http://www.mori7.com/ 1999年10月3週号 通算第636号 mori7@mori7.com

言葉の森新聞

文責 中根克明(森川林)

  10.4週は清書です

 10.4週は、清書です。教室に通っている人は、これまでの作文を持ってきましょう。

 清書は、担当の先生の説明を参考にして、返却された作文の中から自分でいちばんよいと思うものを選び、清書用紙に清書してください。

 新しく教室に入ったばかりの人は、返却されている作文がない場合もあります。また、返却されている作文の中に清書するようなものがない場合もあります。そのときは、清書用紙に直接自由な題名で作文を書いて送ってください。

 名前は、清書用紙の下の部分に書くようになりました。この部分は、インターネットに掲載したり印刷したりする際は表示されないようにしています。学校名は、小学生の場合だけ書いてください。学校名以外は、すべての生徒が書いてください

  コンピュータは、江戸時代末期の英語

 江戸時代の末期、外国語学習の重要性を認識している人はひとにぎりでした。大多数の人は、優れた知識人も含めて、四書五経の教養が学問の中心だと考えていました。オランダ語や英語など目新しいものを勉強するのは、ちょっとおっちょこちょいの人間で、それらのブームはいずれ下火になるものだと考えられていました。福沢諭吉が、それまでのオランダ語の勉強から新たに英語の勉強を始めようと決意したとき、オランダ語を勉強していた仲間の多くは、苦労して新しく英語の勉強を始めるよりもオランダ語に翻訳されたものを読めばいいと言ったそうです。四書五経で教養を身につけていた知識人の多くも、苦労して英語の勉強を始めるよりも、中国語や日本語に翻訳されたものを学べばよいと考えていたと思います。

 いま、インターネットやコンピュータの重要性を認識しているのは、決してひとにぎりではありませんが、40代以上の人のかなりの人が、事態の重要性をまだ十分に把握していないようです。

 20代や30代の親は、若いときにテレビゲームをした経験のある人も多いので、コンピュータやインターネットの可能性を実感として理解しています。教室に来ている生徒でも、自宅にパソコンがあってインターネットにつながっているというのは、小学校の低学年の子ほど多くなります。しかし、中学生の親になると、パソコンやインターネットに関心を示す割合はかなり少なくなり、高校生の親になると、関心を持つ親は逆に少数派になってしまいます。

 言葉の森の作文の勉強を自宅でやっていく場合、小学5年生以上は、インターネットの利用は欠かせないものになりつつあります。同学年の生徒が書いた作文をその場で読めるということは、勉強のしやすさに大きく影響します。しかも、ほかの人の作文を読んで、その場で感想を書いたり、ちょうどタイミングが合えば画面の上でおしゃべりができたりするというのは、今後の勉強の仕方を大きく変えていく可能性を秘めています。

 確かにパソコンは、まだかなり故障しやすい機械です。教室でもつい2週間ほど前に仕事で使っている2台のパソコンのハードディスクが突然読み込めなくなるという事故がありました。また、通信料金の定額制はやっと始まりかけたところで、インターネットを日常生活に使うにはまだ電話料を気にしなければならないという事情があります。更に仕事で忙しい社会人にとっては、機種や性能のよくわからないパソコンを新たに買ってインターネットに接続する環境を整えるということは、やはりわずらわしいことです。しかし、これは勇気をもって取り組む必要があります。

 現代のインターネットとコンピュータは、ちょうど江戸末期の外国語のようなものです。多少の出費やトラブルは、新しい勉強にはつきものだと覚悟して導入していくことが必要ではないかと思います。

 言葉の森の近くの公立中学校では3年生の技術家庭の授業で、キーボードがどのくらいの速さで打てるかという試験があるそうです。また、技術家庭の中3の三学期の実習は、ペイントブラシというソフトで絵や字を書くことです。中3の技術家庭でこういう授業が行なわれたということは、数年後には、昔はずいぶん幼稚なことをやっていたのだということで笑い話になるでしょう。しかし、今は、キーボードもペイントブラシも初めてだという生徒のほうがずっと多いのです。しかも、中学にあるパソコンのOSはウィンドウズ3.1で、機種はFMタウンズ(たぶん7、8年前の機械だと思います)だそうです。

 アメリカでは、税金計算のために表計算ソフトが使われることで、パソコンを使う必然性がありましたが、日本では、ゲームか年賀状かワープロぐらいにしか使い道がありませんでした。しかし、今年の秋から電話料の定額制が普及し始めると、パソコンの主な用途はインターネットだということがはっきりしてくると思います。インターネットの中でも、親しい人とお喋りをするためのチャットソフトが今後のキラーアプリケーションになると予想されています。インターネットが世界中に無数の小さなコミュニケーションを生み出そうとしているのです。

