だ」というような折衷案にしてもかまいません。しかし、できるだけ自分の力で、より高い次元のCという意見を見つけていきましょう。「知識と知恵とどちらが大切か」という設定の場合は、「知識に支えられた知恵こそが大切だ」のように考えられるでしょう。また、「知識と知恵を二つの手段と考えれば、大事なのは手段ではなく目的だ」ということで、「まず何のためにやっているのかという目的をはっきりさせることが最も大切だ」のようにまとめていくこともできるでしょう。

 中学3年生 10.2週 学校について友人と(感想文)

 内容:幼稚園でのお遊戯やお弁当は他人の身体に起こっていることを生き生きと感じる練習になっている。学校は、共同社会で生きるルールを教える前に、そのルールの前提となっている他者への想像力や幸福の感情を教える場であるべきだ。

 解説:保育園や幼稚園時代のことを思い出してみましょう。友達といっしょにお歌やお遊戯をしたことが懐かしく思い出されるでしょう。子供時代に同じことをして遊んだという経験は、人間が人間らしく生きる原点を形成するようです。孤独に過ごす時間というのも人間には必要ですが、それも他の人と共感できる能力に支えられてこそ意味あるものになるのでしょう。

 

 高校1年生 10.2週 効力感は(感想文)

 解説:意見は現代の社会の問題にかかわらせながら書いていきましょう。子供は(人間は)自分の力で、周囲の大人や兄弟のお手本を参考にしながら、新しい課題に挑戦し効力感を獲得していく、というのが長文の内容です。みなさんも子供のころ、お母さんが危ないからやめなさいというのを振り切って自分の力で玉子焼きを作ろうとしたり、電車の切符を買おうとしたり、自転車で遠出をしたりしたことがあるでしょう。現代の社会は、子供が自分の力で課題を見つけ達成することにあまり寛容ではありません。それよりも、勉強のスケジュールに合わせて、子供が自分からは必ずしもやりたいと思っていないことまで賞罰で押し付けているようなところもあります。これは、文明社会が持つ共通の弱点です。「あぶないからしちゃダメ」という制限と、「したくないことでもしなさい(ごほうびをあげるから)」という押し付けが共存しているのが現代の社会です。ここから、当為の主題「子供は……べきだ」という意見や、社会問題の主題「……は問題だ」という意見を書いて、そのあと方法や原因や対策で展開していきましょう。

 ことわざの加工は、こんな感じです。「『蟹は甲羅に似せて穴を掘る』ということわざがある。人間も本来自分の甲羅に合わせてそのときどきの課題を見つけ出す力があるはずである。しかし、現代の社会は、甲羅の大きさにかまわずに一律に同じ穴を掘ることを要求しているように見える」。ことわざをほかの言葉にあてはめたり、ことわざを逆の意見のところで引用したりするのが「ことわざの加工」です。

 高校2年生 10.2週 近代社会は前近代の(感想文)

 近代社会は、前近代の安定したピラミッド型の社会構造を破壊し流動状態をもちこんだが、ピラミッドの枠組そのものは破壊しなかった。しかし現代では、階層構造の秩序そのものが信頼を失っている。人々は全体への従属関係を持てなくなった不安を、カルトという同質性のうえに作られたささやかな異質性の中に求めようとしている。

 高校生のうちは、受験という大きな目標があるので、まだ階層秩序がないことへの不安という心理はわかりにくいかもしれません。しかし、受験が終わると、果たしてこの社会に生きるに値する大きな目標があるのだろうかという気持ちを多くの人が感じるようです。この不安を解消する手段として特殊な小さなコミュニティというものが成り立つ、というのが著者の意見です。現代社会の問題として考えていきましょう。

 高校3年生 10.2週 回収された牛乳パック(感想文)

 回収された牛乳パックから作られるトイレットペーパーが売れなくなっている。木から作ったパルプを使ったほうが値段が安いからだ。リサイクルはすばらしいことだが、もう一歩進んで考える必要がある。

 善意の意図から行われるちぐはぐな結果というのは、リサイクル以外にもいろいろとありそうです。早期教育なども、子供のためにと思ってしたことがかえって子供にとってマイナスになるという場合があります。「巨人の星」に出てくる大リーガー養成ギブスなども、本当に子供にあんなことをしたら、骨折しちゃうだろうしね。

 最近問題が次々と出ている原子力発電所も、エネルギー問題を解決するよりも、かえって高コストについてしまうことがあるようです。

 シカを保護するために、シカの天敵であるオオカミを退治しすぎた結果、シカも絶滅しそうになったという話は、どこかで聞いたことがあるでしょう。

 いいことをしようという動機は大切ですが、その方法を科学的に考えないと、かえって動機に反することをしてしまうということです。しかし、人間の限られた知恵であらかじめすべてを見通すことは不可能です。むしろ大事なことは、試行錯誤の結果、間違いに気づいたらすぐに軌道修正できるという柔軟性なのかもしれません。

 大学生社会人 10.2週 一九九九年という年は(感想文)

 内容:現代の世界経済の問題は、投機化をどうコントロールするかということである。投機は現実と制度の矛盾を突く。投機を否定するのではなく、政治が現実と制度のずれを早めに改革していくことが必要である。

 解説:現代の世界経済は投機マネーの動きを無視しては考えることができません。投機マネーは実体経済で動くマネーの数十倍の規模で動いています。しかも、マネーに国境がないのに対し、政治の世界は国境ではっきりと区別されています。統合ヨーロッパのEUでも、国境をひとつ越えると政治制度や税金の関係で商品の値段がまったく違うという状況があるようです。世界的な規模で動くマネーをコントロールするためには、世界的な政治体制が必要なのでしょうが、そういう世界が登場するにはまだ数百年はかかりそうです。

 一つの解決策は、政治の世界に合わせてマネーの世界にも国境をもちこむことですが、今日のように相互依存の強い世界では、それも現実的な選択にはなり得ないようです。