 インターネットは、今後、生活や産業を大きく変えていくでしょう。小学5年生以上の子供さんのいる家庭では、作文の勉強のためにも、インターネットの利用を本格的に考えていってくださるようお願いします。

  10月29日(金)30日(土)は休みです

 10月29日(金)30日(土)は、お休みです。宿題もありませんから、家でゆっくり本を読んだり遊んだりしていてください。(^o^)v

  光る表現(小5) 1999年10月3週号

コナンさん(あえた/小5)の作文より(洋子先生/10.2週)

 去年一位だった子にぴったりくっついてはしれるのだが、越すときにスピ−ドを上げると相手もスピ−ドを上げてしまって、越したり越されたりして、いたちごっこになってしまうのだ。評:マラソン大会で一位をどうにかして抜いて自分が先頭の一位になりたいコナンちゃん。もどかしさがよく表現できていますね。

美和さん(あきき/小5)の作文より(スズラン先生/10.1週)

 私は、リレーやムカデレースのようにチームでやるものは、チームワークが大切ということと、はげまし合い、協力し合って、初めてできることなんだと思う。評:団体競技をとおして、みんなで力を合わせることの大切さを学びましたね。

ひとみさん(あみせ/小5)の作文より(洋子先生/10.1週)

 「新井、バスケやんない?」この一言で私は、バスケが大好きになってしまった。評:私の好きなスポ−ツのでだしの文です。バスケットが好きでバスケットのことについて書くのだなということよくがわかりますね私は、あいさつとは、すごく大切なものだなと思った。いつも言っているあいさつがすごく、神聖なものに思えてきた。わたしは、これからもたくさんの人にあいさつをすると思うけれどあいさつの大切さをわすれないようにしようと思う。評:「神聖」という言葉にあなたがいかにあいさつが大切かを認識したかがわかります。

ミッキーさん(けく/小5)の作文より(かつみ先生/10.1週)

 真っ青な空、その真下に私たちはいる。みんな。はらはら、ドキドキしながら、自分の出番を待っている。いままでの練習の成果はあらわれるのか・・・。 評:こういう情景の書き出しは本当にすがすがしくて、読む人の心をとらえるよね。いい書き出し!!次回も楽しみにしているよ。

ホームズさん(なか/小5)の作文より(ミルクティ先生/10.1週)

 「おーい!!」僕は友達から呼ばれてバットを持った。無死一塁。(略)無死一塁で打席に立った僕。(いまだ!!!)タイミングよく、フルスイングした。公園いっぱいに、快音が残った。<評>書き出しを情景描写ではじめ、結びも情景描写でうまくまとめたね。まるで小説の一節のようで、カッコイイ終わり方。v(^o^)

星野惇さん(のと/小5)の作文より(ゆり先生/9.3週)

 朝におはようございますを言うと今日一日がんばれると思え、さようならと言うとがんばり終わったと思う。これは僕の考えだ。挨拶はまるで、合い言葉みたいだ。評:おたがいに明るい気持ちになれる”合い言葉”。あいさつっていいものだね。

諒子さん(まく/小5)の作文より(はるな先生/9.3週)

 ....私達のテーブルには、男子の作ったものとあわせて、4つのスクランブルエッグのようなクレープの皮)とオムレツのようなかたまりがひとつ。・・・・(中略)(うっ! 生焼け.....)と思いながら必死で食べたと言う思い出です。すごくひさんなお別れ会だったけれど、今は楽しかったおもいでです。 (講評);班でクレープづくりに挑戦(ちょうせん)し、みんなで、悪戦苦闘(あくせんくとう)しながら、作った様子が、たいへんユーモラスに、かきあらわせました。ホットプレートがなかなか、温まらなくてじれて、生地を流し込んではがすときの苦労や、生焼けの失敗作など、本当にたいへんでしたね。たとえの表現がとても、ユーモラスに表せていています。クレープのできばえがイマイチで、ひさんなお別れ会になったけれど、その分、忘れがたい思い出となりましたね。

 

  光る表現(小1−小2) 1999年10月3週号

恵美子さん(あみく/小1)の作文より(ミルクティ先生/10.1週)

 『すきなたべもの』また、ごはんのうえにかけるとろろを三ばいぐらいたべました。「おかわり!」「おかわり!」「おかわり!」あんまりたべたので、おなかがおもくなって、あるきにくくなりました。<評>だいすきな とろろごはんは たくさん おかわりしちゃうよね。会話(かいわ)を くりかえして書いたのが とても くふうしているね。

奈歩さん(あさわ/小2)の作文より(みち先生/9.2週)

 (運動会のおどりのれんしゅう)さいしょは下をみます。そして曲がなりました。「ドゥンドゥドゥルルルーラララーラララダララ」と、いう曲がながれてきました。それがおわったらヌッと、かおをあげます。そして、右へ二回ツンツンとつっくみたいにします。左へツンツンとやります。評:リズムに合わせたくふうがよく書けて調子がつたわってくるようです。

アトラさん(あたそ/小2)の作文より(ミルクティ先生/10.1週)

 先生に「合かくよかったね。」といわれた時「できた。うれしいな。」という気もちでした。(略)おとうとに「ようくん、黄色シールよかったじゃない。」といわれて、もっといい気もちでした。(略)お母さんのところに行くと「平およぎ二十五メートルおよげてよかったじゃない。」といわれて、すごくいい気ぶんになりました。<評>うれしい→もっといい気もち→すごくいい気ぶんと、だんだん、うれしさがつよくなっていくのを、会話もつかって、じょうずに書けたね。

ひかるさん(あなか/小2)の作文より(とこのん先生/10.1週)

 2ねんせいになってはっぴょうができるようになったばかりだから、3ねんせいになってもがんばりたいです。 評:とてもやる気の感じられる言葉ですね。自分から手をあげて自分の意見を発表できる、というのはとてもすばらしいこと。これからもどんどん「はっぴょう」していってね。 

敦さん(あにい/小2)の作文より(ひまわり先生/9.3週)

 ぼくはシートをとりかえました。もいっかいすべりました。一人でやりました。なんか、ながれぼしときょうそうしたかんじがしました。評:美しい表現だね。先生もそのようなすべり台にのってみたいなあ。

健介さん(あねみ/小2)の作文より(はるな先生/9.3週)

 サッカーボールが草を切るようにしてとんできたので、元気にけりかえしました。そのあと、ぼくはお父さんに「どう、うまい?」というと、「なかなかだね。」と言ってくれました.(講評);お父さんやお兄さんとスポーツ公園で、たいへん、正確にかきあらわせました。いきおいよくとんできたサッカーボールのうごきを、たとえをつかって、とても上手にあらわすことができました。お父さんとの,みじかい会話のやりとりの中に、強い球をけりかえした、吉田君の自信がみなぎっているようで、すごくよかったです。お父さんの楽しそうな表情が、会話から強く,かんじられますね。

 さいしょは、すこしゆっくり走りはじめました。学校のまわりを周走った後、何人もの人をおいこしました。おとうさんや、おじいちゃん、おばあちゃんがグラウンドのてつぼうのあたりで、ビデオをとりながら、「けんちゃんがんばって」と言いながらおうえんしてくれました。「やったー ゴールだ」・・・・。(講評);マラソンきろく会、本当によくがんばりました。「去年よりも速く走ろう」という、意気込みが伝わってきます。何人も追い抜いき、おじいちゃん達、家族ののおうえんに勇気付けられて、ゴールイン。そのときの、うれしさが、「やったー・・・・」のひとことに、よくこめられていますね。

みゆさん(あはみ/小2)の作文より(ももんが先生/9.4週)

 あひるのびんがわれていました。ペットボトルもとんで、かんばんみたいなものが、たおされていました。評:とても上手に台風の風の強さが表現できました。「すごい風だった」だけじゃなくて、こんなふうにまわりのようすを書いてみると、よくわかりますね。

新さん(あひわ/小2)の作文より(みち先生/9.2週)

 ぼくの家の近くではなかなかみられない虫ばかりなのでぼくは虫とりと聞くとむねがワクワクします。(中略)ぼくは草むらにそっと入り、草のあいだにしゃがんで一まいずつはっぱをしらべました。評:心のうごきやどうさでくわしくかけました。

あやぽんさん(ふれ/小2)の作文より(ゆり先生/10.1週)

 (バッタの)たまごはねずみ色っぽくておこめぐらい小さかったです。そしてみんながどんなに大きなこえをだしてもぜんぜんうごきませんでした。評:たまごのようすがとてもよくわかる書き方だね。バッタの赤ちゃんって、どんなふうにうまれてくるのかも見てみたいね。

  光る表現(小3) 1999年10月3週号

友葵さん(あしも/小3)の作文より(ゆり先生/10.1週)

 ある日先生に、「まるで新聞きしゃやねぇ。えらい。えらい。」と、言われうれしくなりました。私は、「新聞きしゃだって。エヘヘ。」と、ちょっとはずかしく思いました。評:うれしいような、くすぐったいような気持ちがよくわかります。

ひろみさん(あちや/小3)の作文より(ももんが先生/10.1週)

 けっきょくまけたけど気分はすかっとしていました。評:自分の力を思いきって出せた後の気持ちのよさが、とても伝わってきますね。

真亮さん(あむこ/小3)の作文より(みち先生/9.2週)

 みんないやがるのはせ中合わせです。なぜなら女子と男子がいっしょになるといやがります。だからです。だけどいきがあう人もいます。ぼくたちはその中のペアです。さいしょはいきが合いませんでした。でもこのごろはいきが合います。すぐせなか合わせの形になってくれます。評:いきがあってよかったね。運動会はたのしくおどれるね。

ペンギンさん(しろ/小3)の作文より(スズラン先生/10.1週)

 (得意なドッチボールの試合で)三井君とぼくの一気うちになりました。しばらく、とってなげて、とってなげて、とってなげて、、、、、がつづきました。そしてさいごに、ぼくは、とるとき手がすべってしまいあたってしまいました。評:二人で白熱した投げ合いをしていたことがわかりますね。あたってしまったのは残念でしたが、感想に「とてもいい勝負だった」と書いていましたので、さわやかな気持ちで終わったようですね。

 くもの糸の色はとてもカラフルです。 評:素敵な書き出し。どんな話がはじまるのかな・・・わくわくしてきます。

香子さん(そち/小3)の作文より(洋子先生/9.4週)

 全米日系博物館にも行きました。第二次世界大戦の時、原爆が日本に落ちて、日本では、疎開した人がいっぱいいたそうです。アメリカに住んでいた日本人は、どっちで戦えばいいのか分からなくなってしまって困ってしまったそうです。牢屋に入れられた人がいっぱいいたそうです。私は、ほんとうに戦争はこわくて日系人は、こまってしなったのだなと自分もその人になってしまった気分になりました。見終わった後私は、一階でウサギのビ−ズを買ってもらいました。うれしくて、こわくて、いろいろなことを思いました。ロスは、日本とまったく違う空気、景色でした。評:夏休みのロスアンゼルスへ行った時の思い出です。博物館の見学で、アメリカに住んでいた日系人の複雑な立場をあなたもあたかもその当時の日系人になったかのようにいろいろ考えたことが素直に書けていてよかったです。日系人は,当に体を二つに分けたいような、つらいおもいをしたことでしょうね。美しいロスの観光とともに貴重な体験もでき忘れられない旅行になりますね。

芽恵照さん(そて/小3)の作文より(スズラン先生/10.1週)

 (コートボールをやってみて)私は、このゲームのどこが好きかというと、このゲームは、チームワークがないとかてないので、みんなの心が一つになれるから、大好きです。評:みんなの気持ちを一つにしてまとまっていく楽しみを、このスポーツから知ることができたようですね。大切なことですね。

純太さん(ねあ/小3)の作文より(ももんが先生/10.1週)

 ぼくは、まるで、トラのように走りました。評:ラグビーの試合で大活躍だった純太くん。上手にたとえの表現が使えました。「トラのように」というのは、本当に強そうで、速そうで、ぴったりだね!

聡一朗さん(ふま/小3)の作文より(ふじのみや先生/10.1週)

 「カキーン」。 やった。ホームランだ。 ☆バットに当たって、はじけたように飛んでいくボールが先生の目にも見えました。きもちのいい書き出しですね。

弘将さん(やあ/小3)の作文より(ゆり先生/10.1週)

 つぎにおうえんがっせんをやりました。ぼくはおうえんだんです。おうえんだんをやるのは、はじめてで、どきどきしました。評:はじめてだったら、すごくきんちょうしただろうね。うまくできたかな?

  光る表現(小4) 1999年10月3週号

まささん(あうこ/小4)の作文より(ゆり先生/10.1週)

 「がんばれ。」「スピードぶっとばせ。」と、いうおうえんの声の中を空をとんでいるようでした。心ぞうは、ドックドックとなっています。評:みんなのおうえんをうけて、きんちょうしながらも気持ちよく走っているんだね。とても生き生きと書けているね。

けろっぴさん(あちえ/小4)の作文より(ゆり先生/10.1週)

 一位ののぞみは、もうほとんどない。でも、C組に追いぬかれないように全力しっ走しようとちかったのだった。とにかく走った。(略)関君が、「もう少しだ。みんながんばって、つっこむぞ。」と、さけんだ。評:短い文をテンポよくつづけて、とても生き生きした表現ができていますね。

洸さん(あてす/小4)の作文より(洋子先生/10.1週)

 「ヤッタ−。」今日は、まちに待った運動会です。去年は、徒競走が五位だったから、今年は三位をねらおうと思いました。この言葉を心の中でかみしめていました。評:君の決意がよく伝わってくる書き出しです。最後の最後に抜かれてしまって残念でしたけれど第二位になれたのは、すばらしい成果でしたね!来年が楽しみ。

寛史さん(あなに/小4)の作文より(洋子先生/10.1週)

 「ポシャ」ボ−ルは、ポンポンと一、二回はずんでころりころりと転がりました。評:手打ち野球のことを書いた文の出しです。ボ−ルがその先どうなるか? 気になりますね。

ゼニガメさん(あひろ/小4)の作文より(ももんが先生/10.1週)

 運動会が終わってからの教室では、赤組で勝った人はニコニコしていて、それと反対に白組で負けた人はブスーッとしていました。評:「負けてしまった運動会」という題名の作文の結びの文章です。周りの友だちのようす(表情)を上手に表現して、作文をまとめることができました。

康平さん(てい/小4)の作文より(スズラン先生/9.3週)

 (お母さんが、一人で学校のクリスマス会で使う衣装をつくることになって)お母さんは、「まちがえないでしなきゃ」と言っていました。ぼくは、そのとき、信用というものは、責任もあるんだなぁと思いました。評:信頼されたお母さんをとおして、責任も伴うということを考えたのはすごい!

直茂さん(ねさ/小4)の作文より(ももんが先生/9.3週)

 ぼくが盗人だったら、やっぱりうれしくてたまらないと思います。ぼくだったら(盗人を)やめています。うれしすぎて盗人はやってられません。評:「うれしすぎて盗人はやってられない」というのがとてもいいね。気持ちが良くわかるよ。直茂くんの書いてくれた通り、人から信用されるって、とっても大きなことだよね。

 

  光る表現(小6) 1999年10月3週号

SAPPHIREさん(ああす/小6)の作文より(ミルクティ先生/10.1週)

 真っ青な空の中、プールの方から、冷ややかな風がふいてきた。その瞬間、私は泳ぎ出した。<評>情景描写の書き出し。小説の書き出しのようで、すてきですね。

茉有さん(ああの/小6)の作文より(スズラン先生/9.3週)

 日本人は外国人を見習って、はずかしがらず、外国に興味を持って、もっと「外国」に触れてみたらどうかと思う。評:言葉の壁があるかもしれませんが、それを越えて積極的に交流したいものですね。

しおりさん(あそと/小6)の作文より(ふじのみや先生/10.1週)

 弓を、自分の感情、楽譜の強弱通りに動かす。強い部分は大きく、弱い部分は小さく、その曲を、まるで生きているようにひいてあげるには、そんな努力が必要になる。しかし、それは右手の話。左手はもっとすごい。バイオリン本体を持つ左手は、右手では比べものにならないほど早く動いている。(略)私にとってのスポーツ、それは実はバイオリンなのである。「えーっ、あんな立ってるだけみたいなものがー!?」とも言われそうだが、それは決定的な間違いである。 評:全身で音楽を奏でる様子を表現力豊かに書き、読む人の心をひきつける書き出しになっています。

達也さん(あむか/小6)の作文より(みきこ先生/9.3週)

 アメリカ人も(僕のことを)やさしく受け入れてくれたけど、その立場を逆にしたらどうだろう。僕がすっかりアメリカ人化して日本に戻ったらどうなるだろうか? (評):話題を自分で広げているところ、さらに深く考えているところがすごいですね。

純さん(あめひ/小6)の作文より(ミルクティ先生/10.1週)

 スポーツは人間にとって大切であると思います。イライラしてても、スポーツをすればなくなってしまい、スポーツをすると、とてもいい汗がかけます。スポーツをしているといろいろな人と知りあえ、友達になれ、仲良くなります。スポーツは、人間にとって、なくてはならない存在であると私は思います。<評>入会して初めての作文だったけれど、しっかり「●一般化の主題」が書けたね。理由もいろいろ書いたことで、説得力が増したね。

沙季子さん(てあ/小6)の作文より(スズラン先生/10.1週)

 好きなスポーツがあるということは、やすらぎをあたえてくれるし、それを通し、仲間ができて頑張ることができ、好きなスポーツがあるというのはすばらしいことだと思う。評:好きなスポーツを持っていて、楽しい体験をしているのがわかる感想ですね。

  10.3週のヒント(中1−中2)

 中学1年生 10.3週 私に漫画「ドラえもん」(感想文)

 「ドラえもん」のひとつのテーマは、科学文明の便利さを過信する現代の日常生活への風刺にあった、というのがこの長文の主張です。確かに、ドラえもんの便利な四次元ポケットから、いつも思いがけない問題や事件が始まります。

 「科学文明の便利さを過信しないこと」が、意見の中心になります。みなさんの中にも、せっかくパソコンに保存していたデータが突然消えてしまったというほろ苦い思い出を持つ人もいるかもしれませんね。

 名言は、便利な科学が同時にトラブルの原因にもなるという意味で「84、理想に到達するための手段はまた、理想への到達を阻む障害でもある」。機械よりもそれを使う人間の心や姿勢が大事だという意味で「12、カメラマンは、レンズのほこりを払うまえに目のほこりを払わねばならない」などが使えそうです。

 中学2年生 10.3週 ある朝、私は一冊の(感想文)

 内容:ある朝、庭を散歩して、小さいころに遊んだものを見てまわったが、もはや子供のころのように無邪気に見ることはできなかった。トカゲをつかまえたが、昔のようなよろこびは感じられなかった。汽車が走ってくるのを見たとき、自分の本当の喜びはここでは得られないと思い、その列に乗って世の中に出てみたいと思った。

 解説:人間は日に日に成長します。昔熱中したテレビ漫画も、今見るとずいぶん色褪せて見えるという思いはだれもが持っているでしょう。成長や進歩に伴い関心が変化していくことはむしろ自然な現象と言えます。昔の思い出を大切にすることも大事ですが、新しいスタートを切ることもそれ以上に大事ですね。

 名言は、「43、脱皮できない蛇は……」「58、人間は求めているかぎり……」などが使えそうです。

  光る表現(中1−中2) 1999年10月3週号

青ちゃんさん(ひえ/中1)の作文より(ふじのみや先生/9.3週)

 私たちは、認めてもらうことが自分を見つける鏡になるのだ。 評:「鏡」とたとえたのが優れています。他者の目にうつった自分のすがたに、安心したり不安になったり。人間とは微妙な存在ですね。

TERUさん(ふり/中1)の作文より(かつみ先生/9.2週)

 ……(略)……とみんなが一番待ち望んでいた答えが先生からかえってきた。 評:みんなが一番待ち望んでいた…という表現がとてもいいよ。

魔法使いさん(あちほ/中1)の作文より(スズラン先生/10.1週)

 勝とうという気力がある人は、こだわることによって練習をがんばったり、強くなっていったりする。だから、勝つことにこだわってスポーツをするのもいいかもしれないが、私は、やはり勝っても負けても悔いのない試合さえできればいいと思う。評:自分の力を十二分に発揮できれば、たとえ負けても充実感があるということですね。反対意見として理解できました。

サイコロさん(あつと/中1)の作文より(洋子先生/10.1週)

 世の中には、スポ−ツにたいする考え方は二つある。一つは、「スポ−ツは、楽しむために在り、勝つためよりも参加することに意味がある」と考える人と「勝つために努力してこそ、実力もつくし楽しみもあるという」という考え方である。評:スポ−ツにたいする考え方を二つに分類して考えてみたところがさすが中学生、君らしいね。僕のなかには、まだまだ自分の知らないじぶんがいるに違いない。やはり、持つべき物は、友だなと思った。評:なかなか友達のなかに気軽にはいっていけなかったのがなおりつつあること、ともだちの存在を通して自分をみつめつつある君の心情が素直に表現できました。君には、君のまだ知らない君のすばらしさがたくさん秘められていますよ!友達との交流を通して発見していってくださいね!

TERUさん(ふり/中1)の作文より(かつみ先生/10.1週)

 私は「そんなの無理だよーー。」というのが口癖だ。一日に三回ぐらい行っているような気がする。 評:一日に三回というのがいいね。これをまずは一日に二回、一回と少しずつ減らしていけばいいよ。強い意志が必要だけれど、野文ちゃんならできるよ。

哲也さん(くさ/中2)の作文より(ミルクティ先生/9.2週)

 また、昔話「桃太郎」では、桃太郎がおじいさんとおばあさんを振り切って、鬼退治に行った。この決断が鬼退治を成功させたのだろう。<評>『自分で判断し決断し行動する』題名に合った昔話の引用ができたね。

たこ星人さん(こむ/中2)の作文より(きょうこ先生/10.1週)

 「スポーツをする上で最も大切なのは、勝つことよりもフェアプレーなのである。」 勝ちにこだわることと、楽しむこととの対比から、とても上手にフェアプレーにまで話をふくらませていってあげることができた。

  10.3週のヒント(中3)

 中学3年生 10.3週 物ごころのついた(感想文)

 内容:ある物事に興味を持ち研究しようとするとき、まず目につくのはその形態や振る舞いなどの現象的側面である。しかし、それだけにとどまれば記載的な博物学にすぎない。必要なのは事物の現象の奥にひそむ原理を追求することである。

 解説:現象に目を奪われるのではなく、その背後にある原理に目を向けようという意見です。テレビや週刊誌ばかり見ていると、どのタレントがどうしたのこうしたのと、にぎやかな話題につい目を奪われがちですが、名言35にあるように、「真によいことは、新聞に大きな騒ぎを起こすことなく、小さく始まる」ものです。ニュースの背後にある世の中の大きな流れを見るためには、読書や思索が欠かせません。

 昔話でも、こういうことはよくあります。いじわるなおじいさんは、ポチが大判小判を掘っているという現象にだけ目を奪われて、そのポチの行為の背後にある犬と人間との信頼関係にまで目が向きませんでした。(かなりオーバーな話だなあ(^^ゞ)。川に映っている、骨をくわえた自分の姿にほえた犬も、やはり現象だけに目を奪われた例でしょう。

 最近の高校入試では、単に知識の有無を問う問題よりも、その理由や原因を問う考える問題が増えています。ふだんの勉強でも、「なぜだろう」と深く考えることが必要になっているのですね。

  光る表現(中3) 1999年10月3週号

アッポさん(うえ/中3)の作文より(ふじのみや先生/9.3週)

 だが、日本語は、雪が静かに降りつもる様子の音や、太陽が照りつけている様子の音など、実際には聞こえない音までも言葉で表現してしまう。聞こえない音を、言葉によって聞こえるようにしてしまうのだから、昔の人はすごいなあ… 評:昔から日本人は、耳だけではなく五感をとぎすまして、自然の移ろいを感じていたのでしょうね。古典にも、美しい響きの言葉がたくさんありますね。

○○○○さん(うい/中3)の作文より(ひまわり先生/9.2週)

 自然というと良いイメージばかりが先行してしまうが、それだけが自然ではない。評:自然の真の姿に迫るものになっているね。

太公望さん(うの/中3)の作文より(スズラン先生/9.2週)

 今の忙しい時代についていくのも大切だが、それ以上に休息を自然の中で過ごしてみるようなことも大事かもしれない。人類と自然との共存・調和は、我々の永遠のテーマかもしれない。評:自然からの恵みの大きさを考えながら自然を大切にしていきたいものですね。

AE86さん(えや/中3)の作文より(かつみ先生/9.2週)

 それをもっと進行させるのも、止めるのも、これからの時代を生きていく僕達次第である。 評:僕達次第、と自分達の問題と考えているところがいいね。

泰寛さん(つひ/中3)の作文より(ももんが先生/9.3週)

 日本語にも美しい言葉があるように、外来語でも良い言葉はあると思う。評:日本古来の言葉を大切にしつつ、良いものをみきわめながら外来語を取り入れていこうという姿勢がしっかり表れている一文です。

  10.3週のヒント(高1—高2)

 高校1年生 10.3週 大人になって(感想文)

 人間の内的世界にかかわる神話=物語的説明と、人間の内的世界を排除した科学的説明との対比です。世界を理解する方法には、大きく分けて、この物語的説明と科学的説明とがあるようです。「夕焼けはどうして赤いの?」「お空が恥ずかしがっているのでしょ」「ふーん」というような会話を、子供のころお母さんやお父さんと交わしたことがだれにもあるでしょう。(ないか^^;)

 科学的説明の強力さは、現代のテクノロジーの発展が如実に示しています。物語的説明だけでは、理科や数学の世界はなかなか理解できません。「マイナスとマイナスをかけるとプラスになる」などという説明を物語的にすることは不可能ではありませんが、その説明は、その後に続く数学の世界に何ら発展的に結びつかない説明です。物語による実感を排除して、物事を客観的に理解することが数学や科学を発展させました。

 しかし、この科学的説明だけで押し通していくと、世界は次第に味気ないものになってきます。会計の専門家などは、桁の大きいところにある9や8の数字は笑っているように見え、1や2の数字は悲しそうに見えるそうです(ホント?)。数字のような味気なさの代表のようなものでも、人間は自分の内面世界とかかわらせて理解したがるのです。それは、内的世界との関連で世界とかかわることが人間の生きている実感と結びついているからです。ニュートン力学で記述される世界では、登場する質量や速度はその個性を捨象された任意の物質や質量です。同じように、その世界を理解する個人も、AさんでもBさんでもだれでもいい任意の個人になっています。任意の個人の方が気楽でいいや、などという人もいるかもしれませんが、生きている実感は特定の個人として生きる中にあります。これを社会問題や生き方の主題に関連させて考えてみましょう。

 高校2年生 10.3週 日本は豊かな国で(感想文)

 内容:日本は豊かな国になったが、逆に人々はゆとりのない生活をしている。経済的な価値だけが評価される社会では、福祉などはあまり評価されない。

 解説:大人の社会はなんでもお金に換算され、子供の社会ではなんでも成績に換算されるという風潮があります。現代の社会では、「清く、貧しく、美しく」という言葉は死語になってしまいましたが、昔の日本には「貧しくても、人様に迷惑をかけないように」という考え方が社会のすみずみにまで生きていました。江戸時代に日本に来たイギリス人は、日本の役人が賄賂などを受け取らないことに驚いたそうです。戦後すぐ、日本の田舎でアメリカ占領軍が日本の子供たちにチョコレートをばらまいたところ、次の日、芋や大根などの野菜がアメリカ軍の宿舎に届けられたそうです。「人様に物をいただいたら、きちんとお返ししなさい」という倫理観が敗戦で着の身着のままになった人々の心の中にも生きていたのです。「一隅を照らすこれ則ち国宝なり」という最澄の言葉がありますが、こういう精神は日本人の心の中にずっと残っていたようです。福沢諭吉は、政府から、国家に尽くした功労が与えられるという話があったとき、人間が当たり前の仕事をしているという点では車屋も豆腐屋も同じだ。自分を誉めてくれるのならまず隣の豆腐屋から誉めてくれ、と断ったそうです。財布を落としてもそれが交番に届けられて持ち主に戻ってくるというのも、日本の社会の美点としてよく取り上げられます。しかし、バブルのころには、少なからぬ日本人が目先の利益に振り回されました。もちろん経済的な価値は、社会の柱となるものですから、それを否定することはできません。しかし、経済的な価値だけが肥大した社会は、非人間的な社会だと言えるかもしれません。

  光る表現(高1−高2) 1999年10月3週号

和之さん(あはき/高2)の作文より(ももんが先生/9.3週)

 何もしないですべてができるような社会になる可能性がないとは言いきれません。(中略)いきすぎた便利に気をつけるべきだと思います。評:「何もしないですべてができる」という相反するものを上手くつなげた表現や、「いきすぎた便利」という言葉が効いていますね。

 

  10.3週のヒント(高3−大社)

 高校3年生 10.3週 高校進学率が(感想文)

 内容:進学率の上昇に伴い、受験生の合格可能性を見きわめるために偏差値が使われるようになった。しかし、いったん偏差値が使われると学校の序列化が進み、偏差値のランクそのものが受験競争の誘因になっった。背後に立身出世などの大きな物語があるわけではない大衆受験社会は、個人の野心や欲望に基づかない、偏差値だけをモノサシとした空虚な主体を製造している。

 解説:受験競争が激しいわりには、受験ノイローゼは激減しているそうです。昔は、受験生というと周囲も腫れ物にさわるような扱いで、本人も思いつめた悲壮な決意で受験に臨んでいました。今は、希望すればだれでもどこかの大学に入れるような状況があるせいか、それほど生きるか死ぬかの決断のような雰囲気はなくなっています。しかし、その分、学校の序列化が進んでいるので、少しでも偏差値の高い学校へという受験競争にすべての人が巻き込まれているようです。何のために勉強するのかという大きな目的はなく、ただみんなとの競争に巻き込まれてしまったので、その競争に負けないように勉強するという感覚です。予備校などの偏差値情報も、年々より細かくビジュアルになっているので、初めはその気がなくても模擬試験などを何度か受けているうちにだんだんがんばらなければならないような雰囲気になってきます。受験勉強は、現代では新しいゲームになっているようです。

 しかし、こういうゲームで大学に入った人の多くが、大学に入ったあとに何のために勉強するのかという目的の不在に悩んでいます。偏差値というゲームを利用して、楽しく勉強することは大事です。しかし同時に、その勉強の本当の目的を時々自分なりに考えていくことが必要です。現代の問題は、勉強のゴールが大学受験になっているところにあるようです。

 大学生社会人 10.3週 これからの日本は(感想文)

 内容:国際化の中で人種的にも多様化する日本人にとって、日本民族のアイデンティティは日本文学の中にある。しかし、欧米に比べて日本文化のタテの連なりはきわめて弱く、若い人が古典に親しみにくいという状況がある。国語の試験で範囲を限定して日本の古典文学を出題することがひとつの対策になるのではないか。

 解説:日本の古典文学の中には、優れたものがいくつもありますが、現代語に訳されていないとまず読む気がしません。このため日本では、自分の国の古典よりも欧米の古典を先に読むような逆立ちした読書の仕方が主流になっています。私(森川林)も、ヘーゲルやマルクスやサルトルのような外国の本ばかり読んでいた大学生のある日、ふと手にした葉隠(の現代語訳^^;)を読んで新鮮な衝撃を受けました。探してみると貝原益軒や二宮尊徳のように、欧米の哲学や宗教に匹敵するオリジナルな学問が日本にはまだ数多く埋もれているようです。ただ日本の文学や思想には、複雑な理屈や思索を不自然なものとして嫌い、理屈以前の描写や理屈を超えた非言語的理解に偏りがちだという弱点もあるようです。日本の古典と世界の古典をバランスよく学んでいくことが必要なのでしょう。

 みなさんは、高校の古典の授業で、源氏物語や枕草子を勉強したことがあるでしょう。「いとをかし」などと書いてあるからさぞおかしいことなのだろうと思うと、「趣がある」というような意味だったり、「あはれなり」などと書いてあるからすごくかわいそうなことなのかと思うと、「風情がある」というような意味だったりということで、いろいろ悩まされたと思います。こういう日本の古典が現代語と同じように読めると、日本文化に対する理解もさらに深まるでしょう。そのためには、著者の言うように、日本の古典文学を範囲を限定して出題する入試などが今後必要になってくるのかもしれません。